<経営不振のバスケットボール・チーム「千葉ジェッツ」を率いることになった島田慎二氏は、リーグを移籍し、アリがゾウに立ち向かう構図を資金獲得の旗印にして、見事に再建を果たしたという。「社長の仕事は社員に勝ちグセを植えつけること」と語る島田氏の、社長論そしてプロスポーツチーム論とは>
※インタビュー前編:経営不振のバスケチームを人気No.1にした勝因とは?
日本トップクラスの男子バスケットボールプロリーグ「Bリーグ(ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ)」の発足を2016年9月に控え、日本のプロバスケット界は大きな転換点にあります。
2015年まで、日本のプロバスケットボールリーグは「bjリーグ(日本プロバスケットボールリーグ)」と「NBL(ナショナル・バスケットボール・リーグ)」が並立する状態でした。私が千葉ジェッツの経営に携わることになったのが2012年2月で、当時ジェッツはbjリーグに所属していたのですが、同年6月にNBLへ移籍したんです。これは思い悩んだ末の、非常に重い決断でした。
アリがゾウに立ち向かう構図を資金獲得の旗印に
決断に際しては、いくつかの検討の軸がありました。1つは千葉ジェッツ、あるいはチームを運営する我々ASPEという会社への影響です。
リーグを変えることのメリットとしては経費節減が挙げられます。bjリーグは日本全国にチームが点在しているので、アウェイの試合だと交通費や宿泊代がかかります。その点、NBLだと関東近郊のチームが多いのでコストダウンできるというわけです。
とはいえ、NBLは上位リーグなので対戦相手が強くなるというデメリットもあります。トヨタ自動車アルバルク東京や東芝ブレイブサンダース神奈川など、日本のトップレベルのチームと伍していかないといけない。「移籍したら絶対に勝てない。全敗してファンも離れてスポンサーもつかない。自殺行為だよ」という忠告も多くいただきました。
だけど発想を変えれば、アリがゾウに立ち向かう構図は挑戦意欲をかきたてます。これは資金獲得の大きな旗印になると考えたんです。そこで「打倒トヨタ」を掲げて、夢を共有、共闘するシチュエーションをリーグ移籍によって意図的に作り、地元の経営者のベンチャーイズムに火をつけてスポンサー獲得を目指しました。
「たった1億円で日本一になるかもしれない!」
NBLのサラリーキャップ* は1億5,000万円です。トヨタなどはこれ以上の額をチームにかける余裕があるけれども、ルールだからということで、無理やりこの額に収めているわけです。一方で、うちは頑張って4,000万。差がおよそ1億。でも裏を返せばたった1億です。この仕組みを地元の企業を集めて説明し、「たった1億円で日本一になるかもしれないんだから、こんな安く買える夢はない」と訴えました。
これが功を奏してスポンサーが増えました。また、いただいたお金もあえてディスクローズして、1億5,000万円までの差額も刻々と明示したんです。「あと○○万円でトヨタに勝てる可能性があるということか。じゃあ来シーズンはもうちょっと応援しよう」と、そう思ってもらえるような誘導作戦です(笑)。
前編で再建の第一歩としてスポンサー獲得にスポットを当てたと話しましたが、「打倒トヨタ」のスローガンはそのアプローチの本丸でした。1兆円の利益を出している日本最大の企業、そこが擁している日本一のチームに、地元のローカルな球団と力を合わせて勝ってみせる、その夢を一緒に見る。そういう状況を作るための格好の手段が移籍であり、みなさんと共闘しやすいストーリーを作ったわけです。
こうして資金調達が加速し、組織の成長が始まっていきました。ローカルチームの我々がベンチャースピリットをもってできること、地域のみなさんとともに成長することができるはずという勝手な確信はあったものの、ある面から見れば確かに自殺行為にもなり得たわけで、これは大ばくちでしたね。
bjリーグとNBLを取り持つ橋渡し役として
リーグを変えるかどうか迷っていたとき、経済的なメリットや戦略的な仮想敵国作りの他にもう1つ、日本のプロバスケットボール界全体への影響も考えました。
一番大事なのは日本のプロバスケットというスポーツのマーケットが成立すること。千葉ジェッツだけが頑張っても頭打ちになりますから、バスケットの産業自体が発展しないといけません。そのためにはリーグが統一することが大事だと私は信じていました。
移籍当時、bjリーグとNBLはあまりいい関係が築けていなかったんです。そこで我々がbjリーグからNBLへ移れば、薩長連合じゃないですけど両者を取り持つ橋渡し役になれるのではないかと、そういうことも念頭にありましたね。また、いずれリーグが統一されるとしたら日本バスケットボール協会のルールが採用されるでしょう。となると、NBLに移籍していれば統一したときに先行者利益も見込めます。こうした大局的な見地からも移籍を決めたという経緯があります。
結局その後、Jリーグの立役者である川淵三郎さんが公益社団法人ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグを創設し、Bリーグが発足、bjリーグとNBLは合流することになったのですが、弱小球団でスポンサーもつかなかった我々がNBLで奮闘している姿を見て、「うちもやれるんじゃないか」と思ってくれたbj所属の球団もあると思うんです。ですからリーグ統一の裏方としては、我々の移籍はささやかながら機能したと思いますし、意義があったと思います。
決めた目標は必達させる。これを2年、3年と続けると勝ちグセがつく。
負け組の雰囲気が漂っていた職場の士気を高めるためには、社員の意識改革も大きな課題でした。
具体的には活動理念やミッションをビジョンとして示して、それらを実現するために長期・短期の計画へブレークダウンしていきました。ミッションを果たすために、5年後には売上をいくらにするか、そのためにはスポンサーがどれくらい必要で、チケットはどれくらい売れないといけないかといった具体的な目標を設定。さらにその計画を担当する責任者を決めて、月単位、週単位でプロセス管理を徹底しました。
「日本一の球団を目指す」というような大きな目標をいきなり掲げても、資金繰りもおぼつかない状況では到底信用されません。でもビジョンを示して、段階的に1つ1つ実績を作っていくと組織は変わってきます。2年後に5億円の売上を立てると決めたら必達させる。3年後に7億といえば必達させる。これを2年、3年と続けると勝ちグセがつきます。その先にさらに高い目標を掲げても、何とかなるだろうと受け入れられる土壌ができてくるんです。
権限移譲は社長の責任放棄にもつながる
そして「成果に対するリターンを享受できる組織になる」とビジョンに掲げているわけですから、業績が良くなれば必ずスタッフに配給します。すると信頼関係が生まれ、さらに頑張ろうと奮起して、組織はいっそう成長していく。プラスのスパイラルでどんどん成果を出し続けていける組織に生まれ変わるんです。
叱咤したり鼓舞したり、悩んでいるときはじっくり話を聞いたりしながらプロセス管理を徹底して勝ち組の意識を植えつけていく。突き詰めれば社長の仕事はこれに尽きると思います。
権限委譲をよしとする意見も耳にしますけど、社員数が100名くらいまではトップがきめ細かく見ていくのがいいと私は考えています。ベンチャー企業の社長が中途半端なところで「ナンバー2がほしい」とか「現場の裁量権を拡大させたい」と言い出したら、それは疲れている証拠ではないかと(笑)。
組織の規模がまだ小さいうちは社長が全て見ていくくらいの気構えがなければ成長は望めないと思いますね。ですから将来的な権限委譲を念頭に置いているリーダー格はもちろんいたとしても、基本はトップが掌握してプロセス管理をしっかりやっていく。100人規模になるまではそういう方法でいこうと思っています。
ファンの期待に応えるためにプロとしてどこまで踏ん張れるか
事業が軌道に乗って、社員の意識は変わってきました。以前は他のチームに追いつけ追い越せだったけれども、追い越した今はむしろプレッシャーを感じていると思います。でもそれがいい刺激となって、モチベーションを高める要素になっている。
金銭的なリターンも大事ですけど、特にファンや世間から評価されると、適当な仕事ができなくなります。頑張ろうという気持ちが内側から湧いてくる状況になってきたといえるでしょう。
それは選手も同じです。観客動員が増えて、勝率も上がってきたわけで、以前と手ごたえが全然違いますよね。選手には「結果を出したかったらそのための努力をしよう」「他のチームの選手が10の練習をするなら、自分たちは15やらないと勝てないぞ」といったことを話しています。何といっても試合でシュートを決めたときのファンの大歓声は最高に気持ちいいはず。「ああいうシーンをもっと増やそう、そのためにシュートの練習をしよう」と働きかけています。プロの選手生命は10年ちょっとですから、悔いのないようにやり切ってほしいと思っています。
日本一のプロバスケットクラブとして業界をリードしていく存在に
Bリーグのスタートを控えた今は、本格的にバスケットが日本に根付くかどうかの過渡期です。日本のスポーツで競技人口が多いのはサッカーに次いでバスケットです**。今はボールに触れていないけれども、かつてプレーしていた人も含めればバスケットに関わったことのある人たちはものすごく多い。しかも、プレー経験がなくても試合を観れば引き込まれてしまう魅力のあるスポーツです。
今後もチームを強くする、観客動員を増やす、地域にいっそう根差した活動をしていく、行政との関係をより深めていくといった、今の活動を量・質ともにより充実させていきたいと思っています。
そのうえで、プロバスケットボールチームとしてより骨太な成長をしていきたい。打倒トヨタを掲げていますが、実際の対戦成績はどうかといえば、2014年度は3勝2敗と勝ち越せたものの、2015年度は1勝もできませんでした。強豪チームを叩き潰す強さをチームとして身につけていきたいし、そういうチームを作るためにさらに経営力を高めていく努力をしていきたい。
社長就任以降、前例のないリーグ移籍や仮想敵国作りでスポンサーを獲得したりと、いくぶんトリッキーな手法で事業と組織を拡大させてきました。本業であるバスケットの実力も高めて、日本一のプロバスケットボールクラブとして業界をリードしていく存在になれたらと思っています。
WEB限定コンテンツ
(2016.3.29 千葉県船橋市の千葉ジェッツ本社にて取材)
text: Yoshie Kaneko
photo: Tomoyo Yamazaki
千葉ジェッツ
2010年11月発足。加盟リーグは2012年度までbjリーグ、2015年度までNBL、2016年9月からBリーグ(B1カテゴリ)。日本代表メンバーも務める小野龍猛選手や富樫勇樹選手らを抱え、2015年度は8位の成績でプレーオフ進出を果たす。観客動員数はリーグ随一で、2015年12月にはNBLリーグ史上最多の6,236人を記録した。ホームタウンは船橋市、フレンドリータウンは千葉市。メインアリーナは船橋市総合体育館(船橋アリーナ)。
http://www.chibajets.jp/
株式会社ASPE(エーエスピーイー)
千葉ジェッツの運営会社として2010年9月に設立。社名はArena Sports Promotion & Educationの略。本社は千葉県船橋市。社員数13名(2016年6月現在)。
ASPEのオフィス。デスクの間にパーテーションを置かず、フラットで風通しの良い雰囲気が保たれている。
* サラリーキャップ
球団経営の健全化や戦力の均衡を目的として、所属選手に支払う年俸の総額の上限を規定する制度。国内外のスポーツ界で適用されている。
** 日本のスポーツの競技人口ではバスケットが63万人で、サッカーの96万人に次いで多い。世界ではバスケットが4.5億人、サッカーが2.6億人で、バスケットが最多。(JBA、JFA、FIBA、FIFAの調査より)
島田慎二(しまだ・しんじ)株式会社ASPE 代表取締役。1970年新潟県生まれ。日本大学卒業。1992年株式会社マップインターナショナル(現・株式会社エイチアイエス)入社。95年に退職後、法人向け海外旅行を扱う株式会社ウエストシップを設立。2001年同社取締役を退任。同年、海外出張専門の旅行を扱う株式会社ハルインターナショナルを設立。10年に同社売却、同年にコンサルティング事業を展開する株式会社リカオンを設立。12年より現職。株式会社ジェッツインターナショナル 代表取締役、特定非営利活動法人ドリームヴィレッジ 理事長、公益社団法人ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ 理事。
※当記事はWORKSIGHTの提供記事です
WORKSIGHT
※インタビュー前編:経営不振のバスケチームを人気No.1にした勝因とは?
日本トップクラスの男子バスケットボールプロリーグ「Bリーグ(ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ)」の発足を2016年9月に控え、日本のプロバスケット界は大きな転換点にあります。
2015年まで、日本のプロバスケットボールリーグは「bjリーグ(日本プロバスケットボールリーグ)」と「NBL(ナショナル・バスケットボール・リーグ)」が並立する状態でした。私が千葉ジェッツの経営に携わることになったのが2012年2月で、当時ジェッツはbjリーグに所属していたのですが、同年6月にNBLへ移籍したんです。これは思い悩んだ末の、非常に重い決断でした。
アリがゾウに立ち向かう構図を資金獲得の旗印に
決断に際しては、いくつかの検討の軸がありました。1つは千葉ジェッツ、あるいはチームを運営する我々ASPEという会社への影響です。
リーグを変えることのメリットとしては経費節減が挙げられます。bjリーグは日本全国にチームが点在しているので、アウェイの試合だと交通費や宿泊代がかかります。その点、NBLだと関東近郊のチームが多いのでコストダウンできるというわけです。
とはいえ、NBLは上位リーグなので対戦相手が強くなるというデメリットもあります。トヨタ自動車アルバルク東京や東芝ブレイブサンダース神奈川など、日本のトップレベルのチームと伍していかないといけない。「移籍したら絶対に勝てない。全敗してファンも離れてスポンサーもつかない。自殺行為だよ」という忠告も多くいただきました。
だけど発想を変えれば、アリがゾウに立ち向かう構図は挑戦意欲をかきたてます。これは資金獲得の大きな旗印になると考えたんです。そこで「打倒トヨタ」を掲げて、夢を共有、共闘するシチュエーションをリーグ移籍によって意図的に作り、地元の経営者のベンチャーイズムに火をつけてスポンサー獲得を目指しました。
「たった1億円で日本一になるかもしれない!」
NBLのサラリーキャップ* は1億5,000万円です。トヨタなどはこれ以上の額をチームにかける余裕があるけれども、ルールだからということで、無理やりこの額に収めているわけです。一方で、うちは頑張って4,000万。差がおよそ1億。でも裏を返せばたった1億です。この仕組みを地元の企業を集めて説明し、「たった1億円で日本一になるかもしれないんだから、こんな安く買える夢はない」と訴えました。
これが功を奏してスポンサーが増えました。また、いただいたお金もあえてディスクローズして、1億5,000万円までの差額も刻々と明示したんです。「あと○○万円でトヨタに勝てる可能性があるということか。じゃあ来シーズンはもうちょっと応援しよう」と、そう思ってもらえるような誘導作戦です(笑)。
前編で再建の第一歩としてスポンサー獲得にスポットを当てたと話しましたが、「打倒トヨタ」のスローガンはそのアプローチの本丸でした。1兆円の利益を出している日本最大の企業、そこが擁している日本一のチームに、地元のローカルな球団と力を合わせて勝ってみせる、その夢を一緒に見る。そういう状況を作るための格好の手段が移籍であり、みなさんと共闘しやすいストーリーを作ったわけです。
こうして資金調達が加速し、組織の成長が始まっていきました。ローカルチームの我々がベンチャースピリットをもってできること、地域のみなさんとともに成長することができるはずという勝手な確信はあったものの、ある面から見れば確かに自殺行為にもなり得たわけで、これは大ばくちでしたね。
bjリーグとNBLを取り持つ橋渡し役として
リーグを変えるかどうか迷っていたとき、経済的なメリットや戦略的な仮想敵国作りの他にもう1つ、日本のプロバスケットボール界全体への影響も考えました。
一番大事なのは日本のプロバスケットというスポーツのマーケットが成立すること。千葉ジェッツだけが頑張っても頭打ちになりますから、バスケットの産業自体が発展しないといけません。そのためにはリーグが統一することが大事だと私は信じていました。
移籍当時、bjリーグとNBLはあまりいい関係が築けていなかったんです。そこで我々がbjリーグからNBLへ移れば、薩長連合じゃないですけど両者を取り持つ橋渡し役になれるのではないかと、そういうことも念頭にありましたね。また、いずれリーグが統一されるとしたら日本バスケットボール協会のルールが採用されるでしょう。となると、NBLに移籍していれば統一したときに先行者利益も見込めます。こうした大局的な見地からも移籍を決めたという経緯があります。
結局その後、Jリーグの立役者である川淵三郎さんが公益社団法人ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグを創設し、Bリーグが発足、bjリーグとNBLは合流することになったのですが、弱小球団でスポンサーもつかなかった我々がNBLで奮闘している姿を見て、「うちもやれるんじゃないか」と思ってくれたbj所属の球団もあると思うんです。ですからリーグ統一の裏方としては、我々の移籍はささやかながら機能したと思いますし、意義があったと思います。
決めた目標は必達させる。これを2年、3年と続けると勝ちグセがつく。
負け組の雰囲気が漂っていた職場の士気を高めるためには、社員の意識改革も大きな課題でした。
具体的には活動理念やミッションをビジョンとして示して、それらを実現するために長期・短期の計画へブレークダウンしていきました。ミッションを果たすために、5年後には売上をいくらにするか、そのためにはスポンサーがどれくらい必要で、チケットはどれくらい売れないといけないかといった具体的な目標を設定。さらにその計画を担当する責任者を決めて、月単位、週単位でプロセス管理を徹底しました。
「日本一の球団を目指す」というような大きな目標をいきなり掲げても、資金繰りもおぼつかない状況では到底信用されません。でもビジョンを示して、段階的に1つ1つ実績を作っていくと組織は変わってきます。2年後に5億円の売上を立てると決めたら必達させる。3年後に7億といえば必達させる。これを2年、3年と続けると勝ちグセがつきます。その先にさらに高い目標を掲げても、何とかなるだろうと受け入れられる土壌ができてくるんです。
権限移譲は社長の責任放棄にもつながる
そして「成果に対するリターンを享受できる組織になる」とビジョンに掲げているわけですから、業績が良くなれば必ずスタッフに配給します。すると信頼関係が生まれ、さらに頑張ろうと奮起して、組織はいっそう成長していく。プラスのスパイラルでどんどん成果を出し続けていける組織に生まれ変わるんです。
叱咤したり鼓舞したり、悩んでいるときはじっくり話を聞いたりしながらプロセス管理を徹底して勝ち組の意識を植えつけていく。突き詰めれば社長の仕事はこれに尽きると思います。
権限委譲をよしとする意見も耳にしますけど、社員数が100名くらいまではトップがきめ細かく見ていくのがいいと私は考えています。ベンチャー企業の社長が中途半端なところで「ナンバー2がほしい」とか「現場の裁量権を拡大させたい」と言い出したら、それは疲れている証拠ではないかと(笑)。
組織の規模がまだ小さいうちは社長が全て見ていくくらいの気構えがなければ成長は望めないと思いますね。ですから将来的な権限委譲を念頭に置いているリーダー格はもちろんいたとしても、基本はトップが掌握してプロセス管理をしっかりやっていく。100人規模になるまではそういう方法でいこうと思っています。
ファンの期待に応えるためにプロとしてどこまで踏ん張れるか
事業が軌道に乗って、社員の意識は変わってきました。以前は他のチームに追いつけ追い越せだったけれども、追い越した今はむしろプレッシャーを感じていると思います。でもそれがいい刺激となって、モチベーションを高める要素になっている。
金銭的なリターンも大事ですけど、特にファンや世間から評価されると、適当な仕事ができなくなります。頑張ろうという気持ちが内側から湧いてくる状況になってきたといえるでしょう。
それは選手も同じです。観客動員が増えて、勝率も上がってきたわけで、以前と手ごたえが全然違いますよね。選手には「結果を出したかったらそのための努力をしよう」「他のチームの選手が10の練習をするなら、自分たちは15やらないと勝てないぞ」といったことを話しています。何といっても試合でシュートを決めたときのファンの大歓声は最高に気持ちいいはず。「ああいうシーンをもっと増やそう、そのためにシュートの練習をしよう」と働きかけています。プロの選手生命は10年ちょっとですから、悔いのないようにやり切ってほしいと思っています。
日本一のプロバスケットクラブとして業界をリードしていく存在に
Bリーグのスタートを控えた今は、本格的にバスケットが日本に根付くかどうかの過渡期です。日本のスポーツで競技人口が多いのはサッカーに次いでバスケットです**。今はボールに触れていないけれども、かつてプレーしていた人も含めればバスケットに関わったことのある人たちはものすごく多い。しかも、プレー経験がなくても試合を観れば引き込まれてしまう魅力のあるスポーツです。
今後もチームを強くする、観客動員を増やす、地域にいっそう根差した活動をしていく、行政との関係をより深めていくといった、今の活動を量・質ともにより充実させていきたいと思っています。
そのうえで、プロバスケットボールチームとしてより骨太な成長をしていきたい。打倒トヨタを掲げていますが、実際の対戦成績はどうかといえば、2014年度は3勝2敗と勝ち越せたものの、2015年度は1勝もできませんでした。強豪チームを叩き潰す強さをチームとして身につけていきたいし、そういうチームを作るためにさらに経営力を高めていく努力をしていきたい。
社長就任以降、前例のないリーグ移籍や仮想敵国作りでスポンサーを獲得したりと、いくぶんトリッキーな手法で事業と組織を拡大させてきました。本業であるバスケットの実力も高めて、日本一のプロバスケットボールクラブとして業界をリードしていく存在になれたらと思っています。
WEB限定コンテンツ
(2016.3.29 千葉県船橋市の千葉ジェッツ本社にて取材)
text: Yoshie Kaneko
photo: Tomoyo Yamazaki
千葉ジェッツ
2010年11月発足。加盟リーグは2012年度までbjリーグ、2015年度までNBL、2016年9月からBリーグ(B1カテゴリ)。日本代表メンバーも務める小野龍猛選手や富樫勇樹選手らを抱え、2015年度は8位の成績でプレーオフ進出を果たす。観客動員数はリーグ随一で、2015年12月にはNBLリーグ史上最多の6,236人を記録した。ホームタウンは船橋市、フレンドリータウンは千葉市。メインアリーナは船橋市総合体育館(船橋アリーナ)。
http://www.chibajets.jp/
株式会社ASPE(エーエスピーイー)
千葉ジェッツの運営会社として2010年9月に設立。社名はArena Sports Promotion & Educationの略。本社は千葉県船橋市。社員数13名(2016年6月現在)。
ASPEのオフィス。デスクの間にパーテーションを置かず、フラットで風通しの良い雰囲気が保たれている。
* サラリーキャップ
球団経営の健全化や戦力の均衡を目的として、所属選手に支払う年俸の総額の上限を規定する制度。国内外のスポーツ界で適用されている。
** 日本のスポーツの競技人口ではバスケットが63万人で、サッカーの96万人に次いで多い。世界ではバスケットが4.5億人、サッカーが2.6億人で、バスケットが最多。(JBA、JFA、FIBA、FIFAの調査より)
島田慎二(しまだ・しんじ)株式会社ASPE 代表取締役。1970年新潟県生まれ。日本大学卒業。1992年株式会社マップインターナショナル(現・株式会社エイチアイエス)入社。95年に退職後、法人向け海外旅行を扱う株式会社ウエストシップを設立。2001年同社取締役を退任。同年、海外出張専門の旅行を扱う株式会社ハルインターナショナルを設立。10年に同社売却、同年にコンサルティング事業を展開する株式会社リカオンを設立。12年より現職。株式会社ジェッツインターナショナル 代表取締役、特定非営利活動法人ドリームヴィレッジ 理事長、公益社団法人ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ 理事。
※当記事はWORKSIGHTの提供記事です
WORKSIGHT