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93年、米国を救ったクリントン「経済再生計画」の攻防

ニューズウィーク日本版 2016年10月22日 7時12分

<女性スキャンダルで弾劾裁判にまで追い込まれたにもかかわらず、為政者として高く評価され、今なお絶大な人気を誇るビル・クリントンの半生(3)> (写真は1993年2月、大統領専用機エアフォースワン上にて)

 いよいよ11月8日、米大統領選の投票が行われる。このままいけば共和党のドナルド・トランプを破り、民主党のヒラリー・クリントンが勝利するはずだ。そうなれば来年1月、第42代大統領を務めたビル・クリントンが、再びホワイトハウスの住人となる。

【参考記事】ニューストピックス:決戦 2016米大統領選

 日本では今も、ビル・クリントンといえば「モニカ・ルインスキー事件」を思い起こす人が少なくないだろう。確かに、次々とスキャンダルが持ち上がり、最終的には弾劾裁判にまで追い込まれた大統領だった。しかし彼は、アメリカを再び繁栄に導いた大統領として高く評価されており、今なお国民の間で絶大な人気を誇っている。なかでも特筆すべき功績は、財政と貿易の「双子の赤字」を解決したことだ。

 西川賢・津田塾大学学芸学部国際関係学科准教授は『ビル・クリントン――停滞するアメリカをいかに建て直したか』(中公新書)の「はじめに」にこう記す。「クリントンは決してスキャンダルを起こしただけの政治家ではなく、内政・外交両面で後世に語り継がれる功績をあげ、アメリカを新世紀へと架橋した優れた為政者であったと認められている」

 本書『ビル・クリントン』は、250ページ超とコンパクトだが、来年にはアメリカ初の「ファースト・ハズバンド」になる可能性のある男の業績と、現在につながる評価がよくわかる一冊となっている。

 ここでは本書から一部を抜粋し、4回に分けて掲載する。第3回は「第3章 迷走する第1期政権――1993~1996年」より。1993年1月に大統領就任後、すぐさま財政再建に着手したビル・クリントン。20年余りが過ぎた現在、アメリカ経済を立て直すために必要不可欠だったと高く評価される包括的予算調整法は、いかにして成立に至ったのか。


『ビル・クリントン――停滞するアメリカをいかに建て直したか』
 西川 賢 著
 中公新書


※シリーズ第1回:なぜビル・クリントンは優れた為政者と評価されているのか
※シリーズ第2回:ビル・クリントンの人種観と複雑な幼少期の家庭環境

◇ ◇ ◇

経済再生計画

 クリントンが大統領に就任した93年当時、アメリカ政府は巨額の財政赤字、日本とのあいだに生じた貿易赤字に苦しんでいた。また、89年には5・3%だった失業率は92年には7・5%に上昇、89年12月に6・5%だった経済成長率は91年12月に4・25%に低下していた。

「変革」を掲げて大統領に当選したクリントンは、何よりもまずアメリカ経済の再生を最優先課題として着手する方針であった。

 93年2月17日、クリントンは「経済再生計画」を議会で演説し、独自の経済再生案を公表する。

 クリントンは、共和党政権の経済政策は「中間層・低所得者層を犠牲にして富裕層を優遇するトリクル・ダウン経済」だと批判し、その上で、①増税と歳出抑制によって94年度から5年間で財政赤字を4720億ドル削減する財政再建策、②長期公共投資による国民と企業の生産性の促進策、③2年間で320億ドルの短期的景気刺激策を実施して景気回復の呼び水とする策という3つの柱からなる経済再生案を提示した。

 しかし、クリントンはいきなりつまずく。



 93年補正歳出予算法案に、③にあたる短期的景気刺激策の実施に必要な大型公共投資支出などを緊急支出として盛り込んだことを共和党は強く批判していた。上院審議では民主党の重鎮ロバート・バード上院歳出委員長が強硬な姿勢で法案可決を狙ったため、共和党の執拗な議事妨害にあい、同法案の審議は予想以上に難航する。

 93年4月21日、同予算法案は議会を通過し、クリントンはこれに署名したが、同法案からは景気刺激策に必要な支出の大部分が削除されてしまっていた。これはクリントンが議会との攻防で味わった最初の挫折である。

 5月初旬の世論調査の結果は芳しいものではなかった。クリントンの支持率は4月22日の55%から10%も落ちて45%になった。国民はクリントンには議会を説得する手腕がなく、力不足であると判断したのである。

財政再建策――包括的予算調整法

 議会は財政再建策、すなわち包括的予算調整法案の審議にも入っていた。

 クリントンが示した原案では、向こう5年間での歳出削減の細目が示されていた。それは、国防支出から1120億ドル、メディケアなど福祉の義務的経費から1150億ドル、国債費から460億ドル、社会保障費から290億ドル、そのほか裁量的経費から730億ドル、合計3750億ドルを削減する内容であった。

 クリントンは増税も提案している。すなわち、①個人所得税に高額所得者(年収11万5000ドル以上、25万ドル以下)のカテゴリーを新設し、ここに属する人びとの最高税率を31%から36%に引き上げる、②年収25万ドル以上の超高額所得層の個人所得税率は最高税率を31%から39・6%とする、③法人所得税の課税率を現行の34%から36%まで引き上げる。

 加えて、電力、ガス、ガソリンなど、あらゆるエネルギー消費に対して、BTU(英国熱量単位。1BTUは、標準気圧下で1ポンドの水を華氏60・5から61・5まであげるのに必要な熱量)の量に応じて課税する、包括的エネルギー税を新設する方針も打ち出された。

 このBTU税はゴア副大統領のアイディアである。ゴアの考えでは、大気汚染の大きな原因となっている石炭への課税がもっとも重くなるため、BTU税は新規財源としてだけではなく、環境汚染の防止にも効果的であるとしていた。

 以上、歳出削減(3750億ドル)と増税による歳入拡大(3280億ドル)を合計すれば、7030億ドルになる。ここから長期公共投資と短期景気刺激策に必要な支出2310億ドルが差し引かれるため、クリントンの原案によれば、向こう5年間の赤字削減額は4720億ドルになる見込みであった。

 クリントン政権の財政再建案の特徴は増税を明確に打ち出し、財政赤字の削減を断行した点にあった。これはベンツェン財務長官、ルービン国家経済会議議長、パネッタ行政管理予算局長、リブリン行政管理予算副局長など経済チームの助言によるところが大きい。このほか、アラン・グリーンスパン連邦準備制度理事会議長の影響もあったといわれている。



僅差の上下院通過

 包括的予算調整法案は5月に下院、6月に上院を通過し、両院での法案の相違を埋めるため、両院協議会にかけられることとなった。共和党議員はこの法案に反対の方針で一致団結しており、上下両院とも多数を占めていた民主党でも、翌年の中間選挙で再選を控える議員は、同法案への賛否について頭を悩ませるものが少なくなかった。

 審議の過程で、石油産出州・石炭産出州の議員や大企業がBTU税に反対したことによって、結局BTU税導入は断念せざるを得なくなり、これに代わってガソリン増税が盛り込まれることが決まった。

 また、歳出面では向こう5年間で4960億ドルを削減(審議の過程で、大統領の原案よりも1210億ドルの削減額が上積みされた)することが決定し、メディケア支出を558億ドル削減すること、食糧配給切符への支出を抑制することなども含まれていた。

 両院協議会を経た包括的予算調整法案の最終的内容は、結果的に民主党・共和党双方にとって不満を残すものであった。

 民主党のリベラル派にはメディケア、学生融資、農業補助金といったリベラルなプログラムの義務的経費が削られていくことへの抵抗が強くあった。逆に共和党は赤字削減の努力がなお不足していると感じており、また富裕層や企業への増税を含む法案には賛成しがたいということもあった。

 8月5日に行われた最終投票では、下院本会議で土壇場になって態度を決めかねていたマージョリー・マーゴリーズメズビンスキー議員(民主党、ペンシルベニア州選出)が賛成に転じ、218票対216票の僅差で可決にこぎ着けた。上院本会議では50票対50票で賛否同数になったが、上院議長であるゴア副大統領の「最後の1票」で辛うじて可決している。

 ちなみに、下院で「最後の1票」を投じたマーゴリーズ=メズビンスキーは翌年の中間選挙で議席を失ってしまう。彼女には養子を含めて11人の子どもがいるのだが、息子の1人であるマーク・メズビンスキーはのちにチェルシー・クリントンと結婚し、クリントン夫妻の女婿となった。

 両院ともに共和党からの賛成者は皆無であり、民主党からは下院で41人、上院で6人の造反者が出ている。両院ともに、あと1人でも造反者が出れば否決という大変な僅差であった。

※シリーズ第4回:ポスト冷戦の民主党を再生させたビル・クリントン


『ビル・クリントン――停滞するアメリカをいかに建て直したか』
 西川 賢 著
 中公新書



ニューズウィーク日本版ウェブ編集部

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