Infoseek 楽天

ポスト冷戦の民主党を再生させたビル・クリントン

ニューズウィーク日本版 2016年10月24日 14時33分

<女性スキャンダルで弾劾裁判にまで追い込まれたにもかかわらず、為政者として高く評価され、今なお絶大な人気を誇るビル・クリントンの半生(4)> (写真は1993年、イスラエルのラビン首相〔左〕とパレスチナ解放機構〔PLO〕のアラファト議長〔右〕との間で交わされたオスロ合意を仲介するビル・クリントン)

 いよいよ11月8日、米大統領選の投票が行われる。これまで数々のドラマがあったが、現時点では民主党のヒラリー・クリントンが勝利する公算が高い。そうなれば来年1月、第42代大統領を務めたビル・クリントンが、再びホワイトハウスの住人となる。

【参考記事】ニューストピックス:決戦 2016米大統領選

 日本では今も、ビル・クリントンといえば「モニカ・ルインスキー事件」を思い起こす人が少なくないだろう。確かに、次々とスキャンダルが持ち上がり、最終的には弾劾裁判にまで追い込まれた大統領だった。しかし彼は、アメリカを再び繁栄に導いた大統領として高く評価されており、今なお国民の間で絶大な人気を誇っている。

 西川賢・津田塾大学学芸学部国際関係学科准教授は『ビル・クリントン――停滞するアメリカをいかに建て直したか』(中公新書)の「はじめに」にこう記す。「クリントンは決してスキャンダルを起こしただけの政治家ではなく、内政・外交両面で後世に語り継がれる功績をあげ、アメリカを新世紀へと架橋した優れた為政者であったと認められている」

 なぜビル・クリントンは、多くの困難を乗り越えて、政治家として成功することができたのか。本書『ビル・クリントン』は、来年にはアメリカ初の「ファースト・ハズバンド」になる可能性のある男の半生を振り返り、その理由を解き明かす一冊となっている。

 ここでは本書から一部を抜粋し、4回に分けて掲載する。第4回は「終章 クリントンとアメリカの再生――中道路線の選択」より。


『ビル・クリントン――停滞するアメリカをいかに建て直したか』
 西川 賢 著
 中公新書


※シリーズ第1回:なぜビル・クリントンは優れた為政者と評価されているのか
※シリーズ第2回:ビル・クリントンの人種観と複雑な幼少期の家庭環境
※シリーズ第3回:93年、米国を救ったクリントン「経済再生計画」の攻防

◇ ◇ ◇

ポスト冷戦期の大統領としての評価

 クリントンは「ポスト冷戦のアメリカ」、「ポスト・リベラリズムの民主党」を象徴する指導者である。

 クリントンはアメリカに経済的繁栄を取り戻し、劣勢に立たされていた民主党を再生させ、冷戦後に複雑化する世界状況に適した柔軟な外交政策をとり、後世にその名を残したといってよいだろう。

 試行錯誤を重ねながら、アメリカを新たな世紀へと導くことに成功した指導者としてのクリントンの姿は、継父の虐待から母弟を守りつつ、自らの人生をよりよいものとするために克己心・自立心を持って努力を続けた幼少期の姿と重なって見える。

 他者に対する共感性の高さ、ダメージを受けても即座に再生する強靭な回復力(レジリエンス)、逆境に耐えて好機を待つ忍耐力の強さ、難局に直面しても冷静さを失わず覚悟を決めて事に臨んだ胆力など、クリントンには人格的に優れた面が多かった。

【参考記事】レジリエンス(逆境力)は半世紀以上前から注目されてきた

「じっとしていられない男」――彼を知る人間が口をそろえて言うように、クリントンはエネルギーに満ちあふれていた。仕事に集中しているときは睡眠をとらなくても困ることがなかったという証言さえある。クリントンが「今夜、君に電話をかけるから」と部下に言うとき、真夜中を大分過ぎてから電話がかかってくることなど日常茶飯事であった。



 大統領になってからも仕事に集中しているときは同様の傾向を見せ、ホワイト・ハウスのスタッフの間では、「大統領は不眠症ではないか」という噂が出るほど、活力的だったという。

 クリントン政権で統合参謀本部議長を務め、ジョージ・W・ブッシュ政権で国務長官になったコリン・パウエルが「何でも吸収するスポンジのようだ」と形容したように、記憶力のよさもずば抜けていた。

 彼の自伝を一読すればわかるが、クリントンは有名無名を問わず、一度でも会ったことのある人物の顔と名前、行ったことのある都市の街並みや風景、はるか昔の地方選挙の思い出にいたるまで、絶対に忘れないのである。

 大統領就任後のあるとき、クリントンはある人物と親しげに話しこんでいた。それを見て側近が尋ねた。

「ちょっと、教えてください。あの人はどなたですか?」

 クリントンはその人物との出会いについて、詳細に説明しはじめた。「1986年に私が全米知事会議に出たとき、教育改革に関する白書を書くように言われてね。彼は某知事のスタッフで、それで〔後略〕」

「なるほど、興味深いお話ですね。あの人とはその後も連絡を取っていたんですね?」

 クリントンは首を横に振った。「いいや。それっきり会ってない」

 側近はクリントンを見て言った。「10年前にたった1回会ったきりですか?」

 クリントンは側近の目を見て答えた。「一晩一緒に仕事したんだよ。どうして彼のことを忘れられる?」

 また、クリントンはアーサー・シュレジンジャーといった高名な学者からは強靭なレジリエンスを長所と指摘されてきた。

 彼の人生は公私ともにトラブルの連続だったと言っても過言ではない。貧しかった幼少期、州知事の再選に失敗、88年の民主党全国党大会の演説での大失敗、あるいは92年の民主党予備選挙においてスキャンダルに足をすくわれそうになったとき、政権発足後の弾劾騒動――。

 クリントンは、トラブル発生後は即座にダメージ・コントロールに取り掛かり、いつも短期間で失地を挽回した。

 過ちを犯すことは避けられないとしても、被害の拡大を最小限にとどめ、立ち直る努力をする。そして、どんな困難に直面しても決して人生への情熱を失わないのが、クリントンだった。

 政権初期にクリントンの相談役を務めたデイビッド・ガーゲンは複数の大統領に仕えたが、クリントンのレジリエンスはほかの大統領とは比べようがないほど強靭だったと振り返る。ガーゲンは、この点ではリンカーンに比肩する強さを持った大統領だと評価している。

 彼の政治家としての成功は、ひとえに彼の人格的優越によるところが大きいであろう。



 クリントンは、状況に応じて冷静に戦略を変更しながら、財政均衡、福祉改革、厳格な犯罪対策、北米自由貿易協定、世界貿易機関設立協定など、共和党の主張を部分的に取り込んだ中道的政策を次々と打ち出し、成功を収めた。

 国際政治学者の高坂正堯は、中道的政策はしばしば悪い結果をもたらすと指摘している。中道的な政策はどっちつかずの方策に堕すことが多く、2つの政策の「悪いところ取り」のようになってしまうからである。

 だが、クリントンは中道的政策を取りつつも、大きな成果をあげている。

 これはクリントンが状況を把握する認識力に優れ、2つの異なる政策から正しく取捨選択を行い、力強く行動する決断力に優れていたことの証左にほかならない。高坂は、このような政治術を「技芸」と呼んでいるが、クリントンが技芸に抜きんでた政治家であったことに疑いはないであろう。

 また、外交では冷戦後の地域紛争やテロなど、新しいリアリティの潮流を見極めつつ、柔軟に対処していった。

 クリントンは「封じ込め戦略」のような原理原則に基づいて定式化されたのとは異なる、臨機応変の外交を展開することで、新たな国際社会のリアリティに対応しようと試みたのである。

 この意味でビル・クリントンは透徹した「リアリスト」でもあった。

 反面、クリントンには欠点も多くあり、失策も少なくなかった。

 モニカ・ルインスキーとの一件からうかがわれるように、クリントンの言動はしばしば作為的で誠実さに欠け、失敗の原因を外部に転嫁する傾向があったように感じられる。この点で、クリントンはやはり道義的に率先垂範をなす指導者だったとは言いがたい。 


『ビル・クリントン――停滞するアメリカをいかに建て直したか』
 西川 賢 著
 中公新書



ニューズウィーク日本版ウェブ編集部

この記事の関連ニュース