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イエレン議長「高圧経済」理論は、日本経済には適用できないのでは? - 冷泉彰彦 プリンストン発 日本/アメリカ 新時代

ニューズウィーク日本版 2016年10月25日 15時0分

<金融緩和や公的資金投入で需要を喚起する「高圧経済」政策を、アメリカをはじめ先進各国が継続しているが、日本はアベノミクスで先延ばしにされてきた構造改革を断行する時期にきている>(写真:今月8日にワシントンのIMF・世銀総会で麻生財務相と話すイエレン議長)

 今月14日(金)に行われた講演で、FRB(米連邦準備制度理事会)のイエレン議長は「当面は高圧経済(high-pressure economy)を続けるしかない」と発言しました。この発言、その後ジワジワと話題になってきています。

「高圧経済」について、イエレン議長は「力強い総需要と労働市場の逼迫」を維持する、つまり金融緩和でカネをバラまき、財政出動で景気を刺激することを、当面続けるしかないという意味だと言っています。

 ちなみに、このイエレン議長の「高圧経済」発言がこの時期に飛び出したというのは、2つの状況を踏まえていると見ることができます。1つは、アメリカの景気に勢いがない点です。雇用のデータをはじめとして、多くの経済指標が低迷気味になってきているのです。2つ目は大統領選でヒラリー・クリントン候補が相当に優勢になっているという点です。

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 この2つの状況がどうして「高圧経済」に関係があるのかというと、まずヒラリーが勝ったとして、女性初の大統領が順調に任期をスタートするためには、何としても景気や株価で、年末年始に大きな下落を起こしてはならない政治的事情があります。同時にヒラリーの政策は大型の公共投資など「大きな政府論」から成り立っていますが、その政策に「お墨付き」を与えるという、これまた政治的な計算があると考えられます。

 この「高圧経済」には2つの疑問が生まれます。1つはリーマン・ショック以降続いている長期的な停滞傾向から脱するにはそれしかないというのですが、一体いつになったら止められるのかという問題です。2つ目は、アメリカだけでなく欧州も、そしてアベノミクスの日本も、先進国の多くが「高圧経済」を「みんなで進めれば怖くない」という感じでやっているのですが、本当にそうなのかという問題です。

 まず、「いつ止められるのか?」という問題ですが、イエレン議長は「ある程度の期間続けてアメリカ経済が強くなるまで」という期限の切り方をしています。しかし、もしかすると「当面の間は無期限に続けるしかない」という考え方もあるように思います。



 それは、現在のアメリカの、あるいはグローバルな経済が「放っておけばデフレ」という根源的な体質を抱えているからです。デフレというと、不景気なイメージがありますが、必ずしもそうではありません。要するにモノやサービスの値段が低下傾向にあるわけです。それも経済構造の極めて深いところでそうなっているのです。

 原因は「テクノロジーの進歩」と「エネルギー価格の安定」です。そのために、あらゆる産業で生産性が向上し、モノやサービスが廉価で生み出されるようになっています。これを放置しておけば、労賃は下がる一方で格差もどんどん拡大してしまいます。そこで、カネの流通量を増やし、税金を投入して需要を喚起するということでバランスを取ろう、それが「高圧経済」が必要とされるメカニズムとして回っているのだと思います。

 問題は、政府主導でカネを使っても、多くの場合は「リターンが取れない」、つまり、カネをムダに使うだけに終わる危険性があるわけです。また、そうした無駄使いを続けて、さらにカネを供給し続けた結果として、異常なまでの国家債務を背負うことになると、その国は破綻して、民間の経済も雇用も著しく損なわれることになります。

 そのような破綻を避けるためには、先進国も新興国も「みんな一緒」に「高圧経済」を続ける必要があります。そうすれば、相互に比較して一国の国家債務が突出したり、一国の通貨や国債が「売り浴びせ」られたりすることは避けられるからです。

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 では、日本の「アベノミクス」も同じなのでしょうか? 私は、これまでのアベノミクスは、為替レートの円安誘導を行って、多国籍企業の株価を円建てで持ち上げるだけで「毒にも薬にもならない」が、とりあえず株高は消費にマイナスにはならないので、反対する理由はないと考えてきました。

 また、日本の国債や円が叩き売られる危険性も、イエレン議長の言う「高圧経済」を世界各国が続けている中では、低下していると見ることができます。では、アメリカなどがやっているのと同じように、日本の「アベノミクス」という「高圧政策」は当分続けたほうが良いのでしょうか?

 この点について、私はここへ来て少し疑問に思えてきたのです。それは、日本のデフレ要因がグローバルな要因と違ってきているからです。日本のデフレ要因は「テクノロジーの発展」と「エネルギー価格安定」ではありません。まったく別の3つの要因から来ているように思います。それは「事務部門の異常なまでの低生産性」「誰も批判しない中での異常なまでの産業の空洞化」「人口減と競争力低下による将来不安」の3点セットです。



 ということは、日本の「高圧経済」は、この3つの「独自要因」を打ち消す効果を発揮しながら続けられているわけで、仮にそうであれば「改革のできない」現状を埋めるために続けられているという評価も可能です。

 もっと言えば、アベノミクスの「3本の矢」というのは、「第1の矢(流動性供給)」と「第2の矢(財政出動)」という「高圧経済」が先行することで、そのメリットが「第3の矢(構造改革)」を「しなくてもいい」、つまり改革のできない古い体質でも経済の格好がついてしまうような「相殺」効果を生んでしまっているというわけです。

 では、どうしたら良いのでしょうか? 私はここまでの円安誘導と株高を全面否定する必要はないと思いますが、日本の場合はそろそろ政策転換の時期ではないかと感じています。流動性供給や公共投資が、結局は改革を「しなくてもいい」という現状への安住に誘導してしまっているのであれば、一旦これを沈静化するのも手と思うのです。

 とはいっても、社会の安定性を確保するために、ある程度の再分配上乗せは進める、その一方で「改革を進めざるを得なく」させるような財政政策、通貨政策にシフトするということはできないのでしょうか。

 日本の場合は「余りにも改革が遅れた」状況にあるため、「改革で生産性が上がりすぎてデフレ効果が出てくる」ところに行き着くまでの、「生産性向上が全体の利益になる」ゾーンがまだ大きく残っているように思うからです。その意味で、イエレン議長やヒラリーの政策モデルは、日本のケースと少し違うのではないかと思います。

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