今年も「映画の秋」がやってきた。10月6日から10日間、釜山は世界中から映画関係者が集まり華やかな雰囲気に街が包まれた。
偶然にも丁度同じ時期に、日韓両国で毎年大きな映画祭が開催される。釜山国際映画祭が終わり、数週間後には東京国際映画祭が開幕する。今年は10月25日から、釜山と同じく10日間の開催だ。
毎年この時期になると、映画業界のバイヤーたちは釜山に東京にLAに(11月のAFI映画祭)と、出張へ旅立ち忙しい。映画の買い付けはもちろん、自社が買った映画の上映や監督、俳優などゲストの招待を行う場合もある。今回の釜山国際映画祭では、筆者が以前勤めていた配給会社も、購入したイギリスのゾンビ映画を上映し、元同僚らは釜山で毎日忙しく飛び回っていたようだ。
コンペ部門は中国の長編初監督作2本が受賞
そして16日には閉会式とともに釜山映画祭各受賞作が発表された。コンペティション部門のNew Currents賞は2作とも中国映画が受賞する結果となった。「The Donor(捐贈者)」を監督したZang Qiwuは、2005年から2012年まで中国で最も有名な映画監督の1人であるチャン・イーモウの助監督を務めた人物で、本作が初監督長編作品での受賞だった。もう1作の受賞作「神水の中のナイフ(Knife in the Clear Water 清水裏的刀子)」は、これから第17回東京フィルメックスのコンペティション部門でも上映される予定の作品。こちらも、中国チベット族の映画監督ペマ・ツェテンのプロデューサーも務めたことのあるワン・シュエボーの初監督作品。両作とも初監督作品であるにもかかわらず、すばらしい映画を発表し納得の受賞となった。
さて、釜山と東京。両映画祭共に「アジアでナンバーワンの映画祭」を謳っているが、実際にはどうなのか数字で比べてみよう。今年で21回を迎える釜山国際映画祭に対し、東京国際映画祭は第29回。歴史としては、東京の方が数年古い。一方、今年の開催規模を見てみると、204作品(提携企画を含めると400本、ただしプレミア上映は31本)上映で98の国と地域が参加の東京国際映画祭に対し、釜山映画祭の今年の作品数は、299作(そのうち、プレミア上映作品は94作)、参加国は69カ国となっている。多様な国からの作品をチョイスした東京に対し、釜山は参加国は少ないもののプレミア上映作が多い。誰よりも早く作品を見たい新しい物好きという韓国人の特性が反映されているといえる。
また、上記、受賞作品で言えば、コンペ作品が釜山映画祭では「New Currents」賞となっているのを見て分かるように、映画界に新しい流れとなるような新人監督作品をメインに扱っているのに対し、東京では総合的に優れた作品に賞を授与している違いがあるのも特徴的である。
今年の釜山国際映画祭のオープニングを伝えるニュース
そんな釜山国際映画祭だが、今年は今までとは少し違った雰囲気を見せた。この兆候は2年前、2014年から始まっていた。「ダイビングベル」というセウォル号沈没事故を扱ったドキュメンタリー映画の上映に、釜山市長が待ったをかけたのだ。これに対し映画人達は表現の自由を脅かすものとして真っ向から対立。上映を強行した組織委員会の執行委員長は更迭を迫られ、映画人と釜山市の衝突が鮮明化した。今年は春に公式会見が行われたものの、開催6ヵ月前にして韓国映画監督組合など主要な4団体がボイコットを宣言。映画祭の開催自体危ぶまれる状態になってしまった。結果的には、釜山映画祭の灯を消したくないという関係者の尽力で映画祭はどうにか開催されたものの、追い討ちをかけるように開催前日に台風が釜山を直撃。野外ステージが壊れてしまい急きょ別のステージが準備されるなど、ギリギリまで開会できるのか不安がつきまとうなか、オープニングを迎えた。
直前に施行開始された接待禁止法が映画祭に影響
また今年9月末には釜山国際映画祭の勢いにストップをかける法律が施行された。それが通称「キム・ヨンラン法」である。この法律は正式名称を「不正請託及び金品授受の禁止関係法」といい、食事接待や贈り物などについて具体的な価格の上限が法律で決められた。
私が映画買い付けバイヤーだった頃、釜山国際映画祭の出張の目的といえば、映画の購入と商談はもちろん、毎夜繰り広げられる各社のパーティーへの参加だった。特に配給会社が開くパーティーでは、そこで出会う人たちと挨拶し、少しでも多く顔を売るチャンスの場になっていた。なかでも韓国4大配給会社(CJ・ロッテ・ショーボックス・NEW)のパーティーは盛大で、多くの監督や芸能人が参加し、毎年映画祭名物になっていたほどだ。大小さまざまなパーティーが開かれ、日によっては一晩で4〜5カ所の会場をはしごすることもある。しかし、映画祭開幕直前での法律施行に伴い、上記4大配給会社を含む多くの大手映画会社らはパーティー自体を中止した。また、パーティーを開いた会社も、会社ロゴなどが入ったお土産を取りやめたり、代わりに抽選会を行うなどして対処した。ある会社のパーティーでは、開場後「お客様の中で、ご本人がマスコミ関係者・教授・教職員であったり、配偶者がそのようなご職業である場合は、事前に主催者にご連絡ください」というアナウンスが流れたほどだ。キム・ヨンラン法施行後初の大きなイベントだったこともあり、どこまでがOKでどこからが法律違反になるか事例が無かったことから主催者側もかなり神経質になっていた様子が伺える。
映画祭側も、開幕・閉幕式ゲストのうち「大学教授及び、公共機関の職員」らへの、ソウルから釜山への交通費や宿泊費の提供を中止。これにより、直前での釜山行きチケットのキャンセルが相次いだ。また、開幕・閉幕式のチケットの一部は釜山市が釜山映画祭から貰い、それを地域の関係者に配っていたが、この行動が国民権益委員会から「キム・ヨンラン法に引っかかる可能性あり」との連絡をうけ、チケットの配布を中断。一般人予約券に切り替えた。
それだけではない。一般観客が監督俳優らを間近に見ることができると人気イベントだったマリンシティー「映画の道」で開かれていたスターロードも、企業のスポンサーが激減したことにより中止せざるを得なかった。去年は、25カ国80名余りの著名人が歩き、楽しみにしていた観客たちも多かったイベントなだけに残念な結果となってしまった。
映画祭の楽しみといえば、各国の珍しい映画を鑑賞できるチャンスでもあるが、俳優や監督らゲスト達が盛りあげる華やかな雰囲気も楽しみである。それが今年は、すっかり減少してしまい全体的に閑散としてしまった。結果的に、来場観客数は16万5,149名。これは、去年の22万7,377名と比べると、27.4%も減少したことになる。
今までにも第16回開催時には、それまで使っていた「Piff(Pusan International Film festival)」という略称表記を、突然「Biff」に変更したり、開催場所もメイン会場が、ナンポドンからヘウンデ、さらにセンタムシティーに移転したり、小さな変更や困難はあったものの今年ほど大きな問題が次々巻き起こった年は無かった。
ビジネスの場として訪れる映画祭に戻れ
韓国人の気質を表す言葉として「日本人はできるのにできないと言い、韓国人はできてないのにできたと言う」というものがある。このように、韓国人が何かをやろうとした時のスピードと行動力はすごい勢いがある。対立・天災・新法施行による波紋などさまざまな困難に見舞われ、一時は開催自体が危ぶまれたにもかかわらず、それでも一応開催にこぎつけられた事は賞賛に値するが、一般観客が楽しみにしているイベントの中止など今後の課題は山積みである。特に「アジア最大の映画祭」の看板を維持するためには、一般観客の満足度はもちろんだが、映画関係者らがビジネスの場として訪れる映画祭でなくてはならない。
韓国人特有の熱しやすくてさめ易い性格により、今回起きた問題等を開催終了とともになかったことにせず、課題として来年に持ち越し、解決しながら文字通りアジア最大の素晴らしい映画祭を維持して欲しいものである。
杉本あずみ
偶然にも丁度同じ時期に、日韓両国で毎年大きな映画祭が開催される。釜山国際映画祭が終わり、数週間後には東京国際映画祭が開幕する。今年は10月25日から、釜山と同じく10日間の開催だ。
毎年この時期になると、映画業界のバイヤーたちは釜山に東京にLAに(11月のAFI映画祭)と、出張へ旅立ち忙しい。映画の買い付けはもちろん、自社が買った映画の上映や監督、俳優などゲストの招待を行う場合もある。今回の釜山国際映画祭では、筆者が以前勤めていた配給会社も、購入したイギリスのゾンビ映画を上映し、元同僚らは釜山で毎日忙しく飛び回っていたようだ。
コンペ部門は中国の長編初監督作2本が受賞
そして16日には閉会式とともに釜山映画祭各受賞作が発表された。コンペティション部門のNew Currents賞は2作とも中国映画が受賞する結果となった。「The Donor(捐贈者)」を監督したZang Qiwuは、2005年から2012年まで中国で最も有名な映画監督の1人であるチャン・イーモウの助監督を務めた人物で、本作が初監督長編作品での受賞だった。もう1作の受賞作「神水の中のナイフ(Knife in the Clear Water 清水裏的刀子)」は、これから第17回東京フィルメックスのコンペティション部門でも上映される予定の作品。こちらも、中国チベット族の映画監督ペマ・ツェテンのプロデューサーも務めたことのあるワン・シュエボーの初監督作品。両作とも初監督作品であるにもかかわらず、すばらしい映画を発表し納得の受賞となった。
さて、釜山と東京。両映画祭共に「アジアでナンバーワンの映画祭」を謳っているが、実際にはどうなのか数字で比べてみよう。今年で21回を迎える釜山国際映画祭に対し、東京国際映画祭は第29回。歴史としては、東京の方が数年古い。一方、今年の開催規模を見てみると、204作品(提携企画を含めると400本、ただしプレミア上映は31本)上映で98の国と地域が参加の東京国際映画祭に対し、釜山映画祭の今年の作品数は、299作(そのうち、プレミア上映作品は94作)、参加国は69カ国となっている。多様な国からの作品をチョイスした東京に対し、釜山は参加国は少ないもののプレミア上映作が多い。誰よりも早く作品を見たい新しい物好きという韓国人の特性が反映されているといえる。
また、上記、受賞作品で言えば、コンペ作品が釜山映画祭では「New Currents」賞となっているのを見て分かるように、映画界に新しい流れとなるような新人監督作品をメインに扱っているのに対し、東京では総合的に優れた作品に賞を授与している違いがあるのも特徴的である。
今年の釜山国際映画祭のオープニングを伝えるニュース
そんな釜山国際映画祭だが、今年は今までとは少し違った雰囲気を見せた。この兆候は2年前、2014年から始まっていた。「ダイビングベル」というセウォル号沈没事故を扱ったドキュメンタリー映画の上映に、釜山市長が待ったをかけたのだ。これに対し映画人達は表現の自由を脅かすものとして真っ向から対立。上映を強行した組織委員会の執行委員長は更迭を迫られ、映画人と釜山市の衝突が鮮明化した。今年は春に公式会見が行われたものの、開催6ヵ月前にして韓国映画監督組合など主要な4団体がボイコットを宣言。映画祭の開催自体危ぶまれる状態になってしまった。結果的には、釜山映画祭の灯を消したくないという関係者の尽力で映画祭はどうにか開催されたものの、追い討ちをかけるように開催前日に台風が釜山を直撃。野外ステージが壊れてしまい急きょ別のステージが準備されるなど、ギリギリまで開会できるのか不安がつきまとうなか、オープニングを迎えた。
直前に施行開始された接待禁止法が映画祭に影響
また今年9月末には釜山国際映画祭の勢いにストップをかける法律が施行された。それが通称「キム・ヨンラン法」である。この法律は正式名称を「不正請託及び金品授受の禁止関係法」といい、食事接待や贈り物などについて具体的な価格の上限が法律で決められた。
私が映画買い付けバイヤーだった頃、釜山国際映画祭の出張の目的といえば、映画の購入と商談はもちろん、毎夜繰り広げられる各社のパーティーへの参加だった。特に配給会社が開くパーティーでは、そこで出会う人たちと挨拶し、少しでも多く顔を売るチャンスの場になっていた。なかでも韓国4大配給会社(CJ・ロッテ・ショーボックス・NEW)のパーティーは盛大で、多くの監督や芸能人が参加し、毎年映画祭名物になっていたほどだ。大小さまざまなパーティーが開かれ、日によっては一晩で4〜5カ所の会場をはしごすることもある。しかし、映画祭開幕直前での法律施行に伴い、上記4大配給会社を含む多くの大手映画会社らはパーティー自体を中止した。また、パーティーを開いた会社も、会社ロゴなどが入ったお土産を取りやめたり、代わりに抽選会を行うなどして対処した。ある会社のパーティーでは、開場後「お客様の中で、ご本人がマスコミ関係者・教授・教職員であったり、配偶者がそのようなご職業である場合は、事前に主催者にご連絡ください」というアナウンスが流れたほどだ。キム・ヨンラン法施行後初の大きなイベントだったこともあり、どこまでがOKでどこからが法律違反になるか事例が無かったことから主催者側もかなり神経質になっていた様子が伺える。
映画祭側も、開幕・閉幕式ゲストのうち「大学教授及び、公共機関の職員」らへの、ソウルから釜山への交通費や宿泊費の提供を中止。これにより、直前での釜山行きチケットのキャンセルが相次いだ。また、開幕・閉幕式のチケットの一部は釜山市が釜山映画祭から貰い、それを地域の関係者に配っていたが、この行動が国民権益委員会から「キム・ヨンラン法に引っかかる可能性あり」との連絡をうけ、チケットの配布を中断。一般人予約券に切り替えた。
それだけではない。一般観客が監督俳優らを間近に見ることができると人気イベントだったマリンシティー「映画の道」で開かれていたスターロードも、企業のスポンサーが激減したことにより中止せざるを得なかった。去年は、25カ国80名余りの著名人が歩き、楽しみにしていた観客たちも多かったイベントなだけに残念な結果となってしまった。
映画祭の楽しみといえば、各国の珍しい映画を鑑賞できるチャンスでもあるが、俳優や監督らゲスト達が盛りあげる華やかな雰囲気も楽しみである。それが今年は、すっかり減少してしまい全体的に閑散としてしまった。結果的に、来場観客数は16万5,149名。これは、去年の22万7,377名と比べると、27.4%も減少したことになる。
今までにも第16回開催時には、それまで使っていた「Piff(Pusan International Film festival)」という略称表記を、突然「Biff」に変更したり、開催場所もメイン会場が、ナンポドンからヘウンデ、さらにセンタムシティーに移転したり、小さな変更や困難はあったものの今年ほど大きな問題が次々巻き起こった年は無かった。
ビジネスの場として訪れる映画祭に戻れ
韓国人の気質を表す言葉として「日本人はできるのにできないと言い、韓国人はできてないのにできたと言う」というものがある。このように、韓国人が何かをやろうとした時のスピードと行動力はすごい勢いがある。対立・天災・新法施行による波紋などさまざまな困難に見舞われ、一時は開催自体が危ぶまれたにもかかわらず、それでも一応開催にこぎつけられた事は賞賛に値するが、一般観客が楽しみにしているイベントの中止など今後の課題は山積みである。特に「アジア最大の映画祭」の看板を維持するためには、一般観客の満足度はもちろんだが、映画関係者らがビジネスの場として訪れる映画祭でなくてはならない。
韓国人特有の熱しやすくてさめ易い性格により、今回起きた問題等を開催終了とともになかったことにせず、課題として来年に持ち越し、解決しながら文字通りアジア最大の素晴らしい映画祭を維持して欲しいものである。
杉本あずみ