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ヤクザになった理由を7人の元暴力団員に聞くと...

ニューズウィーク日本版 2016年10月28日 12時13分

<犯罪心理学者が書いた、タイトルどおりの『ヤクザになる理由』。社会復帰できない暴力団離脱者の問題から、家庭環境に起因する「グレる理由」まで、派手さはないが説得力があり、視点が的確だ>

 暴力団に関する書籍は多いが、『ヤクザになる理由』(廣末登著、新潮新書)は異質な部類に入るだろう。なぜならタイトルにあるとおり、ヤクザがヤクザになった「理由」に特化した内容になっているからである。

 ヤクザの反社会的な側面をセンセーショナルにクローズアップしているのではなく、理由のバックグラウンドにあるものを犯罪心理学者である著者が学術的な観点から検証しているということ。だからドンパチを期待する読者には向かないが、前例がないという意味においては画期的な内容かもしれない。

 まず、興味深いことがある。大阪と九州で、およそ10年間にわたりヤクザに関する取材を重ねてきたという著者自身に、非行少年だった時期があるというのである。しかも、終章「ある更生の物語――犯罪社会学者への道のり」で明らかにされるそのプロセスは、こちらの予想をはるかに超えるほど振り幅が広い。

 すべてが偶然だと本人はいうが、「えっ、そこにいたのに、次はそっちに進んじゃったの?」とツッコミを入れたくなるほど、その歩みは意外性に富んでいるのだ。しかし、それが説得力の裏づけになってもいる。

 そして、もうひとつの太い軸が、著者が取材してきた7人の元組員たちによる証言である。「少年時代」「学校生活」「非行集団活動」についての生の声が掲載されているのだが、読んでみると、彼らがみな心を開いて話していることがわかる。きっとそれは、著者との間で「元非行少年」という点でつながっているからなのだろう。

 また、序章「なぜ暴力団員の話を聞くのか」の時点で、著者が重要な点に斬り込んでいることにも注目したい。暴力団排除条例(以下、暴排条例)が施行され、暴力団排除の士気が高まるなか、社会復帰できない暴力団離脱者が増えているという事実である。

 暴力団離脱者の数は警察の発表では、増加し続けています。「組を抜ける人が多いのなら結構なことじゃないか」 そう思われるかもしれませんが、事はそう単純ではありません。(中略)暴排条例においては、暴力団を離脱しても、一定期間(おおむね五年間)は、暴力団関係者とみなされ、銀行口座を開設することも、自分の名義で家を借りることもままなりません。(21~22ページより)

 彼らは社会権すら制限されており、だからといって暴力団員歴を隠して履歴書に記載しないと、虚偽記載となる可能性があるというのである。

 当然のことながら、この時点で出てくるのは「暴力団員だったのだから、それは自業自得だ」というような意見だろう。しかし彼らがどんな人生を歩んできたにせよ、日本国憲法の下では、誰しもが平等に生きていく権利を持っている。また家族がいた場合は、彼らの生存にすら関わってくる問題でもある。



 だから暴力団離脱者が、「生きられない」という状況に陥ったとき、彼らは生きるため、非合法に稼ぐという手段を選ぶしかなくなる。しかも組織に属していたときには「掟」という鎖があったものの、離脱者は掟に縛られる必要もない。となれば、「金になることならなんでもやる」という方向に進んでしまうのはある意味で当然であり、かくして正真正銘のアウトローが誕生してしまうのである。

 たとえば、覚せい剤を暴力団組員が扱うと、表向きは組織の掟破りということで処罰を受けます(実際は黙認していたとしても、組員が警察に検挙されたりすると、破門などの処分を受けます)。しかし、暴力団を辞めた人が覚せい剤をシノギにすることには、何の不都合もありません。さらに言うと、彼らが未成年に覚せい剤を販売しても、何の咎めも受けません。(24~25ページより)

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 だからこそ、「悪いから排除する」というだけで済ませるのではなく、我々ひとりひとりが暴力団問題を考えなければならないと著者はいうのである。そのうえで、読者に向けて「なぜ人はグレるのでしょうか?」という問題提起をする。それこそが、本書の執筆意図だ。新たな暴力団加入者を増やさないため、「現時点で我々ができること」を探ろうという思いがあるのである。

 そしてそれが、本書のオリジナリティへとつながっていく。すなわち、暴力団員(だった人)と家庭との関係性だ。アウトローたる暴力団員に、そもそも家庭的な影は薄い。しかし、「彼らが暴力団員になった理由」の多くが、実は育った家庭環境に起因しているというのである。

 暴力団に加入する子どもたちの家庭は、彼らを放置し、教育を与えず、芸術を鑑賞する機会を与えず、場当たり的な躾を行う社会であるといえます。こうしてみると、家庭が子どもに「した」ことより、「しなかった」ことの方が多いかもしれません。(54ページより)

 著者の調査によると、暴力団加入経験者には、「単身家庭」(離婚などに起因する一人親家庭)、共働き家庭や長期出稼ぎ(出張)家庭のように機能的観点からみた「擬似単身家庭」、家庭内暴力が絶えない「葛藤家庭」、学童期に門限がないなど親が躾や勉強の面倒を見ない「放置家庭」、親と子の会話が極めて少ない「意思疎通上の機能不全家庭」などの出身が多いのだそうだ。もちろんそうした家庭に育った人のすべてがそうなるわけではないが、その確率が高いということである。

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 事実、著者が話を聞いた7人の元暴力団員も、総じてそのケースにあてはまる。



●Kさん(元暴力団幹部) Kさんは京都市内の生まれです。両親(義務教育卒)は健在で、父親は戦中、舞鶴海軍工廠に勤め、戦後は映画会社に勤めるサラリーマン、母親は専業主婦であり、家庭菜園などを営んでいたそうです。 Kさんは小学校時代を回想し、それが暗黒の時代であったと言います。「(不満は)暴力や。暴力。ホンマいっつも思いよった。こんな家庭居りたないてな」「オヤジが酒飲みでなぎょうさん酒代に消えよったんや」 このように家庭への不満を露わにしました。――両親との関係はどうでしたか?「(両親から)そんな構ってもろうてないな」「(会話は)オカンとはな。オヤジとはせえへんかったな」――家庭内の葛藤は?「夫婦喧嘩言うよりあらあ虐待や。それがわしがヤクザなろう思うた原因の一つやな。(中略)ヤクザなってこのクソオヤジ見返したろう思うたんは確かや」(62~64ページより)

 Kさんのみならず、他の6人もなんらかの形で家庭がうまくいっていなかったことを明かしている。そして、それがヤクザという道を選ぶことになったとも。

 また、同時に学校や仲間との関係性にも注目しているため、どちらかの方向に偏ることのないバランスのよさを感じさせる。そこに、本書の意義があるといえるだろう。

 冒頭で触れたとおり、「ヤクザ」という単語に期待したくなるような派手さはないし、それどころか地味な内容。個人的にはもう少し平易な表現を使ってほしいとも感じたが、とはいえテーマ設定と視点の的確さは申し分ないだろう。


『ヤクザになる理由』
 廣末 登 著
 新潮新書


[筆者]
印南敦史
1962年生まれ。東京都出身。作家、書評家。広告代理店勤務時代にライターとして活動開始。現在は他に、「ライフハッカー[日本版]」「Suzie」「WANI BOOKOUT」などで連載を持つほか、多方面で活躍中。2月26日に新刊『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』(ダイヤモンド社)を上梓。



印南敦史(作家、書評家)

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