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六中全会、集団指導体制堅持を再確認――「核心」は特別の言葉ではない

ニューズウィーク日本版 2016年10月28日 15時40分

 27日、六中全会閉幕時、習近平は集団指導体制堅持を複数回強調した。コミュニケに「習近平総書記を核心とする」という言葉があることを以て一強体制とする報道は間違っている。胡錦濤も江沢民も核心と呼ばれた。

集団指導体制堅持を強調

 10月27日、中国共産党第18回党大会第六次中央委員会全体会議(六中全会)が北京で閉幕した。閉幕に際し、習近平は中共中央委員会総書記としてスピーチをおこなった。スピーチにおいて、習近平は何度も集団指導体制を堅持することを強調した。

 その多くは「民主集中制」という言葉を用いて表現したが、「集団指導体制(集体領導制)」という言葉も用いている。これまでのコラム「六中全会、党風紀是正強化――集団指導体制撤廃の可能性は?」でも書いてきたように、「民主集中制=集団指導体制」のことである。

 10月27日、CCTVでは、習近平の講話を含めて解説的に六中全会の総括が報道されたが、その中で、「民主集中制」が4回、「集団指導体制」が1回出てきたので、「集団指導体制」に関して、5回も言ったことになる。

「核心」という言葉に関しては2回使われている。

 このCCTVにおける報道を文字化して報道したものを探すのは、やや困難だったが、たとえばこの報道をご覧になると、(中国語を使わない)日本人でも目で見てとれる。

 後半(最後の部分)には「人民日報」の解説が加わっているので、そこは無視していただきたい。

 前半は習近平が六中全会でナマで言った言葉を報道したCCTVの記録(文字化したもの)である。

 そこには「民主集中制」という言葉が4回出てきており、「集体領導制(集団指導体制)」という言葉が1回、出てきている。



 コミュニケで、わざわざ「民主集中制」や「集団指導体制」を堅持すると言ったとは書いてないのは、それは中華人民共和国憲法で定められていることなので、当然と思ったからだろう。憲法を改正して「民主集中制」(集団指導体制)を撤廃するなどということになったら、中国共産党の一党支配は逆に崩壊する。

 だというのに、日本のメディアは一斉に「コミュニケに"核心"という言葉があった」、だから「習近平の一極集中が行われる」「一強体制か」などと書き立てている。まるで「集団指導体制が撤廃された」かのような書きっぷりだ。

江沢民も胡錦濤も「核心」と呼ばれた

 中でも、27日夜9時からのNHKのニュースでは「核心というのは特別な言葉で、毛沢東と鄧小平にしか使ってない」という趣旨のことを報道していた(録音していないので、このような趣旨の報道、という意味である)。それは全くの誤解だ。

 まず江沢民に関して言うならば、「中国共産党新聞」が「江沢民を核心とした中央集団指導体制の経緯」というタイトルで、江沢民を「核心」と呼んだ経緯が詳細に書かれている。

 文革後、毛沢東の遺言により華国鋒が総書記になり、すぐ辞めさせて鄧小平が全体を指揮し、胡耀邦を総書記にして改革開放を進めたが、民主的過ぎるということで失脚し、天安門事件を招いた。いびつな形で総書記になった趙紫陽もすぐさま失脚さえられ、天安門事件のあとに鄧小平は江沢民を総書記に指名したわけだ。

 このときに一極集中を図って、何とか中国共産党による一党支配体制の崩壊から免れようとした鄧小平は、江沢民に「総書記、国家主席、軍事委員会主席」の三つのトップの座を全て与えた。そして改めて「江沢民を核心とした集団指導体制」を強調したのだ。

「江沢民を核心とする」という表現に関しては、列挙しきれないほどのページがあるので、省略する。

 つぎに「胡錦濤を核心とする集団指導体制」に関しては、たとえば、中国共産党新聞(→人民網)が「鄧小平が胡錦濤をずば抜けた核心的指導者としたのはなぜか」という趣旨のタイトルで、胡錦濤を「核心的指導者」と位置付けている。

 この記事が発表されたのが、2015年4月18日であることは、注目に値する。つまり、習近平体制になった後にも、「胡錦濤を核心とする指導体制」を強調したかったということである。

 胡錦濤時代の「胡錦濤を核心とする」という表現に関して、すべて列挙するわけにはいかないが、たとえば、2003年6月の「国際先駆導報」には「第四代指導者の核心 中国国家主席胡錦濤」というのがあり、2010年4月の「新華網」は、「胡錦濤総書記を核心とした党中央は...」といった表現が入っているタイトルの記事を公開している。

 また、2011年6月には「胡錦濤同志を核心とした集団指導体制」]というタイトルの記事がある。



 これも探せばキリがないが、江沢民よりもやや少ないのは、胡錦濤政権時代、メディアは、前の指導者の江沢民によって完全に牛耳られていたからである。

 したがって、文革や天安門事件などの特殊な過渡期以外は、「中共中央総書記」は、常に全党員(現在は8700万人強)の頂上に立っているので、常に「核心」なのである。そういうピラミッド形式ででき上がっているヒエラルキーこそが、中国共産党の根幹だからだ。

 このような中国の政治の実態を知らずに、なんとしても「習近平が集団指導体制を撤廃して一強に躍り出た!」と言いたい「権力闘争論者」に支配された日本のメディアが、「核心」という言葉を見つけて、鬼の首でも取ったように「ほらね、やっぱり(集団指導体制を撤廃して)一極集中を狙いたいんだ」と煽っているだけである。

日本の国益を損ね、国民をミスリードする日本メディアの罪

 このような誤導をする日本のメディアは、日本の国益を損ねるだけでなく、日本国民に災いをもたらす。

 なぜなら、「中国における腐敗の根がいかに深く、いかに広範で、手が付けられないほどになっているか」そのため、「中国の覇権にも、中国経済の成長にも限界が来る」という現実を見逃させるからである。

 腐敗による国家財産の流出は、習近平政権誕生前では、全国家予算の半分に達する時期もあったほどだ。全世界に「チャイナ・マネーのばらまき外交」をすることによって、国際社会における中国の地位を高めようとしている中国としては、財源がなくなっていくのは大きな痛手だ。これは、日本の外交政策に影響してくる。

 また、腐敗は調査すればするほど「底なしの範囲の広さ」が明瞭になってくるばかりで、腐敗を撲滅することは、このままでは困難だというが実態である。

 中央紀律検査委員会書記の王岐山(チャイナ・セブン、党内序列ナンバー6)などは「100年かけても腐敗は撲滅できない」と吐露していると、香港のリベラルな雑誌『動向』は書いている。

「大虎」はまだ捕えやすいが、末端の「ハエ」となると無尽蔵にいて、また互いに利害が絡んでいるため、摘発を邪魔する傾向を持つということだ。

 だから「厳しく党の統治を強化する」というのが、六中全会のテーマだったのである。

 日本人にとって、最も重要なのは、「中国の腐敗が続けば、中国の経済は破綻し、それは日本経済に直接響いてくる」ということだ。

 権力闘争説は、日本人の目を、この現実から背けさせるという意味で、日本国民の利益を損ねる、実に罪作りな視点なのである。

 少なからぬ日本メディアに、猛省を求めたい。

[執筆者]遠藤 誉
1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。東京福祉大学国際交流センター長、筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会科学研究所客員研究員・教授などを歴任。『チャイナ・セブン <紅い皇帝>習近平』『チャイナ・ナイン 中国を動かす9人の男たち』『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』『チャイナ・ジャッジ 毛沢東になれなかった男』『完全解読 中国外交戦略の狙い』『中国人が選んだワースト中国人番付 やはり紅い中国は腐敗で滅ぶ』『中国動漫新人類 日本のアニメと漫画が中国を動かす』など著書多数。近著に『毛沢東 日本軍と共謀した男』(新潮新書)



※当記事はYahoo!ニュース 個人からの転載です。

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遠藤誉(東京福祉大学国際交流センター長)

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