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「退役軍人がデモ」も「愛人に手紙」のように誤読の可能性あり

ニューズウィーク日本版 2016年11月1日 11時19分

<中国ニュースの理解でもときおり"ずれ"が起き、誤解が広まる。先日、北京で約1万人の退役軍人がデモを起こしたが、日本での受け止められ方にひっくり返りそうになった> (写真:10月11日の退役軍人デモ)

 まったく同じ表記なので日本語と中国語では意味が異なる言葉がある。たとえば「手紙」は中国語だと「トイレットペーパー」、「愛人」は「妻」を意味する。同じ漢字文化圏だから筆談でだいたいの意味は通じるだろうと思っていると、「愛人に手紙を送った」が「妻にトイレットペーパーを送った」と誤読される可能性もあるわけだ。

 これは中国語学習者の頻出小ネタなのだが、言葉だけではない。ニュースの理解でもときおり"ずれ"が起きる。たとえば中国の強制土地収用だ。政府が暴力的に農民の土地を召し上げ、抵抗する農民たちとの紛争になるという話をすると、「わかりますよ! 先祖代々の土地を死守するのは農民にとって当然の願いですよね」という反応が来ることがしばしば。成田闘争や沖縄の基地問題から連想すると、そういうイメージを持っても不思議ではないだろう。

 だが実際のところ、中国では土地を"死守"しようとする農民はまずいない。抵抗の目的は補償金の引き上げにある。前近代から農地の売買が盛んに行われていた歴史があるからか、社会主義時代に土地の分配が行われたからか、ともかく自分の農地に固執するという意識は薄いのだ。政府が土地を召し上げること自体には変わりがないが、「一所懸命! 土地は絶対死守」なのか、「補償金たくさんもらえるように戦う」なのかではずいぶんと違う話になっている。

【参考記事】歴史的改革の農業戸籍廃止で、中国「残酷物語」は終わるか

「北京で約1万人の退役軍人デモ」の誤解とは何か

 先日、北京市で起きた退役軍人デモのニュースでもやはり"ずれ"が目立っている。

「退役軍人デモのニュースを見ました。中国では定年後の軍人がひどい処遇を受けているようですね。軍の支持を得るのは独裁政権にとっては最優先の課題なのに、それすらできないとは中国経済はもはや崩壊寸前ということでしょうか」

 この言葉を聞いて私はひっくり返りそうになった。実情とは全然違うからだ。退役軍人デモについて日本メディアの報道を端的にまとめると次のようになるだろうか。

「10月11日、中国人民解放軍のシンボルともいえる北京市中心部のビル『八一大楼』を、迷彩服姿の男たちが取り囲んだ。その数はなんと約1万人に達したという。男たちは元軍人だ。退役後、苦しい生活を迫られていることに不満を覚え、待遇改善を訴えて直接行動に出たのだった。退役軍人が軍中枢を包囲するという異例の事態となった」

 この文章は決して間違いではないのだが、多くの誤解を生む種が隠されている。というのも、中国の退役軍人は"みんな"ひどい扱いを受けていると思ってしまいがちだ。ところが実際には引退した軍人はみなそこそこの生活を送っている人が多い。軍人用の住宅購入補助から年金、医療支援と一般の中国人以上の生活水準を保っていると言っても間違いではないだろう。

 ではデモの参加者はいったい......という話になる。実は退役軍人という言葉がくせ者だ。というのも中国では鄧小平以来、軍の定員削減を繰り返している。退役軍人というと、だいたいにおいて兵員削減のあおりを食って軍人をやめさせられた士官を指す。定年した軍人という意味ではないのだ。



 彼らは地方政府や国有企業に配置換えになったり、あるいは一時金をもらって職探しや起業をしたりというセカンドキャリアを送っている。地方政府や大手国有企業に配属されれば一生食いっぱぐれの心配はないし、定年後の待遇も完璧だ。ところが中途半端な国有企業に配属されたが破綻してしまった、一時金をもらったけれど職探しも起業もうまくいかなかった、という人がいる。彼らこそ今回のデモの主役だ。

 実はこうした退役軍人のデモは多発しており、珍しい話ではない。今回は「約1万人が八一大楼を包囲」という"規模と場所"がニュースとなった。退役軍人のデモ自体は日常茶飯事といっても過言ではない。

 これほど大規模なデモが北京市の中枢部で実施できたのは後ろ盾がいたからではないか。退役軍人たちの不満を利用した習近平下ろしの動きではないか。一部ではこうした深読みもあるようだが、状況証拠だけではなんともいえない。というのも中国では軍人、元軍人は尊敬すべき対象である。ましてや元士官という偉い人たちなのだから手に負えない。

改革が生み出す「ソリティア」の達人たち

 いつまでも暴れられては困ると、中国政府は退役軍人にしかるべき処遇を与えるよう地方政府に促している。しかし財源までは出さないので、地方政府は先立つものがございませんとのらりくらりやりすごす。もう何年も同じ状況が繰り返されているのだ。2015年9月3日の大閲兵式で習近平総書記は新たに30万人の兵員削減を発表した。その一部が食い詰め者になることは間違いなく、政府にとっては新たな悩みとなるだろう。兵員削減と近代化は必要な改革だが、その副産物として生じる食い詰め者への対応はうまくいっていない。

 いや、問題は食い詰め者だけではない。デモを起こさなければ政府は満足だろうが、元軍人を押し付けられた地方政府や国有企業は災難である。ろくに仕事もせず、朝から晩まで新聞を読んでいたり、ゲームで遊んでいたりというやる気のない新職員がやってくるのだから。しかも軍と同レベルの待遇が約束されているので管理職の肩書きまで持っている。

【参考記事】汚職の次は「さぼり」を取り締まり始めた中国

 中国政府はさまざまな改革を実施し、経済成長を実現してきた。あっぱれといいたいところだが、その裏側には食い詰め者だったりゲームの達人だったりが大量生産されている。軍人だけではない。昨秋には一人っ子政策が廃止され全面的な第二子出産が認可されたが、一人っ子政策関連の公務員は全国に50万人以上。農村レベルの末端構成員まで含めると200万人近い人間が関与していた。今後、彼らをどのように処遇するのか、政府にとっては悩ましい問題だ。

【参考記事】知られざる「一人っ子政策」残酷物語

 着々と改革を進める点ではたいしたものだが、その結果として生じる食い詰め者の処遇は容易ではない。

 さて、本稿では強制土地収用に退役軍人デモ、同じ漢字文化圏だけについついわかったような気になるが、実は日本語とは"ずれ"のある事象について紹介した。こうしたなんとなくわかりそうでわからない話、その機微について今後もお伝えしていきたい。

[筆者]
高口康太
ジャーナリスト、翻訳家。1976年生まれ。千葉大学人文社会科学研究科(博士課程)単位取得退学。独自の切り口から中国・新興国を論じるニュースサイト「KINBRICKS NOW」を運営。著書に『なぜ、習近平は激怒したのか――人気漫画家が亡命した理由』(祥伝社)。


高口康太(ジャーナリスト、翻訳家)

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