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ヒラリー「第二のメール疑惑」の誇大報道 - 冷泉彰彦 プリンストン発 日本/アメリカ 新時代

ニューズウィーク日本版 2016年11月1日 17時0分

<大統領選直前に飛び出した、「FBIがヒラリーのメール問題の捜査を再開」という報道。実際の捜査対象は本人が送受信したメールではないが、誇張された報道によって選挙情勢は大きく揺さぶられている>(写真:今回のメール問題の発端となったウィーナー〔左〕と妻のアベディン)

 アメリカ大統領選は、泣いても笑っても、8日の投開票まで残り1週間になりました。3回のテレビ討論を終え、一連の女性蔑視発言で共和党の主流派とも冷戦状態となったドナルド・トランプ候補に対して、ヒラリー・クリントン候補は大差をつけていると思われていました。

 ところが、先週28日(金)前後から情勢が再び流動化しています。ヒラリー・クリントンに「第二のメール疑惑」が再燃し「FBIが捜査を再開した」という報道が流れ始め、「トランプ大逆転か?」などという調子に乗った解説まで出ているのが現状です。

 もちろん、まだ大差はついているのですが、「主戦場」となっている「スイング・ステート(激戦州)」の中で、本稿の時点ではフロリダ州とオハイオ州でトランプが「同率または逆転」しているという世論調査の数字も出ており、先週半ばまでとは明らかに状況が変わっています。

【参考記事】メール問題、FBIはクリントンの足を引っ張ったのか?

 この「疑惑の再燃問題」ですが、まずハッキリしておかなければいけないのは、今回の捜査は、ヒラリーのメールについてではありません。つまり「対象となる5万件か何かのメール」というのは、ヒラリーが送信者でもなければ、受信者でもないのです。報道からは、この点は伝わってきません。

 問題は、アンソニー・ウィーナーという男性のPCがFBIに押収されたということです。このウィーナーという人は、ニューヨークのブルックリン出身の民主党政治家で、市議会議員を経て1999年から6期12年にわたって連邦下院議員としてニューヨークから選出されています。現在もニューヨーク州選出の上院議員を努める大物政治家、チャック・シューマーの愛弟子で、下院議員の地盤もシューマーの上院転出に伴って継承したものです。

 ウィーナーは元々、クリントン夫妻と親しい人物で、ビル・クリントンが目をかけていました。また、ウィーナーはフーマ・アべディンという女性と2009年に結婚しているのですが、この結婚式もクリントン夫妻が仕切っていました。妻のアベディンは大変に優秀な女性で、ヒラリーが非常に信頼する側近中の側近です。国務長官時代には補佐官に任命し、現在は選対の副本部長になっています。



 ある意味で、クリントン家の「一員」として政治の中枢にいた夫妻でしたが、ウィーナーは2011年に突如「下ネタ」ツイート事件を起こしてしまい、議員辞職に追い込まれています。色々な見方ができるとは思うのですが、優秀な妻が世界を駆け回って仕事をしている一方で、その夫の中には「構ってもらえない」とか「俺より目立ちやがって」というダークサイドの心理に翻弄されて「おかしく」なるケースがあるのです。

 ウィーナーの場合もおそらくそうで、不特定多数の女性との間で「不適切な性的ツイート」をやっていたことが明るみに出ました。とにかく、女性たちに送っていたという「パンツ一丁の恥ずかしい写真」がタブロイド紙の一面を連日賑わせるという惨状になってしまったのです。

 ですが、この2011年の段階では、妻のアべディンは「夫を許す」と表明、一部には「モニカ事件の際に夫を許したヒラリー」の例に従ったとか、「だから仮面夫婦だ」などという中傷を受けていますが、とにかく離婚ということにはなりませんでした。

 その後のウィーナーは、2013年のニューヨーク市長選挙に復権をかけて予備選に参戦したのですが、話題にはなったものの支持率は低迷、早々に撤退を余儀なくされています。ただし、この時点ではイメージが好転したということもあり、ニューヨークではラジオや新聞で政治評論家として復権していました。

【参考記事】トランプ「第3次世界大戦」発言の深層にあるもの

 ところが、今年8~9月には再度の「下ネタ」ツイート事件を起こしてしまい、担当していたラジオや新聞から一斉に「クビ」を通告されて、政治家としても、あるいはジャーナリストとしてもキャリアを断たれている形です。

 この時のスキャンダルは、妻の不在時に下着姿を自撮りして、他の女性にツイートしていたというのですが、その写真に、3歳の息子が一緒に写っていたために、社会的に大変な非難を浴びることになりました。それまで夫をかばっていた妻のアベディンも、我慢が限界に来たのか「法律上の別居措置」を取るにいたっています。

 問題は、そこで終わりませんでした。FBIは「ウィーナーは、未成年の少女を相手に下ネタのツイートをしていたらしい」という容疑から本格的な捜査に乗り出したのです。

 今回の問題は、そこから来ています。要するにFBIが「未成年者への不適切ツイート疑惑」を根拠に、ウィーナーのPCを押収した、そのPCにはアベディンとの夫婦間のメールも入っていて、夫婦で共用していたためにアベディンが送受信していたメールもあるというのです。



 そこでFBIとしては、正式な捜査令状を取って合法的に「ウィーナー夫妻の個人メール」を閲覧できることになりました。アベディンはヒラリーの側近ですから、ヒラリーが「機密指定の情報を個人のメールサーバで扱っていた」ことの証拠が「アベディンのメール」などから証明できるかもしれない、というストーリーを組み立てたわけです。

 つまり、ウィーナーやアベディンの「メールボックス」にヒラリーのメールがあったり、例えばですが、一部の報道によれば「アベディンとヒラリーが『私的メールサーバ使用』に関わる証拠隠滅を図っている」という痕跡が出てきたりすれば、政治的にダメージを与えることができる、そんな期待感が、共和党筋にはあるというのです。

 そう考えると、この捜査はまったくの党利党略だという批判が出てくるのも自然な成り行きです。ただし、FBIのコミー長官にしてみれば、仮にウィーナーの「性的ツイート疑惑」の捜査絡みでPCの内容を調査していて、万が一「政治的に問題になる」ようなアベディンやヒラリーのメールが出てきた場合には大変なことになるので、その「万が一」に備えて、「投票日前」に「一応自分たちはこういう捜査はしていますよ」というアナウンスをする必要があったようです。

【参考記事】芸人的にもアリエナイ、トランプ・ジョークの末路

 要するに、今回の問題はFBIのコミー長官が「投票直前に選挙を歪めようとしている」というより(もちろん多少はそうした非難を受けても仕方ないにせよ)、ヒラリーと直接は関係ない事件で、直接は関係のない別人のメールを捜査しているという問題なのです。それにもかかわらず、各メディアが一斉に「スキャンダル再燃」とか「トランプがアベディンにありがとうと言った」などという誇大報道をしていることが問題です。

 一方で一部の報道では、反対に民主党サイドが、選挙直前の今週末までに、新たなトランプのスキャンダルを炸裂させる「仕込み」を準備しているという報道もあります。大統領選はこの最終盤でまったく油断ができない状況になっています。

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