<シリア内戦に伴う難民の流入、昨年7月以降のテロの増大、そして今年7月15日のクーデタ未遂事件以降、トルコ国内で内務省が存在感を高めている>
移民政策から軍の再編まで
シリア内戦に伴う難民の流入、昨年7月以降のテロの増大、そして今年7月15日のクーデタ未遂事件が発生した中、存在感を高めているのが内務省である。内務省の職務は多岐に渡るが、その中でも最も重要なのが国家の防衛と公共秩序の維持であり、不安定化するトルコの国内情勢を安定化させるためにいくつかのテコ入れが行われている。
例えば、難民政策に関しては、2014年に移民管理総局(GDMM)が内務省傘下に創設され、シリア難民の法的位置付けの整備で中心的役割を果たしている。
また、トルコでは、イスラーム国(IS)とクルディスタン自由の鷹(TAK)によるテロが2015年6月以降、頻発している(表1)。TAKは非合法武装組織であるクルディスタン労働者党(PKK)との関係が取りざたされる組織である。
<表1:2015年6月以降にトルコで発生した主なテロ>
2015年10月10日にアンカラで、ISによるトルコ共和国史上最も死亡者が多かったテロ事件が起こったが、後の10月28日に、内務省はテロリスト・リストを発表した。このリストは定期的に更新されており、リストに掲載されるテロリストの数は増加している。特にクーデタ未遂事件後、ギュレン運動の関係者が多く名を連ねるようになった。PKK対策として、前回の小論で述べたように「村の守護者制度」を専門に扱う部署の設置を決定した。
【参考記事】トルコ政府とPKKとの抗争における「村の守護者」の役割
内務省は軍の再編にも密接に関与している。7月15日のクーデタ未遂事件後、これまで軍が統括してきた国内治安維持軍と沿岸警備隊が内務省の傘下に入った。また、エルドアン大統領は、国家情報局(MİT)の国内部門と警察も内務省傘下に統一するプランを提示している。
このように、近年、トルコにおける内務省の存在感は確実に増してきている。内務省の原型はオスマン帝国後期まで遡るが、トルコ共和国において正式に組織化されたのは1985年と比較的新しい。この背景には、1960年代と70年代のトルコが極左と極右の抗争で混乱したことと、1984年にPKKがトルコで本格的にテロ行為を始めたことがあった。
テロとの戦いがトルコの喫緊の課題
クーデタ未遂後の2016年8月末、内務大臣であったエフカン・アラが突然辞任し、9月1日に新たにスレイマン・ソイルがその職に就いた。1969年生まれで47歳のソイルは元々、公正発展党ではなく、90年代に連立政権が続いた時代にその中心となっていた正道党に属していた。2008年には正道党の後継政党である民主党の党首に選ばれたが、民主党は2000年代に全く選挙で支持を得ることができず、ソイルは2012年に公正発展党に加わった。
ソイルを公正発展党に熱心に誘ったのは、当時首相で現在大統領であるレジェップ・タイイップ・エルドアンであったと言われている。今年5月からは労働・社会保障大臣を務めていた。ソイルは7月15日のクーデタ未遂後に街頭に出て熱心に反クーデタ活動を展開したことで閣僚の中でも重要な内務大臣の職を得た。余談だが、公正発展党は他党で要職に就いていた人物を引き抜き、閣僚に抜擢することが比較的多い。ソイルの他に、人民の声党で党首を務めていたニュマン・クルトゥルムシュが副首相を務めている。
公正発展党政権はますますテロとの戦いに力を入れている。最近ではPKKへの攻勢を強めている。上述した村の守護者制度の強化に加え、10月末にはクルド人の中心都市であるトルコ南東部のディヤルバクル県の共同市長、ギュルタン・クシャナクとフラット・アンルがPKKとの関係を疑われ、拘束、逮捕された。さらに11月3日にも同様にPKKとの関係を疑われた人民民主党(HDP)の議員11名が拘束され、その後、共同党首のセラハッティン・デミルタシュとフィゲン・ユクセクダーを含む8人が逮捕された。HDPは昨年6月7日と11月1日の総選挙でクルド系の政党として初めて大国民議会で議席を得ており、現在でも59議席を有しており、この逮捕は国内外に衝撃を与えている。
いずれにせよ、テロとの戦いはトルコの喫緊の課題であり、テロの撲滅がトルコの経済発展にもつながることは確実である。エルドアン大統領は、クーデタ未遂後に発動され、その後も延長している国家非常事態宣言は、脅威がなくなるまで継続すると発言している。また、シリア内戦もアレッポでの戦闘、そして近い将来予想されるISの本拠地、ラッカでの戦闘により、さらに難民がトルコに流入する恐れがある。こうした中、今後、ますます内務省の役割が重要になっていくことは間違いない。
今井宏平(日本貿易振興機構アジア経済研究所)
移民政策から軍の再編まで
シリア内戦に伴う難民の流入、昨年7月以降のテロの増大、そして今年7月15日のクーデタ未遂事件が発生した中、存在感を高めているのが内務省である。内務省の職務は多岐に渡るが、その中でも最も重要なのが国家の防衛と公共秩序の維持であり、不安定化するトルコの国内情勢を安定化させるためにいくつかのテコ入れが行われている。
例えば、難民政策に関しては、2014年に移民管理総局(GDMM)が内務省傘下に創設され、シリア難民の法的位置付けの整備で中心的役割を果たしている。
また、トルコでは、イスラーム国(IS)とクルディスタン自由の鷹(TAK)によるテロが2015年6月以降、頻発している(表1)。TAKは非合法武装組織であるクルディスタン労働者党(PKK)との関係が取りざたされる組織である。
<表1:2015年6月以降にトルコで発生した主なテロ>
2015年10月10日にアンカラで、ISによるトルコ共和国史上最も死亡者が多かったテロ事件が起こったが、後の10月28日に、内務省はテロリスト・リストを発表した。このリストは定期的に更新されており、リストに掲載されるテロリストの数は増加している。特にクーデタ未遂事件後、ギュレン運動の関係者が多く名を連ねるようになった。PKK対策として、前回の小論で述べたように「村の守護者制度」を専門に扱う部署の設置を決定した。
【参考記事】トルコ政府とPKKとの抗争における「村の守護者」の役割
内務省は軍の再編にも密接に関与している。7月15日のクーデタ未遂事件後、これまで軍が統括してきた国内治安維持軍と沿岸警備隊が内務省の傘下に入った。また、エルドアン大統領は、国家情報局(MİT)の国内部門と警察も内務省傘下に統一するプランを提示している。
このように、近年、トルコにおける内務省の存在感は確実に増してきている。内務省の原型はオスマン帝国後期まで遡るが、トルコ共和国において正式に組織化されたのは1985年と比較的新しい。この背景には、1960年代と70年代のトルコが極左と極右の抗争で混乱したことと、1984年にPKKがトルコで本格的にテロ行為を始めたことがあった。
テロとの戦いがトルコの喫緊の課題
クーデタ未遂後の2016年8月末、内務大臣であったエフカン・アラが突然辞任し、9月1日に新たにスレイマン・ソイルがその職に就いた。1969年生まれで47歳のソイルは元々、公正発展党ではなく、90年代に連立政権が続いた時代にその中心となっていた正道党に属していた。2008年には正道党の後継政党である民主党の党首に選ばれたが、民主党は2000年代に全く選挙で支持を得ることができず、ソイルは2012年に公正発展党に加わった。
ソイルを公正発展党に熱心に誘ったのは、当時首相で現在大統領であるレジェップ・タイイップ・エルドアンであったと言われている。今年5月からは労働・社会保障大臣を務めていた。ソイルは7月15日のクーデタ未遂後に街頭に出て熱心に反クーデタ活動を展開したことで閣僚の中でも重要な内務大臣の職を得た。余談だが、公正発展党は他党で要職に就いていた人物を引き抜き、閣僚に抜擢することが比較的多い。ソイルの他に、人民の声党で党首を務めていたニュマン・クルトゥルムシュが副首相を務めている。
公正発展党政権はますますテロとの戦いに力を入れている。最近ではPKKへの攻勢を強めている。上述した村の守護者制度の強化に加え、10月末にはクルド人の中心都市であるトルコ南東部のディヤルバクル県の共同市長、ギュルタン・クシャナクとフラット・アンルがPKKとの関係を疑われ、拘束、逮捕された。さらに11月3日にも同様にPKKとの関係を疑われた人民民主党(HDP)の議員11名が拘束され、その後、共同党首のセラハッティン・デミルタシュとフィゲン・ユクセクダーを含む8人が逮捕された。HDPは昨年6月7日と11月1日の総選挙でクルド系の政党として初めて大国民議会で議席を得ており、現在でも59議席を有しており、この逮捕は国内外に衝撃を与えている。
いずれにせよ、テロとの戦いはトルコの喫緊の課題であり、テロの撲滅がトルコの経済発展にもつながることは確実である。エルドアン大統領は、クーデタ未遂後に発動され、その後も延長している国家非常事態宣言は、脅威がなくなるまで継続すると発言している。また、シリア内戦もアレッポでの戦闘、そして近い将来予想されるISの本拠地、ラッカでの戦闘により、さらに難民がトルコに流入する恐れがある。こうした中、今後、ますます内務省の役割が重要になっていくことは間違いない。
今井宏平(日本貿易振興機構アジア経済研究所)