トランプ氏が当選した。もし本当に「アメリカが世界の警察をやめる」とすれば、中国にとってこんな嬉しいことはない。貿易面や移民面では中国に不利でも、南シナ海や東シナ海問題では有利だろうと中国は見ている。
習近平国家主席がトランプ氏に祝電
日本と同じ程度に、中国でもアメリカの大統領選に関する関心は高かった。中央テレビ局CCTVや新華網だけでなく、中国の「百度(bai-du)」という検索サイトのトップページに「大事件」というタイトルで、トランプ氏の写真が63枚も出ている(香港メディアだが中国政府系で、中国ではCCTVと並んで堂々と公開されているウェブサイトだ)。このことからも関心の高さがうかがわれるだろう。
11月9日、トランプ氏の当選が決まると、習近平国家主席もトランプ氏に祝電を送ったと、CTVや新華網が伝えた。その内容は、ちょっと長いが、今後の中米関係を見る上で多少の参考にはなるだろうと思われるので、ご紹介する。
――最も大きな発展途上国と最も大きな先進国として、そして世界の二大経済大国として、中米両国は世界の平和を維持し、全世界の発展と繁栄を担う特殊で重要な責任を負っており、広範囲の共通の利益を有している。健全で安定した中米関係を長期的に反転させることは、両国人民の根本的な利益に合致しており、国際社会の普遍的な期待でもある。私は非常に強く中米関係を重視しており、「衝突せず対抗しない状態を保ち、相互に尊重し合い、ウィン・ウィンの原則に協力し合い、(省略)両国の意見の不一致を建設的に解決し、中米関係が新しいスタートにおいてさらに進展し、両国人民と各国人民に幸せをもたらすこと」などを、あなたと一緒に努力していきたいと期待している。
やはり「新型(二大)大国関係」の思想が基本にある。
そして長すぎる美辞麗句の中に、それとなく習近平氏の(中国を高く位置づけた、やや自信過剰な)喜びがにじみでているように感ぜられる。
11月7日付の本コラム「中国は米大統領選と中国に与える影響をどう見ているのか?」でも書いたように、短期的には(数年内くらいなら)、中国にとってはトランプ氏が当選した方が有利なのである。
もちろん経済貿易関係では多少の痛手を受けるだろうし、金融リスクも抱えることになるだろう。また、中共の「使命」を帯びた「移民」をアメリカに送り込み、アメリカの人口構成まで変えてしまおうとする「戦略」は制限を受けることになる可能性もはらんでいる。
しかし、軍事外交的な中国包囲網という観点からすると、中国は「しめた!」と思っている側面を否めない。
今回は特に、南シナ海問題と尖閣諸島問題に焦点を当てて、分析を試みる。
南シナ海や東シナ海問題に関して
もちろん中国政府の正式な見解としては表明していないが、しかし、たとえば中国共産党機関紙「人民日報」の姉妹版「環球時報」など多くの中国メディアは、学者の見解という形を取って、トランプ政権になれば、オバマ政権の時のような軍事外交的な対中包囲網形成の度合いが下がるだろう踏んでいる。
その理由にはいくつかある。
まず、トランプ氏が選挙演説中に「アメリカは世界の警察をやめる」と言っているからだ。これは「他国への余計な介入をやめる」という意味になる。
また、「日本や韓国などに配備している米軍を見直す(他国に駐在しているアメリカ軍を引き揚げるか、あるいは、もし防衛してほしければ、もっと駐留のための経費を当該国が負担しろ)」といった趣旨のことも言っている。これはすなわち、オバマ政権のアジア回帰、リバランスを見直すということにつながる。
トランプ氏は「アメリカ・ファースト(アメリカ第一主義)」という言葉に見られるように、他国への介入のためにアメリカ国民の膨大な税金を注ぐべきではなく、アメリカの国民を裕福にさせることが最優先で、最大の課題だ。
さらに、トランプ氏はTPPから脱退するとさえ明言しているので、ましていわんや、釣魚島(尖閣諸島)や南シナ海問題などに関して中国と必死で戦おうなどとするはずがない、と中国側メディアは分析している。
中には、南シナ海問題や尖閣問題に関して、トランプ氏に行なった取材を例にとっている報道もある。
たとえば、11月9日の「環球時報」は、今年3月21日に「ワシントンポスト」がトランプ氏を取材した際に以下のような質問をしたとして、その回答を特別に大きく扱っている。
記者:あなたは中国と南シナ海の問題に関して、どう見ていますか?中国は何をしようとしていると思いますか?われわれ(アメリカ)は、どのように行動すればいいと思いますか?たとえば、貿易面において(中国に)圧力を加えれば、彼らは南シナ海から撤退すると思いますか?
トランプ:アメリカが中国の行動のために第三次世界大戦を始めるとは私は思わない。私は中国のことは非常に分かっている。中国とは、かなりうまい商売をやったことがある。アメリカは中国に対して非常に大きな貿易面での影響力を持っている。だからその面で中国に圧力を掛ければ、中国から譲歩を引き出すことができる。
記者:もし中国が、日本人が言うところの尖閣列島、すなわち釣魚島を占領したとすれば、アメリカはどう出ますか?
トランプ:私がどうするかということに関して、あなたに言いたくはない。
このような、執拗とも言えるほど食い下がった質問が、トランプ氏に向けられていたことを中国共産党系列の新聞が報道していることもあわせて考えると、「トランプが当選すれば、南シナ海や東シナ海問題などへの介入を減らすだろう」というのが、中国の大方の見解だと言っていいだろう。
環球時報はさらに、11月13日から18日にかけて、中国の昆明で、中米両陸軍の共同軍事演習(人道主義的災害救助合同演習)が行われることを特記し、あたかも「中米両軍は仲がいいのだ」というのをアピールしている。
東南アジア諸国を着々と落としていった中国
ただ、そううまくはいかないだろうことも、中国は予測している。それに備えて、中国が今年、力を入れてきたのは東南アジア諸国を、つぎつぎと手なずけていくことだった。
これに関しては、すでに本コラムで以下のような状況をご紹介してきたので、重複は避ける。
●「チャイナマネーが「国際秩序」を買う――ASEAN外相会議一致困難」(ラオスとカンボジアに関して)
●「中国を選んだフィリピンのドゥテルテ大統領――訪中決定」
●「中比首脳会談――フィリピン、漁夫の利か?」
●「スー・チー氏の全方位外交と中国の戦略」
これから明らかなように、「ラオス、カンボジア、フィリピン、ミャンマー」は、すでに手なずけたと言っていいだろう。さらにまだマレーシアのことをご紹介していない。
実は「11月3日、マレーシアのナジブ首相は習近平国家主席と北京の釣魚台国賓館で会見していた」のである。それも、南シナ海の領有権問題や防衛関連での協力において両国関係をさらに強化させることで合意し、中国が推し進める「一帯一路」構想を称賛して、中国から多額の支援を取り付けたのだ。
南シナ海に関しては、7月に出されたオランダ・ハーグの仲裁裁判所の判決など、どこ吹く風。中国は完全に判決を無視し、「実」を取って、「問題があれば関係する両国間でのみ話し合いを通して解決する」という言質を、チャイナ・マネーの交換条件として取り付けている。
中国にとってすでに、南シナ海問題は「安泰」なのである。インドネシアなど、どこかの根性のある一国が抗議を申し出てきても、アメリカの強力な軍事的介入でもない限り怖くない。
尖閣諸島問題
となれば、あとは日本だ。東シナ海のガス田共同開発は2008年に合意したものの、北京オリンピック成功のために奔走した当時の胡錦濤国家主席は「日本に心を売った売国奴」「あれは中国の領海だ」として罵られてネットが炎上し、共同開発を断念した。日本は約束を守っているが、中国は炎上したネットの意見を採り入れて、徐々に日本に無断で開発を進めている。それに対してアメリカが強い姿勢に出たかというと、これまででさえ、そうではない。
まして尖閣諸島となると、アメリカは1970年代初期のニクソン政権時代に「尖閣諸島の領有権に関しては、アメリカはどちらの側にも立たない」と宣言して、こんにちに至っている。2012年9月と2013年1月に出されたアメリカ議会調査局リポート(CRS)は「安保条約第5条で防衛の対象となっているが、しかし尖閣諸島が武力的に侵害されたときには、まず日本が先に戦って(primary responsibility)、それを見た上でアメリカ議会あるいは短期的には大統領が米軍を派遣するか否かを決定する」という趣旨のことが書いてある。これをオバマ大統領は何度も習近平国家主席に言っていたし、中国はニクソン政権時代の宣言と、それを追認したこのCRSリポートを盾に、「だからアメリカは、尖閣諸島の領有権は日本にあるとは言っていない」と主張し、強気の態度に出てきたのだ。
政権後半には対中包囲網を形成しようとしたオバマ政権でさえこうであるならば、ましていわんや、トランプ政権になれば、「怖いものはない」と、中国は思っている。トランプ氏は一回だけ、南シナ海や東シナ海に関して中国に軍事的脅威を与えるという趣旨のことを言ったことがあったが、言葉の勢いで言っただけで、全体の政策を見れば、「不介入」の意図の方が強いと中国は見ている。
南シナ海が「安泰」であれば、残るは東シナ海、尖閣諸島である。
日本はこのことを警戒した方がいい。
トランプ氏はなぜ当選したのか?
筆者はこのコラムでは「中国問題」のカテゴリーで論評を書くように依頼されているので、他のテーマの私見を書くことは範疇外になるが、これだけは一言触れるのをお許しいただきたい。実は筆者はトランプ氏が当選するだろうと予測していた。それは少し前に講演でも話したことがあるので、結果が出たから言っているのではない。
なぜなら中国人のアメリカへの進出を考察している中で、中国政府の意見を代弁する者をアメリカに送り込んでいるのを注視してきたので、アメリカの人種別の人口構成に関心を持っていたからだ。
その中で、たとえばシリコンバレーがIT(Integrated Circuit、集積回路)をIndian Chinese(IT)に置き換えて皮肉るほど、白人の割合が少なくなっているのは、90年代半ばに観察してきたし、また9月20日に『毛沢東 日本軍と共謀した男』に関してワシントンD.C.にスピーチに行ったとき、ホテルの窓から見下ろす光景を見たときにハッとした。ほとんどが有色人種で、白人はまばらにしか見えず、「私はいま、どの国に来ているんだろう」とさえ感じたし、街を歩いたときに見た白人が、みすぼらしい恰好をしているのが気になったからだ。いわゆるpoor white(貧しい白人層)が増えているアメリカにおいて、中国の廉価な製品や人件費に押されて「白人が貧乏になっていく」ことは、アメリカ人にとって許しがたいことだろうし、これでは「ある意味の階級闘争がアメリカで起きるのではないか」という概念さえ、頭をもたげたものだ。だからトランプ氏が当選する可能性が高いと筆者は思っていたのである。
これに関しては、中国の戦略的移民と、中国内における「少数民族の漢民族化戦略」という視点で、またいつか考察を試みたい。
[執筆者]遠藤 誉
1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。東京福祉大学国際交流センター長、筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会科学研究所客員研究員・教授などを歴任。『チャイナ・セブン <紅い皇帝>習近平』『チャイナ・ナイン 中国を動かす9人の男たち』『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』『チャイナ・ジャッジ 毛沢東になれなかった男』『完全解読 中国外交戦略の狙い』『中国人が選んだワースト中国人番付 やはり紅い中国は腐敗で滅ぶ』『中国動漫新人類 日本のアニメと漫画が中国を動かす』など著書多数。近著に『毛沢東 日本軍と共謀した男』(新潮新書)
※当記事はYahoo!ニュース 個人からの転載です。
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遠藤誉(東京福祉大学国際交流センター長)
習近平国家主席がトランプ氏に祝電
日本と同じ程度に、中国でもアメリカの大統領選に関する関心は高かった。中央テレビ局CCTVや新華網だけでなく、中国の「百度(bai-du)」という検索サイトのトップページに「大事件」というタイトルで、トランプ氏の写真が63枚も出ている(香港メディアだが中国政府系で、中国ではCCTVと並んで堂々と公開されているウェブサイトだ)。このことからも関心の高さがうかがわれるだろう。
11月9日、トランプ氏の当選が決まると、習近平国家主席もトランプ氏に祝電を送ったと、CTVや新華網が伝えた。その内容は、ちょっと長いが、今後の中米関係を見る上で多少の参考にはなるだろうと思われるので、ご紹介する。
――最も大きな発展途上国と最も大きな先進国として、そして世界の二大経済大国として、中米両国は世界の平和を維持し、全世界の発展と繁栄を担う特殊で重要な責任を負っており、広範囲の共通の利益を有している。健全で安定した中米関係を長期的に反転させることは、両国人民の根本的な利益に合致しており、国際社会の普遍的な期待でもある。私は非常に強く中米関係を重視しており、「衝突せず対抗しない状態を保ち、相互に尊重し合い、ウィン・ウィンの原則に協力し合い、(省略)両国の意見の不一致を建設的に解決し、中米関係が新しいスタートにおいてさらに進展し、両国人民と各国人民に幸せをもたらすこと」などを、あなたと一緒に努力していきたいと期待している。
やはり「新型(二大)大国関係」の思想が基本にある。
そして長すぎる美辞麗句の中に、それとなく習近平氏の(中国を高く位置づけた、やや自信過剰な)喜びがにじみでているように感ぜられる。
11月7日付の本コラム「中国は米大統領選と中国に与える影響をどう見ているのか?」でも書いたように、短期的には(数年内くらいなら)、中国にとってはトランプ氏が当選した方が有利なのである。
もちろん経済貿易関係では多少の痛手を受けるだろうし、金融リスクも抱えることになるだろう。また、中共の「使命」を帯びた「移民」をアメリカに送り込み、アメリカの人口構成まで変えてしまおうとする「戦略」は制限を受けることになる可能性もはらんでいる。
しかし、軍事外交的な中国包囲網という観点からすると、中国は「しめた!」と思っている側面を否めない。
今回は特に、南シナ海問題と尖閣諸島問題に焦点を当てて、分析を試みる。
南シナ海や東シナ海問題に関して
もちろん中国政府の正式な見解としては表明していないが、しかし、たとえば中国共産党機関紙「人民日報」の姉妹版「環球時報」など多くの中国メディアは、学者の見解という形を取って、トランプ政権になれば、オバマ政権の時のような軍事外交的な対中包囲網形成の度合いが下がるだろう踏んでいる。
その理由にはいくつかある。
まず、トランプ氏が選挙演説中に「アメリカは世界の警察をやめる」と言っているからだ。これは「他国への余計な介入をやめる」という意味になる。
また、「日本や韓国などに配備している米軍を見直す(他国に駐在しているアメリカ軍を引き揚げるか、あるいは、もし防衛してほしければ、もっと駐留のための経費を当該国が負担しろ)」といった趣旨のことも言っている。これはすなわち、オバマ政権のアジア回帰、リバランスを見直すということにつながる。
トランプ氏は「アメリカ・ファースト(アメリカ第一主義)」という言葉に見られるように、他国への介入のためにアメリカ国民の膨大な税金を注ぐべきではなく、アメリカの国民を裕福にさせることが最優先で、最大の課題だ。
さらに、トランプ氏はTPPから脱退するとさえ明言しているので、ましていわんや、釣魚島(尖閣諸島)や南シナ海問題などに関して中国と必死で戦おうなどとするはずがない、と中国側メディアは分析している。
中には、南シナ海問題や尖閣問題に関して、トランプ氏に行なった取材を例にとっている報道もある。
たとえば、11月9日の「環球時報」は、今年3月21日に「ワシントンポスト」がトランプ氏を取材した際に以下のような質問をしたとして、その回答を特別に大きく扱っている。
記者:あなたは中国と南シナ海の問題に関して、どう見ていますか?中国は何をしようとしていると思いますか?われわれ(アメリカ)は、どのように行動すればいいと思いますか?たとえば、貿易面において(中国に)圧力を加えれば、彼らは南シナ海から撤退すると思いますか?
トランプ:アメリカが中国の行動のために第三次世界大戦を始めるとは私は思わない。私は中国のことは非常に分かっている。中国とは、かなりうまい商売をやったことがある。アメリカは中国に対して非常に大きな貿易面での影響力を持っている。だからその面で中国に圧力を掛ければ、中国から譲歩を引き出すことができる。
記者:もし中国が、日本人が言うところの尖閣列島、すなわち釣魚島を占領したとすれば、アメリカはどう出ますか?
トランプ:私がどうするかということに関して、あなたに言いたくはない。
このような、執拗とも言えるほど食い下がった質問が、トランプ氏に向けられていたことを中国共産党系列の新聞が報道していることもあわせて考えると、「トランプが当選すれば、南シナ海や東シナ海問題などへの介入を減らすだろう」というのが、中国の大方の見解だと言っていいだろう。
環球時報はさらに、11月13日から18日にかけて、中国の昆明で、中米両陸軍の共同軍事演習(人道主義的災害救助合同演習)が行われることを特記し、あたかも「中米両軍は仲がいいのだ」というのをアピールしている。
東南アジア諸国を着々と落としていった中国
ただ、そううまくはいかないだろうことも、中国は予測している。それに備えて、中国が今年、力を入れてきたのは東南アジア諸国を、つぎつぎと手なずけていくことだった。
これに関しては、すでに本コラムで以下のような状況をご紹介してきたので、重複は避ける。
●「チャイナマネーが「国際秩序」を買う――ASEAN外相会議一致困難」(ラオスとカンボジアに関して)
●「中国を選んだフィリピンのドゥテルテ大統領――訪中決定」
●「中比首脳会談――フィリピン、漁夫の利か?」
●「スー・チー氏の全方位外交と中国の戦略」
これから明らかなように、「ラオス、カンボジア、フィリピン、ミャンマー」は、すでに手なずけたと言っていいだろう。さらにまだマレーシアのことをご紹介していない。
実は「11月3日、マレーシアのナジブ首相は習近平国家主席と北京の釣魚台国賓館で会見していた」のである。それも、南シナ海の領有権問題や防衛関連での協力において両国関係をさらに強化させることで合意し、中国が推し進める「一帯一路」構想を称賛して、中国から多額の支援を取り付けたのだ。
南シナ海に関しては、7月に出されたオランダ・ハーグの仲裁裁判所の判決など、どこ吹く風。中国は完全に判決を無視し、「実」を取って、「問題があれば関係する両国間でのみ話し合いを通して解決する」という言質を、チャイナ・マネーの交換条件として取り付けている。
中国にとってすでに、南シナ海問題は「安泰」なのである。インドネシアなど、どこかの根性のある一国が抗議を申し出てきても、アメリカの強力な軍事的介入でもない限り怖くない。
尖閣諸島問題
となれば、あとは日本だ。東シナ海のガス田共同開発は2008年に合意したものの、北京オリンピック成功のために奔走した当時の胡錦濤国家主席は「日本に心を売った売国奴」「あれは中国の領海だ」として罵られてネットが炎上し、共同開発を断念した。日本は約束を守っているが、中国は炎上したネットの意見を採り入れて、徐々に日本に無断で開発を進めている。それに対してアメリカが強い姿勢に出たかというと、これまででさえ、そうではない。
まして尖閣諸島となると、アメリカは1970年代初期のニクソン政権時代に「尖閣諸島の領有権に関しては、アメリカはどちらの側にも立たない」と宣言して、こんにちに至っている。2012年9月と2013年1月に出されたアメリカ議会調査局リポート(CRS)は「安保条約第5条で防衛の対象となっているが、しかし尖閣諸島が武力的に侵害されたときには、まず日本が先に戦って(primary responsibility)、それを見た上でアメリカ議会あるいは短期的には大統領が米軍を派遣するか否かを決定する」という趣旨のことが書いてある。これをオバマ大統領は何度も習近平国家主席に言っていたし、中国はニクソン政権時代の宣言と、それを追認したこのCRSリポートを盾に、「だからアメリカは、尖閣諸島の領有権は日本にあるとは言っていない」と主張し、強気の態度に出てきたのだ。
政権後半には対中包囲網を形成しようとしたオバマ政権でさえこうであるならば、ましていわんや、トランプ政権になれば、「怖いものはない」と、中国は思っている。トランプ氏は一回だけ、南シナ海や東シナ海に関して中国に軍事的脅威を与えるという趣旨のことを言ったことがあったが、言葉の勢いで言っただけで、全体の政策を見れば、「不介入」の意図の方が強いと中国は見ている。
南シナ海が「安泰」であれば、残るは東シナ海、尖閣諸島である。
日本はこのことを警戒した方がいい。
トランプ氏はなぜ当選したのか?
筆者はこのコラムでは「中国問題」のカテゴリーで論評を書くように依頼されているので、他のテーマの私見を書くことは範疇外になるが、これだけは一言触れるのをお許しいただきたい。実は筆者はトランプ氏が当選するだろうと予測していた。それは少し前に講演でも話したことがあるので、結果が出たから言っているのではない。
なぜなら中国人のアメリカへの進出を考察している中で、中国政府の意見を代弁する者をアメリカに送り込んでいるのを注視してきたので、アメリカの人種別の人口構成に関心を持っていたからだ。
その中で、たとえばシリコンバレーがIT(Integrated Circuit、集積回路)をIndian Chinese(IT)に置き換えて皮肉るほど、白人の割合が少なくなっているのは、90年代半ばに観察してきたし、また9月20日に『毛沢東 日本軍と共謀した男』に関してワシントンD.C.にスピーチに行ったとき、ホテルの窓から見下ろす光景を見たときにハッとした。ほとんどが有色人種で、白人はまばらにしか見えず、「私はいま、どの国に来ているんだろう」とさえ感じたし、街を歩いたときに見た白人が、みすぼらしい恰好をしているのが気になったからだ。いわゆるpoor white(貧しい白人層)が増えているアメリカにおいて、中国の廉価な製品や人件費に押されて「白人が貧乏になっていく」ことは、アメリカ人にとって許しがたいことだろうし、これでは「ある意味の階級闘争がアメリカで起きるのではないか」という概念さえ、頭をもたげたものだ。だからトランプ氏が当選する可能性が高いと筆者は思っていたのである。
これに関しては、中国の戦略的移民と、中国内における「少数民族の漢民族化戦略」という視点で、またいつか考察を試みたい。
[執筆者]遠藤 誉
1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。東京福祉大学国際交流センター長、筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会科学研究所客員研究員・教授などを歴任。『チャイナ・セブン <紅い皇帝>習近平』『チャイナ・ナイン 中国を動かす9人の男たち』『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』『チャイナ・ジャッジ 毛沢東になれなかった男』『完全解読 中国外交戦略の狙い』『中国人が選んだワースト中国人番付 やはり紅い中国は腐敗で滅ぶ』『中国動漫新人類 日本のアニメと漫画が中国を動かす』など著書多数。近著に『毛沢東 日本軍と共謀した男』(新潮新書)
※当記事はYahoo!ニュース 個人からの転載です。
≪この筆者の記事一覧はこちら≫
遠藤誉(東京福祉大学国際交流センター長)