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劣勢のIS、戦勝故事引用のバグダディ声明で殉教攻撃多発か

ニューズウィーク日本版 2016年11月14日 17時10分

 イラク北部モスルを占拠する過激派組織「イスラム国」(IS)がイラク軍などの奪還作戦に直面する中、最高指導者のアブバクル・バグダディ容疑者のものとみられる音声メッセージが11月3日、インターネット上に投稿された。イスラム教草創期にイスラム軍が勝利して預言者ムハンマドが地歩を固めた「ガズワトルハンダク(塹壕〈ざんごう〉の戦い)」に関連付けた内容で、ISがモスルの地下に張り巡らしたトンネルを活用して徹底抗戦せよとのメッセージだ。

 軍事専門家らは「モスル陥落は時間の問題」と指摘している。宗教心を鼓舞して起死回生を狙うバグダディ容疑者だが、劣勢な状況を挽回させるのは難しいだろう。ムハンマドの戦いの歴史の再来実現とならなければ、逆にバグダディ容疑者の威信は失墜することになる。

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「多神教徒との戦い」も戦力差歴然

「塹壕の戦い」は、ヒジュラ歴5年(西暦627年)、メディナを拠点としたムハンマド率いるイスラム軍約3000人に対し、クライシュ族率いるメッカ連合軍が1万人前後という軍勢でイスラム軍壊滅を狙った歴史的な争い。軍勢では圧倒に不利だったムハンマドは、以前の敗戦を教訓にメディナの周囲に塹壕を掘り、長期戦に持ち込まれたメッカ連合軍が戦いあぐねてメディナ攻略に失敗、威信を失墜させ、以降、ムハンマドが優位な立場になり、イスラム教が拡大していく契機となった史実である。

 バグダディ容疑者の音声メッセージは31分間で、タイトルは「アラーと彼の使徒(ムハンマド)がわたしたちに約束されたもの」。このタイトルは、聖典コーランの33章「部族連合章」の22節の一節から引用したもので、この「部族連合」はイスラム軍討伐を狙ったメッカ連合軍を指している。

 メッセージの中でバグダディ容疑者は、「ハンダク(塹壕)」という言葉を実際に使うことはなかったが、宗教的な戦いを勝ち抜くことは厳しいものだと認め、33章16節を引用して、逃げ出して戦死から逃れても利益はなく、勇敢に戦って天国という報酬を得た方がいいと訴えた。

 ハンダクという言葉を使った方がIS戦闘員に説得力があるように思えるのだが、ムハンマドはペルシャ人の技術者サルマーン・アルファーリスィーのアイデアで塹壕を掘ることを決断した経緯があり、バグダディ容疑者はあえて使わなかった可能性がある。

 イスラム史に通じたカイロ大学のムハンマド・ハッジャージ講師は「ハンダクという言葉はコーランに存在せず、(ムハンマドの言行録)ハディースに登場するだけだ。そもそもハンダクはアラビア語ではなくペルシャ語であり、シーア派のイランと敵対するISの指導者としてハンダクという言葉に言及しないのにはこうした背景があるのではないか。部族連合という言葉を用いるだけで、当時の多神教徒とイスラム教徒の対立を大半のイスラム信徒は想起し、ISが置かれた現在の状況を重ね合わせるのに十分な説得力を持つはずだ」と解説する。

 メッセージから判断できることは、バグダディ容疑者が戦闘員たちに最後まで戦い抜き、殉教しろと訴えているということだ。バグダッド西方のファルージャなどでは、比較的早い段階でIS戦闘員が敗走したケースがあるが、今回のバグダディ容疑者の声明を戦闘員たちがそのまま解釈すれば、モスル攻防戦は相当激しいものになる可能性がある。

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 モスルを失えば、シリアとイラクにまたがるISの「カリフ制国家」が事実上形骸化し、イラクやシリアの国境線が基本的に決まった1916年のサイクス・ピコ協定の終焉を訴えた主張も意味をなさなくなるためだ。

「塹壕の戦い」では3000人対1万人という劣勢をはねのけてイスラム軍に奇跡が起きたわけだが、モスルに籠城するIS戦闘員は3000~5000人(アバディ・イラク首相)と見積もられるのに対し、イラク軍やクルド民兵組織などを合わせれば、5万人超の兵士が動員されている。これに米軍などの戦闘機も加わっており、塹壕の戦いとの比較はほとんど意味がない。

馬脚現す教典・伝承の恣意的解釈

 宗教思想を使って士気を鼓舞するのはISの常とう手段で、ISはシリア北部の小村ダビクも過激思想のシンボルにしてきた。ダビクはハディースで非イスラム教徒とイスラム側の最終決戦の地と位置付けられてきたことから、ISは英字機関誌のタイトルにするなどして終末思想をあおってきた。しかし、ダビクに陣取っていたIS戦闘員たちは10月中旬、シリア反体制派の攻勢を受け、あっけなく撤退してしまった。

 イスラム法学に詳しいロンドン大学東洋アフリカ研究学院(SOAS)法学部のサラ・エリビアリー講師は「ISは組織に都合のいいイスラム法の解釈を用いており、ほとんどはその解釈自体に誤りは存在しない。こうした過激派側に立つムフティ(宗教指導者)に一部の支持が集まり、過激派に正当性を与えてISなどが台頭する背景になっている」と話す。

 ダビクでも「塹壕の戦い」でもそうだが、ISはイスラム教にまつわる教えや伝承の都合のいい部分を抜き出して、独自の過激思想を構築してきた。だが、ダビクで敗退を喫した今、モスルでもバグダディ容疑者が訴えるような奇跡が起きなければ、宗教という衣をかぶって神秘性を高めてきたISは馬脚を現すことになる。モスルを失うことはISにとって相当なダメージであり、音声メッセージの内容からはバグダディ容疑者のそれなりの決意と覚悟が垣間見える。

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指導者殺害なら弱体化、第2ステージへ

 そのバグダディ容疑者はどこにいるのか。モスルに籠城していたとの情報もあったが、モスル攻略作戦が始まる前に逃げ出したとの報道もある。ISにとってバグダディ容疑者はカリフであり、殺害されてしまえば、相当なダメージとなる可能性が高い。カリフはムハンマド亡き後のイスラム共同体の最高権威者の称号であり、それなりの学識や出自が問われる。正統アラビア語を流ちょうに駆使できることは当然として、イスラム法学に関する知識やクライシュ族の男系の子孫であることも条件となっている。

 バグダディ容疑者は形の上では、一応こうした条件を満たしており、仮にバグダディ容疑者が死亡した場合には、次期指導者の選出はそれなりの困難が伴うことが予想される。国際テロ組織アルカイダなどとは違い、カリフを名乗ってしまったことはISにとってもろ刃の剣になりかねないのだ。

 バグダディ容疑者はメッセージで、戦場をトルコやサウジアラビアにも広げることを警告した。こうした訴えは本拠地であるシリアやイラクで劣勢になっていることの裏返しであり、戦場をイラクやシリアから国外に輸出しようとする試みである。サウジには王室に不満を持った過激派支持者もかなり存在し、新たなテロが懸念されるところである。

 筆者が居住するロンドンでも、知人がバグダディ容疑者の声明後に在英日本大使館から携帯電話に入った緊急情報に驚いていた。同大使館は「ISIL(イラクとレバントのイスラム国)の指導者バグダディのものとされる音声メッセージが公開され、ISIL戦闘員やその同調者に対してテロを呼び掛けました。声明を踏まえ、テロへの警戒を一層強化してください」と求めた。ISとの戦いは、シリアやイラクを超え、第2幕に入りつつあると言えそうだ。

[執筆者]
池滝和秀(いけたき・かずひで)
時事総研客員研究員、在英ジャーナリスト
1994年時事通信入社。外信部、エルサレム特派員、カイロ特派員などを経て、2015年8月より現職。


※当記事は時事通信社発行の電子書籍「e-World Premium」からの転載記事です。



池滝和秀(時事総研客員研究員、在英ジャーナリスト)※時事通信社発行の電子書籍「e-World Premium」より転載

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