今度はトランプ幻想?
トランプ氏当選から一夜明けた11月10日、日本ではいまだ恐慌・パニックともいうべき動乱が続いている。その恐怖に対する心の防御反応なのだろうか、にわかに日本側から「トランプが実際に政権を運営すれば、理性的な補佐官や共和党重鎮が指導し、実際にはこれまでの言動を反故にしたり軟化させたりする」というものが出てきた。私に言わせれば、これは体の良い「願望」である。
もしヒラリーが大統領になっていれば、こういったことを開陳する人々は、ヒラリーの「日米同盟重視」という文句を「実際には反故にしたり硬化させたりする」などと論評していただろうか。いやしないだろう。トランプが大統領になったら日本に対して融和的な方針に転換する、というのは、「そうあってほしい」という願望の類であり意味はない。
むしろあれだけ日本を敵視する発言を行ってきたトランプが、政権が発足するとがらりと180度転換して「日本重視」を鮮明にするなら、その言葉にこそ疑いをはさまなければらないだろう。自分の願望に都合の良い言動は額面通り受け取り、願望に沿わない意見は「実際は違う、本心では違う」などと想像をたくましくさせるのは、致命的な思考の欠陥と言わなければならない。
【参考記事】トランプ政権の対日外交に、日本はブレずに重厚に構えよ
トランプは日本敵視というか、日本無関心の姿勢を貫いている。日米の戦後史についても無頓着をうかがわせる。ちくま文庫刊『トランプ自伝』には、当時バブル経済に沸く日本を「不当な貿易政策でアメリカから富を収奪して経済大国になった」という趣旨の記述がある。この本は80年代末に出版されたものだが、トランプの対日姿勢はこの時からほぼ変化がない。
しかし株価や為替が大きな展開を見せ、すでに混乱状態にある日本にとって、なにもトランプ大統領誕生はデメリットばかりではないのだ。
トランプが与える日本人への精神的インパクト
トランプ大統領が日本にとって与える大きなメリットの中で、最大のことは、日本人の精神性の変化である。トランプ大統領誕生からすでに二日目のきょう(11月10日)の段階で、「在日米軍がいなくなったらどうするか」「自衛隊を増強するよりほかないのではないか」「しまいには核武装という選択肢も考えないと」などという声が、巷間聞こえてくる。それまで割と政治的に無色で、特に外交安全保障について無頓着だった人が、「米軍が出ていくなら自衛隊の予算を増やして頑張ってもらうしかない」などと言ってはばからない。核武装の是非や、防衛予算をどの程度増強するのがよいのかには議論はあるが、これはすわトランプによって引き起こされた日本人の精神的激変だ。
【参考記事】世界経済に巨大トランプ・リスク
これまで私たちは、「日米同盟が存在するのが当たり前」「在日米軍が存在するのが当たり前」と考え、もしそれが失効したり弱まったりしたときの未来を想像してこなかった。しかし市井の日本人が、いまその「起こるはずもなかった」はずの明日の事を想像し、対処する方法を必死に考えている。
むろん、トランプが来年1月に大統領になった翌日に、日本から在日米軍が撤退するというのは、あまりに飛躍した理論である。そもそも、トランプの中で「日米同盟の見直し」に関する優先度はそこまで高くない。トランプは日本に冷淡というよりも、前提的に無知だ。だが、周囲の補佐官や識者から説得されて「やっぱり日米同盟は未来永劫続く強烈な靱帯」などと転換することはないだろう。逆にそういったとしたら、それこそ疑わしい。
仮にも公に掲げた公約や言動を、180度転換すると、支持を失う。そうすれば共和党は次の選挙(4年後)に勝てなくなる。共和党の勢力圏は、元来民主党の地盤であったラスト・ベルトに食い込んでいる。アメリカの政治地図が変わったのと同時に、共和党自身も変わったのだ。今回共和党を支持した白人有権者を裏切るような方向に共和党が政策を転換するのは、かなり現実的ではない。
しかも今回の大統領選挙とあわせて、共和党は上下両院でも順当に勝利して過半数を得ている。その勝利の背景にはトランプがあったことを考えると、この選挙で当選した何割かの共和党議員にはトランプに恩義があり、真っ向から党内反トランプ派を形成することは難しいのである。
一度有権者に発した言葉を、そうやすやすと大転換できるほど、言葉は軽くない。「政治家は言葉が命」などという癖に、なぜトランプだけにはそれを適用しないのだろうか。トランプを政治の素人と思ってバカにしているのではないか。その「トランプなんてどうせ素人だ、おバカさんだ」というインテリの見下し、隠せざる嘲笑こそが、白人低学歴層にトランプ支持を形成させた最大の因があることを自覚すべきである。
想像力とはディフェンスである
確かに米大統領は独裁者ではないので、予備選中で言ったことが全部実現するわけはない。だが、「おおむね」トランプの志向する方向に、日米関係が向かうのは疑いようはない。アメリカがアジアから関与を引いていくのは、何も今になって始まったことではなく、オバマ時代からの(あるいはもっと前からの)世界的な米軍再編によって既に下地がある。トランプはそれを加速させるだろう。
問題なのは、「日米同盟が存在するのが当たり前」「在日米軍が存在するのが当たり前」と考えてきた戦後日本人の想像力の無さである。もしそれが失効したり、弱まったりしたときの未来を私たちは想像してこなかった。わずかでも「もしトランプが大統領になったら、自主防衛が必要になろう」という想像力が事前にあれば、こうも狼狽することはないのである。想像力とはディフェンスである。例えば「福島第一原発に想定を超えた津波が押し寄せてくるまもしれない」という想定が2010年に存在すれば、あの事故は防げた可能性は否定できない。
繰り返す。想像力とはディフェンスである。トランプが大統領になって何をやりだすかは未知数の部分があるが、いまは楽観論に陥ることなく最悪のパターン、つまり「予備選で言ったことの60ないし70%くらいは4年間のうちに現実になる」ことを想定して、様々な準備、特に防衛分野での早急な体制構築を進めるべきであろう。あるいはトランプ政権2期8年の可能性だって想像しなければならないのだ。
そういった想像力の芽が、トランプ大統領によってにわかに巻き起こされていること自体、われわれ日本人が戦後70年以上、まったく経験してこなかったことだ。危機に対する想像力を養うこと。その切っ掛けを与えるまたとない存在がトランプであることを考えると、これこそ日本にとってまず長期的には最大のメリットである。自ら考え、自ら想像することが、最も重要だ。
その意味でトランプは日本にとって口に苦い良薬のようなものだ。短期的に日本は混乱するが、この混乱を乗り越え、自主的に防衛や外交を取り仕切る覚悟と実行力を備えることができるのならば、日本人はそれこそ、自虐的に揶揄されてきた「平和ボケ」なる甘い世界観を捨てることができるだろう。
※当記事はYahoo!ニュース 個人からの転載です。
[執筆者]
古谷経衡(ふるやつねひら)文筆家。1982年北海道生まれ。立命館大文学部卒。日本ペンクラブ正会員、NPO法人江東映像文化振興事業団理事長。主な著書に「草食系のための対米自立論」(小学館)、「ヒトラーはなぜ猫が嫌いだったのか」(コアマガジン)、「左翼も右翼もウソばかり」(新潮社)、「ネット右翼の終わり」(晶文社)、「戦後イデオロギーは日本人を幸せにしたか」(イーストプレス)など多数。
古谷経衡(文筆家)
トランプ氏当選から一夜明けた11月10日、日本ではいまだ恐慌・パニックともいうべき動乱が続いている。その恐怖に対する心の防御反応なのだろうか、にわかに日本側から「トランプが実際に政権を運営すれば、理性的な補佐官や共和党重鎮が指導し、実際にはこれまでの言動を反故にしたり軟化させたりする」というものが出てきた。私に言わせれば、これは体の良い「願望」である。
もしヒラリーが大統領になっていれば、こういったことを開陳する人々は、ヒラリーの「日米同盟重視」という文句を「実際には反故にしたり硬化させたりする」などと論評していただろうか。いやしないだろう。トランプが大統領になったら日本に対して融和的な方針に転換する、というのは、「そうあってほしい」という願望の類であり意味はない。
むしろあれだけ日本を敵視する発言を行ってきたトランプが、政権が発足するとがらりと180度転換して「日本重視」を鮮明にするなら、その言葉にこそ疑いをはさまなければらないだろう。自分の願望に都合の良い言動は額面通り受け取り、願望に沿わない意見は「実際は違う、本心では違う」などと想像をたくましくさせるのは、致命的な思考の欠陥と言わなければならない。
【参考記事】トランプ政権の対日外交に、日本はブレずに重厚に構えよ
トランプは日本敵視というか、日本無関心の姿勢を貫いている。日米の戦後史についても無頓着をうかがわせる。ちくま文庫刊『トランプ自伝』には、当時バブル経済に沸く日本を「不当な貿易政策でアメリカから富を収奪して経済大国になった」という趣旨の記述がある。この本は80年代末に出版されたものだが、トランプの対日姿勢はこの時からほぼ変化がない。
しかし株価や為替が大きな展開を見せ、すでに混乱状態にある日本にとって、なにもトランプ大統領誕生はデメリットばかりではないのだ。
トランプが与える日本人への精神的インパクト
トランプ大統領が日本にとって与える大きなメリットの中で、最大のことは、日本人の精神性の変化である。トランプ大統領誕生からすでに二日目のきょう(11月10日)の段階で、「在日米軍がいなくなったらどうするか」「自衛隊を増強するよりほかないのではないか」「しまいには核武装という選択肢も考えないと」などという声が、巷間聞こえてくる。それまで割と政治的に無色で、特に外交安全保障について無頓着だった人が、「米軍が出ていくなら自衛隊の予算を増やして頑張ってもらうしかない」などと言ってはばからない。核武装の是非や、防衛予算をどの程度増強するのがよいのかには議論はあるが、これはすわトランプによって引き起こされた日本人の精神的激変だ。
【参考記事】世界経済に巨大トランプ・リスク
これまで私たちは、「日米同盟が存在するのが当たり前」「在日米軍が存在するのが当たり前」と考え、もしそれが失効したり弱まったりしたときの未来を想像してこなかった。しかし市井の日本人が、いまその「起こるはずもなかった」はずの明日の事を想像し、対処する方法を必死に考えている。
むろん、トランプが来年1月に大統領になった翌日に、日本から在日米軍が撤退するというのは、あまりに飛躍した理論である。そもそも、トランプの中で「日米同盟の見直し」に関する優先度はそこまで高くない。トランプは日本に冷淡というよりも、前提的に無知だ。だが、周囲の補佐官や識者から説得されて「やっぱり日米同盟は未来永劫続く強烈な靱帯」などと転換することはないだろう。逆にそういったとしたら、それこそ疑わしい。
仮にも公に掲げた公約や言動を、180度転換すると、支持を失う。そうすれば共和党は次の選挙(4年後)に勝てなくなる。共和党の勢力圏は、元来民主党の地盤であったラスト・ベルトに食い込んでいる。アメリカの政治地図が変わったのと同時に、共和党自身も変わったのだ。今回共和党を支持した白人有権者を裏切るような方向に共和党が政策を転換するのは、かなり現実的ではない。
しかも今回の大統領選挙とあわせて、共和党は上下両院でも順当に勝利して過半数を得ている。その勝利の背景にはトランプがあったことを考えると、この選挙で当選した何割かの共和党議員にはトランプに恩義があり、真っ向から党内反トランプ派を形成することは難しいのである。
一度有権者に発した言葉を、そうやすやすと大転換できるほど、言葉は軽くない。「政治家は言葉が命」などという癖に、なぜトランプだけにはそれを適用しないのだろうか。トランプを政治の素人と思ってバカにしているのではないか。その「トランプなんてどうせ素人だ、おバカさんだ」というインテリの見下し、隠せざる嘲笑こそが、白人低学歴層にトランプ支持を形成させた最大の因があることを自覚すべきである。
想像力とはディフェンスである
確かに米大統領は独裁者ではないので、予備選中で言ったことが全部実現するわけはない。だが、「おおむね」トランプの志向する方向に、日米関係が向かうのは疑いようはない。アメリカがアジアから関与を引いていくのは、何も今になって始まったことではなく、オバマ時代からの(あるいはもっと前からの)世界的な米軍再編によって既に下地がある。トランプはそれを加速させるだろう。
問題なのは、「日米同盟が存在するのが当たり前」「在日米軍が存在するのが当たり前」と考えてきた戦後日本人の想像力の無さである。もしそれが失効したり、弱まったりしたときの未来を私たちは想像してこなかった。わずかでも「もしトランプが大統領になったら、自主防衛が必要になろう」という想像力が事前にあれば、こうも狼狽することはないのである。想像力とはディフェンスである。例えば「福島第一原発に想定を超えた津波が押し寄せてくるまもしれない」という想定が2010年に存在すれば、あの事故は防げた可能性は否定できない。
繰り返す。想像力とはディフェンスである。トランプが大統領になって何をやりだすかは未知数の部分があるが、いまは楽観論に陥ることなく最悪のパターン、つまり「予備選で言ったことの60ないし70%くらいは4年間のうちに現実になる」ことを想定して、様々な準備、特に防衛分野での早急な体制構築を進めるべきであろう。あるいはトランプ政権2期8年の可能性だって想像しなければならないのだ。
そういった想像力の芽が、トランプ大統領によってにわかに巻き起こされていること自体、われわれ日本人が戦後70年以上、まったく経験してこなかったことだ。危機に対する想像力を養うこと。その切っ掛けを与えるまたとない存在がトランプであることを考えると、これこそ日本にとってまず長期的には最大のメリットである。自ら考え、自ら想像することが、最も重要だ。
その意味でトランプは日本にとって口に苦い良薬のようなものだ。短期的に日本は混乱するが、この混乱を乗り越え、自主的に防衛や外交を取り仕切る覚悟と実行力を備えることができるのならば、日本人はそれこそ、自虐的に揶揄されてきた「平和ボケ」なる甘い世界観を捨てることができるだろう。
※当記事はYahoo!ニュース 個人からの転載です。
[執筆者]
古谷経衡(ふるやつねひら)文筆家。1982年北海道生まれ。立命館大文学部卒。日本ペンクラブ正会員、NPO法人江東映像文化振興事業団理事長。主な著書に「草食系のための対米自立論」(小学館)、「ヒトラーはなぜ猫が嫌いだったのか」(コアマガジン)、「左翼も右翼もウソばかり」(新潮社)、「ネット右翼の終わり」(晶文社)、「戦後イデオロギーは日本人を幸せにしたか」(イーストプレス)など多数。
古谷経衡(文筆家)