来年1月、政治経験も軍隊経験もなく、過激発言を繰り返した不動産王がホワイトハウスの主になる。ワシントン流の政治を一新するとみられる彼の一挙手一投足に、誰もが今、右往左往している。
これから訪れる「ドナルド・トランプの世界」とはどんな世界か。「本当のドナルド・トランプ」とは何者か。「トランプ米大統領」という現実と、世界はどう向き合うべきなのか。
本誌は今週、その人物像から過激な「公約」集、経済政策や外交政策、ワシントン人事、過去の実績まで、トランプの世界を読み解くべく、52ページに及ぶ総力特集を組んだ。トランプの政策アドバイザーがアジア政策を語り、本誌コラムニストによるその反論も掲載。カジノやホテル事業で「財を成した」という実績を検証する記事や、「黒い利権」に斬り込んだ記事も収録している。
ニューズウィーク日本版
2016年11月22日号
「総力特集:ドナルド・トランプの世界」
CCCメディアハウス
以下、本特集より転載する。
◇ ◇ ◇
第45代アメリカ合衆国大統領にドナルド・J・トランプが選ばれ、アメリカと世界は未知の領域に突入した。
「アメリカを再び偉大にする」のスローガンで支持者を熱狂させると同時に、トランプは数々の暴言や妄言を吐き続け、史上最も醜かったとも言える大統領選を制した。
政治経験も軍隊経験もなく、過激発言を繰り返した不動産王がホワイトハウスの主になり、世界最強の軍隊の最高司令官となる。トランプの登場によって、第二次大戦後に築き上げられてきた自由主義による世界秩序が崩壊に向かうという声もある。各国政府からメディア、市場関係者まで、トランプの一挙手一投足に誰もが右往左往する日がしばらく続く。
政治や選挙の常識をことごとく覆してきた男だけに、アメリカの針路も世界への影響も、専門家を含めて誰も予測することはできない。トランプによってこれまでのアメリカ政治・外交の常識や不文律が無に帰した。これまでのロジックはもはや通用しない。前例も当てはまらない。
おそらく彼自身、これから何をするか分かっていないのかもしれない。何しろ、選挙中に発言を幾度となく翻し、重要な討論会でさえも即興で通してきた男だ。どんな問題でも思慮深く考えるバラク・オバマ大統領とは対照的に、気まぐれやその場の思い付きで恣意的な判断を下してきた。
多くのアメリカ人も一体何が起きたのかまだ消化し切れず、現実を受け止め切れていない。選挙結果への不満から各地で市民が街に繰り出し、抗議している。中東やパキスタンなどで見られた反米デモさながらに、星条旗やトランプを模した人形を燃やすなど、一部が暴徒化した。
選挙前、トランプが負けた場合には銃を手に取り、暴徒化することを示唆した一部の支持者がいた。「リベラルで理性的」なはずのヒラリー・クリントン支持者がまさにそれと同じようなことをしているのは皮肉であり、非民主的でさえある。
しかしオバマも、そして歴史的な大統領選に敗れたクリントン前国務長官も言うように、アメリカはこの結果を受け入れ、現実を直視するしかない。選挙中に差別発言を繰り返し、数々の暴言や妄言を吐き続けた男に違いはないが、民主的に選ばれたことに変わりはない。クリントンも語ったように、「先入観なく、彼にこの国をリードするチャンスを与えなければならない」。
勝利を逃したヒラリーの誤算
「圧勝する」という大方のメディアの予想に反し、女性初の大統領になるというクリントンの勝算はどこで狂ったのか。候補としては申し分なかった。大統領夫人、上院議員、そして国務長官を務めた経験から、ワシントンの権力構造を誰よりも熟知しており、政治家としても行政機関の長としても、その能力は折り紙付きだった。
「冷たい」「信用できない」と一般に評されるが、実際のクリントンはもっと温かみのある人物だ。10月にクリントンの国務長官時代のメールがリークされたが、その中には彼女の人柄を感じさせるものもあった。
10年、ハイチに甚大な被害をもたらした地震の際には「今すぐにどんな支援ができる? これは私たちが最優先するべきことよ」と側近に指示。また、イエメンで暴力的な30代の男との結婚を家族に無理やり強いられた10歳の少女については、こんなメールを送っている。
「あの子のために何ができる? カウンセリングや教育を受けるためにアメリカに連れてくる方法はない?」。公の場ではなく、側近に宛てたメールに嘘偽りはないだろう。
能力、資質、人間性を兼ね備えていたにもかかわらず、その正反対の人物であるトランプに敗れたのは、長年付きまとったイメージに加え、戦術上のミスもあったかもしれない。選挙を通して、クリントンが唯一しなかったことは、既存の政治に「見捨てられてきた」と感じる有権者に寄り添わなかったことだ。
クリントンは従来の政治に取り残された国民に歩み寄ることをせず、代わりに彼ら・彼女らが熱狂的に支持する男への批判に明け暮れた。確かに、トランプ支持者の中には差別的で排外主義的な人もいた。それでも、トランプよりも自分こそがあなた方の不満に応え、生活を改善できる、というメッセージを打ち出すことはできたはずだ。
メディアも過ちを犯した。果たして、アメリカのメディアはどれだけフェアだったか。トランプが暴君のように振る舞い、大統領としての資質に欠ける男であり、クリントンが最も経験豊富な大統領候補だったことに異論はない。
米メディアが忘れた「原則」
しかし、どれだけトランプが醜悪な候補だったとしても、熱烈な支持者を引き付けていたのも事実だ。そうした支持者の声に、アメリカのメディアはどれだけ耳を傾け、彼らが生きる現実を真摯に見詰めただろうか。
「独裁者トランプ」の当選を阻止しなければ破滅的な結果を招きかねない、トランプがホワイトハウスの主になれば国家存亡の危機だ──こうした主張が生まれるのは無理もない。
だがそこに執着するあまり、メディアは「フェアネス(公正さ)」というジャーナリズムの大原則を見失ってしまった。健全な批判精神を保ちつつ、フェアであり続けることが、ジャーナリストには求められる。それを怠ったことで、メディアは自らが見たい「現実」にとらわれ、別の現実を見落してしまった。
アメリカの新聞は、民主・共和のどちらかの大統領候補について支持を表明する。これは、報道の現場である編集部からは独立した論説委員が独自の権限で行う。論説委員が一方の候補に支持表明をしても、報道の現場はあくまでもフェアであり続けるものだ。しかし、今回の選挙ではこの原則が崩れた。現場の記者や編集者も、論説委員と一体化した感が否めない。
一部の米メディアは選挙後、自国民の思いや考えを読み切れなかったことを猛省している。しかし、中には開き直り、トランプの支持者をさげすむような報道をしている新聞もある。「これほどアメリカ人がばかとは思わなかった」と言わんばかりの論調を今も続けているメディアもある。
そんな思い上がったエリート主義こそが、自らの「願望」を押し付け、困難な状況に置かれた人々を遠ざけた。現実から目をそらし続けたことで、アメリカ社会の趨勢を見誤った。
今回の選挙ではさまざまなメディアがビッグデータを駆使し、結果の予測を試みてきた。結果論だが、これも大きく外れた。選挙中、ニューヨーク・タイムズ紙の電子版はクリントンが当選する確率を93%と連日掲載し続けたが、開票が進むとあっさりとトランプの当選確率を95%と翻した。
人の行動は、数字やデータで表し切れないことを、まざまざと見せつけた選挙と言える。血の通った、感情やさまざまな思いのある人間の行動を「データ」で完全に予測できると考えていたとしたら、傲慢のそしりは免れない。
トランプとどう向き合うか
アメリカと世界を困惑させ続けるトランプと「トランプ主義」を読み解く上で、1つのヒントがある。ワシントン・ポスト紙のメディアコラムニスト、マーガレット・サリバンによると、IT起業家・投資家でトランプ支持者のピーター・ティールは最近、講演でこう語ったという。
「メディアはトランプの発言を言葉どおり受け取るが、彼の存在を真剣に受け止めようとしない」
サリバンは書く。メディアとは逆に、多くの有権者はトランプという存在を真剣に受け止め、彼が発する言葉はそのまま受け取らない、と。例えば不法移民対策。「メキシコとの国境沿いに壁を造る」とトランプが言うと、支持者はそれを額面どおりに受け取らず、「より理性的で、理にかなった移民政策が生まれる」と感じるのだという。
これを「無知」「低学歴」と切り捨てるのは簡単だ。しかし、トランプの言葉が彼らの心に響いたことは厳然たる事実だ。
これから、トランプはワシントン流の政治を一新する。そして、予測不能で不確実な時代が訪れる。そうしたなか、私たちは「トランプ大統領」という現実とどう向き合うべきか。
常人の理解を超えた指導者が誕生すると専門家やメディアも臆測を好き放題に語りがちだ。その臆測がさらなる臆測を呼び、いたずらに混乱をあおり、実態以上の危機を生み出し、傷口を不必要に広げる恐れがある(日本も鳩山由紀夫元首相という形で経験済みだ)。
いくら世界の超大国に未知数の男が君臨するとはいえ、浮足立ったり、顔色をうかがったりするような姿勢を見せるのは禁物だ。とっぴな政策を掲げてきたトランプだが、各国政府は泰然と構えることが求められる。
この点、カナダのジャスティン・トゥルドー首相は対応を誤った。大統領選の翌々日、トゥルドーはトランプが掲げるNAFTA(北米自由貿易協定)の再交渉・破棄について「喜んで協議したい」と語った。トランプが就任する前にもかかわらず、尻尾を振って彼に擦り寄るかのような言動はトランプをつけ上がらせるだけだ。協議に応じる意向があるとしても、この局面ではメキシコ政府のように、手の内を明かさず曖昧に対応する方が賢明だ。
次期大統領を待つ厳しい現実
今のところ、トランプの選挙中の大言壮語や好戦的な態度は影を潜めている。勝利演説は打って変わって穏健で、国民の団結を呼び掛けるものだった。
トランプの本質は「ビジネスマン」というより、「セールスマン」に近い。彼にとって、選挙中に語ってきたことは「公約」というよりも、あくまでもセールストークなのかもしれない。
実際、あれだけロシアのウラジーミル・プーチン大統領を褒めちぎっておきながら、選挙終盤に「彼を支持しているとは一度も言っていない」と前言を翻している。また、選挙期間中は声高に撤廃を叫ぶなど猛批判していたオバマケア(医療保険制度改革)についても、修正にとどまることを示唆するなどトーンダウン。制度の「根幹部分は大好きだ」と言い放っている。
外交面についても、勝利演説では一転して融和的な態度をのぞかせた。「アメリカを第一にしつつも、どの国もフェアに扱い、敵意ではなく共通点を見いだし、紛争ではなくパートナーシップを追求する」
経済面では楽観論も一部に出ている。1つには、公約として訴えた法人税減税が市場に好感されている。規制を1つ導入する場合には、既存の規制を2つ撤廃する「ルール」も打ち出している。また、勝利演説の際、大規模なインフラ投資を行うと語った。
確かに、アメリカのインフラは世界第1の経済大国にふさわしい代物とはお世辞にも言えない。世界的に行き過ぎた緊縮財政と金融政策への過度な依存が指摘されているなか、新たな財政政策として大規模インフラ整備が行われれば、アメリカ経済にとって大きな刺激となり得る。
言うまでもなく、今後はトランプもワシントンと国際情勢の「現実」と向き合うことを迫られる。
まずは議会。大統領選と同時に行われた議会選挙で、上下両院とも共和党が過半数を確保した。しかし同じ共和党とはいえ、財政規律を重んじる傾向が強いため、大風呂敷的な歳出計画が通るかは未知数だ。
国防予算の上限を撤廃し、米軍を大幅に増強する計画についても同じだ。予算確保のために国防総省の予算を一から見直し、「監査」を行うとしている。確かに、アメリカの国防費には巨額の使途不明金もあるとされる。しかし、複雑に入り組んだワシントンの政府機関や権力構造の中で、「監査」が一筋縄でいくとは考えにくい。
職権乱用の可能性はあるか
一方で、ただでさえ大統領権限はこれまでになく拡大していることも指摘されている。議会と良好な関係を築かなかったオバマは大統領令を乱発し、職権乱用との批判を受けた。
既に、トランプは大統領権限を乱用する可能性を選挙中に示唆した。クリントンが私用のメールアドレスを公務に使ったことについて特別検察官を任命し、彼女を「監獄にぶち込む」とも息巻いた。
半面、外交面における大統領権限は明確でない部分もある。大統領は上院の承認を得た上で条約を結ぶ権限があるが、破棄する権限があるかは明確に定められていない。
実際、こうしたケースが問題になったことがある。79年、アメリカが中国と国交を正常化する上で、当時のジミー・カーター大統領は台湾との米華相互防衛条約を破棄した。
これに当時の共和党重鎮、バリー・ゴールドウォーター上院議員が反発。議会を通さずに条約を破棄したことは越権行為だとして、カーターを提訴。結局、ゴールドウォーターが提訴する前に議会手続きを踏まなかったことから、最高裁は司法ではなく政治が解決すべき問題と見なし、これを棄却した。
この際、最高裁はカーターの行動が違憲だったかについては判断を下していない。つまり、大統領が議会の承認を受けずに条約を破棄する力があるかは、司法上確定していないのだ。
日本や韓国に対して米軍の駐留費の負担増を求めているトランプだが、現時点でこの問題が安全保障条約の見直しや破棄といった事態につながる可能性は小さいだろう。
しかし、30年余り前までさかのぼってトランプの発言を調べてきた米ブルッキングズ研究所のトーマス・ライト研究員によると、彼はかなり前から同盟関係に懐疑的だったと指摘する。トランプは湾岸戦争の前、クウェートが石油による収入の25%を払わない限り、同国を防衛するべきではないと語ったことがあるという。
同様に、トランプが主張する米軍の駐留費の大幅な負担増がドイツや日本に拒否された場合、それを口実に一方的に防衛義務を果たさないこともあり得ると、ライトは米アトランティック誌に語っている。現時点では日米安全保障条約の破棄に発展するというのは飛躍があるにしても、制度的にもトランプの信条としてもあり得なくはないことは念頭に置いておくべきだろう。
「本当のトランプ」とは
選挙結果が確定した後、米CNNのトーク番組でコメンテーターの1人がこう言った。「これまでトランプはひどい発言を続けてきたが、もしかするとこれから本当のドナルド・トランプが出てくるかもしれない」
そもそも本当のドナルド・トランプとは何者か。過激な発言とは裏腹に、自身のホテルのオープニングでは気さくに振る舞い、来賓一人一人に気配りを見せていたという。そして少なくとも一般には、辣腕ビジネスマンとして自力で巨万の富を築いたことにもなっている。
しかし、本誌が報じてきたように、彼の資産総額は水増しされている可能性が高い。ビジネスで窮地に追い込まれたときは父親とそのコネにすがり、不動産帝国を拡張していく過程で多くの従業員や取引先を踏み倒したことも広く知られている。強大な権力を手にした今、国民や外国政府を同じように扱わない保証はない。
自身の経営理念やビジネスの「秘訣」を教えるという触れ込みで設立した「トランプ大学」ではペテンまがいの商法で高額な受講料をだまし取ったとして、トランプは提訴までされている。今月末に公判が予定されており、次期大統領が被告でもあるという前代未聞の事態が起きている。
気さくで、ユーモアあふれる気のいい男。自身を大きく見せ、富と名声に異常なまでの執念を燃やし、勝つためには手段を選ばない男。おそらく、どちらも本当のドナルド・トランプなのだろう。ビジネスマンとしての長年のキャリアを通じて裏で見せていた顔が彼の正体でなければ、一体何が本当のドナルド・トランプなのか。
トランプは自著『トランプ自伝──不動産王にビジネスを学ぶ』(邦訳・筑摩書房)の中で、ジミー・カーターやロナルド・レーガン両元大統領を見かけ倒しの政治家とこき下ろす前に、こう記している(英語版からの翻訳)。
「人をだまし通すことはできない。熱狂的な空気をつくり、素晴らしいプロモーションを展開し、メディアの反響を受け、少しばかりの誇張はしてもいいだろう。しかし結果を出さなければ、いずれは見透かされる」
ごもっとも。これまでのトランプの言動からすると、信じ難い文章ではある。だが、ドナルド・J・トランプは来年1月20日以降、ホワイトハウスの新たな主として、自身の言葉によって試されることになる。
ニューズウィーク日本版
2016年11月22日号
「総力特集:ドナルド・トランプの世界」
CCCメディアハウス
【参考記事】ニューストピックス:トランプのアメリカ
[2016.11.22号掲載]
横田 孝(本誌編集長)
これから訪れる「ドナルド・トランプの世界」とはどんな世界か。「本当のドナルド・トランプ」とは何者か。「トランプ米大統領」という現実と、世界はどう向き合うべきなのか。
本誌は今週、その人物像から過激な「公約」集、経済政策や外交政策、ワシントン人事、過去の実績まで、トランプの世界を読み解くべく、52ページに及ぶ総力特集を組んだ。トランプの政策アドバイザーがアジア政策を語り、本誌コラムニストによるその反論も掲載。カジノやホテル事業で「財を成した」という実績を検証する記事や、「黒い利権」に斬り込んだ記事も収録している。
ニューズウィーク日本版
2016年11月22日号
「総力特集:ドナルド・トランプの世界」
CCCメディアハウス
以下、本特集より転載する。
◇ ◇ ◇
第45代アメリカ合衆国大統領にドナルド・J・トランプが選ばれ、アメリカと世界は未知の領域に突入した。
「アメリカを再び偉大にする」のスローガンで支持者を熱狂させると同時に、トランプは数々の暴言や妄言を吐き続け、史上最も醜かったとも言える大統領選を制した。
政治経験も軍隊経験もなく、過激発言を繰り返した不動産王がホワイトハウスの主になり、世界最強の軍隊の最高司令官となる。トランプの登場によって、第二次大戦後に築き上げられてきた自由主義による世界秩序が崩壊に向かうという声もある。各国政府からメディア、市場関係者まで、トランプの一挙手一投足に誰もが右往左往する日がしばらく続く。
政治や選挙の常識をことごとく覆してきた男だけに、アメリカの針路も世界への影響も、専門家を含めて誰も予測することはできない。トランプによってこれまでのアメリカ政治・外交の常識や不文律が無に帰した。これまでのロジックはもはや通用しない。前例も当てはまらない。
おそらく彼自身、これから何をするか分かっていないのかもしれない。何しろ、選挙中に発言を幾度となく翻し、重要な討論会でさえも即興で通してきた男だ。どんな問題でも思慮深く考えるバラク・オバマ大統領とは対照的に、気まぐれやその場の思い付きで恣意的な判断を下してきた。
多くのアメリカ人も一体何が起きたのかまだ消化し切れず、現実を受け止め切れていない。選挙結果への不満から各地で市民が街に繰り出し、抗議している。中東やパキスタンなどで見られた反米デモさながらに、星条旗やトランプを模した人形を燃やすなど、一部が暴徒化した。
選挙前、トランプが負けた場合には銃を手に取り、暴徒化することを示唆した一部の支持者がいた。「リベラルで理性的」なはずのヒラリー・クリントン支持者がまさにそれと同じようなことをしているのは皮肉であり、非民主的でさえある。
しかしオバマも、そして歴史的な大統領選に敗れたクリントン前国務長官も言うように、アメリカはこの結果を受け入れ、現実を直視するしかない。選挙中に差別発言を繰り返し、数々の暴言や妄言を吐き続けた男に違いはないが、民主的に選ばれたことに変わりはない。クリントンも語ったように、「先入観なく、彼にこの国をリードするチャンスを与えなければならない」。
勝利を逃したヒラリーの誤算
「圧勝する」という大方のメディアの予想に反し、女性初の大統領になるというクリントンの勝算はどこで狂ったのか。候補としては申し分なかった。大統領夫人、上院議員、そして国務長官を務めた経験から、ワシントンの権力構造を誰よりも熟知しており、政治家としても行政機関の長としても、その能力は折り紙付きだった。
「冷たい」「信用できない」と一般に評されるが、実際のクリントンはもっと温かみのある人物だ。10月にクリントンの国務長官時代のメールがリークされたが、その中には彼女の人柄を感じさせるものもあった。
10年、ハイチに甚大な被害をもたらした地震の際には「今すぐにどんな支援ができる? これは私たちが最優先するべきことよ」と側近に指示。また、イエメンで暴力的な30代の男との結婚を家族に無理やり強いられた10歳の少女については、こんなメールを送っている。
「あの子のために何ができる? カウンセリングや教育を受けるためにアメリカに連れてくる方法はない?」。公の場ではなく、側近に宛てたメールに嘘偽りはないだろう。
能力、資質、人間性を兼ね備えていたにもかかわらず、その正反対の人物であるトランプに敗れたのは、長年付きまとったイメージに加え、戦術上のミスもあったかもしれない。選挙を通して、クリントンが唯一しなかったことは、既存の政治に「見捨てられてきた」と感じる有権者に寄り添わなかったことだ。
クリントンは従来の政治に取り残された国民に歩み寄ることをせず、代わりに彼ら・彼女らが熱狂的に支持する男への批判に明け暮れた。確かに、トランプ支持者の中には差別的で排外主義的な人もいた。それでも、トランプよりも自分こそがあなた方の不満に応え、生活を改善できる、というメッセージを打ち出すことはできたはずだ。
メディアも過ちを犯した。果たして、アメリカのメディアはどれだけフェアだったか。トランプが暴君のように振る舞い、大統領としての資質に欠ける男であり、クリントンが最も経験豊富な大統領候補だったことに異論はない。
米メディアが忘れた「原則」
しかし、どれだけトランプが醜悪な候補だったとしても、熱烈な支持者を引き付けていたのも事実だ。そうした支持者の声に、アメリカのメディアはどれだけ耳を傾け、彼らが生きる現実を真摯に見詰めただろうか。
「独裁者トランプ」の当選を阻止しなければ破滅的な結果を招きかねない、トランプがホワイトハウスの主になれば国家存亡の危機だ──こうした主張が生まれるのは無理もない。
だがそこに執着するあまり、メディアは「フェアネス(公正さ)」というジャーナリズムの大原則を見失ってしまった。健全な批判精神を保ちつつ、フェアであり続けることが、ジャーナリストには求められる。それを怠ったことで、メディアは自らが見たい「現実」にとらわれ、別の現実を見落してしまった。
アメリカの新聞は、民主・共和のどちらかの大統領候補について支持を表明する。これは、報道の現場である編集部からは独立した論説委員が独自の権限で行う。論説委員が一方の候補に支持表明をしても、報道の現場はあくまでもフェアであり続けるものだ。しかし、今回の選挙ではこの原則が崩れた。現場の記者や編集者も、論説委員と一体化した感が否めない。
一部の米メディアは選挙後、自国民の思いや考えを読み切れなかったことを猛省している。しかし、中には開き直り、トランプの支持者をさげすむような報道をしている新聞もある。「これほどアメリカ人がばかとは思わなかった」と言わんばかりの論調を今も続けているメディアもある。
そんな思い上がったエリート主義こそが、自らの「願望」を押し付け、困難な状況に置かれた人々を遠ざけた。現実から目をそらし続けたことで、アメリカ社会の趨勢を見誤った。
今回の選挙ではさまざまなメディアがビッグデータを駆使し、結果の予測を試みてきた。結果論だが、これも大きく外れた。選挙中、ニューヨーク・タイムズ紙の電子版はクリントンが当選する確率を93%と連日掲載し続けたが、開票が進むとあっさりとトランプの当選確率を95%と翻した。
人の行動は、数字やデータで表し切れないことを、まざまざと見せつけた選挙と言える。血の通った、感情やさまざまな思いのある人間の行動を「データ」で完全に予測できると考えていたとしたら、傲慢のそしりは免れない。
トランプとどう向き合うか
アメリカと世界を困惑させ続けるトランプと「トランプ主義」を読み解く上で、1つのヒントがある。ワシントン・ポスト紙のメディアコラムニスト、マーガレット・サリバンによると、IT起業家・投資家でトランプ支持者のピーター・ティールは最近、講演でこう語ったという。
「メディアはトランプの発言を言葉どおり受け取るが、彼の存在を真剣に受け止めようとしない」
サリバンは書く。メディアとは逆に、多くの有権者はトランプという存在を真剣に受け止め、彼が発する言葉はそのまま受け取らない、と。例えば不法移民対策。「メキシコとの国境沿いに壁を造る」とトランプが言うと、支持者はそれを額面どおりに受け取らず、「より理性的で、理にかなった移民政策が生まれる」と感じるのだという。
これを「無知」「低学歴」と切り捨てるのは簡単だ。しかし、トランプの言葉が彼らの心に響いたことは厳然たる事実だ。
これから、トランプはワシントン流の政治を一新する。そして、予測不能で不確実な時代が訪れる。そうしたなか、私たちは「トランプ大統領」という現実とどう向き合うべきか。
常人の理解を超えた指導者が誕生すると専門家やメディアも臆測を好き放題に語りがちだ。その臆測がさらなる臆測を呼び、いたずらに混乱をあおり、実態以上の危機を生み出し、傷口を不必要に広げる恐れがある(日本も鳩山由紀夫元首相という形で経験済みだ)。
いくら世界の超大国に未知数の男が君臨するとはいえ、浮足立ったり、顔色をうかがったりするような姿勢を見せるのは禁物だ。とっぴな政策を掲げてきたトランプだが、各国政府は泰然と構えることが求められる。
この点、カナダのジャスティン・トゥルドー首相は対応を誤った。大統領選の翌々日、トゥルドーはトランプが掲げるNAFTA(北米自由貿易協定)の再交渉・破棄について「喜んで協議したい」と語った。トランプが就任する前にもかかわらず、尻尾を振って彼に擦り寄るかのような言動はトランプをつけ上がらせるだけだ。協議に応じる意向があるとしても、この局面ではメキシコ政府のように、手の内を明かさず曖昧に対応する方が賢明だ。
次期大統領を待つ厳しい現実
今のところ、トランプの選挙中の大言壮語や好戦的な態度は影を潜めている。勝利演説は打って変わって穏健で、国民の団結を呼び掛けるものだった。
トランプの本質は「ビジネスマン」というより、「セールスマン」に近い。彼にとって、選挙中に語ってきたことは「公約」というよりも、あくまでもセールストークなのかもしれない。
実際、あれだけロシアのウラジーミル・プーチン大統領を褒めちぎっておきながら、選挙終盤に「彼を支持しているとは一度も言っていない」と前言を翻している。また、選挙期間中は声高に撤廃を叫ぶなど猛批判していたオバマケア(医療保険制度改革)についても、修正にとどまることを示唆するなどトーンダウン。制度の「根幹部分は大好きだ」と言い放っている。
外交面についても、勝利演説では一転して融和的な態度をのぞかせた。「アメリカを第一にしつつも、どの国もフェアに扱い、敵意ではなく共通点を見いだし、紛争ではなくパートナーシップを追求する」
経済面では楽観論も一部に出ている。1つには、公約として訴えた法人税減税が市場に好感されている。規制を1つ導入する場合には、既存の規制を2つ撤廃する「ルール」も打ち出している。また、勝利演説の際、大規模なインフラ投資を行うと語った。
確かに、アメリカのインフラは世界第1の経済大国にふさわしい代物とはお世辞にも言えない。世界的に行き過ぎた緊縮財政と金融政策への過度な依存が指摘されているなか、新たな財政政策として大規模インフラ整備が行われれば、アメリカ経済にとって大きな刺激となり得る。
言うまでもなく、今後はトランプもワシントンと国際情勢の「現実」と向き合うことを迫られる。
まずは議会。大統領選と同時に行われた議会選挙で、上下両院とも共和党が過半数を確保した。しかし同じ共和党とはいえ、財政規律を重んじる傾向が強いため、大風呂敷的な歳出計画が通るかは未知数だ。
国防予算の上限を撤廃し、米軍を大幅に増強する計画についても同じだ。予算確保のために国防総省の予算を一から見直し、「監査」を行うとしている。確かに、アメリカの国防費には巨額の使途不明金もあるとされる。しかし、複雑に入り組んだワシントンの政府機関や権力構造の中で、「監査」が一筋縄でいくとは考えにくい。
職権乱用の可能性はあるか
一方で、ただでさえ大統領権限はこれまでになく拡大していることも指摘されている。議会と良好な関係を築かなかったオバマは大統領令を乱発し、職権乱用との批判を受けた。
既に、トランプは大統領権限を乱用する可能性を選挙中に示唆した。クリントンが私用のメールアドレスを公務に使ったことについて特別検察官を任命し、彼女を「監獄にぶち込む」とも息巻いた。
半面、外交面における大統領権限は明確でない部分もある。大統領は上院の承認を得た上で条約を結ぶ権限があるが、破棄する権限があるかは明確に定められていない。
実際、こうしたケースが問題になったことがある。79年、アメリカが中国と国交を正常化する上で、当時のジミー・カーター大統領は台湾との米華相互防衛条約を破棄した。
これに当時の共和党重鎮、バリー・ゴールドウォーター上院議員が反発。議会を通さずに条約を破棄したことは越権行為だとして、カーターを提訴。結局、ゴールドウォーターが提訴する前に議会手続きを踏まなかったことから、最高裁は司法ではなく政治が解決すべき問題と見なし、これを棄却した。
この際、最高裁はカーターの行動が違憲だったかについては判断を下していない。つまり、大統領が議会の承認を受けずに条約を破棄する力があるかは、司法上確定していないのだ。
日本や韓国に対して米軍の駐留費の負担増を求めているトランプだが、現時点でこの問題が安全保障条約の見直しや破棄といった事態につながる可能性は小さいだろう。
しかし、30年余り前までさかのぼってトランプの発言を調べてきた米ブルッキングズ研究所のトーマス・ライト研究員によると、彼はかなり前から同盟関係に懐疑的だったと指摘する。トランプは湾岸戦争の前、クウェートが石油による収入の25%を払わない限り、同国を防衛するべきではないと語ったことがあるという。
同様に、トランプが主張する米軍の駐留費の大幅な負担増がドイツや日本に拒否された場合、それを口実に一方的に防衛義務を果たさないこともあり得ると、ライトは米アトランティック誌に語っている。現時点では日米安全保障条約の破棄に発展するというのは飛躍があるにしても、制度的にもトランプの信条としてもあり得なくはないことは念頭に置いておくべきだろう。
「本当のトランプ」とは
選挙結果が確定した後、米CNNのトーク番組でコメンテーターの1人がこう言った。「これまでトランプはひどい発言を続けてきたが、もしかするとこれから本当のドナルド・トランプが出てくるかもしれない」
そもそも本当のドナルド・トランプとは何者か。過激な発言とは裏腹に、自身のホテルのオープニングでは気さくに振る舞い、来賓一人一人に気配りを見せていたという。そして少なくとも一般には、辣腕ビジネスマンとして自力で巨万の富を築いたことにもなっている。
しかし、本誌が報じてきたように、彼の資産総額は水増しされている可能性が高い。ビジネスで窮地に追い込まれたときは父親とそのコネにすがり、不動産帝国を拡張していく過程で多くの従業員や取引先を踏み倒したことも広く知られている。強大な権力を手にした今、国民や外国政府を同じように扱わない保証はない。
自身の経営理念やビジネスの「秘訣」を教えるという触れ込みで設立した「トランプ大学」ではペテンまがいの商法で高額な受講料をだまし取ったとして、トランプは提訴までされている。今月末に公判が予定されており、次期大統領が被告でもあるという前代未聞の事態が起きている。
気さくで、ユーモアあふれる気のいい男。自身を大きく見せ、富と名声に異常なまでの執念を燃やし、勝つためには手段を選ばない男。おそらく、どちらも本当のドナルド・トランプなのだろう。ビジネスマンとしての長年のキャリアを通じて裏で見せていた顔が彼の正体でなければ、一体何が本当のドナルド・トランプなのか。
トランプは自著『トランプ自伝──不動産王にビジネスを学ぶ』(邦訳・筑摩書房)の中で、ジミー・カーターやロナルド・レーガン両元大統領を見かけ倒しの政治家とこき下ろす前に、こう記している(英語版からの翻訳)。
「人をだまし通すことはできない。熱狂的な空気をつくり、素晴らしいプロモーションを展開し、メディアの反響を受け、少しばかりの誇張はしてもいいだろう。しかし結果を出さなければ、いずれは見透かされる」
ごもっとも。これまでのトランプの言動からすると、信じ難い文章ではある。だが、ドナルド・J・トランプは来年1月20日以降、ホワイトハウスの新たな主として、自身の言葉によって試されることになる。
ニューズウィーク日本版
2016年11月22日号
「総力特集:ドナルド・トランプの世界」
CCCメディアハウス
【参考記事】ニューストピックス:トランプのアメリカ
[2016.11.22号掲載]
横田 孝(本誌編集長)