<流行りの表現を借りれば「しくじり先生」。アルコール依存やドラッグ依存に苦しんだアメリカの人気作家、オーガステン・バロウズが自己啓発書を書いた。「自分を憐れむには」「癒えないままで生きるには」「子供を先立たせるには」など、体験に裏打ちされた重みのあるバロウズ流アドバイスとは>
父親はアルコール依存症、母親は統合失調症。12歳で保護者を失い、アルコール依存とドラッグ依存に苦しんだ末に、若き日々の特異な体験(年上男性との関係を含む......著者はゲイだ)を赤裸々に綴った回想録で一躍、時の人となる――。「まるで映画のような」という決まり文句が見事に当てはまるのが、オーガステン・バロウズの半生だ。
実に3年にわたってニューヨーク・タイムズのベストセラーリストにラインクインした回想録「Running with Scissors」(邦訳『ハサミを持って突っ走る』バジリコ刊)は、もちろん映画化された。日本で劇場公開されなかったのは、興行的にうまくいかなかったからなのか、それとも内容的に日本人にはヘビーすぎると判断されたのか、それはわからない。
いずれにせよバロウズは、アメリカで人気作家としての地位を確立し、その後も立て続けに新刊を発表。いくつかの作品はベストセラーの上位につけ、タイム誌やピープル誌で特集が組まれるほどの有名人になった。とくに、独特の"バロウズ語録"が多くのアメリカ人の心に響いているらしく、小説やミュージックビデオ、トーク番組などで頻繁に引用されているという。
だれにでも不幸は降りかかる
そんな人物が自己啓発書を書いたら、どうなるか。前述のようなバロウズの背景を知ると、暗い過去を乗り越えて、身も心も素晴らしい好人物になった著者が、読む人に勇気を与え、鼓舞し、激励するような"名言"がちりばめられた本だろう、と想像する......ふつうは。
だが、『これが答えだ!――人生の難題をことごとく乗り越える方法』(永井二菜訳、CCCメディアハウス)の目次に目を通した時点で、どうやらふつうではないらしいと気づく。
6 自分を憐れむには
8 失敗するには
13 癒えないままで生きるには
21 末長く不幸せに暮らすには
これほどネガティブなハウツーが並んだ自己啓発書があるだろうか。もっとすごい項目もある。
12 人生を終わらせるには
26 子供を先立たせるには
言うまでもなく、バロウズはこれらを積極的に勧めているわけではない。だが、どれも人生のなかで当然起こり得ることだ。人はだれでも失敗するし、いつまでも癒えない傷もあるし、毎年80万人以上が自ら命を絶っている(WHO推計)。そして、不幸にも子供に先立たれる親は数多くいる。
だからこそ、目を背けるのではなく、あるいは「自分には絶対に起こらない」と根拠なく言い聞かせるのでもなく、いざこうした難題にぶつかったときにどうすべきなのかを知っておこうじゃないか。たいていの不幸はひととおり経験済みの俺が、その答えを教えてやるよ――というのが、この本のコンセプトだ。
バロウズは、苦境をバネにして成功した人が言いがちな「あなたにもできる」とか「夢をあきらめるな」などといった綺麗事は決して言わない。それどころか、「夢をあきらめるな」と激励するのは(人によっては)いじめだ、とさえ言っている。だれもが見ようとしない真実を突き、あえて言おうとしない本音を堂々と言ってのける。
【参考記事】良い人生とは何か、ハーバード75年間の研究の成果/wildest dreams(無謀な夢)
そんな彼が真っ向から否定しているのが、アファメーション(ポジティブな自己宣言)だ。「私は人に好かれている」と自分に言い聞かせていれば、自然と自信がついてそういう人物になれるとか、もっと簡単な例を挙げると、笑顔を作ると気分が明るくなる、というのもある。
バロウズは、これを「ウソっぱち」と斬り捨てている。「自分に対する裏切り行為」だと。なぜなら、気分を上向きにしたいのであれば、重要なのは「何より上向きにしたいか」を認識することだからだ。そして、その答えは「いまより」であるはず。つまり、いまがネガティブな状態であること(自分は人に好かれていない)を自覚してはじめて、そこから上向きになる道を見いだせるのだ。
ネガティブな面に背を向けず、堂々とそれを受け入れろ。そのほうがずっと気分が楽になるし、「じゃあ、どうしようか」と考える気にもなる。なあ、そう思わないか?――これがバロウズ流だ。
経験者の言葉ほど価値のある教訓はない
世の自己啓発書の真逆をいく、という点以外にも、この本にはバロウズならではの特徴がある。実は、そちらのほうが強烈な魅力なのかもしれないが、ほとんどの項目がバロウズ自身の実体験をもとに語られているのだ(「26 子供を先立たせるには」など例外はある)。
13歳から20年以上もタバコを吸っていた彼に言わせると、「禁煙は信じられないほど簡単だ」。ただし、「ただ辛かった。辛いという〈だけ〉だった」(「17 禁煙するには」)。またバロウズは、死にかけるほどのアルコール依存だった。命か酒のどちらを取るか迫られたときも、彼は酒を選んだ。だが、それから今日にいたる13年間は「ただの一度も飲みたいと思ったことはない」らしい。
「12 人生を終わらせるには」について言えば、もちろん彼は命を絶ってはいない。だが、かなり寸前のところまでは行ったらしい。そして、気づいた。命を絶つことだけが人生を終わらせる方法ではない、ということに。そうして実際、彼はそれまでの人生に終止符を打ち、「オーガステン・バロウズ」という新たな別の人生を生きることにした(彼は18歳で改名している)。
なんだ、名前を変えるだけか......と思うかもしれない。ふつうの著者が書いた本なら、その反応が当然だ。大して苦労していなさそうなコーチだのメンタルトレーナーだのが書いた本なら、壁に投げつけたくなるかもしれない。でも、バロウズの言葉には重みがある。言葉そのものというよりも、彼の体験が重く、暗く、そして深い。その世界をのぞいた人でなければ醸し出せない説得力があるのだ。
何事も、経験者の言葉ほど価値のある教訓はない。不幸のエキスパートから学んでおけば、ある日突然、自分の身になんらかの不幸が降りかかってきても絶望することなく、なんとか生きていける。
ネガティブなままで生きていく
暗い話ばかりではない。「4 究極のダイエットとは」「9 面接に強くなるには」といった項目のほか、「3 運命の人と出会うには」など恋愛について語った内容もいくつかある(「20 愛情と暴力を見分けるには」というのもあるが)。
バロウズの人生もそうだ。彼はいま素敵なパートナーと巡り会い、執筆だけでなく多方面で活躍し、充実した人生を送っている。でもそれは、彼がめげずに「幸せ」を追い求めたからではなく、幸せをあきらめたからだ。自分は「幸せ体質」ではないと気づき、幸せでなくても問題ないことを理解したからこそ手に入れられた結果だ(「21 末長く不幸せに暮らすには」)。
「幸せになりたい」という願望は、だれもが当然のようにもっている人類共通の願いだと思われている。さらに現代では、「幸せにならなくてはいけない」という強迫観念に近いものすら感じられる。だが、「幸せではない」ことと「不幸」は必ずしもイコールではないのだ。
【参考記事】ポジティブ思考信仰の危険な落とし穴
世界一の超大国、アメリカ。その国の人々が、実は多くの不満を内に秘め、未来に大いなる不安を抱いていることは、いまや世界中に知れ渡った。ポジティブに、前向きに、自分に自信をもって......そう念じ続けたところで、不満や不安がすべて消え去ってしまうわけではないのだ。自分がネガティブな状態であることを受け入れれば、同時に、何がポジティブなのかを知ることにつながる。
これまで多くの自己啓発書を読んで、それらを実践してきたけれど、どうもうまくいっていない、何かが違う気がする......と思い悩んでいる人に、バロウズは新しい視点を与えてくれる。要するに、そういう人は「ポジティブが向いていない」ということだから。
『これが答えだ
――人生の難題をことごとく乗り越える方法』
オーガステン・バロウズ 著
永井二菜 訳
CCCメディアハウス
ニューズウィーク日本版ウェブ編集部
父親はアルコール依存症、母親は統合失調症。12歳で保護者を失い、アルコール依存とドラッグ依存に苦しんだ末に、若き日々の特異な体験(年上男性との関係を含む......著者はゲイだ)を赤裸々に綴った回想録で一躍、時の人となる――。「まるで映画のような」という決まり文句が見事に当てはまるのが、オーガステン・バロウズの半生だ。
実に3年にわたってニューヨーク・タイムズのベストセラーリストにラインクインした回想録「Running with Scissors」(邦訳『ハサミを持って突っ走る』バジリコ刊)は、もちろん映画化された。日本で劇場公開されなかったのは、興行的にうまくいかなかったからなのか、それとも内容的に日本人にはヘビーすぎると判断されたのか、それはわからない。
いずれにせよバロウズは、アメリカで人気作家としての地位を確立し、その後も立て続けに新刊を発表。いくつかの作品はベストセラーの上位につけ、タイム誌やピープル誌で特集が組まれるほどの有名人になった。とくに、独特の"バロウズ語録"が多くのアメリカ人の心に響いているらしく、小説やミュージックビデオ、トーク番組などで頻繁に引用されているという。
だれにでも不幸は降りかかる
そんな人物が自己啓発書を書いたら、どうなるか。前述のようなバロウズの背景を知ると、暗い過去を乗り越えて、身も心も素晴らしい好人物になった著者が、読む人に勇気を与え、鼓舞し、激励するような"名言"がちりばめられた本だろう、と想像する......ふつうは。
だが、『これが答えだ!――人生の難題をことごとく乗り越える方法』(永井二菜訳、CCCメディアハウス)の目次に目を通した時点で、どうやらふつうではないらしいと気づく。
6 自分を憐れむには
8 失敗するには
13 癒えないままで生きるには
21 末長く不幸せに暮らすには
これほどネガティブなハウツーが並んだ自己啓発書があるだろうか。もっとすごい項目もある。
12 人生を終わらせるには
26 子供を先立たせるには
言うまでもなく、バロウズはこれらを積極的に勧めているわけではない。だが、どれも人生のなかで当然起こり得ることだ。人はだれでも失敗するし、いつまでも癒えない傷もあるし、毎年80万人以上が自ら命を絶っている(WHO推計)。そして、不幸にも子供に先立たれる親は数多くいる。
だからこそ、目を背けるのではなく、あるいは「自分には絶対に起こらない」と根拠なく言い聞かせるのでもなく、いざこうした難題にぶつかったときにどうすべきなのかを知っておこうじゃないか。たいていの不幸はひととおり経験済みの俺が、その答えを教えてやるよ――というのが、この本のコンセプトだ。
バロウズは、苦境をバネにして成功した人が言いがちな「あなたにもできる」とか「夢をあきらめるな」などといった綺麗事は決して言わない。それどころか、「夢をあきらめるな」と激励するのは(人によっては)いじめだ、とさえ言っている。だれもが見ようとしない真実を突き、あえて言おうとしない本音を堂々と言ってのける。
【参考記事】良い人生とは何か、ハーバード75年間の研究の成果/wildest dreams(無謀な夢)
そんな彼が真っ向から否定しているのが、アファメーション(ポジティブな自己宣言)だ。「私は人に好かれている」と自分に言い聞かせていれば、自然と自信がついてそういう人物になれるとか、もっと簡単な例を挙げると、笑顔を作ると気分が明るくなる、というのもある。
バロウズは、これを「ウソっぱち」と斬り捨てている。「自分に対する裏切り行為」だと。なぜなら、気分を上向きにしたいのであれば、重要なのは「何より上向きにしたいか」を認識することだからだ。そして、その答えは「いまより」であるはず。つまり、いまがネガティブな状態であること(自分は人に好かれていない)を自覚してはじめて、そこから上向きになる道を見いだせるのだ。
ネガティブな面に背を向けず、堂々とそれを受け入れろ。そのほうがずっと気分が楽になるし、「じゃあ、どうしようか」と考える気にもなる。なあ、そう思わないか?――これがバロウズ流だ。
経験者の言葉ほど価値のある教訓はない
世の自己啓発書の真逆をいく、という点以外にも、この本にはバロウズならではの特徴がある。実は、そちらのほうが強烈な魅力なのかもしれないが、ほとんどの項目がバロウズ自身の実体験をもとに語られているのだ(「26 子供を先立たせるには」など例外はある)。
13歳から20年以上もタバコを吸っていた彼に言わせると、「禁煙は信じられないほど簡単だ」。ただし、「ただ辛かった。辛いという〈だけ〉だった」(「17 禁煙するには」)。またバロウズは、死にかけるほどのアルコール依存だった。命か酒のどちらを取るか迫られたときも、彼は酒を選んだ。だが、それから今日にいたる13年間は「ただの一度も飲みたいと思ったことはない」らしい。
「12 人生を終わらせるには」について言えば、もちろん彼は命を絶ってはいない。だが、かなり寸前のところまでは行ったらしい。そして、気づいた。命を絶つことだけが人生を終わらせる方法ではない、ということに。そうして実際、彼はそれまでの人生に終止符を打ち、「オーガステン・バロウズ」という新たな別の人生を生きることにした(彼は18歳で改名している)。
なんだ、名前を変えるだけか......と思うかもしれない。ふつうの著者が書いた本なら、その反応が当然だ。大して苦労していなさそうなコーチだのメンタルトレーナーだのが書いた本なら、壁に投げつけたくなるかもしれない。でも、バロウズの言葉には重みがある。言葉そのものというよりも、彼の体験が重く、暗く、そして深い。その世界をのぞいた人でなければ醸し出せない説得力があるのだ。
何事も、経験者の言葉ほど価値のある教訓はない。不幸のエキスパートから学んでおけば、ある日突然、自分の身になんらかの不幸が降りかかってきても絶望することなく、なんとか生きていける。
ネガティブなままで生きていく
暗い話ばかりではない。「4 究極のダイエットとは」「9 面接に強くなるには」といった項目のほか、「3 運命の人と出会うには」など恋愛について語った内容もいくつかある(「20 愛情と暴力を見分けるには」というのもあるが)。
バロウズの人生もそうだ。彼はいま素敵なパートナーと巡り会い、執筆だけでなく多方面で活躍し、充実した人生を送っている。でもそれは、彼がめげずに「幸せ」を追い求めたからではなく、幸せをあきらめたからだ。自分は「幸せ体質」ではないと気づき、幸せでなくても問題ないことを理解したからこそ手に入れられた結果だ(「21 末長く不幸せに暮らすには」)。
「幸せになりたい」という願望は、だれもが当然のようにもっている人類共通の願いだと思われている。さらに現代では、「幸せにならなくてはいけない」という強迫観念に近いものすら感じられる。だが、「幸せではない」ことと「不幸」は必ずしもイコールではないのだ。
【参考記事】ポジティブ思考信仰の危険な落とし穴
世界一の超大国、アメリカ。その国の人々が、実は多くの不満を内に秘め、未来に大いなる不安を抱いていることは、いまや世界中に知れ渡った。ポジティブに、前向きに、自分に自信をもって......そう念じ続けたところで、不満や不安がすべて消え去ってしまうわけではないのだ。自分がネガティブな状態であることを受け入れれば、同時に、何がポジティブなのかを知ることにつながる。
これまで多くの自己啓発書を読んで、それらを実践してきたけれど、どうもうまくいっていない、何かが違う気がする......と思い悩んでいる人に、バロウズは新しい視点を与えてくれる。要するに、そういう人は「ポジティブが向いていない」ということだから。
『これが答えだ
――人生の難題をことごとく乗り越える方法』
オーガステン・バロウズ 著
永井二菜 訳
CCCメディアハウス
ニューズウィーク日本版ウェブ編集部