<もしもヒラリーが大統領選で勝利していたら、中国にとっては「傲慢不遜な相手」だったかもしれない。一方、トランプと中国には思考方法で共通するところもあり、中国にとって「与しやすい相手」だろう> (写真:2010年撮影)
振り返れば、今回、アメリカで見た大統領選挙の模様はすさまじかった。11月8日午後8時(アメリカ東部時間)に始まったテレビ各局の開票速報は、時間とともに熱を帯び、刻一刻と移り変わる熾烈な戦いを午前3時まで報道しつづけた。
結果はご存知のとおり、アメリカだけでなく世界中の大方の予想を覆して、ドナルド・トランプ候補がヒラリー・クリントン候補を制して、次期アメリカ大統領に確定した。その瞬間、信じられない現実に呆然とする人、驚愕に満ちた眼差しを向ける人がいる一方で、熱狂する人波に囲まれて勝利宣言をするトランプ候補自身、心なしか不安そうな表情を浮かべていたのが印象的だった。
だが、ニューヨークの金融界の専門家たちは、かなりのところ、この結果を予想していたようだ。
ウォール街で長年金融に携わってきた人々の間には、ヒラリー・クリントンと直に接した経験から、彼女の強引な手腕に悩まされ、金に執着心の強い性格に辟易していた金融マンが少なくなかったらしい。ヒラリー候補の「メール問題」では、ウォール街から多額の裏金を巻き上げていたという疑惑がもたれたが、ウォール街ではもはや既成事実であり、「あいつほど金に汚い政治家はいない!」と、公然と口にして憚らない人もいたほどだ。選挙戦の終盤になって「メール問題」が再浮上し、ヒラリー候補の支持率を押し下げた背景には、共和党による水面下の工作だけに止まらず、複合的な作用が働いていたのではないだろうか。
【参考記事】元大手銀行重役「それでも私はトランプに投票する」
熾烈だったアメリカ大統領選挙の様子を、中国はどう見ていたのだろうか。
ヒラリー・クリントンが初めて中国を訪問したのは1995年9月、第4回「世界女性会議(World Conference on Women)」に出席するため、クリントン大統領夫人としての「ファースト・レディ外交」だった。中国は彼女を歓迎し、厚遇した。次いで1998年、クリントン大統領夫妻はアメリカ企業の代表1000人以上を引き連れて訪問し、中国各地を巡って米中ビジネスの音頭取りを行い、中国側の協力の下で無数の契約を成立させた。
それ以来、クリントン一家の中国びいきは衆目の知るところとなった。アメリカの一部報道で、1997年に「クリントン大統領が中国から賄賂をもらった」と報じられたとき、私は香港取材中で、たまたま出会った香港財界の有力者のひとりに真偽を確かめてみた。
「ああ、あれはクリントン大統領の誕生日パーティーに招かれたので、お祝いのためにプレゼントしただけだよ!」
ことも無げに口にするその財界人の横顔には、中国経済を支える香港の財界人としての自信と余裕が漂っていた。
もっとも、2012年に発生した米中間の政治事件「陳光誠事件」は、オバマ政権の国務長官に就任したヒラリーの強面の一面も示した。ヒラリー・クリントン国務長官がたまたま訪中した折に遭遇したこの事件で、彼女は中国国内で軟禁状態にあった盲目の人権活動家・陳光誠氏をアメリカ大使館内に保護し、外交取引の末に、ユナイテッド航空をチャーターして、彼を家族ともどもアメリカへ避難させたのだ。中国政府にとっては苦々しい記憶だ。
今回、もしヒラリー候補が大統領選で勝利していたら、中国にとっては「金に執着心の強い、傲慢不遜な相手」と映り、今後の米中関係は硬化していたかもしれない。
中国では墓地をつぶす例が後を絶たない
では、トランプ候補のほうは、中国の目にどう映っていたのだろうか。
アメリカでも選挙期間中に物議をかもしたように、トランプ候補が清廉潔白であるというわけではない。数々の企業を経営するトランプ氏が、あの手この手で節税対策を講じて税金逃れをし、あるいはまったく税金を払っていなかったと報じる新聞もあった。
中国にとって、ビジネスで大成功したトランプ氏が、これまで培ったビジネス感覚を発揮して、政治の分野でも「利益重視」の姿勢で国家政策を決断してくれるならば、こんなに「与しやすい相手」もいないだろう。経済大国・中国にとっても「儲け話」は共通目的で、たとえ利害が対立しても、トランプ氏の思考パターンが読みやすく、対処法も簡単にみつかるからである。
【参考記事】辛口風刺画・中国的本音:「中国の夢」vs「アメリカの夢」の勝者は?
それにしても、選挙戦の直後、私はふと思い出した。2年前に見たトランプ氏のテレビ番組である。トランプ氏が、自分の所有するゴルフ場を案内しつつ、満面の笑みをたたえて、こう説明したのである。
「この石段を見てくれ。なんだと思う? 実は、これは墓石なんだ。もとは墓場だったからね!」
他人の意表をつくことばかり好んで口にするトランプ氏の言葉に、居合わせた人たちは一様に押し黙った。
「不遜」とも「傲慢」とも感じられるトランプ氏の所業だが、よく考えてみれば、墓地をつぶして、別のものを作ろうという思考方法は、中国と共通している。
経済発展著しい中国では、地方政府の肝いりで、全国の農村で工場団地を作るために農地を没収し、墓地をつぶす例が後を絶たない。土地をならし、墓石を"再利用"して石畳の道を作ったり、工場の建物の礎石にしたりするのである。かつて土葬であった土地柄ならば、遺体はコンクリートとない混ぜになり、地中深く埋没させられてしまったはずである。
トランプ氏は図太い神経の持ち主として、モラルの欠如など笑い飛ばす人間である点で、中国とよく似ているのである。今後、アメリカは中国と意気投合するか、あるいは激しく反発し合うかだが、議論百出した末に、最終的には利益を共有するような打開策を講じることになるだろう。
トランプ氏が次期アメリカ大統領に選出された直後、日本の安倍首相はいち早くニューヨークへ駆けつけて会見を実現させ、「互いに信頼関係を築いた」と自信をみなぎらせた。
互いにゴルフ好きなことから、安倍首相は50万円以上もするゴルフのドライバーをトランプ氏に贈り、お返しにゴルフ・ウェアをもらったともいう。
【参考記事】安倍トランプ会談、トランプは本当に「信頼できる指導者」か
今後、ふたりが共通の趣味であるゴルフを一緒に楽しむ機会があれば、トランプ・ゴルフ場に招待された安倍首相が、満面笑顔で墓石を踏んで歩く姿が見られるかもしれないと想像させた。
だが11月21日、トランプ次期大統領は突如、来年1月20日の大統領就任日に、環太平洋経済連携協定(TPP)から脱退することを、動画サイト「ユーチューブ」を通じて明言した。「我が国にとって災いとなりうる」という理由からだ。
このニュースは、保護主義を懸念するTPP加盟予定の各国に大きな衝撃をもたらしたが、ほんの数日前に「互いに信頼関係を築いた」と言い切った安倍首相にとっては、さらに大きな衝撃となり、裏切られたと受け取ったかもしれない。
来年以降、トランプ大統領率いるアメリカの国家戦略は、未だはっきりとは見えてこない。選挙戦で公約したことを、どの程度実施しようとするかも不確定だ。「トランプ降ろし」が背後で着々と進んでいるという話もある。
日本は、現状に一喜一憂して慌てて対処するよりも、自国の理念をしっかりと腹に据えて、揺るがぬ意志でじっくり対応すべきときではないだろうか。
[執筆者]
譚璐美(タン・ロミ)
作家、慶應義塾大学文学部訪問教授。東京生まれ、慶應義塾大学卒業、ニューヨーク在住。日中近代史を主なテーマに、国際政治、経済、文化など幅広く執筆。著書に『中国共産党を作った13人』、『日中百年の群像 革命いまだ成らず』(ともに新潮社)、『中国共産党 葬られた歴史』(文春新書)、『江青に妬まれた女――ファーストレディ王光美の人生』(NHK出版)、『ザッツ・ア・グッド・クエッション!――日米中、笑う経済最前線』(日本経済新聞社)、その他多数。新著は『帝都東京を中国革命で歩く』(白水社)。
譚璐美(作家、慶應義塾大学文学部訪問教授)
振り返れば、今回、アメリカで見た大統領選挙の模様はすさまじかった。11月8日午後8時(アメリカ東部時間)に始まったテレビ各局の開票速報は、時間とともに熱を帯び、刻一刻と移り変わる熾烈な戦いを午前3時まで報道しつづけた。
結果はご存知のとおり、アメリカだけでなく世界中の大方の予想を覆して、ドナルド・トランプ候補がヒラリー・クリントン候補を制して、次期アメリカ大統領に確定した。その瞬間、信じられない現実に呆然とする人、驚愕に満ちた眼差しを向ける人がいる一方で、熱狂する人波に囲まれて勝利宣言をするトランプ候補自身、心なしか不安そうな表情を浮かべていたのが印象的だった。
だが、ニューヨークの金融界の専門家たちは、かなりのところ、この結果を予想していたようだ。
ウォール街で長年金融に携わってきた人々の間には、ヒラリー・クリントンと直に接した経験から、彼女の強引な手腕に悩まされ、金に執着心の強い性格に辟易していた金融マンが少なくなかったらしい。ヒラリー候補の「メール問題」では、ウォール街から多額の裏金を巻き上げていたという疑惑がもたれたが、ウォール街ではもはや既成事実であり、「あいつほど金に汚い政治家はいない!」と、公然と口にして憚らない人もいたほどだ。選挙戦の終盤になって「メール問題」が再浮上し、ヒラリー候補の支持率を押し下げた背景には、共和党による水面下の工作だけに止まらず、複合的な作用が働いていたのではないだろうか。
【参考記事】元大手銀行重役「それでも私はトランプに投票する」
熾烈だったアメリカ大統領選挙の様子を、中国はどう見ていたのだろうか。
ヒラリー・クリントンが初めて中国を訪問したのは1995年9月、第4回「世界女性会議(World Conference on Women)」に出席するため、クリントン大統領夫人としての「ファースト・レディ外交」だった。中国は彼女を歓迎し、厚遇した。次いで1998年、クリントン大統領夫妻はアメリカ企業の代表1000人以上を引き連れて訪問し、中国各地を巡って米中ビジネスの音頭取りを行い、中国側の協力の下で無数の契約を成立させた。
それ以来、クリントン一家の中国びいきは衆目の知るところとなった。アメリカの一部報道で、1997年に「クリントン大統領が中国から賄賂をもらった」と報じられたとき、私は香港取材中で、たまたま出会った香港財界の有力者のひとりに真偽を確かめてみた。
「ああ、あれはクリントン大統領の誕生日パーティーに招かれたので、お祝いのためにプレゼントしただけだよ!」
ことも無げに口にするその財界人の横顔には、中国経済を支える香港の財界人としての自信と余裕が漂っていた。
もっとも、2012年に発生した米中間の政治事件「陳光誠事件」は、オバマ政権の国務長官に就任したヒラリーの強面の一面も示した。ヒラリー・クリントン国務長官がたまたま訪中した折に遭遇したこの事件で、彼女は中国国内で軟禁状態にあった盲目の人権活動家・陳光誠氏をアメリカ大使館内に保護し、外交取引の末に、ユナイテッド航空をチャーターして、彼を家族ともどもアメリカへ避難させたのだ。中国政府にとっては苦々しい記憶だ。
今回、もしヒラリー候補が大統領選で勝利していたら、中国にとっては「金に執着心の強い、傲慢不遜な相手」と映り、今後の米中関係は硬化していたかもしれない。
中国では墓地をつぶす例が後を絶たない
では、トランプ候補のほうは、中国の目にどう映っていたのだろうか。
アメリカでも選挙期間中に物議をかもしたように、トランプ候補が清廉潔白であるというわけではない。数々の企業を経営するトランプ氏が、あの手この手で節税対策を講じて税金逃れをし、あるいはまったく税金を払っていなかったと報じる新聞もあった。
中国にとって、ビジネスで大成功したトランプ氏が、これまで培ったビジネス感覚を発揮して、政治の分野でも「利益重視」の姿勢で国家政策を決断してくれるならば、こんなに「与しやすい相手」もいないだろう。経済大国・中国にとっても「儲け話」は共通目的で、たとえ利害が対立しても、トランプ氏の思考パターンが読みやすく、対処法も簡単にみつかるからである。
【参考記事】辛口風刺画・中国的本音:「中国の夢」vs「アメリカの夢」の勝者は?
それにしても、選挙戦の直後、私はふと思い出した。2年前に見たトランプ氏のテレビ番組である。トランプ氏が、自分の所有するゴルフ場を案内しつつ、満面の笑みをたたえて、こう説明したのである。
「この石段を見てくれ。なんだと思う? 実は、これは墓石なんだ。もとは墓場だったからね!」
他人の意表をつくことばかり好んで口にするトランプ氏の言葉に、居合わせた人たちは一様に押し黙った。
「不遜」とも「傲慢」とも感じられるトランプ氏の所業だが、よく考えてみれば、墓地をつぶして、別のものを作ろうという思考方法は、中国と共通している。
経済発展著しい中国では、地方政府の肝いりで、全国の農村で工場団地を作るために農地を没収し、墓地をつぶす例が後を絶たない。土地をならし、墓石を"再利用"して石畳の道を作ったり、工場の建物の礎石にしたりするのである。かつて土葬であった土地柄ならば、遺体はコンクリートとない混ぜになり、地中深く埋没させられてしまったはずである。
トランプ氏は図太い神経の持ち主として、モラルの欠如など笑い飛ばす人間である点で、中国とよく似ているのである。今後、アメリカは中国と意気投合するか、あるいは激しく反発し合うかだが、議論百出した末に、最終的には利益を共有するような打開策を講じることになるだろう。
トランプ氏が次期アメリカ大統領に選出された直後、日本の安倍首相はいち早くニューヨークへ駆けつけて会見を実現させ、「互いに信頼関係を築いた」と自信をみなぎらせた。
互いにゴルフ好きなことから、安倍首相は50万円以上もするゴルフのドライバーをトランプ氏に贈り、お返しにゴルフ・ウェアをもらったともいう。
【参考記事】安倍トランプ会談、トランプは本当に「信頼できる指導者」か
今後、ふたりが共通の趣味であるゴルフを一緒に楽しむ機会があれば、トランプ・ゴルフ場に招待された安倍首相が、満面笑顔で墓石を踏んで歩く姿が見られるかもしれないと想像させた。
だが11月21日、トランプ次期大統領は突如、来年1月20日の大統領就任日に、環太平洋経済連携協定(TPP)から脱退することを、動画サイト「ユーチューブ」を通じて明言した。「我が国にとって災いとなりうる」という理由からだ。
このニュースは、保護主義を懸念するTPP加盟予定の各国に大きな衝撃をもたらしたが、ほんの数日前に「互いに信頼関係を築いた」と言い切った安倍首相にとっては、さらに大きな衝撃となり、裏切られたと受け取ったかもしれない。
来年以降、トランプ大統領率いるアメリカの国家戦略は、未だはっきりとは見えてこない。選挙戦で公約したことを、どの程度実施しようとするかも不確定だ。「トランプ降ろし」が背後で着々と進んでいるという話もある。
日本は、現状に一喜一憂して慌てて対処するよりも、自国の理念をしっかりと腹に据えて、揺るがぬ意志でじっくり対応すべきときではないだろうか。
[執筆者]
譚璐美(タン・ロミ)
作家、慶應義塾大学文学部訪問教授。東京生まれ、慶應義塾大学卒業、ニューヨーク在住。日中近代史を主なテーマに、国際政治、経済、文化など幅広く執筆。著書に『中国共産党を作った13人』、『日中百年の群像 革命いまだ成らず』(ともに新潮社)、『中国共産党 葬られた歴史』(文春新書)、『江青に妬まれた女――ファーストレディ王光美の人生』(NHK出版)、『ザッツ・ア・グッド・クエッション!――日米中、笑う経済最前線』(日本経済新聞社)、その他多数。新著は『帝都東京を中国革命で歩く』(白水社)。
譚璐美(作家、慶應義塾大学文学部訪問教授)