<スー・チー率いる文民政権誕生から1年。イスラム系少数民族ロヒンギャをテロリストとして攻撃する軍が好感されている>(写真:ロヒンギャへの攻勢を強めるミャンマー軍の兵士たち)
あれは1年前だった。ミャンマー(ビルマ)の総選挙でアウン・サン・スー・チー率いる国民民主連盟(NLD)が地滑り的勝利を収めると、最大都市ヤンゴン(ラングーン)の同党本部前に詰め掛けた大勢の支持者が歓喜のダンスを踊り、旗を振った。半世紀続いた過酷な軍事政権が終わり、スー・チーが実質トップに立つ文民政権が誕生した......はずだった。
しかし今、この国を統治しているのが誰なのかはっきりしない。嫌われていた軍の人気が急上昇しているのだ。
なぜか。軍が長年悪役に仕立ててきた「敵」が再び頭をもたげ始めたからだ――現実はさておき、少なくとも人々のイメージの中では。イスラム教徒の少数民族ロヒンギャとの戦いを通じて、軍は政治的な力を取り戻しつつある。
ロヒンギャは昔から迫害を受けていて、隣国バングラデシュからの「不法移民」と決め付けられてきた(実際は、何世紀にもわたってミャンマー西部に居住してきたのだが)。最近は、テロ組織ISIS(自称イスラム国)などのイスラム過激派と関連付けられることも多い。いずれは、多数派の仏教徒を人口で上回るのではないかと恐れられてもいる。
ミャンマー軍は最近、ロヒンギャの組織的な武装反乱が起きていると主張している。その主な舞台とされるのが、バングラデシュと境界を接する西部のラカイン州だ。
先月、ラカイン州北部マウンドーの警察施設3カ所が、刀とピストルで武装した集団に襲撃された。警察官9人が死亡し、その後の戦闘でさらに兵士5人が死亡した。
【参考記事】対ミャンマー制裁、解除していいの?
軍の「でっち上げ」説も.
政府によれば、武装集団はパキスタンでイスラム原理主義勢力タリバンの訓練を受けたロヒンギャのテロリストだという。根拠とされたのは、身柄を押さえた一部の「実行犯」から(おそらく力ずくで)引き出した証言だ(スー・チーは後にこの判断を撤回した。証言者が1人にすぎず、信頼性に欠けるというのが理由だ)。
その後の軍の動きは素早く、複数の証言によれば残虐なものだった。恣意的な逮捕、村の焼き打ち、司法手続きを経ない殺害、レイプが行われたという批判が上がっている。
それ以来、当局は「イスラムの侵略」に対して警告を発し、仏教徒の民兵勢力への武器供与を約束した。
これが12年の悲劇を再現させるのではないかという懸念が高まっている。同年、ラカイン州で仏教徒の暴徒がロヒンギャの地区を襲い、集落に火を付け、大量殺戮を行った。これにより、多くのロヒンギャが避難民と化した。このときの過激な仏教徒の行動は、地元当局がたき付けたと言われている。
先月のマウンドーの事件後、ラカイン州の仏教徒たちは軍への支持を叫んで行進し、ミャンマーの有力ジャーナリストたちはロヒンギャが軍に「非協力的」だと非難した。兵士たちが丸腰のロヒンギャを撃つのを見たとニューヨーク・タイムズ紙に語った記者は、後にフェイスブック上で証言を撤回した(どのような圧力があったのかは分からないが)。
ラカイン州の州都シットウェ郊外の難民キャンプで暮らすロヒンギャのリーダー、ヌール・イスラムは、「ロヒンギャの反乱」自体が軍のでっち上げだと言う。「政府の狙いは民族浄化だ。(私たちを)痛めつけ、消し去ろうとしている」
難民キャンプのロヒンギャの人々 Soe Zeya Tun-REUTERS
軍のでっち上げを裏付ける証拠はない。しかし、非営利の人権監視団体フォーティファイ・ライツの創設者であるマシュー・スミスによれば、「軍がこの状況を利用して、自分たちに好意的な感情を高めようとしていることは間違いない」。
文民政権も軍を黙認?
襲撃事件への対応で軍の人気が高まっているのを尻目に、目立った対応をしていない文民政権はいかにも無能に見える。実質トップのスー・チー(役職は国家顧問兼外相)も、彼女の側近として大統領を務めるティン・チョーもラカイン州を訪れていない。
「ミャンマーには2つの政府が存在している。文民政権と軍事政権だ」と、国際NGO「人権のための医師団」のウィドニー・ブラウンは言う。国防省や内務省、警察、移民・人口問題省といった重要機関は、今も軍が押さえているのが現状だ。
「国境地帯では軍の影響力が強い」と、ブラウンは言う。「そこへもって反乱への不安が高まっているため、ラカイン州北部は文民政権ではなく軍のコントロール下にある」
それでも、マウンドーの事件の前は、文民主導で平和に向けた動きが前進しつつあった。文民政権は軍の強硬な抵抗に遭いながらも、ラカイン州の宗教対立に関する諮問委員会の設置にこぎ着けた。コフィ・アナン前国連事務総長を委員長とする同委員会は、同州で現地調査を実施し、来年後半に諮問を答申することになっている。
【参考記事】ミャンマー新政権も「人権」は期待薄
その雲行きが怪しくなってきた。「アナンを委員長に起用したのは、人権侵害に光を当てて、何らかの和解の環境を整えようという意図だったが」と、ブラウンは説明する。「委員会が影響力を持つ可能性は、もともと限られていた。あくまでも諮問機関にすぎないし、最近のラカイン州の動向により、委員会が成果を上げるチャンスが失われた恐れがある」
文民政権が軍に対して無力だという可能性以上に気掛かりなのは、文民政権が軍の行動に暗黙の了解を与えている可能性があることだ。スー・チーがロヒンギャについてどう考えているかは誰も分からないが、問題解決に動いていないとして批判されていることは間違いない。
襲撃事件の後に国営メディアは、軍による人権侵害が横行しているという「でっち上げ」の批判を厳しく非難する意見記事を掲載。民間のジャーナリストたちがテロリストと「グルになっている」と糾弾した。国営メディアを管轄する通信・情報技術省は、文民政権の影響下にある政府機関だ。
大統領府のゾー・テイ報道官はフェイスブックで、英字紙ミャンマー・タイムズの記者を名指しで批判した。軍によるレイプ疑惑を報じた女性記者だ。その後、記者は解雇されたが(軍事政権時代からの高官である同報道官が同社に直接電話を入れたとされる)、スー・チーの指示で職にとどまることになった。
最近、同報道官は内輪の席で、ラカイン州のロヒンギャをめぐる問題について政府と軍は「協力している」と述べた。「両者の方針は同じだ」
From Foreign Policy Magazine
[2016.11.29号掲載]
ボビー・マクファーソン
あれは1年前だった。ミャンマー(ビルマ)の総選挙でアウン・サン・スー・チー率いる国民民主連盟(NLD)が地滑り的勝利を収めると、最大都市ヤンゴン(ラングーン)の同党本部前に詰め掛けた大勢の支持者が歓喜のダンスを踊り、旗を振った。半世紀続いた過酷な軍事政権が終わり、スー・チーが実質トップに立つ文民政権が誕生した......はずだった。
しかし今、この国を統治しているのが誰なのかはっきりしない。嫌われていた軍の人気が急上昇しているのだ。
なぜか。軍が長年悪役に仕立ててきた「敵」が再び頭をもたげ始めたからだ――現実はさておき、少なくとも人々のイメージの中では。イスラム教徒の少数民族ロヒンギャとの戦いを通じて、軍は政治的な力を取り戻しつつある。
ロヒンギャは昔から迫害を受けていて、隣国バングラデシュからの「不法移民」と決め付けられてきた(実際は、何世紀にもわたってミャンマー西部に居住してきたのだが)。最近は、テロ組織ISIS(自称イスラム国)などのイスラム過激派と関連付けられることも多い。いずれは、多数派の仏教徒を人口で上回るのではないかと恐れられてもいる。
ミャンマー軍は最近、ロヒンギャの組織的な武装反乱が起きていると主張している。その主な舞台とされるのが、バングラデシュと境界を接する西部のラカイン州だ。
先月、ラカイン州北部マウンドーの警察施設3カ所が、刀とピストルで武装した集団に襲撃された。警察官9人が死亡し、その後の戦闘でさらに兵士5人が死亡した。
【参考記事】対ミャンマー制裁、解除していいの?
軍の「でっち上げ」説も.
政府によれば、武装集団はパキスタンでイスラム原理主義勢力タリバンの訓練を受けたロヒンギャのテロリストだという。根拠とされたのは、身柄を押さえた一部の「実行犯」から(おそらく力ずくで)引き出した証言だ(スー・チーは後にこの判断を撤回した。証言者が1人にすぎず、信頼性に欠けるというのが理由だ)。
その後の軍の動きは素早く、複数の証言によれば残虐なものだった。恣意的な逮捕、村の焼き打ち、司法手続きを経ない殺害、レイプが行われたという批判が上がっている。
それ以来、当局は「イスラムの侵略」に対して警告を発し、仏教徒の民兵勢力への武器供与を約束した。
これが12年の悲劇を再現させるのではないかという懸念が高まっている。同年、ラカイン州で仏教徒の暴徒がロヒンギャの地区を襲い、集落に火を付け、大量殺戮を行った。これにより、多くのロヒンギャが避難民と化した。このときの過激な仏教徒の行動は、地元当局がたき付けたと言われている。
先月のマウンドーの事件後、ラカイン州の仏教徒たちは軍への支持を叫んで行進し、ミャンマーの有力ジャーナリストたちはロヒンギャが軍に「非協力的」だと非難した。兵士たちが丸腰のロヒンギャを撃つのを見たとニューヨーク・タイムズ紙に語った記者は、後にフェイスブック上で証言を撤回した(どのような圧力があったのかは分からないが)。
ラカイン州の州都シットウェ郊外の難民キャンプで暮らすロヒンギャのリーダー、ヌール・イスラムは、「ロヒンギャの反乱」自体が軍のでっち上げだと言う。「政府の狙いは民族浄化だ。(私たちを)痛めつけ、消し去ろうとしている」
難民キャンプのロヒンギャの人々 Soe Zeya Tun-REUTERS
軍のでっち上げを裏付ける証拠はない。しかし、非営利の人権監視団体フォーティファイ・ライツの創設者であるマシュー・スミスによれば、「軍がこの状況を利用して、自分たちに好意的な感情を高めようとしていることは間違いない」。
文民政権も軍を黙認?
襲撃事件への対応で軍の人気が高まっているのを尻目に、目立った対応をしていない文民政権はいかにも無能に見える。実質トップのスー・チー(役職は国家顧問兼外相)も、彼女の側近として大統領を務めるティン・チョーもラカイン州を訪れていない。
「ミャンマーには2つの政府が存在している。文民政権と軍事政権だ」と、国際NGO「人権のための医師団」のウィドニー・ブラウンは言う。国防省や内務省、警察、移民・人口問題省といった重要機関は、今も軍が押さえているのが現状だ。
「国境地帯では軍の影響力が強い」と、ブラウンは言う。「そこへもって反乱への不安が高まっているため、ラカイン州北部は文民政権ではなく軍のコントロール下にある」
それでも、マウンドーの事件の前は、文民主導で平和に向けた動きが前進しつつあった。文民政権は軍の強硬な抵抗に遭いながらも、ラカイン州の宗教対立に関する諮問委員会の設置にこぎ着けた。コフィ・アナン前国連事務総長を委員長とする同委員会は、同州で現地調査を実施し、来年後半に諮問を答申することになっている。
【参考記事】ミャンマー新政権も「人権」は期待薄
その雲行きが怪しくなってきた。「アナンを委員長に起用したのは、人権侵害に光を当てて、何らかの和解の環境を整えようという意図だったが」と、ブラウンは説明する。「委員会が影響力を持つ可能性は、もともと限られていた。あくまでも諮問機関にすぎないし、最近のラカイン州の動向により、委員会が成果を上げるチャンスが失われた恐れがある」
文民政権が軍に対して無力だという可能性以上に気掛かりなのは、文民政権が軍の行動に暗黙の了解を与えている可能性があることだ。スー・チーがロヒンギャについてどう考えているかは誰も分からないが、問題解決に動いていないとして批判されていることは間違いない。
襲撃事件の後に国営メディアは、軍による人権侵害が横行しているという「でっち上げ」の批判を厳しく非難する意見記事を掲載。民間のジャーナリストたちがテロリストと「グルになっている」と糾弾した。国営メディアを管轄する通信・情報技術省は、文民政権の影響下にある政府機関だ。
大統領府のゾー・テイ報道官はフェイスブックで、英字紙ミャンマー・タイムズの記者を名指しで批判した。軍によるレイプ疑惑を報じた女性記者だ。その後、記者は解雇されたが(軍事政権時代からの高官である同報道官が同社に直接電話を入れたとされる)、スー・チーの指示で職にとどまることになった。
最近、同報道官は内輪の席で、ラカイン州のロヒンギャをめぐる問題について政府と軍は「協力している」と述べた。「両者の方針は同じだ」
From Foreign Policy Magazine
[2016.11.29号掲載]
ボビー・マクファーソン