<犯罪者=在日コリアンという思考はなぜ保守論壇に広がったのか>
千葉大学医学部の学生3名が、集団で女性に暴行した容疑で千葉県警に逮捕された事件をめぐり、作家の百田尚樹氏の以下のツイッター発言が「ヘイトスピーチだ」などとして議論を呼んでいる。
千葉大医学部の学生の『集団レイプ事件』の犯人たちの名前を、県警が公表せず。犯人の学生たちは大物政治家の息子か、警察幹部の息子か、などと言われているが、私は在日外国人たちではないかという気がする。
千葉大医学部の学生の「集団レイプ事件」の犯人たちの名前を、県警が公表せず。犯人の学生たちは大物政治家の息子か、警察幹部の息子か、などと言われているが、私は在日外国人たちではないかという気がする。いずれにしても、凄腕の週刊誌記者たちなら、実名を暴くに違いないと思う。— 百田尚樹 (@hyakutanaoki) 2016年11月23日
上記をめぐり、ジャーナリストの津田大介氏が「ツイッター社は規約違反により(百田氏の)アカウントを停止するべき」などとして議論が沸騰中だ。私は、ここ数年間、嫌というほどリアル・ネットの空間の別を問わず、耳を疑うような、決して言葉にすることが憚られるような、「異形」ともいうべきヘイトスピーチを見聞してきた。よって、社会的影響力の大たるベストセラー作家の言だとしても、上記発言に特段の感慨はない。
「この程度ならまし」を憂慮する
むしろ、悲しむべきなのは、そういった直接的な「異形」のヘイトスピーチと比較して、「この程度ならまだしも穏健な方だ」と少しばかり得心してしまう自分についてである。少し前なら社会的生命を失いかねない言葉が、平然と大手を振って歩いている。百田氏云々よりも、こちらを憂慮するべきである。
百田氏曰く「特定の民族を指したものではない」云々。確かに、字だけを読むと「(犯人らは)在日外国人ではないか?」という推論に過ぎない。しかし、百田氏の日頃の発言、とくにツイッターでの文脈を読んで、その「在日外国人」を「在日コリアン」へと読み替えることはそう難しいことではない。字だけ読めば百田氏の言う通り、これは推測なのだからヘイトスピーチというよりも、むしろ単なる「思い付き」というべきであろう。
繰り返すように私は、もう何年も、ここでは書けぬようなとんでもない、在日コリアンに向けられた直接的憎悪の言葉を、何ら憚りなく、そして満面の笑みで、酒と共に歓談する人々を沢山知っているから、「それに比べれば全然マシ」と思ってしまう。
しかし、そういった「異形」に比べて「まだマシ」なのだから良い、で済んでしまうお話なのだろうか? 恐らく今回、千葉県警が現段階(11月28日)で犯人らの本名を発表しないのは、国籍ではなくてこの手の犯罪につきものの、犯状特有の因があるからであろう。しかし、県警が将来犯人らの名前を公開し、その氏名が純粋和風のものであったとしても、「(在日コリアンからの)帰化人だ」「通名である」などと、またも「犯罪者=在日コリアン説」がふって沸くことは、火を見るよりも明らかである。
単に「思い付き」を述べた百田氏に非はあるのは否めないとしても、私はなぜ、百田氏のような高名な作家が、2002年ごろから勃興してきたいわゆる「ネット右翼」界隈で定説となった「犯罪者=在日コリアン説」を垂直的にトレースするのか、の方に興味がある。なぜなら重大犯罪の逮捕者が出るたび、その氏名が公表されようとされるまいと、「犯罪者=在日コリアン説」は百田氏以外の「保守系言論人」の中にも根強く存在し、それを支持する無数の「ネット右翼」の中で動かしがたい定説になっているからだ。
(筆者注*例えば、元航空幕僚長の田母神俊雄氏がISISに拉致されたジャーナリストの後藤健二氏[後に殺害]を在日ではないかと発言したことや、「日本には韓国人の売春婦がウヨウヨいる」と発言して当時の日本維新の会から除名された西村真吾衆議院議員など。後藤さんは犯罪者ではないが、世間を悪い意味で騒がせたという文脈の中で、田母神の世界観の中では犯罪者のように語られていた)
なぜ「犯罪者=在日コリアン説」はここまで広がったのだろうか?
繰り返されてきた「犯罪者=在日コリアン説」の遠因
一言でいえばそれは、「日本人なら犯罪など犯さないはずだ」という、「美徳信仰」ともいうべき、まったく科学(統計)的根拠のない「似非神話」に基づいている。「日本人なら犯罪など犯さないはずだ」という思い込みの根本は、「日本人は高潔で、慎み深く、お互いに助け合う精神を持っている」という、根拠なき日本人礼賛の精神が存在する。
ではこの根拠なき日本人礼賛の精神はどこから来たのかというと、これは元来、いわゆる「保守論壇」が特有に持つ内向きの理屈に由来する。インターネットが普及する以前、この国の「保守論壇」は冷戦時代の「反共保守」が中心となり、そしてそれを支える支持者もまた著しく高齢化していた(現在もあまり変わらないが)。
そしてその「保守論壇」は、産経新聞と論壇誌「正論」を中心とした貴族的で、サロン的な、閉ざされた空間であった(産経・正論路線)、(参照*拙記事「温室の中の保守論壇」とヘイトスピーチ)。彼らは良い意味で喜捨の精神に優れ、そして高齢者が主体だから肉体言語から遠く、そしてその動作は緩慢かつ温和であった。当然、そういったある種の高級サロンの中で観測される人々は、思慮深く温順な日本人であり、暴力や犯罪から最も遠い。
よって「保守論壇」とそれを支える支持者たちに、「日本人は高潔で、慎み深く、お互いに助け合う精神を持っている」という、根拠なき日本人礼賛の精神が涵養されていく。私はこれを「凛として美しく路線」と命名しているが、当然そういったサロンの中にいる人は皆温順なのだから、日本人全部が自分たちと同じ風に違いない、と思い込む傾向が、いわゆる「保守」とか「右派」の中に前提的に存在するのである。
その、冷戦時代に形成された「凛として美しく路線」がインターネット時代になり、ネット右翼にそのまま伝播した結果が、現在なのである。そういった、「保守」とか「右派」の中に前提的に存在する気風、つまり「日本人は犯罪など侵さない」という根拠なき信仰が残存するからこそ、「犯罪者=在日コリアン説」が生まれる。百田氏は単にこれをトレースしているに過ぎない。百田氏は、「保守」とか「右派」の中に構造的に存在する背景をトレースしたにすぎず、繰り返すようにそれですらまだ「比較的穏健なほう」なのである。
強者であるが故の想像力の欠如
先にいわゆる「保守論壇」とそれを支える人々が、"貴族的で、サロン的な閉ざされた空間"の中にいると書いた。それはインターネット時代になり、その「保守論壇」にネット右翼が寄生する現在になっても、いささかも変わることはない。「ネット右翼は社会的弱者だ」という人が未だにいるが、「ネット右翼の平均像は中産階級、大卒が多く、40歳前後の男性」というのが、私の調査と経験を元にした実相である。
現在、「保守(論壇)」「右派」「ネット右翼」の三者が混然一体となっているので、上記の平均像はこの三者すべてに特有のものである。「保守系読者層」や「保守系政治集会への参加者」に限ると、その年齢層はもっと高くなる(+20歳以上)かもしれない。
ともあれ、保守も、右派も、ネット右翼も、貧困に無縁な比較的富裕な「社会的強者」だからこそ(参照*拙記事「ネトウヨ」は社会的弱者ではない。だからこそ、根が深い。)、「日本人なら犯罪など犯さないはずだ」という結論に至っていく。自分の周りが同じような社会階層ばかりなので、犯罪傾向とは無縁で、日本国内の重大犯罪はどこか海外で起こっているかのような距離感がある。
だから彼らは、肉体言語を忌避し、「タトゥー見せびらかし」などを「しばき隊」「SEALDs」などに繋げて揶揄し、いわゆる「反社会的傾向」を持つものをことさら禁忌する。すべての因は、彼らがそういった犯罪傾向とは無縁の「善良」な中産階級だからだ。よく言えばそれは「育ちの良い人」で、悪く言えば「だからこそ想像力を欠く」といえる。
私は百田氏とわずかだが面識を有するが、実に"温厚な紳士"という印象を持った。その優しい、飾らない関西弁には非常に親しみを覚えたほどである。しかしだからこそ、もしかすると想像力が足らなかったのかもしれない。百田氏のツイッターアカウントを停止せよ、という声に従えば、「百田氏以上に過激な」おそらく100万とか200万アカウントの停止が必要だろう。そんなことが現実的だろうか?
今回の「ヘイトスピーチ」騒動は百田氏の個人的資質に還元されるのではなく、いわゆる「保守」とか「右派」の、「保守界隈」全般が前提的に有する貴族的で閉鎖的な体質を背景にしたものである、というところまで視座を広げなければ、批難の応酬以上の進歩はないであろう。
参考記事*千葉大生集団乱暴 百田尚樹氏がツイッターで「在日外国人ではないか」とツイート 津田大介氏「この人のアカウントを削除すべき」(11月27日、産経新聞)
※当記事はYahoo!ニュース 個人からの転載です。
[執筆者]
古谷経衡(ふるやつねひら)文筆家。1982年北海道生まれ。立命館大文学部卒。日本ペンクラブ正会員、NPO法人江東映像文化振興事業団理事長。主な著書に「草食系のための対米自立論」(小学館)、「ヒトラーはなぜ猫が嫌いだったのか」(コアマガジン)、「左翼も右翼もウソばかり」(新潮社)、「ネット右翼の終わり」(晶文社)、「戦後イデオロギーは日本人を幸せにしたか」(イーストプレス)など多数。
古谷経衡(文筆家)
千葉大学医学部の学生3名が、集団で女性に暴行した容疑で千葉県警に逮捕された事件をめぐり、作家の百田尚樹氏の以下のツイッター発言が「ヘイトスピーチだ」などとして議論を呼んでいる。
千葉大医学部の学生の『集団レイプ事件』の犯人たちの名前を、県警が公表せず。犯人の学生たちは大物政治家の息子か、警察幹部の息子か、などと言われているが、私は在日外国人たちではないかという気がする。
千葉大医学部の学生の「集団レイプ事件」の犯人たちの名前を、県警が公表せず。犯人の学生たちは大物政治家の息子か、警察幹部の息子か、などと言われているが、私は在日外国人たちではないかという気がする。いずれにしても、凄腕の週刊誌記者たちなら、実名を暴くに違いないと思う。— 百田尚樹 (@hyakutanaoki) 2016年11月23日
上記をめぐり、ジャーナリストの津田大介氏が「ツイッター社は規約違反により(百田氏の)アカウントを停止するべき」などとして議論が沸騰中だ。私は、ここ数年間、嫌というほどリアル・ネットの空間の別を問わず、耳を疑うような、決して言葉にすることが憚られるような、「異形」ともいうべきヘイトスピーチを見聞してきた。よって、社会的影響力の大たるベストセラー作家の言だとしても、上記発言に特段の感慨はない。
「この程度ならまし」を憂慮する
むしろ、悲しむべきなのは、そういった直接的な「異形」のヘイトスピーチと比較して、「この程度ならまだしも穏健な方だ」と少しばかり得心してしまう自分についてである。少し前なら社会的生命を失いかねない言葉が、平然と大手を振って歩いている。百田氏云々よりも、こちらを憂慮するべきである。
百田氏曰く「特定の民族を指したものではない」云々。確かに、字だけを読むと「(犯人らは)在日外国人ではないか?」という推論に過ぎない。しかし、百田氏の日頃の発言、とくにツイッターでの文脈を読んで、その「在日外国人」を「在日コリアン」へと読み替えることはそう難しいことではない。字だけ読めば百田氏の言う通り、これは推測なのだからヘイトスピーチというよりも、むしろ単なる「思い付き」というべきであろう。
繰り返すように私は、もう何年も、ここでは書けぬようなとんでもない、在日コリアンに向けられた直接的憎悪の言葉を、何ら憚りなく、そして満面の笑みで、酒と共に歓談する人々を沢山知っているから、「それに比べれば全然マシ」と思ってしまう。
しかし、そういった「異形」に比べて「まだマシ」なのだから良い、で済んでしまうお話なのだろうか? 恐らく今回、千葉県警が現段階(11月28日)で犯人らの本名を発表しないのは、国籍ではなくてこの手の犯罪につきものの、犯状特有の因があるからであろう。しかし、県警が将来犯人らの名前を公開し、その氏名が純粋和風のものであったとしても、「(在日コリアンからの)帰化人だ」「通名である」などと、またも「犯罪者=在日コリアン説」がふって沸くことは、火を見るよりも明らかである。
単に「思い付き」を述べた百田氏に非はあるのは否めないとしても、私はなぜ、百田氏のような高名な作家が、2002年ごろから勃興してきたいわゆる「ネット右翼」界隈で定説となった「犯罪者=在日コリアン説」を垂直的にトレースするのか、の方に興味がある。なぜなら重大犯罪の逮捕者が出るたび、その氏名が公表されようとされるまいと、「犯罪者=在日コリアン説」は百田氏以外の「保守系言論人」の中にも根強く存在し、それを支持する無数の「ネット右翼」の中で動かしがたい定説になっているからだ。
(筆者注*例えば、元航空幕僚長の田母神俊雄氏がISISに拉致されたジャーナリストの後藤健二氏[後に殺害]を在日ではないかと発言したことや、「日本には韓国人の売春婦がウヨウヨいる」と発言して当時の日本維新の会から除名された西村真吾衆議院議員など。後藤さんは犯罪者ではないが、世間を悪い意味で騒がせたという文脈の中で、田母神の世界観の中では犯罪者のように語られていた)
なぜ「犯罪者=在日コリアン説」はここまで広がったのだろうか?
繰り返されてきた「犯罪者=在日コリアン説」の遠因
一言でいえばそれは、「日本人なら犯罪など犯さないはずだ」という、「美徳信仰」ともいうべき、まったく科学(統計)的根拠のない「似非神話」に基づいている。「日本人なら犯罪など犯さないはずだ」という思い込みの根本は、「日本人は高潔で、慎み深く、お互いに助け合う精神を持っている」という、根拠なき日本人礼賛の精神が存在する。
ではこの根拠なき日本人礼賛の精神はどこから来たのかというと、これは元来、いわゆる「保守論壇」が特有に持つ内向きの理屈に由来する。インターネットが普及する以前、この国の「保守論壇」は冷戦時代の「反共保守」が中心となり、そしてそれを支える支持者もまた著しく高齢化していた(現在もあまり変わらないが)。
そしてその「保守論壇」は、産経新聞と論壇誌「正論」を中心とした貴族的で、サロン的な、閉ざされた空間であった(産経・正論路線)、(参照*拙記事「温室の中の保守論壇」とヘイトスピーチ)。彼らは良い意味で喜捨の精神に優れ、そして高齢者が主体だから肉体言語から遠く、そしてその動作は緩慢かつ温和であった。当然、そういったある種の高級サロンの中で観測される人々は、思慮深く温順な日本人であり、暴力や犯罪から最も遠い。
よって「保守論壇」とそれを支える支持者たちに、「日本人は高潔で、慎み深く、お互いに助け合う精神を持っている」という、根拠なき日本人礼賛の精神が涵養されていく。私はこれを「凛として美しく路線」と命名しているが、当然そういったサロンの中にいる人は皆温順なのだから、日本人全部が自分たちと同じ風に違いない、と思い込む傾向が、いわゆる「保守」とか「右派」の中に前提的に存在するのである。
その、冷戦時代に形成された「凛として美しく路線」がインターネット時代になり、ネット右翼にそのまま伝播した結果が、現在なのである。そういった、「保守」とか「右派」の中に前提的に存在する気風、つまり「日本人は犯罪など侵さない」という根拠なき信仰が残存するからこそ、「犯罪者=在日コリアン説」が生まれる。百田氏は単にこれをトレースしているに過ぎない。百田氏は、「保守」とか「右派」の中に構造的に存在する背景をトレースしたにすぎず、繰り返すようにそれですらまだ「比較的穏健なほう」なのである。
強者であるが故の想像力の欠如
先にいわゆる「保守論壇」とそれを支える人々が、"貴族的で、サロン的な閉ざされた空間"の中にいると書いた。それはインターネット時代になり、その「保守論壇」にネット右翼が寄生する現在になっても、いささかも変わることはない。「ネット右翼は社会的弱者だ」という人が未だにいるが、「ネット右翼の平均像は中産階級、大卒が多く、40歳前後の男性」というのが、私の調査と経験を元にした実相である。
現在、「保守(論壇)」「右派」「ネット右翼」の三者が混然一体となっているので、上記の平均像はこの三者すべてに特有のものである。「保守系読者層」や「保守系政治集会への参加者」に限ると、その年齢層はもっと高くなる(+20歳以上)かもしれない。
ともあれ、保守も、右派も、ネット右翼も、貧困に無縁な比較的富裕な「社会的強者」だからこそ(参照*拙記事「ネトウヨ」は社会的弱者ではない。だからこそ、根が深い。)、「日本人なら犯罪など犯さないはずだ」という結論に至っていく。自分の周りが同じような社会階層ばかりなので、犯罪傾向とは無縁で、日本国内の重大犯罪はどこか海外で起こっているかのような距離感がある。
だから彼らは、肉体言語を忌避し、「タトゥー見せびらかし」などを「しばき隊」「SEALDs」などに繋げて揶揄し、いわゆる「反社会的傾向」を持つものをことさら禁忌する。すべての因は、彼らがそういった犯罪傾向とは無縁の「善良」な中産階級だからだ。よく言えばそれは「育ちの良い人」で、悪く言えば「だからこそ想像力を欠く」といえる。
私は百田氏とわずかだが面識を有するが、実に"温厚な紳士"という印象を持った。その優しい、飾らない関西弁には非常に親しみを覚えたほどである。しかしだからこそ、もしかすると想像力が足らなかったのかもしれない。百田氏のツイッターアカウントを停止せよ、という声に従えば、「百田氏以上に過激な」おそらく100万とか200万アカウントの停止が必要だろう。そんなことが現実的だろうか?
今回の「ヘイトスピーチ」騒動は百田氏の個人的資質に還元されるのではなく、いわゆる「保守」とか「右派」の、「保守界隈」全般が前提的に有する貴族的で閉鎖的な体質を背景にしたものである、というところまで視座を広げなければ、批難の応酬以上の進歩はないであろう。
参考記事*千葉大生集団乱暴 百田尚樹氏がツイッターで「在日外国人ではないか」とツイート 津田大介氏「この人のアカウントを削除すべき」(11月27日、産経新聞)
※当記事はYahoo!ニュース 個人からの転載です。
[執筆者]
古谷経衡(ふるやつねひら)文筆家。1982年北海道生まれ。立命館大文学部卒。日本ペンクラブ正会員、NPO法人江東映像文化振興事業団理事長。主な著書に「草食系のための対米自立論」(小学館)、「ヒトラーはなぜ猫が嫌いだったのか」(コアマガジン)、「左翼も右翼もウソばかり」(新潮社)、「ネット右翼の終わり」(晶文社)、「戦後イデオロギーは日本人を幸せにしたか」(イーストプレス)など多数。
古谷経衡(文筆家)