トランプ次期米大統領とビジネス界の駆け引きが早くも本格化している。米企業にメキシコへの工場移転を思いとどまらせるなど、トランプ氏はツィッター等を駆使して企業経営への口先介入を展開する。見境のない介入に識者から厳しい評価も聞かれるが、世論の反応は上々だ。
工場のメキシコ移転計画を阻止
「トランプ氏が違う種類の共和党員、少なくとも個別のケースでは、大企業に立ち向かう政治家であることがうかがえる」
2016年11月29日、いつもはトランプ氏に厳しい米ニューヨーク・タイムズ紙が、珍しく称賛めいた評価を掲載した。トランプ氏の批判を受け、空調大手の米キヤリア社が、メキシコへの工場移転計画を変更したからだ。これに先立ち、自動車大手の米フォード社も、トランプ氏による名指しの批判に答えるように、メキシコへの生産移転計画を見直している。
あからさまに個別企業の経営を批判する手法は、米国の大統領としては珍しい。ましてトランプ氏が属する共和党は、市場への政府の介入を嫌い、ビジネス界に親近感が強いとみられてきた。ツイッターによる「口撃」をも交えたトランプ流の手法に、ビジネス界は身構えている。
共産主義国の失敗を繰り返す?
識者の評価は厳しい。ハーバード大学のグレッグ・マンキュー教授は、個別企業の経営に介入する手法では、国の経済をうまく運営できるわけがないと警告する。マンキュー教授は、「そうした失敗は、共産主義の国々で見てきたはず」という。
企業の工場移転に物申したからといって、「トランプ氏を労働者の味方と勘違いするべきではない」という意見も目立つ。
大統領選挙の予備選挙で大企業批判を繰り広げた民主党のバーニー・サンダース上院議員は、むしろ悪い先例を作ったと手厳しい。キヤリア社は見返りに州政府から優遇税制を得ており、これで企業は「工場の海外移転をほのめかせば、優遇税制や補助金などを得られると考えるようになった」というわけだ。「海外移転を考えていなかった企業も、これを機会に移転計画を検討し始めたのではないか」という。
ニューヨーク市立大学教授のポール・クルーグマン教授は、個別の交渉で救われる雇用者の少なさを指摘する。それよりも、オバマケアの廃止等、労働者に手厳しい政策を展開しようとするトランプ氏の本質を見誤ってはいけない、というのがクルーグマン教授の立場である。
組合長も口撃の対象に
大統領の行動が持つ象徴的な意味合いは軽視できない。
クルーグマン教授が指摘するように、個別の介入による直接的な影響は小さい。米国では毎月10~20万人規模で雇用が増加している。トランプ氏が自慢する通り、キヤリア社の計画変更で1,100人以上の雇用が救われたとしても、ほとんど誤差の範囲内である。
しかし、個別の介入がもたらす直接的な影響は小さくても、大統領の意向を嗅ぎ付け、それ以外の企業の行動が変わっていく可能性がある。ロナルド・レーガン元大統領は、就任早々にストライキを行った航空管制官の組合員を大量に解雇した。これをきっかけに、米国の労働組合運動は、停滞の度合いを強めていったといわれる。
問題は、トランプ氏の真意がどこにあるのか、判断がつきにくいことだ。トランプ氏は、キヤリア社が属する労働組合の組合長に対しても、ツイッターで厳しい口撃を展開している。計画変更によって救われた雇用者の数について、「トランプ氏は嘘をついている」と組合長が批判したからだ。トランプ氏のツイッターに賛同するように、組合長には脅迫めいた電話がかかってくるようになったというから穏やかではない。
ようこそトランプ劇場へ
確かなのは、世論がトランプ氏の異例の行動を支持していることだ(下図)。世論調査によれば、キヤリア社の工場移転計画変更によって、トランプ氏の好感度が高まったという回答が6割に達している。政府による経済への介入を嫌うはずの共和党の支持者でも、何と9割近くがトランプ氏の好感度が高まったと答えている。一般的に大統領が個別企業と交渉することについても、共和党支持者の7割が「問題ない」と答えている。
トランプ氏のビジネス界への口先介入は、工場移転問題にとどまらない。トランプ氏は、米航空製造大手のボーイング社に対し、コスト高を理由に大統領専用機(エアフォースワン)の契約を取り消すとツイッターでつぶやいた。同社の関係者によるトランプ氏への否定的な発言が引き金になったとも噂されているが、ツイッターの直後に同社の株価は一時的に下落した。かと思えば、米タイム誌とのインタビューでは、「薬価を引き下げる。薬価(の高さ)は気に入らない」と発言、製薬業界の株価を急落させた。
ビジネス界には、トランプ劇場に付き合う以外に選択肢はない。いち早く孫社長がトランプ氏との会談を実現させたソフトバンクでは、グループ傘下のスプリント社の株価が上昇している。トランプ氏のツイッターを分析し、自動的に株価の売買を行うアルゴリズム取引の開発が進められているともいわれている。
大統領就任式は2017年の1月20日。正式就任の1カ月以上前から、ビジネス界は「トランプ大統領」に振り回されている。
安井明彦1991年富士総合研究所(現みずほ総合研究所)入社、在米日本大使館専門調査員、みずほ総合研究所ニューヨーク事務所長、同政策調査部長等を経て、2014年より現職。政策・政治を中心に、一貫して米国を担当。著書に『アメリカ選択肢なき選択』などがある。
安井明彦(みずほ総合研究所欧米調査部長)
工場のメキシコ移転計画を阻止
「トランプ氏が違う種類の共和党員、少なくとも個別のケースでは、大企業に立ち向かう政治家であることがうかがえる」
2016年11月29日、いつもはトランプ氏に厳しい米ニューヨーク・タイムズ紙が、珍しく称賛めいた評価を掲載した。トランプ氏の批判を受け、空調大手の米キヤリア社が、メキシコへの工場移転計画を変更したからだ。これに先立ち、自動車大手の米フォード社も、トランプ氏による名指しの批判に答えるように、メキシコへの生産移転計画を見直している。
あからさまに個別企業の経営を批判する手法は、米国の大統領としては珍しい。ましてトランプ氏が属する共和党は、市場への政府の介入を嫌い、ビジネス界に親近感が強いとみられてきた。ツイッターによる「口撃」をも交えたトランプ流の手法に、ビジネス界は身構えている。
共産主義国の失敗を繰り返す?
識者の評価は厳しい。ハーバード大学のグレッグ・マンキュー教授は、個別企業の経営に介入する手法では、国の経済をうまく運営できるわけがないと警告する。マンキュー教授は、「そうした失敗は、共産主義の国々で見てきたはず」という。
企業の工場移転に物申したからといって、「トランプ氏を労働者の味方と勘違いするべきではない」という意見も目立つ。
大統領選挙の予備選挙で大企業批判を繰り広げた民主党のバーニー・サンダース上院議員は、むしろ悪い先例を作ったと手厳しい。キヤリア社は見返りに州政府から優遇税制を得ており、これで企業は「工場の海外移転をほのめかせば、優遇税制や補助金などを得られると考えるようになった」というわけだ。「海外移転を考えていなかった企業も、これを機会に移転計画を検討し始めたのではないか」という。
ニューヨーク市立大学教授のポール・クルーグマン教授は、個別の交渉で救われる雇用者の少なさを指摘する。それよりも、オバマケアの廃止等、労働者に手厳しい政策を展開しようとするトランプ氏の本質を見誤ってはいけない、というのがクルーグマン教授の立場である。
組合長も口撃の対象に
大統領の行動が持つ象徴的な意味合いは軽視できない。
クルーグマン教授が指摘するように、個別の介入による直接的な影響は小さい。米国では毎月10~20万人規模で雇用が増加している。トランプ氏が自慢する通り、キヤリア社の計画変更で1,100人以上の雇用が救われたとしても、ほとんど誤差の範囲内である。
しかし、個別の介入がもたらす直接的な影響は小さくても、大統領の意向を嗅ぎ付け、それ以外の企業の行動が変わっていく可能性がある。ロナルド・レーガン元大統領は、就任早々にストライキを行った航空管制官の組合員を大量に解雇した。これをきっかけに、米国の労働組合運動は、停滞の度合いを強めていったといわれる。
問題は、トランプ氏の真意がどこにあるのか、判断がつきにくいことだ。トランプ氏は、キヤリア社が属する労働組合の組合長に対しても、ツイッターで厳しい口撃を展開している。計画変更によって救われた雇用者の数について、「トランプ氏は嘘をついている」と組合長が批判したからだ。トランプ氏のツイッターに賛同するように、組合長には脅迫めいた電話がかかってくるようになったというから穏やかではない。
ようこそトランプ劇場へ
確かなのは、世論がトランプ氏の異例の行動を支持していることだ(下図)。世論調査によれば、キヤリア社の工場移転計画変更によって、トランプ氏の好感度が高まったという回答が6割に達している。政府による経済への介入を嫌うはずの共和党の支持者でも、何と9割近くがトランプ氏の好感度が高まったと答えている。一般的に大統領が個別企業と交渉することについても、共和党支持者の7割が「問題ない」と答えている。
トランプ氏のビジネス界への口先介入は、工場移転問題にとどまらない。トランプ氏は、米航空製造大手のボーイング社に対し、コスト高を理由に大統領専用機(エアフォースワン)の契約を取り消すとツイッターでつぶやいた。同社の関係者によるトランプ氏への否定的な発言が引き金になったとも噂されているが、ツイッターの直後に同社の株価は一時的に下落した。かと思えば、米タイム誌とのインタビューでは、「薬価を引き下げる。薬価(の高さ)は気に入らない」と発言、製薬業界の株価を急落させた。
ビジネス界には、トランプ劇場に付き合う以外に選択肢はない。いち早く孫社長がトランプ氏との会談を実現させたソフトバンクでは、グループ傘下のスプリント社の株価が上昇している。トランプ氏のツイッターを分析し、自動的に株価の売買を行うアルゴリズム取引の開発が進められているともいわれている。
大統領就任式は2017年の1月20日。正式就任の1カ月以上前から、ビジネス界は「トランプ大統領」に振り回されている。
安井明彦1991年富士総合研究所(現みずほ総合研究所)入社、在米日本大使館専門調査員、みずほ総合研究所ニューヨーク事務所長、同政策調査部長等を経て、2014年より現職。政策・政治を中心に、一貫して米国を担当。著書に『アメリカ選択肢なき選択』などがある。
安井明彦(みずほ総合研究所欧米調査部長)