<トランプ現象との共通項で注目の集まる秘密結社クー・クラックス・クラン。だが『クー・クラックス・クラン――白人至上主義結社KKKの正体』によれば、「暴力的な黒人差別集団」というイメージではくくれない部分も>
『クー・クラックス・クラン――白人至上主義結社KKKの正体』(浜本隆三著、平凡社新書)は、白人至上主義結社として知られるクー・クラックス・クラン(本書では「クラン」と略称、以下クラン)の実態を明らかにした新書。著者は、これ以前にもクランに関する著作を送り出してきた実績を持つ研究者である。
まず注目すべきは、第一章「ポピュリズム政治の源流」冒頭部分において「トランプ現象」を取り上げている点だ。トランプ現象とクランの間には、白人至上主義という共通項があると指摘しているのである。
筆者はこれまで、アメリカの秘密結社クランに関心をもち研究を行ってきたが、最近、アメリカのメディアにおいては、トランプ現象とクランとも結びつける言説が現れるようになり、両者の関係に注目が集まってきた。 両者の接点として、メディアはしきりに白人至上主義を取り上げている。すなわち、トランプの移民拒否の姿勢と、クランの排外主義の主張とが重ねられ、その根底に白人至上主義という共通項を見出しているのである。(15ページより)
【参考記事】トランプ氏がKKK元幹部からの支持拒否せず、選挙集会で黒人団体が抗議
たしかに読み進めていくと、ドナルド・トランプの言動を思い起こさせる箇所がいくつもあり、当然ながらそれは得体の知れない恐怖感へとつながっていく。ただし同時に、クランが必ずしも"暴力的な黒人差別集団"というような表層的なイメージだけでくくれるものではないこともわかってくる。
クランは南北戦争後、黒人と白人がどのような関係を築いていくか、探り合うなかで誕生した一種の白人の自衛組織であった。このとき黒人と白人を隔てていたのは、人種の壁だけではなかった。両者のあいだには、奴隷制によって成立していた前近代的な価値観と、人権思想にもとづく近代的な価値観という、決定的な認識上の溝があった。クランは、局所的にみれば奴隷制廃止や共和党支配に反対する政治結社である。だが、クランが根本的に抗っていたのは、北部から押し寄せる近代という時代の波に対してであった。(106ページより)
なるほどそのとおりで、1866年の結成時からのクランの道のりを時系列に沿ってトレースした本書においては、重要な指摘がなされている。彼らの活動が1866~1871年の第1期、1915~1925年ごろまでの第2期、1950~1980年代の第3期に分かれ、それぞれ性格が異なっているということだ。そこには、「近代という時代の波」に翻弄されていたようなニュアンスすら感じられる。
クランは、南北戦争時の南部連合軍に従軍した6人の元兵士によって設立された。その第1期は、南北戦争後からクラン対策法成立までの時期である。特徴的なのは、このころ彼らは必ずしも黒人を蔑視していたわけではなかったということ。ターゲットは黒人連帯結社「ユニオン・リーグ」、そしてその活動を支援する白人と共和党だったという。
第2期の根底にあるのは、移民の増加を背景とした排外主義である。わかりやすくいえば、移民の増加にビビッていたわけで、これなどまさにトランプとの共通点であるといえる。ちなみにこの時期には、ネズミ講のような手段を利用したこともあって会員数が増大したが、女性や未成年のクランもあったせいか暴力性はあまりなかったようだ。
そして第3期、その性格はまたもや変化する。スタートラインが公民権運動の高まりと重なったことも影響し、白人至上主義者による暴力的な側面が高まるのである。その動きに歯止めがかかったのは、1981年にレーガン大統領が就任してから。ここから右翼団体への取り締まりが強化されたことにより、多くのクランが解散に追い込まれていくのだ。
ところでクランの名を聞いてすぐに思い浮かぶのは、あの奇妙な白装束である(ちなみに本書では、衣装の変遷までも細かく検証している)。そして気になるのは、あのマスクの向こうにはどんな顔が隠されているのかという点だ。このことについて、第2期クランについて説いた項目のなかに印象的な記述がある。
二〇世紀アメリカを代表する政治史家リチャード・ホフスタッターは、クランのメンバーの性質について、「騙されやすいネイティヴィスト」と分析した。クランに集う人を非理性的な騙されやすい大衆と決めつけるのはたやすいが、それを「異常者」と切り捨ててしまっては、組織の実情に迫れない。数百万人という会員数は、無知蒙昧(もうまい)の集団として片づけるにはあまりにも膨大である。(160ページより)
第2期クランは白人至上主義を大義として掲げていたものの、人種的偏見に満ちた人が、差別を実践するために集った組織ではなかったということ。今日の感覚からすれば人種的偏見が垣間見られるが、「一九二〇年代の初頭、アメリカ生まれの白人プロテスタントであれば、通例、多かれ少なかれ人種的偏見をもち合わせていた」というのである。これは、非常に説得力のある考え方ではないだろうか。
しかも第2期クランには、リンチ集団的なイメージがある一方、慈善団体としての存在価値もあったのだからややこしい。病院の建設や医療環境の向上に尽力し、貧困対策にも関わったというのである。
ときにクランの慈善活動は、人種の分け隔てなく行われた。アーカンソー州エルドラドでは、人種や肌の色、思想信条に関わりなく患者を診る新しい病院の建設が宣言された。フロリダ州では火災で家を失った黒人の一家を救うために一〇〇ドルが寄付された。カリフォルニア州では黒人教会の修繕のために三五名のクランズマンが奉仕活動を行った。またカリフォルニアのあるクランの支部は、一九二三年九月、関東大震災の発生が報じられると、いちはやく同地の日本人会に二〇〇ドルの寄付を申し出ている。(170~171ページより)
にもかからず、1960年代に入って公民権法の設立をめぐる議論が紛糾すると、彼らは公然と過激な直接行動に出たりもする。これらの矛盾をなんらかの結論につなげることは難しい。しかし誤解を恐れずにいうなら、集団化した「騙されやすいネイティヴィスト」たちが、社会の変化に対する不安を払拭できないまま暴走したということだろうか。
そう考えると、まだ存在しているとはいえ、現代のクランが方向性を見失った状態にあることにも納得できる。
かれらの活動は、基本的には、融和感情を逆なでするような差別的主張を展開するものであるが、しだいに確固とした目的を失いつつあるようにもみえる。二〇一四年一一月九日付の『インターナショナル・ビジネス・タイムズ』紙には、カリフォルニア州に拠点を置くクランの分派「ロッキー・マウンテンの騎士」が、アングロサクソン系の白人だけでなく、黒人やヒスパニック、ユダヤ人や同性愛者の入会をも認め、会員の資格は、一八歳以上で大西洋岸に住んでいる、この二点だけに修正した、と伝える記事が掲載されて話題を呼んだ。二一世紀に入った現代、クランは改めてその存在意義を模索しているようである。(200~201ページより)
早い話が、現代社会における自分たちの居場所を探しているということなのかもしれない。だとすれば、トランプ政権になってから彼らがどう立ち回るのかについては、少なからず気にかかるものもある。
『クー・クラックス・クラン――白人至上主義結社KKKの正体』
浜本隆三 著
平凡社新書
[筆者]
印南敦史
1962年生まれ。東京都出身。作家、書評家。広告代理店勤務時代にライターとして活動開始。現在は他に、「ライフハッカー[日本版]」「Suzie」「WANI BOOKOUT」などで連載を持つほか、多方面で活躍中。2月26日に新刊『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』(ダイヤモンド社)を上梓。
印南敦史(作家、書評家)
『クー・クラックス・クラン――白人至上主義結社KKKの正体』(浜本隆三著、平凡社新書)は、白人至上主義結社として知られるクー・クラックス・クラン(本書では「クラン」と略称、以下クラン)の実態を明らかにした新書。著者は、これ以前にもクランに関する著作を送り出してきた実績を持つ研究者である。
まず注目すべきは、第一章「ポピュリズム政治の源流」冒頭部分において「トランプ現象」を取り上げている点だ。トランプ現象とクランの間には、白人至上主義という共通項があると指摘しているのである。
筆者はこれまで、アメリカの秘密結社クランに関心をもち研究を行ってきたが、最近、アメリカのメディアにおいては、トランプ現象とクランとも結びつける言説が現れるようになり、両者の関係に注目が集まってきた。 両者の接点として、メディアはしきりに白人至上主義を取り上げている。すなわち、トランプの移民拒否の姿勢と、クランの排外主義の主張とが重ねられ、その根底に白人至上主義という共通項を見出しているのである。(15ページより)
【参考記事】トランプ氏がKKK元幹部からの支持拒否せず、選挙集会で黒人団体が抗議
たしかに読み進めていくと、ドナルド・トランプの言動を思い起こさせる箇所がいくつもあり、当然ながらそれは得体の知れない恐怖感へとつながっていく。ただし同時に、クランが必ずしも"暴力的な黒人差別集団"というような表層的なイメージだけでくくれるものではないこともわかってくる。
クランは南北戦争後、黒人と白人がどのような関係を築いていくか、探り合うなかで誕生した一種の白人の自衛組織であった。このとき黒人と白人を隔てていたのは、人種の壁だけではなかった。両者のあいだには、奴隷制によって成立していた前近代的な価値観と、人権思想にもとづく近代的な価値観という、決定的な認識上の溝があった。クランは、局所的にみれば奴隷制廃止や共和党支配に反対する政治結社である。だが、クランが根本的に抗っていたのは、北部から押し寄せる近代という時代の波に対してであった。(106ページより)
なるほどそのとおりで、1866年の結成時からのクランの道のりを時系列に沿ってトレースした本書においては、重要な指摘がなされている。彼らの活動が1866~1871年の第1期、1915~1925年ごろまでの第2期、1950~1980年代の第3期に分かれ、それぞれ性格が異なっているということだ。そこには、「近代という時代の波」に翻弄されていたようなニュアンスすら感じられる。
クランは、南北戦争時の南部連合軍に従軍した6人の元兵士によって設立された。その第1期は、南北戦争後からクラン対策法成立までの時期である。特徴的なのは、このころ彼らは必ずしも黒人を蔑視していたわけではなかったということ。ターゲットは黒人連帯結社「ユニオン・リーグ」、そしてその活動を支援する白人と共和党だったという。
第2期の根底にあるのは、移民の増加を背景とした排外主義である。わかりやすくいえば、移民の増加にビビッていたわけで、これなどまさにトランプとの共通点であるといえる。ちなみにこの時期には、ネズミ講のような手段を利用したこともあって会員数が増大したが、女性や未成年のクランもあったせいか暴力性はあまりなかったようだ。
そして第3期、その性格はまたもや変化する。スタートラインが公民権運動の高まりと重なったことも影響し、白人至上主義者による暴力的な側面が高まるのである。その動きに歯止めがかかったのは、1981年にレーガン大統領が就任してから。ここから右翼団体への取り締まりが強化されたことにより、多くのクランが解散に追い込まれていくのだ。
ところでクランの名を聞いてすぐに思い浮かぶのは、あの奇妙な白装束である(ちなみに本書では、衣装の変遷までも細かく検証している)。そして気になるのは、あのマスクの向こうにはどんな顔が隠されているのかという点だ。このことについて、第2期クランについて説いた項目のなかに印象的な記述がある。
二〇世紀アメリカを代表する政治史家リチャード・ホフスタッターは、クランのメンバーの性質について、「騙されやすいネイティヴィスト」と分析した。クランに集う人を非理性的な騙されやすい大衆と決めつけるのはたやすいが、それを「異常者」と切り捨ててしまっては、組織の実情に迫れない。数百万人という会員数は、無知蒙昧(もうまい)の集団として片づけるにはあまりにも膨大である。(160ページより)
第2期クランは白人至上主義を大義として掲げていたものの、人種的偏見に満ちた人が、差別を実践するために集った組織ではなかったということ。今日の感覚からすれば人種的偏見が垣間見られるが、「一九二〇年代の初頭、アメリカ生まれの白人プロテスタントであれば、通例、多かれ少なかれ人種的偏見をもち合わせていた」というのである。これは、非常に説得力のある考え方ではないだろうか。
しかも第2期クランには、リンチ集団的なイメージがある一方、慈善団体としての存在価値もあったのだからややこしい。病院の建設や医療環境の向上に尽力し、貧困対策にも関わったというのである。
ときにクランの慈善活動は、人種の分け隔てなく行われた。アーカンソー州エルドラドでは、人種や肌の色、思想信条に関わりなく患者を診る新しい病院の建設が宣言された。フロリダ州では火災で家を失った黒人の一家を救うために一〇〇ドルが寄付された。カリフォルニア州では黒人教会の修繕のために三五名のクランズマンが奉仕活動を行った。またカリフォルニアのあるクランの支部は、一九二三年九月、関東大震災の発生が報じられると、いちはやく同地の日本人会に二〇〇ドルの寄付を申し出ている。(170~171ページより)
にもかからず、1960年代に入って公民権法の設立をめぐる議論が紛糾すると、彼らは公然と過激な直接行動に出たりもする。これらの矛盾をなんらかの結論につなげることは難しい。しかし誤解を恐れずにいうなら、集団化した「騙されやすいネイティヴィスト」たちが、社会の変化に対する不安を払拭できないまま暴走したということだろうか。
そう考えると、まだ存在しているとはいえ、現代のクランが方向性を見失った状態にあることにも納得できる。
かれらの活動は、基本的には、融和感情を逆なでするような差別的主張を展開するものであるが、しだいに確固とした目的を失いつつあるようにもみえる。二〇一四年一一月九日付の『インターナショナル・ビジネス・タイムズ』紙には、カリフォルニア州に拠点を置くクランの分派「ロッキー・マウンテンの騎士」が、アングロサクソン系の白人だけでなく、黒人やヒスパニック、ユダヤ人や同性愛者の入会をも認め、会員の資格は、一八歳以上で大西洋岸に住んでいる、この二点だけに修正した、と伝える記事が掲載されて話題を呼んだ。二一世紀に入った現代、クランは改めてその存在意義を模索しているようである。(200~201ページより)
早い話が、現代社会における自分たちの居場所を探しているということなのかもしれない。だとすれば、トランプ政権になってから彼らがどう立ち回るのかについては、少なからず気にかかるものもある。
『クー・クラックス・クラン――白人至上主義結社KKKの正体』
浜本隆三 著
平凡社新書
[筆者]
印南敦史
1962年生まれ。東京都出身。作家、書評家。広告代理店勤務時代にライターとして活動開始。現在は他に、「ライフハッカー[日本版]」「Suzie」「WANI BOOKOUT」などで連載を持つほか、多方面で活躍中。2月26日に新刊『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』(ダイヤモンド社)を上梓。
印南敦史(作家、書評家)