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英国の反EU感情は16世紀から――ビル・エモット&田所昌幸

ニューズウィーク日本版 2016年12月27日 18時2分

 論壇誌「アステイオン」85号(公益財団法人サントリー文化財団・アステイオン編集委員会編、CCCメディアハウス、11月29日発行)から、国際ジャーナリストのビル・エモットと同誌編集委員長の田所昌幸・慶應義塾大学法学部教授による往復書簡「EU離脱後の英国とヨーロッパ」を2回に分けて転載する。 2016年の最も衝撃的なニュースのひとつであった英国のEU離脱。「そもそもこういうEUに対する反発はどこから来るのか」と問う田所氏に、「我々イギリス人がヨーロッパからの影響力に反発するのは、16世紀にヘンリー8世がローマのカトリック教会との関係を断絶し、ローマ教皇の支配を脱した時代にまで遡れるだろう」と、エモット氏。離脱を決めた国民投票の意義と今後の展望を、果たしてどう見るのか。

(上写真:英イーデンブリッジの祭りで燃やされるガイ・フォークス人形、2016年11月5日)

ビルへ

 ビル。イギリスでの国民投票が終わって一カ月あまり。イギリスのEU離脱の中長期的な意味について、少し落ち着いて考えてみるのに良い時期にさしかかっている。

 でもその前に、日本人としては、この問題にイギリス人がここまで感情的になるのはどうしても不思議だ。イギリスには大陸諸国とは違う伝統や歴史があり、いろいろと制度も違うのは判っているし、EU官僚主義は確かに鬱陶しいだろう。でもヨーロッパ諸国は皆所詮は自由民主主義国で軍事衝突など考えられない間柄じゃあないか。EUの一員でいるのと、台頭する中華帝国の朝貢国家になるのとは訳がちがう。でも見たところ、国民投票の結果を左右したのは、離脱派が離脱すれば目に見える利益があることを説得力のある形で説明したということよりも、ごく普通のイギリス人のもっているEUへの不満に上手く訴えかけたからのようだ。でもそもそもこういうEUに対する反発はどこから来るのか教えてもらえないだろうか。

From 田所昌幸


マサユキへ

 マサユキ、イギリスの反EU感情を説明しようとすると、一方で長期的な歴史にその根拠を求める議論と、他方でより短期的な説明の間で、いつも躊躇してしまう。というのも歴史的説明には説得力があるが、現代の状況に当てはめると十分とは言えないし、短期的な説明の方はうまく当てはまるのだけれど、イギリスの一般国民が、過去六〇年にわたって歴代のイギリス政府が戦略的利益と考えてきたのと正反対に、EUに強く反発するのはなぜなのか、十分に力強い説明にはなっているように思えないからだ。

 我々イギリス人がヨーロッパ大陸からの影響力に反発するのは、一六世紀にヘンリー八世がローマのカトリック教会との関係を断絶し、ローマ教皇の支配を脱した時代にまで遡れるだろう。それまで、つまり一五三〇年代になるまでのイングランドは、ヨーロッパの多くの地域と密接な関係にあったから、これは画期的な出来事だ。イギリスは、西暦四三年にはローマ帝国に、そして九世紀にはバイキングに、そして一〇六六年にはフランスにという具合に、何回か大陸からの侵攻を経験しているけれど、イギリス側の王様たちも、ちょくちょくフランスで戦い、一五世紀にはフランスの一部を占領したりしている。しかしローマ教皇と絶縁してからの五世紀間というもの、イングランド(一五世紀当時にはまだブリテンにはなっていないからね)は、大陸諸国をおおむね隙があれば襲ってくるかもしれない敵国として取り扱ってきた。もちろん実際にいつも敵対的だった訳ではなくて、イングランドはオランダ(一六八八年)やドイツ(一八世紀以降)から王族を輸入しているくらいなんだ。しかし、我々の外交政策はヨーロッパ諸国を、パートナーというよりも脅威として扱ってきたのは間違いない。産業革命のおかげでイギリスが強力になったので、我々の政策は大陸に介入的な傾向を示すようにはなったけれど、それはどの国も支配的な大国になって、我々の脅威にならないようにするためだった。

 こんなことが今でも関係あるかって? それが現在でも我々の文化に通底している限りにおいてはね。例えばイギリスでは毎年一一月五日にガイ・フォークス・デーのお祝いをするけれど、これは一六〇五年にイギリスのカトリック教徒が、議会を爆破しようとして起こしたテロの未遂事件を記念する日だ。その頃イギリスはオランダで延々とスペインを相手に戦っていたけれど、このガイ・フォークスはスペインのためにイギリスに攻撃を仕掛けたわけだ。つまり、今ジハディストがシリアでいわゆるイスラム国(ISIS)のために戦い、それが例えばフランスに戻ってきて殺戮行為をやっているけれど、ガイ・フォークスは言ってみれば一七世紀版のジハディストのようなものだ。

【参考記事】ニューストピックス 歴史を変えるブレグジット国民投票



田所昌幸(左)、ビル・エモット(右、Photo: Justine Stoddart)の両氏

 これに加えてイギリスの憲法上の伝統がある。イギリスには成文憲法はないが、その代わりに主権が議会にあるという原則がある。一七世紀のイギリスの大政治思想家ジョン・ロックの時代にまで遡れるこの我々の伝統では、人民は代議制度に従って、すべての権力を自分たちが選出した議員に委ねることになっている。ただし例外があって、それは議会の議員たちが決定を下すことが出来ず、自分たちの持っている立法権を他の主体に移すときだ。イギリスが一九七三年にECに加盟したときに実際にこれが起こって、結局政府は一九七五年にEC加盟をめぐるイギリス史上最初の国民投票を実施せざるを得なくなった。

 マサユキ、長くなってしまったがこの問題は複雑なのでしょうがないんだ。ここで不思議なのは、一九七五年にはイギリス人が圧倒的に加盟を支持していたのに(賛成六七%、反対三三%)、今回六月には僅差ながら離脱が多数派になった(残留支持四八・一%対離脱支持五一・九%)のはなぜかということだ。ここで現実的な問題が作用する。歴史的要因によって形成されているのは、イギリス人がEUに全く愛着を感じてはいないという態度だ。しかし一九七五年には大多数がECとの関係が必要だと考えていた。なぜなら、イギリスは経済的に弱体で(当時は「ヨーロッパの病人」とまで言われていた)、他方ドイツやフランスの経済は強力だったからだ。イギリスは当時好調だったECというプロジェクトに一枚かんでおく必要があったわけだ。しかし二〇一六年の今、過去五年に及ぶユーロ圏の一部諸国の債務危機のおかげで、大陸ヨーロッパ諸国の経済は弱体化しているのに対して、イギリスは自国経済がより強力だと感じている。経済が強力だからこそ職を求めてやってくるヨーロッパ大陸からの移民の目にはイギリスが魅力的に感じられるのだけれど、そのことが今回のEU離脱をめぐる国民投票で、離脱派有利にバランスが傾くのにも一役買ったのだろう。実のところ移民は、イギリスにとってそれほど大問題ではないのだけれど、多くのイギリス人の所得が二〇〇八年のリーマン・ショック後に低下しているタイミングでは、ポピュリストの政治家の格好の攻撃目標になってしまった。イギリスがEU加盟国である限り、EU市民の流入に制限をもうけるなどということは、(イギリス市民がEU内のどこに住むのも同様に自由なのだから)論外だ。今となっては、イギリス史上たった三度目の国民投票でEU離脱を決めたのだから、イギリスとしてはこれを具体的にどのようなものにするのかに取り組まざるをえない。政治的にも、経済的にもそして戦略的にもね。

From ビル・エモット


ビルへ

 国内政治に少し目を移すと、イギリスの二大政党制はずっと日本人にはいわば目標とすべきモデルだった。でも今となっては、怪しくなった感じだ。なんといっても、保守党、労働党の両方の党首がEU残留を訴えたのに、国民投票で敗れてしまったのだから。既存の二大政党のいずれもが、十分に国民の意思を反映し集約できないし、だからといってイギリスを統治できそうな新たな政党もまだ姿が見えない。大体EU離脱を声高に訴えていたリーダー格の、ナイジェル・ファラージやボリス・ジョンソンが、イギリスのEU離脱を指導する責任を回避したのは皮肉な話だ。新首相のテリーザ・メイは残留派で、彼女がEUとの離脱交渉を指導するのだが、どうやら離脱の影響を最小限に留めようとしているように見える。だったら、そもそもどうして離脱しないといけなかったのかという気持ちもする。国民投票の結果は、少しばかり日本の憲法九条に似ていないでもなくて、厳格に実行することも簡単に無視することもできないという厄介なものだ。ともあれ教えて欲しいのは、イギリスのEU離脱によって、イギリスの二大政党制は終わりの始まりの局面が始まったのかどうか、もしそうならこの次に来そうなものは、いったい何なのだろうか。

From 田所昌幸


(この両者のやりとりは、二〇一六年七月後半に行われた。なお、英語の原文はwww.suntory.com/sfnd/asteion/correspondence/index.htmlで公開している。)

※往復書簡・後編:英離脱後のEUは経済とテロ次第――ビル・エモット&田所昌幸

【参考記事】欧州ホームグロウンテロの背景(1) 現代イスラム政治研究者ジル・ケペルに聞く

ビル・エモット(Bill Emmott)
1956年ロンドン生まれ。オックスフォード大学卒業後、英エコノミスト入社。1983年から3年間東京支局長として日本と韓国を担当、1993年に同誌編集長。2006年にフリーとなり、現在、国際ジャーナリストとして活動している。主な著書に『日はまた沈む――ジャパン・パワーの限界』(草思社)、"Good Italy, Bad Italy"(Yale University Press)などがある。

田所昌幸(Masayuki Tadokoro)
1956年生まれ。京都大学大学院法学研究科中退。姫路獨協大学法学部教授、防衛大学校教授を経て慶應義塾大学法学部教授。専門は国際政治学。著書に『「アメリカ」を超えたドル』(中央公論新社、サントリー学芸賞)、『ロイヤル・ネイヴィーとパクス・ブリタニカ』(編著、有斐閣)など。


※当記事は「アステイオン85」からの転載記事です。






『アステイオン85』
 特集「科学論の挑戦」
 公益財団法人サントリー文化財団
 アステイオン編集委員会 編
 CCCメディアハウス



ビル・エモット(国際ジャーナリスト)、田所昌幸(慶應義塾大学法学部教授)※アステイオン85より転載

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