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【写真特集】教育も未来も奪われて働くシリア難民の子供たち

ニューズウィーク日本版 2017年1月5日 17時50分

<トルコで難民となった多くのシリアの子供たちが、家族の生活を支えるために、低賃金の重労働を強いられている>

 シリアで内戦が勃発して5年。人口2200万だったこの国から、戦火を逃れた490万人がヨーロッパや周辺諸国に脱出し、660万人が国内避難民となった。ヨーロッパが事実上門戸を閉ざした今、多くのシリア難民が、特にトルコ国内で、非人道的な環境下で生活している。

 ユニセフ(国連児童基金)によれば、トルコで難民登録されたシリア人270万人のうち半数以上が子供だ。彼らの80%は学校にも通っていない。

 教育を受ける機会もなく、トルコ政府から経済支援も受けられない子供たちには、働く選択肢しか残されていない。家族の生活を支えるために、多くの子供たちが低賃金の重労働に就いている。戦場を脱しても、彼らの苦境は終わることがない。

【参考記事】「アレッポの惨劇」を招いた欧米の重い罪

 トルコ人の経営者らに話を聞くと、大人よりも子供の難民を雇うことに乗り気な様子がうかがえる。子供たちのほうがまじめできちょうめんで効率的で、その上安く使えるからだという。

 わずかな賃金で、時には1日12時間、何カ月も休みなく、という過酷な労働を課せられる子供たち。彼らは疲れ果て、友達と共にシリアの学校に戻れる日々を夢見ることしかできない。

 教育も未来も奪われた彼らは内戦のもう1つの犠牲者だ。



ムハメッド・キブレウェ(16)
溶接工場での過酷な労働で、月に180ユーロを稼いでいる。シリア第2の都市アレッポの家を追われ、2年前にトルコに逃れてきた。今はシリアと国境を接する南部ハタイ県の町で生活している




アーメド(12)
真っ黒に汚れた手を見せるアーメドは、トルコ南部ガズィアンテプの自動車修理工場で1日に6~10時間働く。アレッポで暮らしていたが空爆で両親を、樽爆弾で2人の姉妹を失い、15歳の姉と共にトルコに逃れてきた。織物工場で働く姉は別の町で暮らす。シリアで1年だけ学校に通ったが、内戦の激化で閉鎖された。それ以来、学校に通ったことはない




マームド(13)
ナス畑で1日に12時間働いて、日給は7ユーロ。コバニから4年前にトルコ南部のアダナに逃れてきた。9歳のときからずっとこの農場で働いている



ファトマ(8、手前)、クロア(10、右奥)
織物工場で週6日働き、月に70ユーロ稼ぐ。最近、衣料チェーンH&Mとネクストが取引するトルコの工場でシリア人の児童を働かせていたことが発覚した




(左から)ムハメッド・ヌル(11)、オメール・ヌル(12)、アブドゥルカディール・ヌル(14)
アレッポを2年前に脱出し、トルコ南部のキリスで暮らす3人の兄弟は、父が始めた家具店を手伝っている。子供たちを学校に通わせず働かせることについて、父は「ほかにどうしようもない。生きるためだ」と言う。ここにはトルコ人客の知り合いはいても、友達は1人もいない。トルコ人からは、なぜ国のために戦わないのかといつも聞かれるという。子供たちの将来について、父はこう語る。「私は何も望んでいない。何のために希望を持つんだ?」




アメール・アンドルーン(15)、アマール・アンドルーン(13)
兄弟2人は毎朝5時に起きてプラスチック容器を回収し、1日に5~6ユーロを稼いでいる。彼らの父親は言う。「私には仕事がないが、子供たちがゴミ集めをしてくれる。人生で今ほど自分を恥じたことはない」




ムハメッド(14、左)、ハリール(13、右)
2年前にアレッポからガズィアンテプに逃れてきた2人は、自動車修理工場で週6日、60時間働く。トルコ人のオーナーは子供3人を含む7人のシリア人を雇っている。シリア人だけを雇用する理由を問われると、オーナーは「彼らの仕事ぶりがかなりいいからだ」と答えた。工場では子供にしかできない作業もあるのだという。「シリア人たちがここに来るまでは、子供の働き手はなかなか見つからなかった」


撮影:エミン・オズメン
トルコ生まれ。大学で物理学を学んだ後、イスタンブールとオーストリアの大学で写真で学位を取得。トルコのマイクロクレジット、ソマリアの干ばつを取材・撮影した著書がある。シリア、イラクなどの紛争で難民になった人々を追った多くの作品は、トルコ国内をはじめ欧米でも高い評価を得ている

Photographs by Emin Özmen-Agence Le Journal

<本誌2016年8月2日号掲載>

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Photographs by EMIN OZMEN

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