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ジャニーズと戦後日本のメディア・家族(後編)

ニューズウィーク日本版 2016年12月29日 11時3分

 論壇誌「アステイオン」85号(公益財団法人サントリー文化財団・アステイオン編集委員会編、CCCメディアハウス、11月29日発行)から、周東美材・東京大学大学院情報学環特任助教による論考「いつも見ていた『ジャニーズ』――戦後日本のメディアと家族」の一部を、2回に分けて抜粋・転載する。 今回は後編。ジャニー喜多川が育てた最初の4人組グループについて、周東氏は「『未熟』でありながら近代家族から愛される〈ジャニーズ〉は、その後の『ジャニーズ』のイメージの原型を形作り、日本社会にとって馴染み深い景色の起源となった」という。それはテレビの家庭化があってこそだった――。

(※なお、本稿では、最初の4人組グループのジャニーズを指すときには〈ジャニーズ〉と表記)

※前編:ジャニーズと戦後日本のメディア・家族(前編)

テレビの家庭化

〈ジャニーズ〉が《若い涙》でデビューした一九六四年といえば、東京オリンピックが開催され、テレビの世帯普及率が九割に届こうとしていた時期であった。ワシントン・ハイツはすでに全面返還されて選手村へと作り変えられており、NHK放送センターの移転先として整備が進められてもいた。日本社会は本格的なテレビ時代の幕開けを迎え、映像メディアが人々の日常を覆うようになっていった。

 テレビをはじめとする最新家電は、豊かで民主的なアメリカ的生活を実現するための必需品であり、家庭の「主婦=奥さま」が新たな生活の経営主体として見出された。一九六〇年代には、松下電器産業をはじめとする日本の電機メーカーの技術者たちは、家電の技術的先端性を謳うことで「日本」という自己イメージを表明していった(吉見二〇〇七:一八三‐二〇六)。

 家庭空間へと受容されたテレビは、「近代家族」によって視聴されるようになっていった。ここでいう「近代家族」とは、男女が恋愛をつうじて出会い、夫が外で働いて妻が家を守り、血縁者のみで構成された家庭のなかで、子どもを愛情深く育てる、というような諸特徴を備えた家族のことである(落合一九八九:一八)。このような家族のありようは、人類に普遍的なものでもなければ、自然なものでもなく、近代国家の基礎単位となるべく生み出されたものだった(西川二〇〇〇:一五‐一六)。

 近代家族は、一家団欒を理想とする。テレビは、この理想を実践し、体現する装置だった。家族たちはテレビに媒介されることで、ナショナルな基礎単位としての実像を具体化していた(小林二〇〇三:七九)。すなわち、家電としてのテレビは、デペンデント・ハウスがもたらしたような新しいアメリカ式生活を実現しながら、国家の単位としての近代家族を具体化し、ナショナルな自意識を生み出す装置となったのである。

 家庭の団欒で視聴されるテレビ番組には、子どもにもその親にも気楽に親しめる人気者が求められた。人気者であるためには、歌唱力や演奏技術の高さは必ずしも絶対の条件ではなく、肩の凝る芸術性も不要だった。テレビ番組の人気者となるのに必要なのは、歌やダンス、芝居、司会、笑いなど幅広い仕事をこなせる器用さや機転、さらには容姿の印象の好感や清潔さだった。ナベプロの渡辺晋・美佐夫妻は、こうしたテレビ時代を予見し、すでにザ・ピーナッツやスクールメイツなどの人材養成に着手していた。ナベプロが指導した後続の〈ジャニーズ〉もまた、テレビ時代が本格的に幕を開けていくなかで、茶の間の人気者となることを目指していった。



「未熟さ」の上演

〈ジャニーズ〉は、プロフェッショナルらしからぬ「未熟さ」を、自らのパフォーマンスにしばしば意識的に取り入れていた。〈ジャニーズ〉が芸能界のなかで革新的だったのは、歌って踊る少年グループとして売り出されたことだったが、それに加えて、どことなくアマチュア性のあるグループだったことである。日刊スポーツ新聞文化部の広瀬勝は、デビューから一年後の一九六五年八月に開催されたコンサートのパンフレットのなかで、「芸能界の新勢力ジャニーズ」として、〈ジャニーズ〉を次のように紹介している。

 ユニークなチームだ。ボーカル・グループとしてなら彼らよりずっといいのがあるし、カワイコちゃんとしてなら舟木一夫や久保浩もいる。だがそれにリズム、つまり身体ごと動きだすダイナミズムが加わったグループとなるとジャニーズしかいない。芸能界のまったく新しい勢力だといえる。(略)

 ジャニーズには清潔感がある。仕事を、授業が終わる午後三時以後にきめ、休みでないと地方には出ない、といった、学生と芸能人との区別をはっきりつけているあたりにもそれが感じられる。「クラブ活動のような気持でいろんなものを吸収していきたい」という彼らの言葉は、プロ意識の有無とは関係のない、もっと若々しいバイタリティをみせる。(『コマ・喜劇――夏の踊り/青春大騒動』梅田コマ・スタジアム、一九六五年八月)

〈ジャニーズ〉は、デューク・エイセスのようなボーカル・グループとは違うし、舟木一夫・西郷輝彦・橋幸夫の「御三家」とも違う、歌って踊る少年グループだった)(4) 。しかも、彼らは、学校にしっかり通っていることが強調され、「クラブ活動」の感覚で芸能活動を展開していたことに独自性があった。

 学生であり、芸能人でもあるような二面性は、プロに徹していないとの批判を呼んだ(和泉一九七六:五二)。ジャニー喜多川自身も、彼らの公演は「学芸会みたいだと言われた」と述べているが、それはテレビ時代には必ずしも欠点とはならなかった。〈ジャニーズ〉にインタビューした作家の平岩弓枝は、彼らはなまじっか中流の家庭に育っているために芸能人としての必死さがなく、その人気は「素人っぽいところにある」と指摘した(平岩弓枝・ジャニーズ「若さの魅力ジャニーズ」『マドモアゼル』一九六五年一一月)。

 ジャニー喜多川は、学生らしいアマチュア性を前面に打ち出し、既存の芸能界の常識を打ち破り、テレビ時代の新勢力を築こうとした。このような学生像は、たとえば十年ほど前の「太陽族」の学生像とも、安保闘争で話題をさらった唐牛健太郎のような学生像とも、根本的に異なっていた。「未熟さ」を上演していくうえで、ジャニー喜多川がこだわったのは「少年らしさ」であった。



〈ジャニーズ〉の後輩フォーリーブスの江木俊夫によれば、ジャニー喜多川は、素朴な感性をもち、ひたむきに夢を追いかけるような少年を採用の基準とした。ジャニー喜多川は、その子どもの顔つきを見ただけで「星の王子さま」のようなアイドルとしての資質の有無を見抜いたという。そのため、ジャニー喜多川自身も、どんなときも「子供心をくずさない気持ち」で、少年たちに接していたし、自宅のレッスン場には「大人の世界の空気を感じさせるようなもの」はいっさいなかったという(江木・小菅一九九七:一九‐二一、六八)。「ジャニーズ・ジュニア」という仕組みは、このような「未熟」で「少年らしい」アイドルたちが絶えず送り出される次世代育成・再生産システムとして機能しており、ジャニーズ事務所の核心だったといえる。ジャニーズ・ジュニアの結成は早く、〈ジャニーズ〉のバック・バンドとしてすでに活動していた(図2 ※アステイオン本誌には掲載)。

 ジャニーズ事務所のアイドルたちが、子どもじみた「未熟さ」を演じて親しみやすいキャラクターを作り上げていったのは、とりもなおさず、テレビを視聴する近代家族を意識してのことであった。〈ジャニーズ〉は『マーガレット』のような雑誌にグラビアが掲載されるなどして少女ファンを取り込んではいたが、ジャニー喜多川は、そのうえさらに、ファンの両親にも好感をもたれる清潔なアイドル、「コンサートに家族連れで行けるようなアイドル」となることを求めた。それは、家族を味方につければ「ファンが連綿と引き継がれていく、というもくろみ」があってのことだった(江木・小菅一九九七:七三)。実際、〈ジャニーズ〉に寄せられたファン・レターの半分は大人たちからのものだったという(中谷一九八九:一三〇)。楽曲も家族向けを意識して作られていたと思われ、なかには「ホーム・ソング調」と評された楽曲もあった(渡辺音楽出版株式会社『黄金の椅子1――ジャニーズ・ヒット・アルバム』国際音楽出版社、発行年不明)。

「ジャニーズ」はファンの家族を巻き込んでいったばかりでなく、ファンたちを「ファミリー」と呼び、「家族」というメタファーをつうじてアイドルを消費する仕組みを作り上げてもいた。現在でも、「ジャニーズ」のファン・クラブは「ファミリー・クラブ」と呼ばれており、台湾のファンたちもまた「傑尼斯家族(ジャニーズ・ファミリー)」と呼ばれている。「ジャニーズ」は一家団欒、子ども中心主義、ヘテロセクシズムといった近代家族的な規範の再生産に寄与したのであり、これに対して挑戦を突きつけることはまずなかった。

【参考記事】SMAP解散危機、ベッキー騒動は「ニュース」なのか?

*本稿は、二〇一六年度サントリー文化財団「知」の試み研究会、ならびにJSPS科研費26870168の研究成果の一部である。本稿で使用した図版はすべて筆者所蔵。

[注]
(4)「御三家」に比べれば、〈ジャニーズ〉は格下扱いだった。たとえば、一九六五年公開の映画「あの雲に歌おう」では、西郷輝彦が友情出演で注目を集め、主題歌も歌ったのに対し、〈ジャニーズ〉は脇役に過ぎず、見どころといえば劇中で唐突に歌われる《若い涙》の歌唱シーンだけだった。そもそも〈ジャニーズ〉は、映画では主演の機会に恵まれなかった。

周東美材(Yoshiki Shuto)
1980年生まれ。東京大学大学院学際情報学府博士課程修了、博士(社会情報学)。首都大学東京、東京音楽大学等の講師。専攻は文化社会学。著書に『童謡の近代――メディアの変容と子ども文化』(岩波書店、日本童謡賞・特別賞、日本児童文学会奨励賞)、『カワイイ文化とテクノロジーの隠れた関係』(共著、東京電機大学出版局、日本感性工学会出版賞)、『文化社会学の条件――二〇世紀日本における知識人と大衆』(共著、日本図書センター)など。


※当記事は「アステイオン85」からの転載記事です。






『アステイオン85』
 特集「科学論の挑戦」
 公益財団法人サントリー文化財団
 アステイオン編集委員会 編
 CCCメディアハウス



周東美材(東京大学大学院情報学環特任助教)※アステイオン85より転載

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