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世界も、今の人たちも、和食の素晴らしさをまだ知らない

ニューズウィーク日本版 2016年12月29日 11時6分

<『昭和のシンプル食生活』を上梓した食文化史研究家の永山久夫氏(85歳)。健康と長寿をもたらす和食について、話を聞いた>

 永山久夫氏は、現在85歳。和食を知り尽くし、「昭和の食生活」を自ら実践してきた専門家だ。福島県に生まれ、漫画家を目指して上京、結婚。一児を授かるが、妻に先立たれてしまう。以来、貧乏暮らしをしながら仕事と子育てを続けた永山氏は、40代も半ばになってから食文化史研究家として活躍するようになった。

 このたび、貧しかった時代を支えた「食の知恵」を初公開し、『ひと月1万円!体にやさしい 昭和のシンプル食生活』(CCCメディアハウス)にまとめた永山氏。キャベツや納豆、甘酒、高野豆腐といった10の食材と、「体とお財布にやさしい」という121の実用的なレシピを紹介し、話題を呼んでいる。

【参考記事】甘酒......心の傷まで治してくれる、飲む点滴・甘酒

 和食は体にいい。だがそれだけなく、世界から注目を集める日本の"ソフトパワー"でもある。和食の可能性や「食の知恵」について、永山氏に聞いた。

――2013年には和食がユネスコの世界無形文化遺産に登録され、いま世界中で和食人気が高まっている。

 和食が世界無形文化遺産に指定されたことは、和食にとって素晴らしいことでした。これによって世界の和食ブームは、次のステップに進み、さらに評価が高まるでしょう。和食はおいしくて美しい、という満足の領域を越えて、長寿食でもあるという認識が高まっていくのはまちがいありません。

 和食を食べている日本人は、世界でもトップクラスの長寿民族ですから、健康と長寿をもたらしてくれる食べ物として、ますます人気が高まるはずです。会席料理的な楽しみ方も見直されるでしょう。美味なる料理を楽しみ、最後にご飯と汁でシメる、という糖質制限にも役立つ食べ方。糖尿病の予防にもなります。

 世界中の人が和食のよさを知ってくれた時、和食の第二期の黄金時代となり、「日本の時代」が訪れると信じています。ただ、そのためには正しい和食の普及が大事ですから、政府をはじめ私たち民間人が地道なPRを続けることです。

【参考記事】ご飯を最後に食べる「会席料理式ダイエット」のすすめ

――翻って日本人の食生活についてはどうか。現代の日本人は、長寿食である和食という文化遺産を生かせているだろうか。

 現代人の食生活の問題点に、糖質や脂質のとり過ぎ、そして肥満があります。日本人の平均寿命が延び悩んでいるのは、不健康な食べ方によって"健康ロス"を引き起こしている人が増えているからです。

 テレビや週刊誌は日常的に健康をテーマにしています。関心が高まっているのです。しかし、「明日の健康」を保証してくれるのは「今日の食」であり、人の体はその人が食べたものによってできていることを知ってもらいたい。

 自分の健康は自分でしかつくれません。昔は生きることが大変で、食事といえばお腹を一杯にすることでしたが、今は豊かで便利になりました。ですから、もう少し毎日の食に注意をはらい、体にいいもの、いい食べ方をして欲しいと思います。もう一度、和食の素晴らしさに気づいてください。

――著書では、単なる和食ではなく、その中でも特に「昭和の食生活」を薦めているが、それはなぜか。

 ひと言で「和食」といっても、1960~70年代、日本人が家庭で食べていた食事が理想的だと思います。渥美清主演の映画『男はつらいよ』がシリーズで上演されていた時代の「昭和の食」が、栄養バランスがしっかりとれていました。ちなみに、第1作が公開されたのは昭和44(1969)年です。

 この時代の昭和は、昔からのよき日本食の伝統が守られ、そこへ肉料理や乳製品文化が加わり、動物性タンパク質もとれていた時代でした。魚や野菜、海草の消費量も今より多く、理想的な食事だったのです。日本人が食べてきた野菜・魚介類と、洋風の肉類・乳製品がほどよく混ざり合った食事でした。

 たとえば、きんぴらゴボウ、カボチャの煮物、焼き魚、豚肉と野菜一杯の豚汁、粕漬けの漬物など。そして、隣近所でおかずの分け合いがあり、貧困も苦にならない希望があり、心のゆとりと、助け合いのやさしさがあった時代でした。

【参考記事】1日おきに魚と肉......栄養のかたよりを防ぐ永山流食事法



永山流食生活は「日本庶民史の再現」だった

――そうした理想的な食生活を実践・提唱するにあたっては、自らの経験だけでなく、食文化史の研究も影響しているのか。

 私の場合の食文化研究というのは、縄文人から現代人までの、庶民目線の食生活の歴史を研究することです。すなわち、庶民の食の知恵の集大成を調べ、まとめ、記録として残すことでした。新聞の連載記事として、日本中の農村・漁村・山村を歩き回って聞き取り、実際に食し、体験しました。

 さらには、日本の長寿村と呼ばれる場所を訪ね、長寿者が何を食べているのか、どんな食事をしていたお陰で長生きできたのか......を調べました。この取材は大いに役に立ち、私の食生活の考え方にも影響を与え、助かりました。

 私のビンボー暮らしの中の"食物篇"は、まさに日本庶民史の再現だったような気がします。それだけに、今の人たちにもこれらの知恵を伝えていくのが私の役目。「日本人が食べてきた食事」を語り続ける、食の語り部になろうと考えています。

――著書では、その"ビンボー暮らし"について赤裸々に語っているが。

 次々とやって来る人生の挫折。その結果として、実に長い長いビンボー生活でした。お金がなく、50代半ばまでシンプルな食事しかできませんでした。しかし、おかげで糖尿病にもならず、いい結果になったようです。

 昔は八百屋でも魚屋でも、クズやアラを超安価に入手できましたが、それを工夫して食べていたことが食文化史研究のベースになりました。プラス、生涯現役力の強化につながったような気がしています。

 頭を使って工夫しました。常に陽気に笑ってきました。ビンボー時代の習慣で今でも身についているのが、「パンポン・パンポン」の掛け声で、これでどれほど気持ちが明るくなったことか。親子3人で、互いの開いた両手に自分の手を合わせ、同時に、歌うように「パンポン・パンポン」と唱える。

 今思えば、つらい現実をのり切るための呪文だったような気がします。特に子どもがそれを好きで、「お父さん、パンポン!」とよくねだりました。家だけでなく、小学校でもクラスの友達とやったので、子どもはパンポンと呼ばれていたそうです。赤塚不二夫の漫画に「バカボンのパパ」という親父のキャラクターがありますが、私は「パンポン親父」でした。

――最後に今後の抱負を。著書には「残っている住宅ローンを早く返済して、もう一度マンガ家に挑戦したいのです。90歳で再デビューを目論んでいます」とあるが。

 人生は夢と道づれ。

 どうやって実現するか。失敗するかもしれない。しかし、挑戦するのが夢。その連続が人生のような気がします。私の場合、「長寿食グルメ」を追い続ける男を主人公にした漫画を描くこと。美味きわまりない長寿食がテーマなのです。

 脳が歓喜にふるえ、長寿遺伝子をオンにしてしまうような、そんな美味なる長寿食を見つけること。あるいは、創作してしまうこと。「長寿食グルメ」を追求しながら、私自身も長生きし、新しい長寿者タイプを作り出していきたいと考えています。漫画の主人公の名は「ひげ先生」で、本のタイトルは「ひげ先生の長寿食」であります。


『ひと月1万円!体にやさしい
 昭和のシンプル食生活』
 永山久夫 著
 CCCメディアハウス



ニューズウィーク日本版ウェブ編集部

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