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靖国参拝で崩れた、真珠湾追悼の「和解」バランス - 冷泉彰彦 プリンストン発 日本/アメリカ 新時代

ニューズウィーク日本版 2016年12月29日 15時40分

<安倍首相とオバマ大統領の真珠湾追悼は、広島と対になる相互性もあり、外交的に評価できる。ところが、直後に防衛相が靖国神社を参拝したことで、日米が打ち出した「和解」のバランスは崩れてしまった>(写真:真珠湾の日米共同追悼は成功だったと言えるが)

 安倍首相とオバマ大統領の真珠湾献花については、「スター・ウォーズ」のヒロイン、レイア姫を演じたキャリー・フィッシャーの急逝というニュースと「扱いを争う」という妙な事態となりました。

 そうではあるのですが、例えばCNNでは録画ながら両首脳のアリゾナ・メモリアルでの黙祷シーンはカットせずに放映されています。オバマより安倍首相が深く頭を垂れ、しかもアメリカの常識では極めて長い黙祷をして、大統領に促されて頭を上げるという映像はバッチリ流れていました。

 その後のスピーチについても、原文では「その御霊よ、安らかなれ・・・」と祈るように語った部分が、'Rest in Peace, Precious Souls of the Fallen'という訳でアメリカには伝わっています。直訳すると「戦いに斃れし尊き魂に平安あれ」というような語感であり、アメリカ人の心にはスッと入っていったように思います。

 報道の全体について言えば、日本では地上波にあたる三大ネットワークなどでは、「キャリー・フィッシャーの訃報」におされて小さな扱いになっていますが、ニュース専門局に加えて、新聞各紙の扱いはかなり大きなものとなりました。
 
 例えばニューヨーク・タイムズでは、翌日の朝刊の一面トップで黙祷する両首脳の大きな写真がカラーで掲載されています。また記事としても、両論併記で大きな記事が2本出ていました。一方は歴史的意義があるという評価で、もう一方は「安倍=オバマ」が上手く行き過ぎたので「オバマ抜きの日米関係」には不安があるという論評でしたが、これも今回の訪問が立派であったということに異論を差し挟むものではありません。

 今回の共同献花というのは、そんなわけで昨年の米議会演説の時点よりも、さらにアメリカでの好感度は増したように思います。外交として極めて成功であったと評価できるでしょう。その時点ではそんな評価ができます。

【参考記事】意外とトランプ支持者にウケた?真珠湾訪問「ショー」

 ところが、問題はその後でした。真珠湾での一連の行事に同行し、しかもアメリカのテレビにも何度も大きく姿が写っていた稲田朋美防衛相が、帰国したその足で靖国神社を参拝しているのです。

 兆候はありました。安倍首相の真珠湾献花に前後して、留守を守っていた今村雅弘復興相が靖国神社を参拝していたのです。その時点では「日本の一部世論を意識すると、安倍首相の真珠湾献花は謝罪ニュアンスが伴うので、そうでもしないとバランスが取れないのか」というような嫌な感じがしただけでした。

 ですが、稲田防衛相が参拝したとなると、これは話が違います。3つ大きな問題点があるように思います。

 1つは、これでは、2017年以降少しずつ呼びかけを行って、今度は中国との相互献花・共同追悼の外交を進める、という期待感に水を差すということです。内外に抵抗の予想されることだけに、慎重に進めなくてはなりませんが「いきなりマイナスからのスタート」ということになったわけです。



 2つ目は、トランプ新政権が当面は取っている「台湾重視、中国とは軍事バランスを探るためにジャブの応酬」という「暫定的な敵対姿勢」という文脈にピタッとハマる格好になるという問題です。この点に関して言えば、経済合理性を軸に「バブル経済」の拡大を志向しているトランプ次期政権が「いつまでも中国と関係を悪化させたまま」である「はずはない」ということを、考えなくてはなりません。

 そんな中で、万が一にも「日本独自の力」で中国とのバランス・オブ・パワーを負担するような「ハシゴ外し」をされたら、日本は経済的に破綻へ向かってしまいます。この問題は極めて緻密な話であって、今回の防衛相の行動は軽率であると言わざるを得ません。

 3つ目は、A級戦犯合祀の問題です。防衛相は参拝の主旨として、「真珠湾の和解を戦没者に報告した」という言い方をしているようで、その点に関しては異論を差し挟む余地はありません。ですが、東条英機陸軍大将以下、7人の刑死者について、「昭和受難者」として合祀がされ、それに対して中国が強い異議を唱えている中では、「アメリカとの相互献花・共同追悼外交の完結」の勢いに乗る形で、現職の防衛相が参拝をするというのは極めて政治的と言わざるを得ません。

【参考記事】安倍首相の真珠湾訪問を中国が非難――「南京が先だろう!」

 何が問題かというと、7人の刑死者というのは「自身が犠牲になることで戦後日本の平和と安定が実現するのであれば」という末期の思いを込めて死刑台に登った方々であるという特殊な事情があります。連合国側には昭和天皇の訴追や処刑を望む声もある中で、7人は天皇訴追という「国のかたちの崩壊」を回避するために、命を捧げたという思いもあったかもしれません。いずれにしても、7人とその遺族の方々には、昭和天皇との間に、そして戦後日本との間に一種の「黙契」があったと考えることができます。

 それは「一切の罪を背負う」という覚悟と引き換えに「戦後日本の平和」を、まさに命懸けで祈念して静かに亡くなったということです。遺族もそうした歴史の重み、故人の死の重みをよく理解して、静かな生活を守っておられると理解しています。一部にはそうでない方もいらっしゃいましたが、それはお孫さん世代で、しかもごく一部、そして既に他界されています。

 そんなわけで、現状において、政治的な意味合いを込めて参拝をするということは、正にこの7人の死という事実を政治利用することに他ならない訳です。また、この7人の位置付けをめぐって、70年後に日本と中国が相互に不快感を深めるようでは、この7人の「平和への遺志」が反故にされていることになるからです。

 今回の真珠湾献花で、広島と真珠湾での追悼の相互性というバランスは確保されたのであって、防衛相の靖国参拝は必要なかったのではないでしょうか。外交面でプラスになることは全くないように思います。

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