<ホロコーストの戦犯アイヒマンの裁判を実現させた検事バウアーの闘いを描く映画『アイヒマンを追え!ナチスがもっとも畏れた男』のラース・クラウメ監督に聞く>(写真:バウアー(左)は部下のカール・アンガーマンの助けを借りて、アイヒマン拘束に乗り出す)
『アイヒマンを追え!ナチスがもっとも畏れた男』は、ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の最重要戦犯アドルフ・アイヒマンの拘束を実現させた1人の男の実話。魅力的な主人公と歴史の重み、スリリングな展開に引き込まれる(日本公開は1月7日)。
舞台は50年代後半のドイツ。ヘッセン州検事長フリッツ・バウアー(ブルクハルト・クラウスナー)は、ナチスの戦争犯罪の追及に心血を注いでいる。しかし政治やビジネスの中枢に元ナチス党員が残る中では、簡単なことではなかった。ある日、アイヒマンの潜伏情報をつかんだバウアーは、イスラエルの諜報機関モサドへの協力を依頼するが......。
史実と架空のドラマをうまく交錯させて、重苦し過ぎない作品に仕上げたラース・クラウメ監督に話を聞いた。
***
――バウアーについての映画を作ろうと思ったのは?
イスラエルのモサドによるアイヒマン捕獲作戦は有名だ。しかしその裏にドイツ人の検事がいたこと、しかも彼がドイツの法廷でアイヒマンを裁こうとしたことは当時まったく知られていなかった。
バウアーのキャラクターも面白い。クロード・ランズマン監督の『SHOAH ショア』にも描かれたとおり、戦争が終わったばかりの50年代には、被害者であるユダヤ人たちも、元ナチスの人たちも自らの体験に口をつぐんでいた。その中で、ドイツに必要なのは歴史に向き合うことだと声を上げたのがバウアーだった。そこに僕はすごく想像をかきたてられた。
しかも彼は完全なアウトサイダー。極左の社会民主党党員でユダヤ人、当時は禁じられていた同性愛者でもあった。脅迫を受けていたし、秘密警察や諜報機関を信用して連携することもできなかった。保守的なアデナウアー政権下で、周囲から孤立しながら必死に闘った。
【参考記事】再ナチ化が進行していたドイツの過去の克服の物語『アイヒマンを追え!』
――敵だらけの中で彼が闘い続けることができたのはなぜか。
われわれなりの解釈を映画の後半に示した。「独裁にあなたたちを支配させてはいけない」と彼が若者たちに語る言葉だ。それが、彼のモチベーションになったのではないか。
もう1つ、バウアーは33年に政治犯として強制収容所に収容され、政治的な転向書に署名した。ナチスに一度屈したという思いがあったのだろう。その後は49年まで亡命しており、安全な地から友人や家族が殺されていくのを見ていた。その罪悪感も、信念を曲げずに闘い続けた原動力の1つだったかもしれない。
重要なのは、バウアーを動かしたのが復讐心ではなかったこと。民主主義的な価値観と人道的な理念のためだった。
――バウアー役について、クラウスナーとはどんな話をしたか。
バウアーは強い個性の持ち主で、ボディランゲージと口調がかなり独特。常にぴりぴりしていて、チェーンスモーカーで......。僕らが考えたのは、それをどこまで再現するかということ。作品の全体的なトーンにも関わってくるからね。
大切なのはディテールだった。例えば彼の家系は2世代前にドイツにやってユダヤ人だが、非常にドイツ人らしい話し方をする。中上流層のユダヤ系ドイツ人はドイツらしい言葉や文化を持ち、ドイツを心から愛していた。共生していたドイツ人とユダヤ人をナチスが分断したという歴史を考えても、バウアーがドイツ人らしいアクセントで話すことは重要だった。
当時は犯罪とされた同性愛の問題もテーマになっている © 2015 zero one film / TERZ Film
――ナチスの犯罪を裁くフランクフルト・アウシュビッツ裁判(63~65年)でバウアーは原告団を率いた。半年ほど前に94歳の元ナチス親衛隊員に禁錮5年が言い渡されたように、今でもナチスの犯罪に対する裁判は続いている。
強制収容所の元看守ジョン・デミャニュクが懲役5カ月になった、2011年の画期的な裁判がある。このとき初めて、強制収容所に関与した者は高官でも看守でも、自ら殺人行為を行っていなくても殺人罪に問えることが認められた。それはアウシュビッツ裁判でバウアーが判例にしようとして、かなわなかったことだ。
アウシュビッツ裁判からこれだけの時間がかり、責任を問われなった人がたくさんいたことは悲劇だと思う。今日まで、知識階級層のホロコースト責任者たちは1人も殺人罪で起訴されていない。
――あなたはアイヒマンの裁判を同時代では経験していない。当時を知らないから難しかったこと、反対に良かったことはあるか。
バウワーの時代は、自分にとって遠いものではない。両親の青春時代がこの映画の舞台の時期で、両親や祖父母の話から時代の雰囲気なども分かっていた。
共同脚本のオリビエ・グエズがユダヤ系フランス人だったことは助けになった。ドイツ人にとって、ホロコーストの話は罪悪感からとても語りづらいものだ。映画を作ることで、その気まずさを乗り越えることができたのは自分にとって大きかった。
【参考記事】今の韓国社会の無力感を映し出す? 映画『フィッシュマンの涙』
――ドイツでも日本でも、戦争中の自国の行為についていつまで謝罪を続けるべきか、という議論があると思うが、ドイツでは今、どのように考えらているのか?
常にわれわれは振り返らないといけないし、同時に前を向かなくてはならない。ドイツでは(東西ドイツ分断の)48年からずっと、一定のゴールを決めてそこからはこの話をするのはやめようという雰囲気があるし、実際にそう主張する人もいる。でもそれは間違っていると思う。あれだけの極端な経験は話し続け、語り継がれなければならない。
今日の世界のあり方は、過去と関係がある。ドイツが50年代に「経済の奇跡」と呼ばれる経済成長を実現したのはドイツ人が几帳面で勤勉で頭がいいからだと言われているが、そこには嘘がある。
それも一面かもしれないが、もう1つ、アメリカの資金援助があった。西ドイツを共産主義の防衛線にしたかったからだ。第2次大戦後のドイツから再び戦争を起こす能力を奪うため重工業を解体し、農業国にするという計画もあったが、結局はアメリカがドイツを復興させようと判断したことが大きかった。
歴史を見なければ現在を理解することはできない。だから、もう十分だ、忘れようとは絶対に言えない。
別の例を言うと、「アラブの春」が起きたとき、ドイツ人を含めヨーロッパの人々は、「彼らは民主主義のことなんて何も分かっていない」と言っていた。欧州ではフランス革命から第2次大戦の終わりまで200年かけて民主主義は成熟していったのに、そんな自分たちの歴史を忘れているから言えることだ。
大橋 希(本誌記者)
『アイヒマンを追え!ナチスがもっとも畏れた男』は、ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の最重要戦犯アドルフ・アイヒマンの拘束を実現させた1人の男の実話。魅力的な主人公と歴史の重み、スリリングな展開に引き込まれる(日本公開は1月7日)。
舞台は50年代後半のドイツ。ヘッセン州検事長フリッツ・バウアー(ブルクハルト・クラウスナー)は、ナチスの戦争犯罪の追及に心血を注いでいる。しかし政治やビジネスの中枢に元ナチス党員が残る中では、簡単なことではなかった。ある日、アイヒマンの潜伏情報をつかんだバウアーは、イスラエルの諜報機関モサドへの協力を依頼するが......。
史実と架空のドラマをうまく交錯させて、重苦し過ぎない作品に仕上げたラース・クラウメ監督に話を聞いた。
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――バウアーについての映画を作ろうと思ったのは?
イスラエルのモサドによるアイヒマン捕獲作戦は有名だ。しかしその裏にドイツ人の検事がいたこと、しかも彼がドイツの法廷でアイヒマンを裁こうとしたことは当時まったく知られていなかった。
バウアーのキャラクターも面白い。クロード・ランズマン監督の『SHOAH ショア』にも描かれたとおり、戦争が終わったばかりの50年代には、被害者であるユダヤ人たちも、元ナチスの人たちも自らの体験に口をつぐんでいた。その中で、ドイツに必要なのは歴史に向き合うことだと声を上げたのがバウアーだった。そこに僕はすごく想像をかきたてられた。
しかも彼は完全なアウトサイダー。極左の社会民主党党員でユダヤ人、当時は禁じられていた同性愛者でもあった。脅迫を受けていたし、秘密警察や諜報機関を信用して連携することもできなかった。保守的なアデナウアー政権下で、周囲から孤立しながら必死に闘った。
【参考記事】再ナチ化が進行していたドイツの過去の克服の物語『アイヒマンを追え!』
――敵だらけの中で彼が闘い続けることができたのはなぜか。
われわれなりの解釈を映画の後半に示した。「独裁にあなたたちを支配させてはいけない」と彼が若者たちに語る言葉だ。それが、彼のモチベーションになったのではないか。
もう1つ、バウアーは33年に政治犯として強制収容所に収容され、政治的な転向書に署名した。ナチスに一度屈したという思いがあったのだろう。その後は49年まで亡命しており、安全な地から友人や家族が殺されていくのを見ていた。その罪悪感も、信念を曲げずに闘い続けた原動力の1つだったかもしれない。
重要なのは、バウアーを動かしたのが復讐心ではなかったこと。民主主義的な価値観と人道的な理念のためだった。
――バウアー役について、クラウスナーとはどんな話をしたか。
バウアーは強い個性の持ち主で、ボディランゲージと口調がかなり独特。常にぴりぴりしていて、チェーンスモーカーで......。僕らが考えたのは、それをどこまで再現するかということ。作品の全体的なトーンにも関わってくるからね。
大切なのはディテールだった。例えば彼の家系は2世代前にドイツにやってユダヤ人だが、非常にドイツ人らしい話し方をする。中上流層のユダヤ系ドイツ人はドイツらしい言葉や文化を持ち、ドイツを心から愛していた。共生していたドイツ人とユダヤ人をナチスが分断したという歴史を考えても、バウアーがドイツ人らしいアクセントで話すことは重要だった。
当時は犯罪とされた同性愛の問題もテーマになっている © 2015 zero one film / TERZ Film
――ナチスの犯罪を裁くフランクフルト・アウシュビッツ裁判(63~65年)でバウアーは原告団を率いた。半年ほど前に94歳の元ナチス親衛隊員に禁錮5年が言い渡されたように、今でもナチスの犯罪に対する裁判は続いている。
強制収容所の元看守ジョン・デミャニュクが懲役5カ月になった、2011年の画期的な裁判がある。このとき初めて、強制収容所に関与した者は高官でも看守でも、自ら殺人行為を行っていなくても殺人罪に問えることが認められた。それはアウシュビッツ裁判でバウアーが判例にしようとして、かなわなかったことだ。
アウシュビッツ裁判からこれだけの時間がかり、責任を問われなった人がたくさんいたことは悲劇だと思う。今日まで、知識階級層のホロコースト責任者たちは1人も殺人罪で起訴されていない。
――あなたはアイヒマンの裁判を同時代では経験していない。当時を知らないから難しかったこと、反対に良かったことはあるか。
バウワーの時代は、自分にとって遠いものではない。両親の青春時代がこの映画の舞台の時期で、両親や祖父母の話から時代の雰囲気なども分かっていた。
共同脚本のオリビエ・グエズがユダヤ系フランス人だったことは助けになった。ドイツ人にとって、ホロコーストの話は罪悪感からとても語りづらいものだ。映画を作ることで、その気まずさを乗り越えることができたのは自分にとって大きかった。
【参考記事】今の韓国社会の無力感を映し出す? 映画『フィッシュマンの涙』
――ドイツでも日本でも、戦争中の自国の行為についていつまで謝罪を続けるべきか、という議論があると思うが、ドイツでは今、どのように考えらているのか?
常にわれわれは振り返らないといけないし、同時に前を向かなくてはならない。ドイツでは(東西ドイツ分断の)48年からずっと、一定のゴールを決めてそこからはこの話をするのはやめようという雰囲気があるし、実際にそう主張する人もいる。でもそれは間違っていると思う。あれだけの極端な経験は話し続け、語り継がれなければならない。
今日の世界のあり方は、過去と関係がある。ドイツが50年代に「経済の奇跡」と呼ばれる経済成長を実現したのはドイツ人が几帳面で勤勉で頭がいいからだと言われているが、そこには嘘がある。
それも一面かもしれないが、もう1つ、アメリカの資金援助があった。西ドイツを共産主義の防衛線にしたかったからだ。第2次大戦後のドイツから再び戦争を起こす能力を奪うため重工業を解体し、農業国にするという計画もあったが、結局はアメリカがドイツを復興させようと判断したことが大きかった。
歴史を見なければ現在を理解することはできない。だから、もう十分だ、忘れようとは絶対に言えない。
別の例を言うと、「アラブの春」が起きたとき、ドイツ人を含めヨーロッパの人々は、「彼らは民主主義のことなんて何も分かっていない」と言っていた。欧州ではフランス革命から第2次大戦の終わりまで200年かけて民主主義は成熟していったのに、そんな自分たちの歴史を忘れているから言えることだ。
大橋 希(本誌記者)