<年末の30日にシリア全土で停戦が発行したが、その実効性は不透明だ。昨年末、シリア北部の要衝アレッポが政府側によって制圧された意味とは。そして、シリアの2017年を展望する>2016年12月24日執筆
2016年12月22日、シリア軍総司令部はアレッポ市をテロリズムとテロリストから解放し、同地に安全と安定を回復したと発表した。アレッポ市はシリア有数の大都市で、その政治・経済・社会的重要性は首都であるダマスカスに次ぐものと考えられているため、ここをシリア政府が確保した意義は大きい。後述するが、政府側がアレッポ制圧を盤石なものとすれば2011年の紛争勃発以降、想定、或いは夢想されていたシリア紛争の帰趨についての構想・計画の一部にとどめを刺す結果となろう。
一方、アレッポ市の攻防については、民間人に対する「無差別攻撃」、「虐殺」や、食糧や物資の不足のような「人道危機」が国際的な注目を浴びた。これにより、アレッポと同様の危機的状況に陥っているイラクのモスル、イエメン、そしてシリア国内でもトルコ軍やアメリカ率いる連合軍の攻撃対象となっている地域の「人道危機」に対する国際的関心が著しく低下するという異常事態が生じてしまった。こうした問題を念頭において、アレッポの情勢を分析し、シリア紛争の今後を展望してみよう。
立てこもっていたのは誰か、退去しているのは誰か?
攻防戦に事実上の決着がついた12月10日過ぎから、アレッポ情勢の焦点となっていたのは「反体制派」が占拠していた地域にいた人々を何処かへ退去させ、その間の彼らの身の安全をいかに保障するかという問題であった。攻防が本格化した11月時点では「反体制派」の占拠地域には25万人がいることになっていたが、戦闘が終わるとこの推計は実数より相当多かったことが明らかになった。シリア政府の発表では退去するのは「テロリストとその家族」ということになるが、今般退去した者全員がこれに該当するわけではない。また、当然ながら全員が全く無辜の民間人というわけでもない。大まかに見ると、「反体制派」の占拠地域にいた人々は以下のように分類できる。
○「反体制派」の戦闘員:「反体制派」の主力は、外国人戦闘員を用いる「ヌスラ戦線(現:「シャーム征服戦線」)」、「シャーム自由人運動」のようなイスラーム過激派諸派である。また、「トルキスタン・イスラーム党」という中華人民共和国西部の起源のイスラーム過激派武装勢力もおり、戦闘員の一部は外国人であろう。これまでシリア政府が「反体制派」の占拠地域を解消する「和解」の例を見ると、彼らは重火器を放棄する、恐喝や身代金目的でとらえた誘拐被害者を解放する、などの条件を満たせば「反体制派」が占拠する他の地域へと退去できる。彼らの多くはトルコ軍の庇護下に入ることができるアレッポ県の北部への退去を希望したようであるが、これは認められず、最終的にはアレッポ県の南西隣りに位置するイドリブ県へと退去したようである。
○「反体制派」の非戦闘員:女性や高齢者、子供や戦闘員の家族がこの範疇に入ると思われる。女性や高齢者、未成年者でも確信をもって「反体制派」を支持したり、その活動を担ったりする人々も明らかに存在する。そのような人々も、「反体制派」として退去することとなるだろう。政府側による非戦闘員に対する略奪・迫害・拷問などに懸念や非難を表明した諸国や機関は多かったが、彼らを自ら庇護しようとした国も機関も一つもなかった。ただし、戦闘期間中、SNS上で「現地の悲劇的な状況」を流ちょうな英語で発信した幼女は早々にトルコに脱出し、同国のエルドアン大統領との面会を果たした。
○一般の民間人:自宅などの不動産、或いは家業にまつわる生産手段を守るため、他の地域に脱出するための資源も頼る先もないなどの理由で残らざるを得なかった一般人の中にも、退去を選択した者がいるだろう。政府が制圧した以上、そこに住む人々は兵役、納税、公務員・学生としての職業的身分、公共料金の支払いなどなど、政府と法的立場を調整する必要が生じる。とりわけ、軍や警察の部隊からの逃亡者や徴兵忌避者は、法的立場を調整した結果戦闘に駆り出されることよりも、退去を選択する誘因が強くなる。
【参考記事】「アレッポの惨劇」を招いた欧米の重い罪
政府側は退去の条件を満たさない戦闘員の監視や、民間人の法的立場の調整などの措置のため退去する者の身柄を検めようとした。こうした行動を、「反体制派」側は逮捕・拷問・処刑が行われていると非難し、退去が度々滞った。にもかかわらず、退去そのものは22日までに終了したため、直前に国連安保理で採択された監視団の派遣や人道援助の搬入についての決議には主な対象者・地域がなくなってしまった。
誰の何が失敗したのか?
政府軍がアレッポを完全に制圧し、「反体制派」が短期間でこれを覆す見込みがない状況で、シリア紛争の終結に向けて描かれていた様々な筋書きのうちの一つが完全に潰えた。この筋書きは、「反体制派」がアレッポに侵攻した2012年ごろにアメリカやトルコが描いていた構想に近い筋書きである。具体的には、(1)人口も多く、政治・経済・社会的影響力も強いアレッポを「反体制派」が制圧する→(2)そこに「反体制派」が「シリア人民を代表する正統な政体(らしきもの)」を樹立する→(3)諸外国はその「政体(らしきもの)」を承認し、その要請に応じて飛行禁止区域の設定やシリア政府軍への攻撃を行う→(4)その「政体(らしきもの)」を名目上の旗頭として、シリア政府を軍事的に打倒する、との筋書きである。これは、2011年にリビアでカッザーフィー政権を打倒した際の事例に近いものである。「政体(らしきもの)」を樹立するためには、ある程度の「国民(らしきもの)」がついてこないと説得力がないため、そのよりどころとしてのアレッポの価値はイドリブ、ラッカ、ダイル・ザウル、パルミラのような、地方都市規模の都市ではとても代替できない。
その後、「反体制派」には政治的にも軍事的にも諸外国の期待に応える能力がないことが判明した、先行事例であるリビアでカッザーフィー政権打倒後の政治過程が破綻した、などの事情で上記の筋書きの実現性は極めて低くなった。それにもかかわらず、「反体制派」がアレッポ市の一角を占拠し続ける間、この筋書きは生き延び続けた。2016年8月以降トルコ軍が侵攻・占領した地域に設定しようとしている「安全地帯」や、今も時折アメリカの政治家が表明する「安全地帯」設置構想は、「正統な政体(らしきもの)」の核を欠いた構想へと失墜することとなろう。アレッポ攻防戦の決着で直ちに紛争が終わるわけではないが、当初アメリカやそれに与する諸国が構想したシリア紛争終結の筋書きの一つが破綻したことは否定しようがない。
2017年の展望
今後の政府軍の作戦の目標は、当座はダマスカス、アレッポ両市の近郊の確保、人口密集地に孤立して点在する「反体制派」が占拠する地域の解放になる可能性が高い。「反体制派」の根拠地であるイドリブ県や、12月に「イスラーム国」に再度占拠されたパルミラの奪還は容易ではない。なぜなら、アレッポでの戦局如何を問わず、「反体制派」と「イスラーム国」が政府軍を挟撃する配置は変わらないからである。政府軍としては、身近な不安定要素を除去し、敵方によって挟撃されているという不利な配置でも戦果を上げられるだけの備えが必要である。
一方、「反体制派」が局面を打開するためには、支援国による大幅な援助増が必須であろう。ただし、直接軍事介入したり援助を大幅に増やしたりする意思と能力のある国は見当たらないし、「反体制派」を支援する諸国の間でもシリア紛争を通じて実現したい利益や目標が各々バラバラで、支援そのものの能率もあまり良くない。軍事的にだけでなく政治・外交・経済面でも根本的な発想の転換がなければ、「反体制派」への支援継続は紛争をいたずらに長期化させ、助けるはずのシリア人民の苦しみを増幅させる以外の結果をもたらさない。また、トルコがロシアとの協調を進める過程で、「反体制派」に対しこれまでは積極的に支援してきた「ヌスラ戦線」との絶縁を勧告した模様である。従来から「反体制派」は諸派の間の権益争いなどの内紛を繰り返し、戦機を逸してきた。ここでトルコがイスラーム過激派との関係を清算するようなことになると、それを契機に「反体制派」間での抗争・自滅が進む可能性も予想される。
「イスラーム国」に目を移せば、その衰退は必然的である。ただし、衰退の原因は連合国が行っている爆撃ではない。「イスラーム国」自身が占拠した地域の住民に対し搾取と虐待を繰り返すだけの存在だということが明らかになるとともに、2015年以来「イスラーム国」にとって資源の供給地だったEU諸国、チュニジア、アラビア半島諸国でも攻撃を起こすようになり、資源の調達先で取り締まりが強化されたからである。2016年からは「イスラーム国」自身がEU諸国やトルコでの攻撃扇動を強めており、これは大局的に見れば活動に必要な資源調達の道を断つ自殺行為ともいえる。
現在「イスラーム国」の脅威が増しているように感じられるのは、イラクやシリアの外での資源調達や、プロパガンダを抑える取り組みが徹底されていないところがあるからだ。この点についてもっと実証的・実践的な調査や分析が必要であり、今や「イスラームフォビア」や「ムスリムの怒り」、「格差や差別」を観念的に語るだけでは「イスラーム国」やイスラーム過激派について何か説明したことにはなっていない。
2017年はイスラーム過激派による資源調達やプロパガンダの実態、それへの対策に焦点を当てた調査・研究・報道が主流にならないと、「専門家」や「報道機関」の存在意義が問われる年になるだろう。
[プロフィール]
髙岡豊
公益財団法人中東調査会 上席研究員
新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。2014年5月より現職。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店など。
※当記事はYahoo!ニュース 個人からの転載です。
髙岡豊(公益財団法人中東調査会 上席研究員)
2016年12月22日、シリア軍総司令部はアレッポ市をテロリズムとテロリストから解放し、同地に安全と安定を回復したと発表した。アレッポ市はシリア有数の大都市で、その政治・経済・社会的重要性は首都であるダマスカスに次ぐものと考えられているため、ここをシリア政府が確保した意義は大きい。後述するが、政府側がアレッポ制圧を盤石なものとすれば2011年の紛争勃発以降、想定、或いは夢想されていたシリア紛争の帰趨についての構想・計画の一部にとどめを刺す結果となろう。
一方、アレッポ市の攻防については、民間人に対する「無差別攻撃」、「虐殺」や、食糧や物資の不足のような「人道危機」が国際的な注目を浴びた。これにより、アレッポと同様の危機的状況に陥っているイラクのモスル、イエメン、そしてシリア国内でもトルコ軍やアメリカ率いる連合軍の攻撃対象となっている地域の「人道危機」に対する国際的関心が著しく低下するという異常事態が生じてしまった。こうした問題を念頭において、アレッポの情勢を分析し、シリア紛争の今後を展望してみよう。
立てこもっていたのは誰か、退去しているのは誰か?
攻防戦に事実上の決着がついた12月10日過ぎから、アレッポ情勢の焦点となっていたのは「反体制派」が占拠していた地域にいた人々を何処かへ退去させ、その間の彼らの身の安全をいかに保障するかという問題であった。攻防が本格化した11月時点では「反体制派」の占拠地域には25万人がいることになっていたが、戦闘が終わるとこの推計は実数より相当多かったことが明らかになった。シリア政府の発表では退去するのは「テロリストとその家族」ということになるが、今般退去した者全員がこれに該当するわけではない。また、当然ながら全員が全く無辜の民間人というわけでもない。大まかに見ると、「反体制派」の占拠地域にいた人々は以下のように分類できる。
○「反体制派」の戦闘員:「反体制派」の主力は、外国人戦闘員を用いる「ヌスラ戦線(現:「シャーム征服戦線」)」、「シャーム自由人運動」のようなイスラーム過激派諸派である。また、「トルキスタン・イスラーム党」という中華人民共和国西部の起源のイスラーム過激派武装勢力もおり、戦闘員の一部は外国人であろう。これまでシリア政府が「反体制派」の占拠地域を解消する「和解」の例を見ると、彼らは重火器を放棄する、恐喝や身代金目的でとらえた誘拐被害者を解放する、などの条件を満たせば「反体制派」が占拠する他の地域へと退去できる。彼らの多くはトルコ軍の庇護下に入ることができるアレッポ県の北部への退去を希望したようであるが、これは認められず、最終的にはアレッポ県の南西隣りに位置するイドリブ県へと退去したようである。
○「反体制派」の非戦闘員:女性や高齢者、子供や戦闘員の家族がこの範疇に入ると思われる。女性や高齢者、未成年者でも確信をもって「反体制派」を支持したり、その活動を担ったりする人々も明らかに存在する。そのような人々も、「反体制派」として退去することとなるだろう。政府側による非戦闘員に対する略奪・迫害・拷問などに懸念や非難を表明した諸国や機関は多かったが、彼らを自ら庇護しようとした国も機関も一つもなかった。ただし、戦闘期間中、SNS上で「現地の悲劇的な状況」を流ちょうな英語で発信した幼女は早々にトルコに脱出し、同国のエルドアン大統領との面会を果たした。
○一般の民間人:自宅などの不動産、或いは家業にまつわる生産手段を守るため、他の地域に脱出するための資源も頼る先もないなどの理由で残らざるを得なかった一般人の中にも、退去を選択した者がいるだろう。政府が制圧した以上、そこに住む人々は兵役、納税、公務員・学生としての職業的身分、公共料金の支払いなどなど、政府と法的立場を調整する必要が生じる。とりわけ、軍や警察の部隊からの逃亡者や徴兵忌避者は、法的立場を調整した結果戦闘に駆り出されることよりも、退去を選択する誘因が強くなる。
【参考記事】「アレッポの惨劇」を招いた欧米の重い罪
政府側は退去の条件を満たさない戦闘員の監視や、民間人の法的立場の調整などの措置のため退去する者の身柄を検めようとした。こうした行動を、「反体制派」側は逮捕・拷問・処刑が行われていると非難し、退去が度々滞った。にもかかわらず、退去そのものは22日までに終了したため、直前に国連安保理で採択された監視団の派遣や人道援助の搬入についての決議には主な対象者・地域がなくなってしまった。
誰の何が失敗したのか?
政府軍がアレッポを完全に制圧し、「反体制派」が短期間でこれを覆す見込みがない状況で、シリア紛争の終結に向けて描かれていた様々な筋書きのうちの一つが完全に潰えた。この筋書きは、「反体制派」がアレッポに侵攻した2012年ごろにアメリカやトルコが描いていた構想に近い筋書きである。具体的には、(1)人口も多く、政治・経済・社会的影響力も強いアレッポを「反体制派」が制圧する→(2)そこに「反体制派」が「シリア人民を代表する正統な政体(らしきもの)」を樹立する→(3)諸外国はその「政体(らしきもの)」を承認し、その要請に応じて飛行禁止区域の設定やシリア政府軍への攻撃を行う→(4)その「政体(らしきもの)」を名目上の旗頭として、シリア政府を軍事的に打倒する、との筋書きである。これは、2011年にリビアでカッザーフィー政権を打倒した際の事例に近いものである。「政体(らしきもの)」を樹立するためには、ある程度の「国民(らしきもの)」がついてこないと説得力がないため、そのよりどころとしてのアレッポの価値はイドリブ、ラッカ、ダイル・ザウル、パルミラのような、地方都市規模の都市ではとても代替できない。
その後、「反体制派」には政治的にも軍事的にも諸外国の期待に応える能力がないことが判明した、先行事例であるリビアでカッザーフィー政権打倒後の政治過程が破綻した、などの事情で上記の筋書きの実現性は極めて低くなった。それにもかかわらず、「反体制派」がアレッポ市の一角を占拠し続ける間、この筋書きは生き延び続けた。2016年8月以降トルコ軍が侵攻・占領した地域に設定しようとしている「安全地帯」や、今も時折アメリカの政治家が表明する「安全地帯」設置構想は、「正統な政体(らしきもの)」の核を欠いた構想へと失墜することとなろう。アレッポ攻防戦の決着で直ちに紛争が終わるわけではないが、当初アメリカやそれに与する諸国が構想したシリア紛争終結の筋書きの一つが破綻したことは否定しようがない。
2017年の展望
今後の政府軍の作戦の目標は、当座はダマスカス、アレッポ両市の近郊の確保、人口密集地に孤立して点在する「反体制派」が占拠する地域の解放になる可能性が高い。「反体制派」の根拠地であるイドリブ県や、12月に「イスラーム国」に再度占拠されたパルミラの奪還は容易ではない。なぜなら、アレッポでの戦局如何を問わず、「反体制派」と「イスラーム国」が政府軍を挟撃する配置は変わらないからである。政府軍としては、身近な不安定要素を除去し、敵方によって挟撃されているという不利な配置でも戦果を上げられるだけの備えが必要である。
一方、「反体制派」が局面を打開するためには、支援国による大幅な援助増が必須であろう。ただし、直接軍事介入したり援助を大幅に増やしたりする意思と能力のある国は見当たらないし、「反体制派」を支援する諸国の間でもシリア紛争を通じて実現したい利益や目標が各々バラバラで、支援そのものの能率もあまり良くない。軍事的にだけでなく政治・外交・経済面でも根本的な発想の転換がなければ、「反体制派」への支援継続は紛争をいたずらに長期化させ、助けるはずのシリア人民の苦しみを増幅させる以外の結果をもたらさない。また、トルコがロシアとの協調を進める過程で、「反体制派」に対しこれまでは積極的に支援してきた「ヌスラ戦線」との絶縁を勧告した模様である。従来から「反体制派」は諸派の間の権益争いなどの内紛を繰り返し、戦機を逸してきた。ここでトルコがイスラーム過激派との関係を清算するようなことになると、それを契機に「反体制派」間での抗争・自滅が進む可能性も予想される。
「イスラーム国」に目を移せば、その衰退は必然的である。ただし、衰退の原因は連合国が行っている爆撃ではない。「イスラーム国」自身が占拠した地域の住民に対し搾取と虐待を繰り返すだけの存在だということが明らかになるとともに、2015年以来「イスラーム国」にとって資源の供給地だったEU諸国、チュニジア、アラビア半島諸国でも攻撃を起こすようになり、資源の調達先で取り締まりが強化されたからである。2016年からは「イスラーム国」自身がEU諸国やトルコでの攻撃扇動を強めており、これは大局的に見れば活動に必要な資源調達の道を断つ自殺行為ともいえる。
現在「イスラーム国」の脅威が増しているように感じられるのは、イラクやシリアの外での資源調達や、プロパガンダを抑える取り組みが徹底されていないところがあるからだ。この点についてもっと実証的・実践的な調査や分析が必要であり、今や「イスラームフォビア」や「ムスリムの怒り」、「格差や差別」を観念的に語るだけでは「イスラーム国」やイスラーム過激派について何か説明したことにはなっていない。
2017年はイスラーム過激派による資源調達やプロパガンダの実態、それへの対策に焦点を当てた調査・研究・報道が主流にならないと、「専門家」や「報道機関」の存在意義が問われる年になるだろう。
[プロフィール]
髙岡豊
公益財団法人中東調査会 上席研究員
新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。2014年5月より現職。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店など。
※当記事はYahoo!ニュース 個人からの転載です。
髙岡豊(公益財団法人中東調査会 上席研究員)