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やはりマニラは厳しい都市だった

ニューズウィーク日本版 2017年1月10日 17時0分

<「国境なき医師団」(MSF)を取材することになった いとうせいこうさんは、ハイチ、ギリシャの現場で、様々な声を聞き、そして、今度はフィリピン、マニラのスラムを訪ねることになった...>

これまでの記事:「いとうせいこう、『国境なき医師団』を見に行く 」

苦手な場所だったはずが

 フィリピンのマニラは昔から苦手な場所だ、とずいぶん昔、南の島を幾つも渡り歩いていた折に書いたことがある。

 人々の貧困を空港を降りてすぐに目の当たりにしてしまうからだ。

 それは隠れようもなく、向こうから手を伸ばして近づいてくる。

 そして市内には常に警備員やSWAT(特殊火器戦術部隊)が配備され、緊張感が絶えない。

 同じ貧困はインドでも見てとれたものである。だがそことは別の壮絶な富の不均衡を、俺はかつてマニラで何度も感じた。より西洋化された都市だからかも知れない。

 不思議なもので、そのマニラに行くことになった。もともとどこへ行ってもいいように空けておいたスケジュールに、出発前5日くらいに指令が下ったのである。

 観察すべきはマニラ市内の『リプロダクティブ・ヘルスに関わるミッション』だと、広報の谷口さんからのメールには書いてあったのだが、俺はそもそも「リプロダクティブ・ヘルス」というものがなんであるかよくわからなかった。今はすでに取材済みだから理解しているが、それでもうまい日本語がない。

 日本ではこれを保健医療用語として「性と生殖に関する健康」と訳し、公的機関や『国境なき医師団(MSF)』でもそれを用いているらしいのだけれど、ストンと胸には落ちないのだ。

 要は妊娠や出産、避妊といった生殖、または性感染症・性暴力ケアなどにまつわることの総体であり、実質は「女性を守るプロジェクト」と言っていいと俺などは思うのだが、MSF的にそれが正確な表現だと認め得るかどうか、すべてはこの「マニラ編」を書きながら俺なりに考えていきたい。<この名称や考えの部分に関しては、谷口さんが「男性の役割・責任・自由も範疇に含まれていて...」と、他の優れた団体のURLを送ってくれた。ファザリング・ジャパン。とても参考になる>

フィリピン人の親切さ!

 さて、11月21日にマニラの空港に着き、入国審査もすませて荷物受け取りをしようとした俺は、自分が持っていた小さなデイパックを機内に忘れてきたのを思い出した。

 クレジットカードも入っていたし、読みかけていた大事な本もあったし、大変な失態である。俺は焦って入国審査の一番脇の通路へ行き、カバンを忘れた!と乗ってきたフィリピン航空の飛行機があるだろう方向を指さした。まず間違いなく止められるだろうと観念していたのだが、そこにいた係のおばさんは早く行け!と俺を中に導いた。

 途中、検疫のデスクもあって現地の人が群れていたが、彼らも俺の訴えを聞いて通路を通し、どっちに到着機があるかを教えてくれさえした。

 そして細い通路を小走りに行くと、その向こうからフライトアテンダントのきれいなおばさまが、あー!と俺を指した。彼女の周囲にいた整備士やら他のアテンダントやら何だかよくわからない人々がみな喜びの声を上げ、ほとんど胴上げせんばかりになって俺を歓迎し、肩を叩いてくれたり、受け取ったしるしのサインを微笑みながら表に書かせたりした。

 で、俺はまた小走りに元に戻り、つまりは入国審査所も素通りしたのである。

 フィリピン人はなんて親切なんだ!

 もともとマニラに苦手意識を持っていた俺は、そのあと空港を出て物乞いがいない状況を確認し、ますます自分の思い込みが時代にそぐわないし、現地の人に失礼きわまりないと反省しつつ、決してボラれない認可タクシーを選んで乗って夜のマラテ地区へ向かったのであった。



マラテ地区へ

 マラテにはMSFのエクスパッツ(外国人派遣スタッフ)の宿舎があった。宿舎といってもハイチのような借りきりの家ではなく、ギリシャのようなアパートメントの一室でもなく、高層中級マンションの部屋だった。

 タクシーを降りた俺と谷口さんは、まず近くのキャバレーみたいなものの前にソファがあり、そこに赤いミニワンピースの制服のようなものを来た若い女の子たちがずらりと座って「っしゃいませー」と高い声を張り上げるのを横目で見た。日本語の店名が看板にはあった。盛り場にしては他がコンビニ、薄暗い通常のホテルと行ったものしかなかった。謎の地区だった。

 俺たちは目指すビルを守る警備員の横を通り、早くもクリスマスの飾りが目立ちつつあるフロントの女性に挨拶し、そのマンション内で活動責任者であるアメリカ人スタッフ、ジョーダン・ワイリーに会って鍵をもらうことになっていると彼女に説明した。

 フロントからジョーダンに電話が行き、俺たちが目指す階がすぐに告げられた。そこで彼は奥さんと2人で俺たちを待っているそうだった。ガラガラと荷物を引いてエレベーターに乗り、目的階のボタンを押し、するすると上へ吊り上げられていくと、やがてドアが左右に開いた。

 そこに背の高い、スキンヘッドで顎と鼻の下に短い髭を生やした屈強な男がいた。それがジョーダンだった。

 「ナイス・トゥー・ミーチュー」

 と握手を交わした俺だが、その横にいる彼の奥さんがあまりにもきれいなので半分現実感を失っていた。あとでエリンさんと名前のわかる、やはりアメリカ人の彼女はハリウッド女優よりも美しい印象で、しかも内面から何かが光る人物だった。

 何か虚構の、つまり映画か何かのVRみたいなものに入り込んだような気に俺はなりつつ、ジョーダンの優しげな笑顔(キアヌ・リーブス似)にも魅入られながら彼らの導く部屋へついて行った。

 そもそもミッションに夫婦で向かうということ自体、珍しいことであるはずだった。俺は羽田で谷口さんから、もうひと組(こちらはスペイン人と日本人)夫婦が滞在していると聞いていた。

 しかも通常は半年から1年程度の任期が多いと聞いていたところが、ジョーダンたちの場合はそうではなかった。なぜかと言えば、そこでスタッフが挑戦している『リプロダクティブ・ヘルスに関わるミッション』と国の状況が他とは根本的に異なる性質を持っているからだった。

 詳しいことはまた別の機会に話そう。

 ともかく現実味のないくらい格好のいい2人に連れられて入った部屋には、さらに3つの部屋があり、リビングダイニングがあった。ただし、そのリビングには段ボール箱が積まれ、中に注射器や保存用の水が入っていた。ミッションに使う道具もまた、その部屋には置かれていたのである。

 ジョーダンは俺たちにそれぞれ小さなビニールの袋を渡した。中には部屋の鍵、主要スタッフ全員の役職と名前と電話番号が表になったコピー用紙が入っていた。

 その説明を軽くしながら、同じマンションに住んでいることをジョーダンは教えてくれた。他のスタッフもそこにいるし、近くのマンションにはまた別のスタッフたちがいることもわかった。

 彼らスタッフが集まるマラテ地区は観光客には評判のあまりよくない場所だが、決して危ないところではないとジョーダンは言った。ただし、ジョーダンは俺たちがこれから取材で連日訪れることになるスラム地区でさえ「言われるほど危険ではない。住人はきわめて親切なんだよ」と評価するのだが。

 翌日の早朝、ビルの下にMSFの日々の迎えの車が来ることをジョーダンは俺たちに丁寧に告げ(迎えが来ること自体がある種のリスク回避なのだが)、にこやかなエリンと仲よく去っていった。



マラテ地区の夜

 さて明くる日からどんな取材になるのだろうか。

 とりあえずは車で近くのエルミタ地区にあるMSFのオフィスまで行き、ジョーダン本人からくわしいブリーフィングがあることはわかっていた。これまでの2回の渡航でも必ずそうなっていたから。

 で、俺たちは自分たちだけで外に出て軽い夕食をとろうとした。

 下の道に降りると、例のキャバレーがあり、その少し先にも同じような店があるのがわかった。だが他にレストランがない。

 キャバレーの向かいにあるセブンイレブンの前にがたいのいい男たちが数人いて、格闘のふりをしたりしているのに気づいた。おそらく用心棒的なものだろうと思った。

 道は少し行くと暗くなった。警戒のレベルを上げながら、比較的明るい横道へ入った。ただ俺は空港での体験の続きを味わっていて、マニラ市民が親切であることを疑わなかったし、南の島を巡った昔と経済状態がすでに違うという思い込みを捨てられなかった。

 横道を抜けた先がさらに明るかったので俺はそこを目指した。遅くまでやっている現地のファストフード屋みたいなものがあった。周囲はバーのようなもので、その前をジープを改造したジプニーという移動手段や、バイクに補助車を付けた乗り物(トライシクル)が走っていた。

 ほぼ誰もいないファストフード屋に入って、奥のガラスケースの中のおかずを選び、ライスを頼んだ。谷口さんはおなかが減っていなかったらしくジュースを求めた。

おいしかった肉とライス。辛いタレ付き。

 忙しくプラスチック皿の上の肉とライスを食べてから、店の向かいのセブンイレブン(とにかくマニラにはセブンイレブンとミニストップばかりあった)に行った。水を買っておきたかったし、翌朝のパンも欲しかった。

 店内に2人の少女がいた。7、8歳といったところだろうか。こんな夜にと思ったし、髪が乱れているなとも思った。だがそれよりも俺は自分が買うべきものに頭がいっていた。

 そしてコンビニの外に出た途端、さっきの少女の一人がレンゲの花で作った飾りを束ねて差し出しているのに気づいた。子供は花売りだったが、もう売ることに飽きていた。

 はっと思うと、もっと小さな女の子が店の入り口につながるコンクリートの上に寝ていて、もう一人のさっき俺が見た少女に何か掛けてもらっているのがわかった。ビニールのようなものだった。寝ている少女も世話している子も、ともに髪と身体が薄汚れていた。頬や眉の下などはススで真っ黒だった。

 家のない子供たちだった。

 遠くで「っしゃいませー」という嬌声が聴こえていた。

 俺が見ているホームレスの女の子たちから、ミニワンピースで働いている若い女性たちまでが一直線であることに思いあたった。

 そうなるしかなくてそうなっているのだった。

 マニラはなお厳しい都市だった。

 そこでMSFがどんな活動を、それも「女性を守るプロジェクト(俺の仮命名)」を進めているのか、俺は翌日から毎日スラムに入って取材を重ねることになる。



いとうせいこう(作家・クリエーター)
1961年、東京都生まれ。編集者を経て、作家、クリエーターとして、活字・映像・音楽・舞台など、多方面で活躍。著書に『ノーライフキング』『見仏記』(みうらじゅんと共著)『ボタニカル・ライフ』(第15回講談社エッセイ賞受賞)など。『想像ラジオ』『鼻に挟み撃ち』で芥川賞候補に(前者は第35回野間文芸新人賞受賞)。最新刊に長編『我々の恋愛』。テレビでは「ビットワールド」(Eテレ)「オトナの!」(TBS)などにレギュラー出演中。「したまちコメディ映画祭in台東」では総合プロデューサーを務め、浅草、上野を拠点に今年で9回目を迎える。オフィシャル・サイト「55NOTE」

※当記事はYahoo!ニュース 個人からの転載です。

いとうせいこう

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