<職場と家庭で人格が変わり、オフィスでは従順なロボットのようになってしまう社員がいるが、これは良くない結果をもたらすことが多い。なぜこんな社員が生まれるのか。どんな悪影響が及ぶのか>
あなたが所属する組織は、自分たちのカルチャーに問題を抱えていないだろうか? オフィスに入るやいなや、モラルや思慮分別がどこかに行ってしまうような人が雇われてはないか? ロバート・ルイス・スティーヴンソンの小説『ジキル博士とハイド氏』の主人公、ハイド氏のように職場と家庭で二重人格になるような従業員が多かったりしないだろうか? 実は、たくさんの会社にこうした問題が蔓延している。
組織にとってカルチャーは重要だ。だが、カルチャーは目に見えない。ぼんやりとした雰囲気は把握できるだろうが、それが正しいのかどうか、誰も判断できない。自社のカルチャーを把握する確たる証拠が見出せれば、今よりビジネスはやりやすくなるかもしれない。
リーマンショック直後のことを考えてみよう。金融監督機関は、リスクテイカーであり短期主義に陥った企業の行動に改善を求めた。そのときに監督機関が経営幹部に、「会社のカルチャーに問題があるので改めた方がいい」と指示するのは、少しもおかしなことではないようにみえる。
しかし、実際にそれに取り組もうとすると企業は頭を抱えることになる。監督機関の側も具体的にどんな指導をしたらいいかわからない。なぜなら、両者とも、そもそもカルチャーとは何を意味するのかを理解していないからだ。監督機関が企業のカルチャーを十分に理解しておらず、それを測定するツールも持っていなければ、企業への介入は却って有害になりかねない。
ツールであれば、「モラルDNA(MDNA)」というものがある。これは企業のカルチャーを科学的に測定し、分析する診断ツールだ。MDNAのアプローチは、従業員の行動パターンそのものよりも、そのパターンを生み出した要因を探るものだ。たとえば従業員たちは、あらかじめ決められた「規則」を拠りどころに行動するのか(服従倫理)、自身が決めた「原則」に従うのか(合理性の倫理)。あるいは、自分の行動がもたらした結果をどのくらい気にかけるか(心配りの倫理)。
我々のクライアント企業は、MDNAの測定結果が有益なものと認めている。「もっとも重篤な病を抱えている」と分析されたカルチャーを持つ企業の社員は、「ジキル博士とハイド氏」のようだった。オフィスに到着した途端、人格が豹変する。彼らは思いやりのある良き親だったり、愛すべき友人であったりするのに、職場では心を失った機械人間のようになる。物事を自分自身で判断せずに、ルールブックの奴隷のようになるのだ。
職場のルールは守らなければならない、というのはもっともだ。だが、従順なロボットのようなルールの遵守は、良くない結果をもたらすことが多い。職場で(家にいるときとは異なる)人間味を欠く機械的な行動をするだけのことが、役職が上になるほど大きな問題になっていく。管理職に就くような社員は、仕事のスキルだけでなく直感や判断力を買われて雇われているはずだ。だが、人間らしさを忘れた彼らは、状況に応じた正しい指示をするという道徳的な責任を放棄する。
【参考記事】優秀なチームの「失敗」を止める方法
「何をしてよく、何をしてはいけないか。それを雇用者に示すのにあらかじめ決められた規則のみに頼る経営者が多すぎます」と、チャータード・マネジメント協会(CMI)会長のアン・フランケ氏は言う。「その結果どうなると思いますか? 誰もがロボットのように働くようになります。規則の一言一句を言い訳にして、自分の心と頭を使って判断することをしなくなるのです。私たちは、自分の行動が他者にどんな影響を及ぼすか、もっと気にかけた方がいいでしょう」
ルールやフレームワークだけでは不十分なのはなぜか。どうして思いやりや臨機応変の判断力、EQ(心の知能指数)の応用などが重要なのか。フランケ氏は言う。「組織が成功するには、顧客や従業員、サプライヤーなどのステークホルダーのニーズを満たさなければなりません。マネジャーやリーダーたちの価値観や行動が、そうしたステークホルダーたちと共鳴しなければ、彼らを満足させたり、従業員から最大の能力を引き出す経営はできません。つまり失敗する運命にあるのです」
社員の二重人格がどんな悪影響をもたらすか
紀元50年頃(帝政期ローマ時代)に活躍した政治家・歴史家のタキトゥスは、「ルールが多くなるほど、国家は堕落する」という警句を残した。この言葉は21世紀の企業に対する警告でもある。確固たる価値観に基づくよりも画一的なルールを守ることに重きをおいた管理職たちの行動は、企業のリスクマネジメントにもかかわる。しっかりとしたリスクマネジメントは、あらゆる業種で成功の決定的な要因とみなされている。
我々の主要なクライアント2社の経営幹部たちのMDNAに対する反応に、このことに関する懸念が現れていた。彼らは疑問を持っていた。従業員たちが職場に"本当の自分"を持ち込まなかったとすると、そのことが彼らのリスクテイクにどのように影響するのか、と。
ルールに従うことを要求されると、従業員たちは上からの指示以外の判断をしなくなるのではないだろうか? ルールというものは「これをしてはいけない」とは伝えられるが、「こうすべきだ」とわからせることはできないからだ。
我々はクライアントに対し、奴隷のようなルールの遵守が、いかに従業員たちに悪影響を及ぼし、問題を発生させるのかを証明してきた。そして彼らに「では、何をするのが正しいと思うか」と尋ねると、ほとんどの経営幹部は罠にはまった。次の3つの質問に答えてみてほしい。
・自分はビジネスにおいて正しい行動をしているか?(100%確信があるか)
・それを正しいやり方で行っているか?(仕事についてどのくらい確実にリスクを管理し、倫理基準を守っているか?)
・それを正しい目的で行っているか?(その仕事をする資格があると自信を持って言えるか?)
あなたはこれらすべてに、条件付きにしろ「イエス」と答えられるかもしれない。だが、それで十分だろうか? そうとは限らないだろう。我々がクライアントとのセッションで次のような例を挙げたときの彼らのショックを想像してみてほしい。
【参考記事】日本の会社はなぜ「ブラック企業」になるのか
ナチスドイツを含む過酷な全体主義統治者は、これら3つの質問にすべて「イエス」と答えるだろう。また、多くの相場師やトレーダーも、うまく利益を上げられた日には、3つの「イエス」を揃えることだろう。彼らのせいで損をする人がたくさんいたとしても、だ。
つまり、ほとんどの行動について上記のような形式で問えば、誰でも自らを正当化して「イエス」と答えることができるのだ。しかし、それが「正しい」わけではない。なぜなら、次の「4つめの質問」が重要だからだ。
・自分がしていることは、正しい道徳的価値観に基づいているか?
この決定的な質問は、それまでの3つの質問の不完全さを露呈させる。
リーダーであるならば、物事を判断するための思考のフレームワークをつくるといいだろう。それが企業のカルチャーを正しく把握し改善することにつながるはずだ。
「服従倫理」と「合理性の倫理」は反比例する。一人ひとりの従業員がよく考えて思慮深い判断をすればするほど、ルールに従わなければならないという固定的な考えは必要なくなっていく。逆もまた然りだ。彼らが盲目的にルールに従えば従うほど、自らの行動がどんな結果を招くかなどを考慮に入れなくなる。
[執筆者]
ピーター・ネビル・ルイス Peter Neville Lewis
ロンドンのブルネル大学の名誉研究員。プリンシプルド・コンサルティング創業者でもある。
© 情報工場
※当記事は「Dialogue Q3 2016」からの転載記事です
情報工場
2005年創業。厳選した書籍のハイライトを3000字にまとめて配信する書籍ダイジェストサービス「SERENDIP(セレンディップ)」を提供。国内の書籍だけではなく、エグゼクティブ向け教育機関で世界一と評されるDuke Corporate Educationが発行するビジネス誌『Dialogue Review』や、まだ日本で出版されていない欧米・アジアなどの海外で話題の書籍もいち早く日本語のダイジェストにして配信。上場企業の経営層・管理職を中心に約6万人のビジネスパーソンが利用中。 http://www.joho-kojo.com/top
ピーター・ネビル・ルイス ※編集・企画:情報工場
あなたが所属する組織は、自分たちのカルチャーに問題を抱えていないだろうか? オフィスに入るやいなや、モラルや思慮分別がどこかに行ってしまうような人が雇われてはないか? ロバート・ルイス・スティーヴンソンの小説『ジキル博士とハイド氏』の主人公、ハイド氏のように職場と家庭で二重人格になるような従業員が多かったりしないだろうか? 実は、たくさんの会社にこうした問題が蔓延している。
組織にとってカルチャーは重要だ。だが、カルチャーは目に見えない。ぼんやりとした雰囲気は把握できるだろうが、それが正しいのかどうか、誰も判断できない。自社のカルチャーを把握する確たる証拠が見出せれば、今よりビジネスはやりやすくなるかもしれない。
リーマンショック直後のことを考えてみよう。金融監督機関は、リスクテイカーであり短期主義に陥った企業の行動に改善を求めた。そのときに監督機関が経営幹部に、「会社のカルチャーに問題があるので改めた方がいい」と指示するのは、少しもおかしなことではないようにみえる。
しかし、実際にそれに取り組もうとすると企業は頭を抱えることになる。監督機関の側も具体的にどんな指導をしたらいいかわからない。なぜなら、両者とも、そもそもカルチャーとは何を意味するのかを理解していないからだ。監督機関が企業のカルチャーを十分に理解しておらず、それを測定するツールも持っていなければ、企業への介入は却って有害になりかねない。
ツールであれば、「モラルDNA(MDNA)」というものがある。これは企業のカルチャーを科学的に測定し、分析する診断ツールだ。MDNAのアプローチは、従業員の行動パターンそのものよりも、そのパターンを生み出した要因を探るものだ。たとえば従業員たちは、あらかじめ決められた「規則」を拠りどころに行動するのか(服従倫理)、自身が決めた「原則」に従うのか(合理性の倫理)。あるいは、自分の行動がもたらした結果をどのくらい気にかけるか(心配りの倫理)。
我々のクライアント企業は、MDNAの測定結果が有益なものと認めている。「もっとも重篤な病を抱えている」と分析されたカルチャーを持つ企業の社員は、「ジキル博士とハイド氏」のようだった。オフィスに到着した途端、人格が豹変する。彼らは思いやりのある良き親だったり、愛すべき友人であったりするのに、職場では心を失った機械人間のようになる。物事を自分自身で判断せずに、ルールブックの奴隷のようになるのだ。
職場のルールは守らなければならない、というのはもっともだ。だが、従順なロボットのようなルールの遵守は、良くない結果をもたらすことが多い。職場で(家にいるときとは異なる)人間味を欠く機械的な行動をするだけのことが、役職が上になるほど大きな問題になっていく。管理職に就くような社員は、仕事のスキルだけでなく直感や判断力を買われて雇われているはずだ。だが、人間らしさを忘れた彼らは、状況に応じた正しい指示をするという道徳的な責任を放棄する。
【参考記事】優秀なチームの「失敗」を止める方法
「何をしてよく、何をしてはいけないか。それを雇用者に示すのにあらかじめ決められた規則のみに頼る経営者が多すぎます」と、チャータード・マネジメント協会(CMI)会長のアン・フランケ氏は言う。「その結果どうなると思いますか? 誰もがロボットのように働くようになります。規則の一言一句を言い訳にして、自分の心と頭を使って判断することをしなくなるのです。私たちは、自分の行動が他者にどんな影響を及ぼすか、もっと気にかけた方がいいでしょう」
ルールやフレームワークだけでは不十分なのはなぜか。どうして思いやりや臨機応変の判断力、EQ(心の知能指数)の応用などが重要なのか。フランケ氏は言う。「組織が成功するには、顧客や従業員、サプライヤーなどのステークホルダーのニーズを満たさなければなりません。マネジャーやリーダーたちの価値観や行動が、そうしたステークホルダーたちと共鳴しなければ、彼らを満足させたり、従業員から最大の能力を引き出す経営はできません。つまり失敗する運命にあるのです」
社員の二重人格がどんな悪影響をもたらすか
紀元50年頃(帝政期ローマ時代)に活躍した政治家・歴史家のタキトゥスは、「ルールが多くなるほど、国家は堕落する」という警句を残した。この言葉は21世紀の企業に対する警告でもある。確固たる価値観に基づくよりも画一的なルールを守ることに重きをおいた管理職たちの行動は、企業のリスクマネジメントにもかかわる。しっかりとしたリスクマネジメントは、あらゆる業種で成功の決定的な要因とみなされている。
我々の主要なクライアント2社の経営幹部たちのMDNAに対する反応に、このことに関する懸念が現れていた。彼らは疑問を持っていた。従業員たちが職場に"本当の自分"を持ち込まなかったとすると、そのことが彼らのリスクテイクにどのように影響するのか、と。
ルールに従うことを要求されると、従業員たちは上からの指示以外の判断をしなくなるのではないだろうか? ルールというものは「これをしてはいけない」とは伝えられるが、「こうすべきだ」とわからせることはできないからだ。
我々はクライアントに対し、奴隷のようなルールの遵守が、いかに従業員たちに悪影響を及ぼし、問題を発生させるのかを証明してきた。そして彼らに「では、何をするのが正しいと思うか」と尋ねると、ほとんどの経営幹部は罠にはまった。次の3つの質問に答えてみてほしい。
・自分はビジネスにおいて正しい行動をしているか?(100%確信があるか)
・それを正しいやり方で行っているか?(仕事についてどのくらい確実にリスクを管理し、倫理基準を守っているか?)
・それを正しい目的で行っているか?(その仕事をする資格があると自信を持って言えるか?)
あなたはこれらすべてに、条件付きにしろ「イエス」と答えられるかもしれない。だが、それで十分だろうか? そうとは限らないだろう。我々がクライアントとのセッションで次のような例を挙げたときの彼らのショックを想像してみてほしい。
【参考記事】日本の会社はなぜ「ブラック企業」になるのか
ナチスドイツを含む過酷な全体主義統治者は、これら3つの質問にすべて「イエス」と答えるだろう。また、多くの相場師やトレーダーも、うまく利益を上げられた日には、3つの「イエス」を揃えることだろう。彼らのせいで損をする人がたくさんいたとしても、だ。
つまり、ほとんどの行動について上記のような形式で問えば、誰でも自らを正当化して「イエス」と答えることができるのだ。しかし、それが「正しい」わけではない。なぜなら、次の「4つめの質問」が重要だからだ。
・自分がしていることは、正しい道徳的価値観に基づいているか?
この決定的な質問は、それまでの3つの質問の不完全さを露呈させる。
リーダーであるならば、物事を判断するための思考のフレームワークをつくるといいだろう。それが企業のカルチャーを正しく把握し改善することにつながるはずだ。
「服従倫理」と「合理性の倫理」は反比例する。一人ひとりの従業員がよく考えて思慮深い判断をすればするほど、ルールに従わなければならないという固定的な考えは必要なくなっていく。逆もまた然りだ。彼らが盲目的にルールに従えば従うほど、自らの行動がどんな結果を招くかなどを考慮に入れなくなる。
[執筆者]
ピーター・ネビル・ルイス Peter Neville Lewis
ロンドンのブルネル大学の名誉研究員。プリンシプルド・コンサルティング創業者でもある。
© 情報工場
※当記事は「Dialogue Q3 2016」からの転載記事です
情報工場
2005年創業。厳選した書籍のハイライトを3000字にまとめて配信する書籍ダイジェストサービス「SERENDIP(セレンディップ)」を提供。国内の書籍だけではなく、エグゼクティブ向け教育機関で世界一と評されるDuke Corporate Educationが発行するビジネス誌『Dialogue Review』や、まだ日本で出版されていない欧米・アジアなどの海外で話題の書籍もいち早く日本語のダイジェストにして配信。上場企業の経営層・管理職を中心に約6万人のビジネスパーソンが利用中。 http://www.joho-kojo.com/top
ピーター・ネビル・ルイス ※編集・企画:情報工場