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トルコで増殖するグローバル・ジハード

ニューズウィーク日本版 2017年1月30日 15時0分

<トルコでISのテロが本格的に起こり始めたのは、トルコ政府がISとの対決姿勢を鮮明にした2015年からだ。一定の地域を占領して襲撃するような「面」のテロの勃発の可能性は低いが、新年の事件のような「点」のテロはいくら警備を強化しても全て防ぐことはできない>

オルタキョイでの銃撃テロ

 2017年1月1日、イスタンブルのオルタキョイにあるナイトクラブ、レイナ(Reina)で新年を祝うパーティーに参加していた人々は、テロリストの襲撃を受け、現場はお祭りムードから一転し、地獄となった。この襲撃により、39名が死亡、多くの人々が負傷した。

 実行犯であるウズベキスタン人、アブドゥルカディル・マシャリボフはレイナのキッチンで着替えて、その後タクシーで現場を逃走した。実行犯の逃走はイスタンブル市民を怯えさせたが、1月17日にマシャリボフは逮捕された。マシャリボフは「イスラーム国(IS)」の指令を受け、当初はイスタンブルの目抜き通りであるイスティクラル通りにつながるタクシム広場でテロを実行しようとしたが、警備が厳しかったために場所を変え、人が多く警備が手薄であったオルタキョイのレイナを選択した、と供述している。

 オルタキョイは、筆者もトルコ留学時代によく訪れた場所である。大学の春休み、また、日本から友人が来た時など、必ず訪問する場所であった。オルタキョイは観光地というよりも、トルコ人の若者が集まり、カフェや海に面したベンチでおしゃべりをするといった場所であった。若者だけではなく、老人や主婦なども必ず目にする場所で憩いの場であった。ここではカフェの他、トルコのB級グルメとして名高いクンピルという蒸かした大きなジャガイモにチーズやマヨネーズを入れ、マッシュポテトにし、そこにさまざまなトッピングを加えるという料理のお店が並んでいる。また、古本屋や雑貨屋もあり、筆者はオルタキョイの雑貨屋でよくイスタンブルを描いた絵やはがきを購入していた。

 加えてオルタキョイはロケーションもよかった。7月15日殉教者の橋(この名は昨年7月15日クーデタ未遂事件後にこの橋で反乱勢力に抵抗し、命を落とした一般市民を偲んで付けられた。元のボスポラス大橋)が通り、オルタキョイ・モスクが海に面して建っており、イスタンブルの景色を映した写真にも頻繁に登場する。今回事件が起きたレイナは、オルタキョイの中心部からは少し離れた場所にあったが日中であればオルタキョイの中心部が攻撃されてもおかしくなかった。

ISによるローカルなテロ

 昨年の12月15日のコラムでも見たように、トルコにおいてISのテロが本格的に起こり始めたのは、トルコ政府がISとの対決姿勢を鮮明にした2015年の6月から7月前後の時期である。

【参考記事】トルコはテロの連鎖を断ち切れるのか

 6月5日のディヤルバクルにおける6月7日の総選挙前に集会を開いていた人民民主党(HDP)の支持者たちを狙ったテロ、7月20日のスルチでのクルド人の集会を狙ったテロ、そしてトルコ共和国史上最悪の103名の死者を出した同年10月10日のテロはいずれもトルコ出身のISメンバーによるものであった。



 トルコ出身のISのメンバーは大きく3つのグループに分類することが可能である。まず、幹部クラスに多いのがIS以前にもアル・カーイダやヌスラ戦線といったテロ組織に加わっていた根っからのテロリストである。2つ目のグループは、クルド人のイスラーム系過激派組織で1990年代に活発に活動したトルコ・ヒズブッラーの流れを組む者たちである。トルコ・ヒズブッラーはPKKとの抗争で双方合わせて700名が死亡したと言われており、クルドという共通の民族ながら、PKKおよびその支持者たちに明確な敵意をもっている。トルコ・ヒズブッラーは武力闘争を放棄したが、一部の過激派がISに渡ったと見られている。3つ目のグループは、ISのリクルーターであるムスタファ・ドクマジュによって見出された、アディヤマン県出身者が多数を占める若者たちである。急速にイスラームに傾倒し、ISの過激な思想に惹かれた若者たちは、ISによって自爆テロ犯に仕立て上げられた。

 いずれにせよ、当初、トルコで発生したISのテロは、トルコ出身のISメンバーによる「ローカル」なテロであった。トルコにおけるISのメンバーは、襲撃対象をクルド人と外国人観光客に絞っていた。

トルコにおけるグローバル・テロの増加

 ローカルなテロが中心であったトルコで、最初のグローバルなテロ、すなわち外国人戦闘員によるテロが起きたのは2016年6月28日である。トルコの玄関口であるイスタンブルのアタテュルク国際空港で47名の人々が無差別に銃撃された事件は世界に衝撃を与えた。実行犯はロシア人(チェチェン出身)、ウズベキスタン人、クルグズスタン(キルギス)人という旧ソ連系のテロリストであった。ウズベキスタンやクルグズスタンからは500人前後、カザフスタンやトルクメニスタンからも300人以上がISに加わっていると見られている。アタテュルク国際空港でのテロとオルタキョイでのテロは、実行犯が中央アジア出身であること、襲撃対象が無差別であったこと、など共通点がある。

 多様な民族にルーツをもち、地政学的に交通の要所であったトルコ、特にイスタンブルには多様なコミュニティが存在する。また、中央アジア、南コーカサスに位置するアゼルバイジャンやジョージアからトルコへ留学する学生も多い。テロリストたちはこうしたトルコの特性を逆手にとり、トルコに潜入し、テロを実行している。

 トルコが対ISの姿勢を明確にし、シリアに越境攻撃している現在、こうしたグローバル・テロの脅威は今後も続くことが予想される。一定の地域を占領して襲撃するような「面」のテロの勃発の可能性は低いが、レイナの事件のような「点」のテロはいくら警備を強化しても全て防ぐことはできないだろう。

 マシャリボフが人の多い場所を選んだと供述していることから、観光地、ショッピングモール、レストランなど人混みが多い場所へ行くことは極力避けた方がよいと考えられる。魅力的な観光地であるイスタンブルからテロの脅威が一層されることを願ってやまない。


今井宏平(日本貿易振興機構アジア経済研究所)

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