<ドナルド・トランプが大統領に就任した1月、ジョージ・オーウェルが68年前に書いた反ユートピア小説『1984年』がアメリカのアマゾン書籍売り上げトップに躍り出た。大統領就任式の参加者の数を「史上最高」と強弁し、嘘を「オルタナティブ・ファクト(もう1つの事実)」と言いくるめる政権の手法が、独裁政権が徹底して情報を管理するオーウェルの名作を思い起こさせたのかもしれない。だが両者の間には決定的な違いがある>
ドナルド・トランプが米大統領に就任してから1週間で、英作家ジョージ・オーウェルの小説『1984』の売上げが急増、米アマゾンの書籍ベストセラーになった。今の時代を読み解く1つの手段として、多くの人が1949年に出版された書物を頼りにしているのだ。
小説の舞台は1984年の「オセアニア」。世界を分割統治する3つの超大国の1つで、残された地域の領有権をめぐって互いに戦争を繰り返す。1950年代の核戦争以降は、核兵器を使わない戦争を永久に続けることで合意する。戦争状態を保てば、支配層が国内を統治するのに都合がよく、3大国の共通の利益に適うからだ。
オセアニアは、国民に絶対的服従を求める。上空を飛び回るヘリコプターが人々の行動を監視し、屋内にいても窓の外から見透かされるような警察国家だ。だがオーウェルは、党のエリートを除く下位85%の被支配階級「プロール」と呼ばれる労働者たちを本当に監視しているのは、「シンクポル」と呼ばれる思想警察だと強調する。彼らは密かに一般社会に入り込んで思想犯罪を捜査し、わざと犯罪をそそのかしたりもする。目的は、犯人を連行して改心させ、場合によっては初めからこの世に存在しなかったことにするためだ。
「無知は力なり」
口ひげをはやした絶対君主「ビッグ・ブラザー」をはじめとする党のエリートが推奨し、警察が思想統制に使うもう一つの手法が「テレスクリーン」だ。壁面に掛かるモニターは、恐怖を煽る敵国兵士の映像やビッグ・ブラザーの偉大さを称えるプロパガンダを映し出す。同時にテレスクリーンは監視カメラとしての機能も持つ。朝の一斉体操では、手本を見せる若いトレーナーの姿を流すだけでなく、市民がまじめにやっているかどうかも監視する。社会のどこに行っても、この目から逃れられない。
事実を支配し、ゆがめる国家に疑念を抱く主人公のウィンストン・スミスとヒロインのジュリアを中心にストーリーは展開する。2人の反抗の手段は、過去に関して国家がひた隠しにしてきた真実を見つけ出し、国家が存在を認めていない情報を日記に記録することだ。ウィンストンの勤務先は、建物のあちこちに「無知は力なり(IGNORANCE IS STRENGTH)」というスローガンが掲げられた巨大組織「真理省」。仕事は、新聞など過去の記録から、国家に都合の悪いデータを消去すること。例えば、ある女性党員が上層部の寵愛を失ったら、彼女の存在ごと消し去る。ビッグ・ブラザーが約束を反故にしたら、約束自体がなかったことにする。
古新聞や歴史の記録から「改ざん」するべき事実を探すという職務上、ウィンストンは「ダブルシンク(二重思考)」に長けている。彼はそれを「嘘だと分かっていても完全な真実として認識し、そのどちらも受け入れる能力」と表現する。
オーウェルの経験から生まれた「オセアニア」
オーウェルは社会主義者だった。『1984』は、自分が信じた民主的な社会主義が、ソ連の独裁者ヨシフ・スターリンに乗っ取られることへの彼の危機感の表れでもある。目の前の世界に対する鋭い観察眼と、スターリニストに殺されかけた経験から生まれた作品だ。
スペインでは1936年、ファシストの後ろ盾を受けた軍が、民主的な選挙で勝利した社会主義政権を倒そうと、軍事クーデターを起こした。オーウェルや米作家アーネスト・ヘミングウェイら社会主義を信奉する世界中の活動家が、右派の反乱軍に対抗するため、左派の義勇兵として参戦した。
その間、ドイツの独裁者アドルフ・ヒトラーは空爆で右派を後押しし、スターリンは左派の共和党軍を支援した。やがてオーウェルたち義勇兵がスターリニストに歯向かうようになると、共和党軍は反対派を潰す動きに出た。その後、妻とともに家宅捜索を受けたオーウェルは、1937年に命からがらスペインを逃れた。
第2次大戦中にロンドンに帰国した彼は、リベラルな民主主義や自由を支持するはずの人々が、いつの間にかビッグ・ブラザーと同じ統制への道を歩むのを目のあたりにした。1941年に入社した英BBCで与えられた仕事は、イギリスの植民地だったインドの視聴者に向けた「プロパガンダ」。英政府の目的に適ったニュースやコメントだ。彼はインド人に、息子や物資を戦地に送るのが正義だと信じこませようとした。嘘を書き連くのにも自分自身にも嫌気がさしたオーウェルは、2年後にBBCを退職した。
プロパガンダとオルタナ・ファクトは違う
彼は帝国主義自体にうんざりしていた。まだ若かった1920年代、ミャンマー(ビルマ)で警官として勤務した。オーウェルは植民地で自分が担った役割について、独裁的で野蛮な行為だったという内容のエッセーを残している。「こんな職業だと、大英帝国の卑劣なやり方を間近で見ることになる。悪臭が漂う監獄に閉じ込められたみじめな囚人たちや、長期刑囚たちの青ざめて怯えた顔といったら......」
オセアニアは、大戦中から冷戦初期という特定の時代を念頭に、オーウェルが未来を見据えて生み出したものだ。だとすれば、「オルタナティブ・ファクト(もう一つの事実=嘘)」を自ら奉じる今の世の中は、オーウェルには想像もつかなかったに違いない。
ビッグ・ブラザーは用なし
オーウェルが描いた一党独裁制下では、オセアニアの「党内局」と呼ばれる一握りの中枢が、あらゆる情報を管理する。それが権力の主たる源泉だ。今日のアメリカでは、人口の少なくとも84%がインターネットに接続し、開示された情報を閲覧できる。またアメリカの権力は、有権者と憲法、裁判所、官僚、カネなどの中間のどこかに存在しており、一カ所に集中はしていない。オセアニアと異なり、2017年のアメリカでは情報も権力も分散している。
アメリカの有権者が政策の根拠や証拠に求める基準が低下したと嘆く専門家は、責任は政治家にあるという。政治家は1970年代頃から公然と専門家を疑い、議会や議員の信用を落とし、政府の正当性さえ疑問視した。既存の組織や権威を地に落とし、自分たちが取って代わろうという陰謀だと言うのだ。いわば、もう1つのオルタナ権威、オルタナ現実だ。
インターネットの存在も、それがオルタナティブ・ファクトを拡散するのに果たす役割も、人々がスマホという名のテレスクリーンをポケットに入れて持ち運ぶ姿も、オーウェルには想像できたはずがないものだ。現代には、中央で情報を拡散し監視する真理省は存在しない。ある意味では、誰もがビッグ・ブラザーになのだ。
進んで嘘を受け入れる人々
現在の問題は、人々がビッグ・ブラザーの大きな嘘を見抜けないことではなく、進んでオルタナティブ・ファクトを受け入れていることのようだ。ある研究では、特定の誤った世界観──例えば科学者や公務員は信用できない──を抱いた人々に反証となる情報を与えると、考えを改めるどころか自分たちの誤まった世界観をより強く信じることが分かった。言い換えれば、オルタナ・ファクトを信じる人々を相手に事実は何かという議論をしても裏目に出るということだ。自分たちにとって何が真実かを既に決めてしまった人々は、専門家やジャーナリストが報告する事実ではなく、オルタナ・ファクトのなかに自分たちの理屈に合う情報を探してそれをフェイスブック経由で拡散する。ビッグ・ブラザーは用なしだ。
オーウェルが描いたオセアニアでは、国家が認めない事実を話す自由はない。2017年のアメリカの一部では、それが事実であればあるほど疑いの目が向けられかねない。ウィンストンにとっては「2+2=4と言えるのが自由」だったが、ドナルド・トランプ支持者にとっての自由は「2+2=5」と言えることだ。
John Broich, Associate Professor, Case Western Reserve University
This article was originally published on The Conversation. Read the original article.
ジョン・ブロイヒ(米ケース・ウェスタン・リザーブ大学准教授)
ドナルド・トランプが米大統領に就任してから1週間で、英作家ジョージ・オーウェルの小説『1984』の売上げが急増、米アマゾンの書籍ベストセラーになった。今の時代を読み解く1つの手段として、多くの人が1949年に出版された書物を頼りにしているのだ。
小説の舞台は1984年の「オセアニア」。世界を分割統治する3つの超大国の1つで、残された地域の領有権をめぐって互いに戦争を繰り返す。1950年代の核戦争以降は、核兵器を使わない戦争を永久に続けることで合意する。戦争状態を保てば、支配層が国内を統治するのに都合がよく、3大国の共通の利益に適うからだ。
オセアニアは、国民に絶対的服従を求める。上空を飛び回るヘリコプターが人々の行動を監視し、屋内にいても窓の外から見透かされるような警察国家だ。だがオーウェルは、党のエリートを除く下位85%の被支配階級「プロール」と呼ばれる労働者たちを本当に監視しているのは、「シンクポル」と呼ばれる思想警察だと強調する。彼らは密かに一般社会に入り込んで思想犯罪を捜査し、わざと犯罪をそそのかしたりもする。目的は、犯人を連行して改心させ、場合によっては初めからこの世に存在しなかったことにするためだ。
「無知は力なり」
口ひげをはやした絶対君主「ビッグ・ブラザー」をはじめとする党のエリートが推奨し、警察が思想統制に使うもう一つの手法が「テレスクリーン」だ。壁面に掛かるモニターは、恐怖を煽る敵国兵士の映像やビッグ・ブラザーの偉大さを称えるプロパガンダを映し出す。同時にテレスクリーンは監視カメラとしての機能も持つ。朝の一斉体操では、手本を見せる若いトレーナーの姿を流すだけでなく、市民がまじめにやっているかどうかも監視する。社会のどこに行っても、この目から逃れられない。
事実を支配し、ゆがめる国家に疑念を抱く主人公のウィンストン・スミスとヒロインのジュリアを中心にストーリーは展開する。2人の反抗の手段は、過去に関して国家がひた隠しにしてきた真実を見つけ出し、国家が存在を認めていない情報を日記に記録することだ。ウィンストンの勤務先は、建物のあちこちに「無知は力なり(IGNORANCE IS STRENGTH)」というスローガンが掲げられた巨大組織「真理省」。仕事は、新聞など過去の記録から、国家に都合の悪いデータを消去すること。例えば、ある女性党員が上層部の寵愛を失ったら、彼女の存在ごと消し去る。ビッグ・ブラザーが約束を反故にしたら、約束自体がなかったことにする。
古新聞や歴史の記録から「改ざん」するべき事実を探すという職務上、ウィンストンは「ダブルシンク(二重思考)」に長けている。彼はそれを「嘘だと分かっていても完全な真実として認識し、そのどちらも受け入れる能力」と表現する。
オーウェルの経験から生まれた「オセアニア」
オーウェルは社会主義者だった。『1984』は、自分が信じた民主的な社会主義が、ソ連の独裁者ヨシフ・スターリンに乗っ取られることへの彼の危機感の表れでもある。目の前の世界に対する鋭い観察眼と、スターリニストに殺されかけた経験から生まれた作品だ。
スペインでは1936年、ファシストの後ろ盾を受けた軍が、民主的な選挙で勝利した社会主義政権を倒そうと、軍事クーデターを起こした。オーウェルや米作家アーネスト・ヘミングウェイら社会主義を信奉する世界中の活動家が、右派の反乱軍に対抗するため、左派の義勇兵として参戦した。
その間、ドイツの独裁者アドルフ・ヒトラーは空爆で右派を後押しし、スターリンは左派の共和党軍を支援した。やがてオーウェルたち義勇兵がスターリニストに歯向かうようになると、共和党軍は反対派を潰す動きに出た。その後、妻とともに家宅捜索を受けたオーウェルは、1937年に命からがらスペインを逃れた。
第2次大戦中にロンドンに帰国した彼は、リベラルな民主主義や自由を支持するはずの人々が、いつの間にかビッグ・ブラザーと同じ統制への道を歩むのを目のあたりにした。1941年に入社した英BBCで与えられた仕事は、イギリスの植民地だったインドの視聴者に向けた「プロパガンダ」。英政府の目的に適ったニュースやコメントだ。彼はインド人に、息子や物資を戦地に送るのが正義だと信じこませようとした。嘘を書き連くのにも自分自身にも嫌気がさしたオーウェルは、2年後にBBCを退職した。
プロパガンダとオルタナ・ファクトは違う
彼は帝国主義自体にうんざりしていた。まだ若かった1920年代、ミャンマー(ビルマ)で警官として勤務した。オーウェルは植民地で自分が担った役割について、独裁的で野蛮な行為だったという内容のエッセーを残している。「こんな職業だと、大英帝国の卑劣なやり方を間近で見ることになる。悪臭が漂う監獄に閉じ込められたみじめな囚人たちや、長期刑囚たちの青ざめて怯えた顔といったら......」
オセアニアは、大戦中から冷戦初期という特定の時代を念頭に、オーウェルが未来を見据えて生み出したものだ。だとすれば、「オルタナティブ・ファクト(もう一つの事実=嘘)」を自ら奉じる今の世の中は、オーウェルには想像もつかなかったに違いない。
ビッグ・ブラザーは用なし
オーウェルが描いた一党独裁制下では、オセアニアの「党内局」と呼ばれる一握りの中枢が、あらゆる情報を管理する。それが権力の主たる源泉だ。今日のアメリカでは、人口の少なくとも84%がインターネットに接続し、開示された情報を閲覧できる。またアメリカの権力は、有権者と憲法、裁判所、官僚、カネなどの中間のどこかに存在しており、一カ所に集中はしていない。オセアニアと異なり、2017年のアメリカでは情報も権力も分散している。
アメリカの有権者が政策の根拠や証拠に求める基準が低下したと嘆く専門家は、責任は政治家にあるという。政治家は1970年代頃から公然と専門家を疑い、議会や議員の信用を落とし、政府の正当性さえ疑問視した。既存の組織や権威を地に落とし、自分たちが取って代わろうという陰謀だと言うのだ。いわば、もう1つのオルタナ権威、オルタナ現実だ。
インターネットの存在も、それがオルタナティブ・ファクトを拡散するのに果たす役割も、人々がスマホという名のテレスクリーンをポケットに入れて持ち運ぶ姿も、オーウェルには想像できたはずがないものだ。現代には、中央で情報を拡散し監視する真理省は存在しない。ある意味では、誰もがビッグ・ブラザーになのだ。
進んで嘘を受け入れる人々
現在の問題は、人々がビッグ・ブラザーの大きな嘘を見抜けないことではなく、進んでオルタナティブ・ファクトを受け入れていることのようだ。ある研究では、特定の誤った世界観──例えば科学者や公務員は信用できない──を抱いた人々に反証となる情報を与えると、考えを改めるどころか自分たちの誤まった世界観をより強く信じることが分かった。言い換えれば、オルタナ・ファクトを信じる人々を相手に事実は何かという議論をしても裏目に出るということだ。自分たちにとって何が真実かを既に決めてしまった人々は、専門家やジャーナリストが報告する事実ではなく、オルタナ・ファクトのなかに自分たちの理屈に合う情報を探してそれをフェイスブック経由で拡散する。ビッグ・ブラザーは用なしだ。
オーウェルが描いたオセアニアでは、国家が認めない事実を話す自由はない。2017年のアメリカの一部では、それが事実であればあるほど疑いの目が向けられかねない。ウィンストンにとっては「2+2=4と言えるのが自由」だったが、ドナルド・トランプ支持者にとっての自由は「2+2=5」と言えることだ。
John Broich, Associate Professor, Case Western Reserve University
This article was originally published on The Conversation. Read the original article.
ジョン・ブロイヒ(米ケース・ウェスタン・リザーブ大学准教授)