<朴槿恵(以下、パク・クネ)大統領に対する弾劾決議により、韓国政界は任期途中での大統領選挙を前提として年明けから大きく動き出している。その中心に立ってきたひとり、潘基文(以下、パン・ギムン)前国連事務総長が、1日予定外の記者会見を開き、まさかの大統領選不出馬を宣言した──>
青天の霹靂とはまさにこのことをいうのだろうか? 1日午後、パン・ギムンが記者会見を開き、語った言葉は取材陣の予想に反したものだった。
「国民大統合を達成しようと抱負を語ったことが、国連から帰国後、この3週間の短い時間だった。しかし、このような純粋な愛国心と抱負は、私の人格に対する攻撃、偽ニュースによって政権交代の名分が無くなり、私自身や家族、そして10年間奉職した国連の名誉が大きな傷をつけられ、結局、国民に大きな迷惑をかけるようになった」
韓国メディア・マネートゥデイによると、この言葉を聞いた取材陣はざわめき、記者会見が出馬取りやめの発表だと気づいたという。パン・ギムンはことここに至ったことへの悔しさもにじませた。
「一部の旧態依然として偏狭な利己主義の態度に極めて失望した。 彼らと一緒に道を行くのは無意味だという判断に至るようになった。私が主導して政権交代し、国民統合を実現しようとした純粋な気持ちを取り下げる」
大統領選挙不出馬を表明するパン・ギムン(c) TVCHOSUN 뉴스 / Youtube
パン・ギムン陣営の側近も今回の不出馬表明はほとんど知らされていなかったようだ。事実、今日のパン・ギムン陣営は、韓国の政治の中心地・汝矣島に大きなオフィスを借りる契約を行う予定で、大統領選挙に向け本格始動をするまさに当日だった。記者会見直前の昼食会でも陣営のスタッフらが、それぞれ記者たちと会って「最後まで走り抜く」と語っていたのだ。
だが、不出馬表明の会見が終わり、これまでの動きを再確認すると、パン・ギムンを取り囲む情勢が日に日に厳しさを増し、自ら不出馬をいわざるを得なかったことが理解できる。
3ヵ月前、韓国ギャラップによる2016年11月第2週の世論調査では、次期大統領候補の支持率でパン・ギムン20%、ムン・ジェインともに民主前党代表19%となっており、若干であるがライバルに差をつけて1位となっており、12月もほぼ同じ互角の人気を保っていた。
ところが、パン・ギムン本人が国連事務総長の任期を終えて帰国した1月から、支持率でムン・ジェインに30%と一気に逆転されてしまった。これは一体なぜか?
「パン・ギムン先生はアイゼンハワー大統領の戦略をモデルにしたが、チェスンシルゲートが起き、全ての状況が急激に変わってしまった......」 パン・ギムンの側近はこのように語ったという。
韓国マネートゥデイによると、パン・ギムンと陣営スタッフは、共和党・民主党の両陣営から大統領候補への誘いを受けつつ、自分の政治的なスタンスを隠すことで自分の価値を高めた1950年代のアメリカ大統領アイゼンハワーをロールモデルにした。そのため、パン・ギムンは側近に「自分が帰国するまでは、どんな組織も作らず、行動を起こさないように」と何度も指示を出したという。
しかし、11月韓国の政界は激震に見舞われた。パク・クネ大統領の友人チェ・スンシルによる国政介入疑惑の発覚である。パク・クネ大統領と政権、親パク派勢力と近しい関係にあったという過去の行動が、パン・ギムンにとって足を引っぱりかねなかった。パン・ギムンは戦略を変更せざるを得なくなった。積極的に政界にコミットし、改憲を切り札として、既存の政党に捕らわれない自身を中心とした国民統合型の救国政権を樹立させるという大義名分を打ち出した。保守・進歩という既存の枠組みを取り払ったところで国民にアピールしようと考えたわけだ。
韓国に1月12日に帰国してから、パン・ギムンは政界の重鎮たちへの挨拶回りに奔走した。帰国するまでは、保守陣営の砦として彼にラブコールを送ってきた人たちだったが、その頃には、もはや彼らはパン・ギムンを無視するようになっていた。与党セヌリ党は、パク大統領の権限代行を務めるファン・ギョアン首相も候補の一人と考えるようになってきたからだ。憲法裁判所がパク大統領への弾劾審査の結果を3月中に出すと発表し、選挙戦への時計は加速していくなか、政界ではパン・ギムンだけが疎外されるようになり、支持率の低下が喧伝されるようになった。
また、ノ・テウ政権の外交通商部長官時代に実業家から裏金を受け取ったという疑惑が報道されたり、実弟が贈賄を試みたとしてアメリカで起訴されるなどスキャンダルが起きたこと、また国連事務総長時代に日本との慰安婦合意に関して「歓迎する」と発言したことについてメディアから追求されたことなども支持率低下に拍車がかかったと見られる。
前日夜、誰にも相談することなく出馬取り止めの原稿を書いたパン・ギムンは、電撃的な記者会見を終えて、陣営の参謀にこう語ったという。
「票を稼ぐためには、自分は保守だと明言すべきだ、と何度も言われた。これはつまり保守政党の消耗品になれということだ。しかし、保守のためにだけ働くような人に大統領になる資格はない。私は保守だがそんな話は、私の良心が許せなかった」
救国の士を目指した前国連事務総長は、日本とのパイプももつ数少ない大統領候補だったが、本格的な選挙戦に突入することすらないまま、表舞台から降りていこうとしている。
ニューズウィーク日本版ウェブ編集部
青天の霹靂とはまさにこのことをいうのだろうか? 1日午後、パン・ギムンが記者会見を開き、語った言葉は取材陣の予想に反したものだった。
「国民大統合を達成しようと抱負を語ったことが、国連から帰国後、この3週間の短い時間だった。しかし、このような純粋な愛国心と抱負は、私の人格に対する攻撃、偽ニュースによって政権交代の名分が無くなり、私自身や家族、そして10年間奉職した国連の名誉が大きな傷をつけられ、結局、国民に大きな迷惑をかけるようになった」
韓国メディア・マネートゥデイによると、この言葉を聞いた取材陣はざわめき、記者会見が出馬取りやめの発表だと気づいたという。パン・ギムンはことここに至ったことへの悔しさもにじませた。
「一部の旧態依然として偏狭な利己主義の態度に極めて失望した。 彼らと一緒に道を行くのは無意味だという判断に至るようになった。私が主導して政権交代し、国民統合を実現しようとした純粋な気持ちを取り下げる」
大統領選挙不出馬を表明するパン・ギムン(c) TVCHOSUN 뉴스 / Youtube
パン・ギムン陣営の側近も今回の不出馬表明はほとんど知らされていなかったようだ。事実、今日のパン・ギムン陣営は、韓国の政治の中心地・汝矣島に大きなオフィスを借りる契約を行う予定で、大統領選挙に向け本格始動をするまさに当日だった。記者会見直前の昼食会でも陣営のスタッフらが、それぞれ記者たちと会って「最後まで走り抜く」と語っていたのだ。
だが、不出馬表明の会見が終わり、これまでの動きを再確認すると、パン・ギムンを取り囲む情勢が日に日に厳しさを増し、自ら不出馬をいわざるを得なかったことが理解できる。
3ヵ月前、韓国ギャラップによる2016年11月第2週の世論調査では、次期大統領候補の支持率でパン・ギムン20%、ムン・ジェインともに民主前党代表19%となっており、若干であるがライバルに差をつけて1位となっており、12月もほぼ同じ互角の人気を保っていた。
ところが、パン・ギムン本人が国連事務総長の任期を終えて帰国した1月から、支持率でムン・ジェインに30%と一気に逆転されてしまった。これは一体なぜか?
「パン・ギムン先生はアイゼンハワー大統領の戦略をモデルにしたが、チェスンシルゲートが起き、全ての状況が急激に変わってしまった......」 パン・ギムンの側近はこのように語ったという。
韓国マネートゥデイによると、パン・ギムンと陣営スタッフは、共和党・民主党の両陣営から大統領候補への誘いを受けつつ、自分の政治的なスタンスを隠すことで自分の価値を高めた1950年代のアメリカ大統領アイゼンハワーをロールモデルにした。そのため、パン・ギムンは側近に「自分が帰国するまでは、どんな組織も作らず、行動を起こさないように」と何度も指示を出したという。
しかし、11月韓国の政界は激震に見舞われた。パク・クネ大統領の友人チェ・スンシルによる国政介入疑惑の発覚である。パク・クネ大統領と政権、親パク派勢力と近しい関係にあったという過去の行動が、パン・ギムンにとって足を引っぱりかねなかった。パン・ギムンは戦略を変更せざるを得なくなった。積極的に政界にコミットし、改憲を切り札として、既存の政党に捕らわれない自身を中心とした国民統合型の救国政権を樹立させるという大義名分を打ち出した。保守・進歩という既存の枠組みを取り払ったところで国民にアピールしようと考えたわけだ。
韓国に1月12日に帰国してから、パン・ギムンは政界の重鎮たちへの挨拶回りに奔走した。帰国するまでは、保守陣営の砦として彼にラブコールを送ってきた人たちだったが、その頃には、もはや彼らはパン・ギムンを無視するようになっていた。与党セヌリ党は、パク大統領の権限代行を務めるファン・ギョアン首相も候補の一人と考えるようになってきたからだ。憲法裁判所がパク大統領への弾劾審査の結果を3月中に出すと発表し、選挙戦への時計は加速していくなか、政界ではパン・ギムンだけが疎外されるようになり、支持率の低下が喧伝されるようになった。
また、ノ・テウ政権の外交通商部長官時代に実業家から裏金を受け取ったという疑惑が報道されたり、実弟が贈賄を試みたとしてアメリカで起訴されるなどスキャンダルが起きたこと、また国連事務総長時代に日本との慰安婦合意に関して「歓迎する」と発言したことについてメディアから追求されたことなども支持率低下に拍車がかかったと見られる。
前日夜、誰にも相談することなく出馬取り止めの原稿を書いたパン・ギムンは、電撃的な記者会見を終えて、陣営の参謀にこう語ったという。
「票を稼ぐためには、自分は保守だと明言すべきだ、と何度も言われた。これはつまり保守政党の消耗品になれということだ。しかし、保守のためにだけ働くような人に大統領になる資格はない。私は保守だがそんな話は、私の良心が許せなかった」
救国の士を目指した前国連事務総長は、日本とのパイプももつ数少ない大統領候補だったが、本格的な選挙戦に突入することすらないまま、表舞台から降りていこうとしている。
ニューズウィーク日本版ウェブ編集部