この冬、韓国を訪れ国政介入事件をめぐる朴槿恵大統領の弾劾訴追可決で高揚するソウルで過ごした。百聞は一見にしかず。日本でテレビニュースを見ているのと、現地で集会の渦の中に身を置くのとでは大いに違う。それは「朴槿恵即刻退陣」を叫ぶ光化門でのろうそく集会も、「弾劾無効」を訴えるソウル市庁前などでの保守派の太極旗集会も同じ。
筆者は、「反朴槿恵」だけでなく、日本のメディアでほとんど伝えられることのない保守派の動きに大いに関心があった。「パクサモ」と呼ばれる朴大統領を熱烈に支持する団体の年配の婦人や、退役軍人をはじめとする愛国おじさん(軍服姿もちらほらいる)が寒空の下、口々に「大韓民国を守れ!」とあらんかぎりの声を張り上げていた。
テーマソングなのか、朴正熙元大統領が暗殺された際に宴席に居た歌手、沈守峰の「無窮花」が流れたかと思えば、大音響の軍歌が耳をつんざき、ステージの大型スクリーンには荒野をゆく戦車が映し出される。「軍よ、立ち上がれ」「戒厳令しかない」。そんな物騒なプラカードも掲げられていた。(一部敬称略)
韓国亡命した駐英国公使の「万歳」
ホテルでテレビを見ていると、元駐英北朝鮮公使のテ・ヨンホ氏が出ている。2016年7月に家族とともに韓国に亡命し、年末に記者会見してからというもの、年明けからメディアに引っ張りだこである。会見の締めくくり、いささかこわばった表情で「大韓民国万歳!」と両手を上げたのが印象的だった。
筆者は1997年韓国に亡命した黄長※(※火ヘンに華)元朝鮮労働党書記のことを思い出した。北京で韓国大使館に駆け込んだ黄氏は側近と一緒に飛行機でソウルの空港に降り立ったが、そのとき、タラップの上で万歳した姿とダブったのだ。筆者は黄氏が北京へ出発する直前、東京のホテルで開かれたパーティーで会った。インタビューのお願いをしようとあいさつし、名刺を渡したが、まさか亡命決行を胸に秘めていたとは知る由もない。在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の関係者による物々しい警戒ぶりが気にはなっていたが、ニュース速報で北京での亡命を知り、驚いた。
その後、金正日が幹部らに語った秘密演説の資料を入手した。「革命的信念と良心は革命家と背信者を分ける基本指標だ」と題されたその発言集は、A4判の用紙10枚に及ぶ。黄氏が北京の韓国大使館に亡命申請した2月12日直後である2月17日と3月5日の2回にわたって行われていた。
こう記されていた。<黄長※は人間でなく、犬より劣る獣だということを自らあらわにした。人生も残り少ない74歳にもなって、党と首領(金日成主席)の信任に背いただけでなく、息子、娘や孫たちまで全てを捨ててしまった彼をどうして人間と呼べるだろうか。(中略)黄長※は地主の息子で、日帝時代に学んだ古い知識人だ。黄長※は主として教育部門と対外宣伝部門で仕事をしてきた。党、国家、軍事秘密を知る事業に関係したことはない。彼からいわゆる「秘密」が出たとしても、南朝鮮かいらいの脚本に沿ったデタラメな話だ>
何としてでも黄氏の価値をおとしめ、少しでも幹部らの動揺を抑えようとしているのがよく分かる。黄氏は金日成が創始した「主体思想」の理論的主柱でもあっただけに、亡命を許したことで父のメンツも汚したことになり、他ならぬ金正日が最も衝撃を受けていたと推察される。黄氏が亡くなった10年10月9日は、金正恩が朝鮮労働党代表者会でデビューした直後のことだった。
張粛清の実態、一部明らかに
さて、テ・ヨンホ氏である。ついこの間まで北朝鮮のエリート官僚だったとは思えない物腰の柔らかさ、洗練されたインテリ紳士といった感じである。甘いマスク、低い声もいい。びっくりしたのは得意ののどまで披露してみせたりもした。
美女の脱北者を集めたトーク番組などにもゲスト出演し、ロンドンではいつもこの番組をインターネットで見ていましたよ、などとサービストークも忘れない。堅物だった黄長※氏とはまるで雰囲気が異なり、タレント性抜群なのである。
そのテ氏、記者会見では「1兆ドル与えようと、10兆ドル与えようと金正恩は核兵器を諦めない」と断言し、金正恩の統治スタイルを「恐怖先行統治」と呼んだ。そのすさまじさの一例として朝鮮労働党行政部長だった張成沢氏の粛清を挙げた。13年12月、金正恩は叔父で後見役でもあった張氏に「現代版宗派分子」のレッテルを貼り、処刑してしまった。形ばかりの裁判はあるにはあったものの、事件の真相は今なお謎に包まれている。
テ氏はこう述べた。「金日成、金正日の時代にも粛清はあったが、そこには名分はあった。金正恩時代になって粛清の理由がよく分からない。大部分が即興的な粛清だ。張成沢事件は北朝鮮の歴史上、類例が無いものだ。労働党の行政部を丸ごとつぶしたのだから。副部長、課長は皆、銃殺され、構成員、家族は全て収容所へ送られた。写真の削除作業も行われた。11人の幹部が消された。段階的に粛清は続いている。金正恩は3年間で処理しろと命じた。公職者には自白書を提出させ、自らの一生で張成沢とその一党とどんな関係があったかを洗いざらい書き出させたのだ。もし後に何か判明すれば、むごたらしいことになる」(1月3日放送の「TV朝鮮」新年特別番組で)
【参考記事】北朝鮮外交官は月給8万円、「誰も声をかけてこない」悲哀
消された2女優と張との関連
私が注目したのは「段階的に粛清は続いている。金正恩は3年間で処理しろと命じた」とのくだりである。テ氏ら幹部エリートたちは「先行恐怖統治」への恐れとともに嫌気が差し、メディアには知られていないが、ひそかに亡命が続いているとも語っていた。
そうした粛清の実態を裏付ける動かぬ証拠を入手した。平壌で08年に出た「光明百科事典」第6巻(文学芸術編)である。年代ごとに主要な映画の解説をしているところで、不自然な手が加えられていた。「遠い後の日の私の姿」(97年)「幹は根から育つ」(98年)、そして「ある女学生の日記」(06年)に添えられた映画のシーンの写真に白い紙がのり付けされていたのだ。裏から光を当てればうっすら浮かび上がるが、修正前のオリジナル本を入手し、調べてみると、2人の女優が消されていた。いつ紙が貼られたかはっきりしないが、関係者の話ではここ1年ほどのこととみられる。
消されていたのは「遠い後の日の私の姿」と「幹は根から育つ」の2作品に主演していた「功勲俳優」の称号を持つキム・ヘギョンさん、そして「ある女学生の日記」に主演していたパク・ミヒャンさん。いずれも大ヒットし、女優も絶大な人気があった。「幹は根から育つ」は金正日が「100点満点の映画だ」と絶賛したことで知られ、「ある女学生の日記」は北朝鮮映画初のカンヌ国際映画祭出品作であり、日本でも公開された。
また「ある女学生の日記」については最新版の「朝鮮切手カタログ」(朝鮮郵票社)にも不可解な痕跡があった。金正日の「映画芸術論」発表35周年を記念して2008年に発行された4種類の切手を並べた小型シートで、パク・ミヒャンさんが登場するワンシーンをデザインした1枚だけが白く消されている。百科事典も切手カタログも映画の存在自体は抹消されておらず、女優の写真のみが消されていることから、2人の女優に何らかの問題があったことになる。
平壌の事情に通じた在日ビジネスマンがこう語る。「2人の女優が消えたのは明らかに張成沢粛清の余波です。粛清の真の理由までは知りませんが、まずキム・ヘギョンがやり玉に挙がり、しばらくしてパク・ミヒャンも消えた。たまに朝鮮中央テレビで彼女らの映画が放映されていましたが、ぱたっとやらなくなった。叔父を残酷に殺したのですから、幹部らはおびえながらも、金正恩流のやり方に反発がある。一心団結を訴え、自身を敬愛する最高領導者と呼ばせていますが、反逆を恐れているのです。だから徹底して粛清を続けるしかない。平壌では張成沢の名前を口にすることさえはばかられる重い空気のままです」
この切手カタログにはさらに奇妙なことがあった。13年に発行された「平壌民俗公園」のオープンを記念した小型シートが収録すらされていないのだ。この公園は張氏が主導して建設されたもので、粛清からちょうど3年になる16年暮れまでに解体作業を終えたという。テ氏の証言とも符合する。
対抗措置を準備?
一体、金正恩は張成沢氏の何に怒り、恐れたのか?
国家安全保衛部特別軍事裁判に関する報道(13年12月13日の労働新聞)にはこうある。
<張成沢は、全党、全軍、全人民の一致した念願と意見に従い、敬愛する金正恩同志を偉大な将軍さまの唯一の後継者として高く推戴するという重要な問題が討議される時期に、他の考えをしつつはかりごとをめぐらし、領導の継承問題を陰に陽に妨害するという絶対に許し難い大逆罪を働いた>
<張成沢のやつは政変を起こす時期と政変以後にどのようにしようとしたかについては「時期は特に決めていなかった。だが、一定の時期になって経済が完全に落ち込み、国家が崩壊寸前になれば、私がいた部署と全ての経済機関を内閣に集中させて私が総理をしようとした。その後、これまでさまざまな名目で確保した莫大(ばくだい)な資金で一定の生活問題を解決してやれば、人民と軍隊は私に万歳を叫ぶであろうし、政変は順調に達成されると打算した」と白状した>
消された2人の女優は、こうした張氏とどこかの人脈でつながっていたのだろう。だがそれにしても根こそぎ粛清するのは首をかしげざるを得ない。人民の誰もが知る有名な女優まであっさり消してしまえば、うわさが広がり、うわさがうわさを呼んでいくはずだ。
金正恩の恐怖先行統治がうまくゆくとは思えない。核・ミサイルで強硬姿勢を見せるものの、金正恩の内心は決しておだやかではないのではないか。テ氏のさらなる暴露が続けば、金正恩も何らかの対抗措置を取るかもしれない。既に幹部向けの秘密演説をしているかも可能性も否定できない。
[執筆者]
鈴木琢磨(すずき・たくま)
毎日新聞社部長委員
1959年大津市生まれ。大阪外国語大学朝鮮語学科卒、82年毎日新聞社入社。「サンデー毎日」時代から北朝鮮ウオッチを続け、現在、毎日新聞社部長委員。著書に『金正日と高英姫』『テポドンを抱いた金正日』、佐藤優氏との共著に『情報力』などがある。
※当記事は時事通信社発行の電子書籍「e-World Premium」からの転載記事です。
鈴木琢磨(毎日新聞社部長委員)※時事通信社発行の電子書籍「e-World Premium」より転載
筆者は、「反朴槿恵」だけでなく、日本のメディアでほとんど伝えられることのない保守派の動きに大いに関心があった。「パクサモ」と呼ばれる朴大統領を熱烈に支持する団体の年配の婦人や、退役軍人をはじめとする愛国おじさん(軍服姿もちらほらいる)が寒空の下、口々に「大韓民国を守れ!」とあらんかぎりの声を張り上げていた。
テーマソングなのか、朴正熙元大統領が暗殺された際に宴席に居た歌手、沈守峰の「無窮花」が流れたかと思えば、大音響の軍歌が耳をつんざき、ステージの大型スクリーンには荒野をゆく戦車が映し出される。「軍よ、立ち上がれ」「戒厳令しかない」。そんな物騒なプラカードも掲げられていた。(一部敬称略)
韓国亡命した駐英国公使の「万歳」
ホテルでテレビを見ていると、元駐英北朝鮮公使のテ・ヨンホ氏が出ている。2016年7月に家族とともに韓国に亡命し、年末に記者会見してからというもの、年明けからメディアに引っ張りだこである。会見の締めくくり、いささかこわばった表情で「大韓民国万歳!」と両手を上げたのが印象的だった。
筆者は1997年韓国に亡命した黄長※(※火ヘンに華)元朝鮮労働党書記のことを思い出した。北京で韓国大使館に駆け込んだ黄氏は側近と一緒に飛行機でソウルの空港に降り立ったが、そのとき、タラップの上で万歳した姿とダブったのだ。筆者は黄氏が北京へ出発する直前、東京のホテルで開かれたパーティーで会った。インタビューのお願いをしようとあいさつし、名刺を渡したが、まさか亡命決行を胸に秘めていたとは知る由もない。在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の関係者による物々しい警戒ぶりが気にはなっていたが、ニュース速報で北京での亡命を知り、驚いた。
その後、金正日が幹部らに語った秘密演説の資料を入手した。「革命的信念と良心は革命家と背信者を分ける基本指標だ」と題されたその発言集は、A4判の用紙10枚に及ぶ。黄氏が北京の韓国大使館に亡命申請した2月12日直後である2月17日と3月5日の2回にわたって行われていた。
こう記されていた。<黄長※は人間でなく、犬より劣る獣だということを自らあらわにした。人生も残り少ない74歳にもなって、党と首領(金日成主席)の信任に背いただけでなく、息子、娘や孫たちまで全てを捨ててしまった彼をどうして人間と呼べるだろうか。(中略)黄長※は地主の息子で、日帝時代に学んだ古い知識人だ。黄長※は主として教育部門と対外宣伝部門で仕事をしてきた。党、国家、軍事秘密を知る事業に関係したことはない。彼からいわゆる「秘密」が出たとしても、南朝鮮かいらいの脚本に沿ったデタラメな話だ>
何としてでも黄氏の価値をおとしめ、少しでも幹部らの動揺を抑えようとしているのがよく分かる。黄氏は金日成が創始した「主体思想」の理論的主柱でもあっただけに、亡命を許したことで父のメンツも汚したことになり、他ならぬ金正日が最も衝撃を受けていたと推察される。黄氏が亡くなった10年10月9日は、金正恩が朝鮮労働党代表者会でデビューした直後のことだった。
張粛清の実態、一部明らかに
さて、テ・ヨンホ氏である。ついこの間まで北朝鮮のエリート官僚だったとは思えない物腰の柔らかさ、洗練されたインテリ紳士といった感じである。甘いマスク、低い声もいい。びっくりしたのは得意ののどまで披露してみせたりもした。
美女の脱北者を集めたトーク番組などにもゲスト出演し、ロンドンではいつもこの番組をインターネットで見ていましたよ、などとサービストークも忘れない。堅物だった黄長※氏とはまるで雰囲気が異なり、タレント性抜群なのである。
そのテ氏、記者会見では「1兆ドル与えようと、10兆ドル与えようと金正恩は核兵器を諦めない」と断言し、金正恩の統治スタイルを「恐怖先行統治」と呼んだ。そのすさまじさの一例として朝鮮労働党行政部長だった張成沢氏の粛清を挙げた。13年12月、金正恩は叔父で後見役でもあった張氏に「現代版宗派分子」のレッテルを貼り、処刑してしまった。形ばかりの裁判はあるにはあったものの、事件の真相は今なお謎に包まれている。
テ氏はこう述べた。「金日成、金正日の時代にも粛清はあったが、そこには名分はあった。金正恩時代になって粛清の理由がよく分からない。大部分が即興的な粛清だ。張成沢事件は北朝鮮の歴史上、類例が無いものだ。労働党の行政部を丸ごとつぶしたのだから。副部長、課長は皆、銃殺され、構成員、家族は全て収容所へ送られた。写真の削除作業も行われた。11人の幹部が消された。段階的に粛清は続いている。金正恩は3年間で処理しろと命じた。公職者には自白書を提出させ、自らの一生で張成沢とその一党とどんな関係があったかを洗いざらい書き出させたのだ。もし後に何か判明すれば、むごたらしいことになる」(1月3日放送の「TV朝鮮」新年特別番組で)
【参考記事】北朝鮮外交官は月給8万円、「誰も声をかけてこない」悲哀
消された2女優と張との関連
私が注目したのは「段階的に粛清は続いている。金正恩は3年間で処理しろと命じた」とのくだりである。テ氏ら幹部エリートたちは「先行恐怖統治」への恐れとともに嫌気が差し、メディアには知られていないが、ひそかに亡命が続いているとも語っていた。
そうした粛清の実態を裏付ける動かぬ証拠を入手した。平壌で08年に出た「光明百科事典」第6巻(文学芸術編)である。年代ごとに主要な映画の解説をしているところで、不自然な手が加えられていた。「遠い後の日の私の姿」(97年)「幹は根から育つ」(98年)、そして「ある女学生の日記」(06年)に添えられた映画のシーンの写真に白い紙がのり付けされていたのだ。裏から光を当てればうっすら浮かび上がるが、修正前のオリジナル本を入手し、調べてみると、2人の女優が消されていた。いつ紙が貼られたかはっきりしないが、関係者の話ではここ1年ほどのこととみられる。
消されていたのは「遠い後の日の私の姿」と「幹は根から育つ」の2作品に主演していた「功勲俳優」の称号を持つキム・ヘギョンさん、そして「ある女学生の日記」に主演していたパク・ミヒャンさん。いずれも大ヒットし、女優も絶大な人気があった。「幹は根から育つ」は金正日が「100点満点の映画だ」と絶賛したことで知られ、「ある女学生の日記」は北朝鮮映画初のカンヌ国際映画祭出品作であり、日本でも公開された。
また「ある女学生の日記」については最新版の「朝鮮切手カタログ」(朝鮮郵票社)にも不可解な痕跡があった。金正日の「映画芸術論」発表35周年を記念して2008年に発行された4種類の切手を並べた小型シートで、パク・ミヒャンさんが登場するワンシーンをデザインした1枚だけが白く消されている。百科事典も切手カタログも映画の存在自体は抹消されておらず、女優の写真のみが消されていることから、2人の女優に何らかの問題があったことになる。
平壌の事情に通じた在日ビジネスマンがこう語る。「2人の女優が消えたのは明らかに張成沢粛清の余波です。粛清の真の理由までは知りませんが、まずキム・ヘギョンがやり玉に挙がり、しばらくしてパク・ミヒャンも消えた。たまに朝鮮中央テレビで彼女らの映画が放映されていましたが、ぱたっとやらなくなった。叔父を残酷に殺したのですから、幹部らはおびえながらも、金正恩流のやり方に反発がある。一心団結を訴え、自身を敬愛する最高領導者と呼ばせていますが、反逆を恐れているのです。だから徹底して粛清を続けるしかない。平壌では張成沢の名前を口にすることさえはばかられる重い空気のままです」
この切手カタログにはさらに奇妙なことがあった。13年に発行された「平壌民俗公園」のオープンを記念した小型シートが収録すらされていないのだ。この公園は張氏が主導して建設されたもので、粛清からちょうど3年になる16年暮れまでに解体作業を終えたという。テ氏の証言とも符合する。
対抗措置を準備?
一体、金正恩は張成沢氏の何に怒り、恐れたのか?
国家安全保衛部特別軍事裁判に関する報道(13年12月13日の労働新聞)にはこうある。
<張成沢は、全党、全軍、全人民の一致した念願と意見に従い、敬愛する金正恩同志を偉大な将軍さまの唯一の後継者として高く推戴するという重要な問題が討議される時期に、他の考えをしつつはかりごとをめぐらし、領導の継承問題を陰に陽に妨害するという絶対に許し難い大逆罪を働いた>
<張成沢のやつは政変を起こす時期と政変以後にどのようにしようとしたかについては「時期は特に決めていなかった。だが、一定の時期になって経済が完全に落ち込み、国家が崩壊寸前になれば、私がいた部署と全ての経済機関を内閣に集中させて私が総理をしようとした。その後、これまでさまざまな名目で確保した莫大(ばくだい)な資金で一定の生活問題を解決してやれば、人民と軍隊は私に万歳を叫ぶであろうし、政変は順調に達成されると打算した」と白状した>
消された2人の女優は、こうした張氏とどこかの人脈でつながっていたのだろう。だがそれにしても根こそぎ粛清するのは首をかしげざるを得ない。人民の誰もが知る有名な女優まであっさり消してしまえば、うわさが広がり、うわさがうわさを呼んでいくはずだ。
金正恩の恐怖先行統治がうまくゆくとは思えない。核・ミサイルで強硬姿勢を見せるものの、金正恩の内心は決しておだやかではないのではないか。テ氏のさらなる暴露が続けば、金正恩も何らかの対抗措置を取るかもしれない。既に幹部向けの秘密演説をしているかも可能性も否定できない。
[執筆者]
鈴木琢磨(すずき・たくま)
毎日新聞社部長委員
1959年大津市生まれ。大阪外国語大学朝鮮語学科卒、82年毎日新聞社入社。「サンデー毎日」時代から北朝鮮ウオッチを続け、現在、毎日新聞社部長委員。著書に『金正日と高英姫』『テポドンを抱いた金正日』、佐藤優氏との共著に『情報力』などがある。
※当記事は時事通信社発行の電子書籍「e-World Premium」からの転載記事です。
鈴木琢磨(毎日新聞社部長委員)※時事通信社発行の電子書籍「e-World Premium」より転載