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トランプ政権が貿易不均衡でドイツに宣戦布告、狙いはEU潰しか

ニューズウィーク日本版 2017年2月3日 19時10分

<トランプ政権で貿易政策を担当する国家通商会議のナバロ委員長は対中強硬派として知られるが、今週、名指しで批判したのはドイツだった。不当なユーロ安で暴利を貪っているというのだ。ナバロの批判は、ユーロ圏の弱い国に対する支援に不満をもつ有権者と共鳴し、メルケルを窮地に陥れユーロを崩壊させるかもしれない。いや、それこそが現米政権の狙いだ>

次は経済戦争だ――。米大統領に就任後、矢継ぎ早に公約を実行に移してきたドナルド・トランプが、今度は貿易相手国に経済戦争を仕掛ける準備中だとほのめかしている。

トランプ政権が仕掛けるのは通貨戦争だ。標的は中国だけではない。中国は長年、グローバル競争に勝つために為替操作をしていると批判されてきたが、1月31日、新設される国家通商会議のピーター・ナバロ委員長が名指しで批判したのはドイツだった。

曰く、ドイツはユーロの「甚だしい過小評価」を「悪用」して貿易での優位性を高めている。ホワイトハウスはどうやら、ユーロを確立したEU(欧州連合)の欧州経済通貨同盟を、ドイツの利権を守り、ドイツの勢力を伸ばす装置と見ているようだ。トランプの言葉を借りれば「ドイツの道具」である。

【参考記事】トランプとうり二つの反中派が米経済を担う

ドイツに対するこの懸念は、被害妄想ではあるが、経済学者や政策立案者が長らく抱いてきた考えでもある。通貨政策を含め、ドイツに強要して経済政策を変えさせることのできる手段がホワイトハウスにあるとは誰も思っていないが、トランプ政権はまさにそれをやろうとしているようだ。

共通通貨はドイツの生業?

この種のドイツ批判の始まりは、1970年代後半に遡る。ユーロ導入に先立つ、欧州通貨制度(EMS)が標的だった。

EMSは、域内の為替安定化を目的とした通貨制度で、為替変動幅を調整するメカニズムや、通貨ユーロの前身となった欧州通貨単位ECUなどからなる。当時、米カーター政権の通貨政策失敗によるドル安で大量の資金(短期資金)がドイツに流れ込み、ドイツマルクが対フランスフランで上昇するなど、為替の乱高下に悩まされたのに対応したものだ。

しかし、ドイツには常に、欧州各国の通貨を関連付けることで貿易での長期的優位に立とうとしているという疑念が付きまとっていた。1980年代前半、マンフレート・ラーンシュタイン独経済相と会談した英労働党のデニス・ヒーリー議員は、EMSはドイツの「生業」の1つなのだという考えに至った。

ラーンシュタインはヒーリーに、他通貨の下落範囲が狭まれば、ドイツの競争力は高まるだろうと話したという。当時、ドイツのインフレ率はフランスより低く、南欧諸国と比べれば格段に低かったため、為替相場を一定範囲に固定するEMSの下ではドイツの通貨は常に他の通貨より割安になり、輸出が有利になる。実力のない他の通貨は逆に、割高なレートに固定されて不利になる。EMSとその後のユーロは、ドイツを欧州経済のトップランナーにするためのものだと、ラーンシュタインは示唆したのだ。



奇妙なのは、この説がヨーロッパよりも断然、イギリスとアメリカで主張されてきた点だ。もし経済力の独占がドイツの目的なら、他の欧州諸国のほうが先に陰謀を察知できたはずだ。また、もしこれが本当にドイツの戦略ならあまりに短絡的すぎる。近隣諸国を財政破綻に陥れるのは、ドイツが安定した経済的繁栄を築くうえで得策ではない。

ドイツ側から見た通貨統合の目的は、貿易取引を容易にするほか、異なる通貨間の為替変動で一方の国が有利になったという疑いを取り除くことだ。例えば1992~93年にかけてスペインとイタリアがEMSから脱退して通貨が下落すると、フランスの農家は即座に安い輸入ワインに対する保護を要求し始めた。

バラク・オバマを含め歴代の米政権は、ドイツの経常黒字の大きさに頭を悩ませてきた。もっとも、ドイツが貿易で儲けるよう為替を操作したと考えていたのではない。経常黒字で儲けたお金を国内の消費拡大に向けない間違った経済政策で世界経済全体の足を引っ張り、その結果さらに経常黒字が膨れ上がっている、と考えていた。

ドイツは世界の重石

米政府はこれを阻止しようと試みた。2010年に韓国のソウルで開催された主要20カ国・地域(G20)首脳会議で、アメリカは経常収支を国内総生産(GDP)比で4%以下に抑える数値目標を設定するよう提案したのだ。だが、同じく経常黒字が大きい中国の反発もあり、実現はしなかった。その結果、2016年のドイツの経常黒字は中国を抜き世界最大になった模様で、GDP比では中国を大幅に上回る。IMF(国際通貨基金)によれば、2017年の経常黒字は中国がGDPのわずか1.6%なのに対し、ドイツは8.1%になる見通しだ。

ナバロが「ユーロは過小評価されている」と批判するのは、通貨統合を掲げるEUが、実質的な「マルク安」を永遠に維持するために利用されていると見るからだ。

だがドイツ同様に輸出主導で巨額の貿易黒字を誇るスイスの例を見ると、話はそう単純ではない。2007年に世界金融危機が起きると、スイスフランはドルとユーロに対して暴騰した。スイス国立銀行(中央銀行)はフラン高を抑えるため為替上限や為替介入などあらゆる手を尽くしているが、いまだに巨額の経常黒字はなくならず、2017年はGDP比でドイツを上回る8.95%になる見通しだ。一方で観光や時計などスイス経済を牽引する主要産業は深刻な打撃を被っている。スイスの経常黒字は貯蓄超過の結果で、為替が貿易に有利だったからではないからだ。



ドイツの爆弾は内政にある。スイスの中央銀行は、スイスフラン高を止めるために海外の資産(大半はユーロ諸国の国債)を買った。中国が米国債を買うのと似たようなものだ。ドイツもユーロ圏で同じことをした。ドイツの中央銀行はユーロに加盟する17カ国の中央銀行間の決済システム「ターゲット2」を通じて南欧諸国に対する債権を買った。2016年末のその額は7540億ユーロに上り、ユーロ危機がピークだった2012年8月より多い。もしユーロが崩壊すれば、それはすべてドイツの納税者の負担になる。

ドイツの対外債権はドイツ政府が意図したものではない。ECB(欧州中央銀行)が景気刺激のための量的緩和を実施した結果だ。量的緩和はもともと南欧諸国の債務危機やアメリカの信用危機の衝撃を和らげるために行われた。ユーロを救うためだ。ドイツの南欧向け債権が増えたのは、ドイツ政府や中央銀行の考えというよりは、ターゲット2にもともとそういうシステムが組み込まれていたせいだ。

メルケルの弱み突く

ナバロの批判が効果的だったのは、ドイツの政治的な弱みを突いているからだ。ドイツの南欧向け債権の増加は、中国にとっての米国債やスイスにとってのユーロ債のように公明正大なものではなく、国民にも不人気だ。一般のドイツ人が心配しているのは、輸出が好調過ぎることではなく、経常黒字で買った資産で大損しているのではないか、ということだ。アメリカのサブプライムローン(信用度の低い個人向け住宅融資)債権や債務危機に陥ったギリシャやスペインの国債を大量に持っているのではないか。ドイツの納税者の目の前には、多額の請求書がぶら下がっているかもしれないのだ。ユーロが崩壊すれば、そのツケを支払わなければならない。

実際、アメリカからの批判はてきめんにドイツの内政に影響し、9月に連邦議会選挙を控えたアンゲラ・メルケル首相は、次の首相候補の支持率でライバルにで大きく逆転された。選挙の主な争点は2つ、ユーロと難民だ。駐EUアメリカ大使候補のテッド・マロックは、ユーロは崩壊すると思うので空売りしたい、と言った。

ユーロが崩壊したら何が起こるのだろう? ヨーロッパはアメリカにとって政治的・経済的な競争相手ではなくなる。域内諸国の古い対立意識が噴き出して不安定化もするだろう。アメリカは最近まで、ヨーロッパを不安定な世界における安定の軸とみなしてきた。だがトランプ政権のビジョンでは、政治的にも経済的にも不安定なヨーロッパが望ましいのだ。最後にはヨーロッパは分断され、ドナルド・トランプのアメリカそっくりになるだろう。

From Foreign Policy Magazine


ハロルド・ジェームズ(米プリンストン大学教授、欧州論)

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