<周辺国やヨーロッパに流出した大量のシリア難民が、アサド政権下の故郷に戻ることはない。ロシアとトルコが鍵を握るシリア和平のこれからを、中東専門家の内藤正典氏が考察する。その後編>(写真:中東・ヨーロッパを襲った未曾有の難民危機も、その源泉はシリアにある)
<前編から続く>
欧州難民危機と一体のシリア戦争
シリア問題を考えるときに、一つ困ったことがある。中東の専門家は、この問題を中東に限ってしまう傾向があるのだが、実際には2015年に起きたヨーロッパ難民危機と完全に一体の問題である。100万人を超える難民がヨーロッパになだれ込んだ西バルカンルートは、トルコから始まっている。アサド政権側と反政府勢力との衝突がつづくなか、アサド政権軍は原始的だが途方もない危害を与える「樽爆弾」を無数に国民の頭上に落とした。2014年3月、シリアとの国境に近いトルコの町キリスを訪問した際、シリアから逃れていた人々はほぼ全員、アサド政権による空爆、とりわけ「樽爆弾」の恐怖を訴えた。ドラム缶のような容器に爆薬とコンクリートや鉄球などを詰め込んでヘリコプターから落下させるこの爆弾は、大音響とともに相当な破壊力があり、一瞬にして集合住宅を破壊する威力がある。難民の多くは、その大音響を思い出すと身体が硬直してしまう。注目すべきは、その時点で「イスラム国」はまだ存在していなかったことである。後に、「イスラム国」がシリア北部を制圧していくにつれて、アサド政権に家や家族を奪われたうえに「イスラム国」の苛烈な支配に巻き込まれた市民が難民となっていく。
したがって、ヨーロッパにいる難民は基本的にアサド政権が従来のまま存続する地域に戻るとは思えないし「イスラム国」の支配下に戻ることもあり得ない。逆に、EU諸国にとっては難民を将来的に帰還させることができないと、各国で排外主義を扇動するポピュリズムが高揚し、いよいよEU自体が危機に瀕することになる。今年、3月にはオランダの議会選挙、その後、フランス大統領選挙、ドイツの連邦議会選挙とEU各国で重要な選挙が相次ぐ。オランダでは、トランプ大統領以上に激しい反移民、反イスラムを掲げるヘルト・ウィルダースが率いる自由党の優勢が伝えられている。フランスでは、極右国民戦線のマリーヌ・ルペン、ドイツでは排外主義と反イスラムを掲げるフラウケ・ペトリ率いるAfD(ドイツのための選択肢)の躍進が予想されている。排外主義と反イスラムの主張が、難民危機に由来していることは言うまでもないが、この危機的状況を改善するには、そもそもシリア戦争を終結させ、かつ、難民が安心して母国に戻れる環境を整える以外に道はないのである。
【参考記事】ロシアとトルコの主導で、シリアは和平に向かうのか?(前編)
さらに困難なのは、西バルカンルートの出発点となったトルコには、いまもって270万人ものシリア難民が滞留していることである。ヨルダンとレバノンにも100万人近い難民が逃れている。昨年の3月、EUとトルコは難民問題についていくつかの取引をした。これ以上、トルコからEUに難民を流出させないことと引き換えに、トルコが少なくとも30億ユーロの資金援助を受ける。EU側で難民とは認定されなかった人をトルコに送還し、トルコは明確に難民と認められる同数のシリア人をEUに送り出す。さらに、トルコ国民はEUおよびシェンゲン圏諸国にビザなし渡航の権利を得る。最後のビザなし渡航は、難民問題とは無関係だったにもかかわらず、トルコを説得するためにEUが与えた飴玉である。
だが、結果的に現在までEUはこれを実現せず、トルコは約束を反故にされたのではないかと怒りを募らせている。トルコ政府は、再三にわたり、ビザなし渡航が実現されなければ、再度、難民をEU側に流出させると警告しているが、難民の存在を外交交渉に利用するトルコもEUも人権団体から厳しい批判を受けている。
トルコとしては、膨大な数の難民をこのまま抱え続けることなどできない。では、どうするのか? やはりシリアに戻さなければならないのだが、アサド政権の暴虐を非難し続けてきたエルドアン政権としては、難民の安全を確保したうえでないと帰還させることはできない。高い技能をもつ優秀な人材にはトルコ国籍を付与するとエルドアン大統領は発言しているが、そういう人達の多くは、すでにドイツなどヨーロッパに渡っているから少数に過ぎない。
鍵を握るロシアとトルコ
難民を帰還させるには、内戦以前のようなアサド政権による恐怖の統治を継続させることはできない。アサド大統領は、自国民を虐待する大統領がどこにいるだろうかと平然と発言しているが、さすがにそれを信じる難民はいない。この戦争で、最も多くの自国民を殺害したのが空軍力をもつアサド政権とロシア軍であることは確実で、難民はこのままでは怖くて帰還できない。かといってアサドに退陣させるという選択肢も全く非現実的である。烏合の衆にすぎない反政府勢力に統治能力などない。そこで、東アレッポの反政府勢力が敗北した段階で、ロシアとトルコが、いわば和平の「保証人」となるかたちで停戦に持ち込んだのである。
だが、シリア東部から北部の地域の帰趨は明らかになっていない。仮に「イスラム国」を壊滅できたとしても、シリア北部で「イスラム国」と戦ってきたクルド勢力に自治権ないし独立を与えることは隣国トルコが絶対に容認しない。北シリアのクルド武装勢力(PYD=統一民主党/YPG=人民防衛隊)は、トルコ国内でテロ組織とされる極左のPKK(クルディスタン労働者党)の兄弟組織だからである。トルコは、アスタナでのシリア和平会合にクルド勢力の参加を断固として認めなかった。
ここで最初に指摘したアメリカのプレゼンスの低さに戻ることになる。シリア問題に関して、オバマ政権のアメリカは「イスラム国」壊滅のために有志連合を組織したが、地上部隊を送らず、現地のクルド勢力を支援するかたちで介入した。この他人任せの介入が、この地域の将来をさらなる混乱に導くことになる。トルコは、NATO加盟国であるにもかかわらず、現在、アメリカとの関係は冷え込んでいる。アメリカが「イスラム国」掃討のためにクルド勢力のバックについたことだけでなく、昨年7月15日に起きたクーデタ未遂事件の首謀者とされるフェトフッラー・ギュレンというイスラム指導者のトルコへの送還に応じないためである。彼は1999年以来、ペンシルバニアに拠点を構えたまま世界中の支持者の活動に指示を出してきた。
アメリカとの関係がこじれるにつれて、トルコはロシアに接近した。2015年の10月には、作戦行動中のロシアの戦闘機が領空侵犯したとしてトルコ軍機が撃墜したため緊張が走ったが、一年もたたないうちに、蜜月の関係となったのである。トルコとしては、ロシアと共にシリア和平の「保証国」としての地位を固め、アサド政権の支配がおよぶ領域に制限を加えようとしている。ロシアがアサド政権側をおさえこみ、トルコは反政府勢力側をおさえこむことによって停戦を維持すると同時に、トルコ国境と接する一部に「安全地帯」を設置させて、そこはアサド政権の手が及ばないようにしようとしている。安全地帯上空をアサド政権軍に対して飛行禁止にすれば、難民の一部を帰還させることが可能となるからである。
【参考記事】<写真特集>教育も未来も奪われて働くシリア難民の子供たち
トルコにとっては、隣国シリアがどのような体制であろうと関心はない。トルコがシリアへの軍事介入に踏み切ったのは、第一に、アサド政権の攻撃を逃れてトルコに流入した難民の多くがスンナ派ムスリムであり、同じスンナ派のイスラム主義を採るトルコのエルドアン政権にとって見捨てることができなかったからである。ただし、同情だけではトルコ軍の直接介入には至らなかった。世界中から集まるジハーディストがトルコを通過してシリアに入るのを黙認したにすぎない。
トルコが地上部隊をシリア領内に進攻させる「ユーフラテスの盾」作戦を開始したのは、昨年8月24日のことである。表向きは「イスラム国」掃討作戦のために、アメリカ主導の有志連合軍に参加することだったが、実際には、「イスラム国」とクルド勢力の双方を攻撃することが目的だった。アメリカが支援するクルド勢力を攻撃するのは無謀だったが、アメリカ、EU、トルコなど世界的にテロ組織指定されているPKKの兄弟組織であるPYDとその軍事部門のYPGを公然と支援するのは「テロとの戦い」に関するダブルスタンダードだというトルコの主張には説得力がある。いかに「イスラム国」が非道で凶悪なテロ組織だとしても、毒をもって毒を制することをトルコは拒否したのである。ロシアは「イスラム国」掃討をアメリカ主導の有志連合軍にまかせ、トルコは反政府ジハード組織の後ろ盾となって、いつの間にかロシア・トルコでシリア戦争を終結させる方向に話を進めてしまったのである。
これでシリアに平和は戻るだろうか。シリア問題の専門家は、おおむねアサド政権の存続こそ安定の道という政権の主張をなぞってきた。だが、問題はアサド体制のイデオロギーや堅固な世俗的性格ではないのだ。戦争の犠牲者の多くがアサド政権の攻撃によるものである以上、国内避難民、難民ともに、破壊しつくされた故郷に帰ってアサド政権の支配下に暮らすことは困難なのである。その傷が癒えることが、仮にあるとしても、穏やかで平穏な生活と破壊しつくされた住居を復興させなければならない。その力は、シリアにはもはや残されていない。日本のTBSが行ったアサド大統領との単独インタビューによると、アサド大統領は、難民にではなく我が国に支援をしてほしいと主張していた。恐るべき商業国家としてのシリアは、他国の支援によってアサド政権のレガシーを再構築することを望んでいる。
だが、それはロシアとトルコが「保証国」になれば、ロシアなどシリアの同盟国の分担ということになろう。ロシアとイランがどこまでそれに応じるかは不明である。反政府勢力も組織によってはシリアにとどまって、一部地域の支配を続けることになるだろう。こちらもトルコに抑え込まれて政権軍との戦闘は停止させられることになる。現状では不十分なのだが、仮に、アメリカが、クルド勢力を抑え込む保証人となれば、「保証国」による統治に形がみえてくる。だが、そこまでいくのか? シリア政府の主権は制約され、領域的にも制限が科されるから、こまでの統一シリアは結果的に維持できないことになるだろう。
≪執筆者≫
内藤正典(同志社大学大学院教授)
1956年東京都生まれ。東京大学教養学部教養学科科学史・科学哲学分科卒業。社会学博士。専門は多文化共生論、現代イスラム地域研究。一橋大学教授を経て、現在、同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科教授。著書に『イスラム――癒しの知恵』『イスラム戦争 中東崩壊と欧米の敗北』(ともに集英社新書)『ヨーロッパとイスラーム』(岩波新書)『トルコ 中東情勢のカギを握る国』(集英社)など多数。
内藤正典(同志社大学大学院教授)
<前編から続く>
欧州難民危機と一体のシリア戦争
シリア問題を考えるときに、一つ困ったことがある。中東の専門家は、この問題を中東に限ってしまう傾向があるのだが、実際には2015年に起きたヨーロッパ難民危機と完全に一体の問題である。100万人を超える難民がヨーロッパになだれ込んだ西バルカンルートは、トルコから始まっている。アサド政権側と反政府勢力との衝突がつづくなか、アサド政権軍は原始的だが途方もない危害を与える「樽爆弾」を無数に国民の頭上に落とした。2014年3月、シリアとの国境に近いトルコの町キリスを訪問した際、シリアから逃れていた人々はほぼ全員、アサド政権による空爆、とりわけ「樽爆弾」の恐怖を訴えた。ドラム缶のような容器に爆薬とコンクリートや鉄球などを詰め込んでヘリコプターから落下させるこの爆弾は、大音響とともに相当な破壊力があり、一瞬にして集合住宅を破壊する威力がある。難民の多くは、その大音響を思い出すと身体が硬直してしまう。注目すべきは、その時点で「イスラム国」はまだ存在していなかったことである。後に、「イスラム国」がシリア北部を制圧していくにつれて、アサド政権に家や家族を奪われたうえに「イスラム国」の苛烈な支配に巻き込まれた市民が難民となっていく。
したがって、ヨーロッパにいる難民は基本的にアサド政権が従来のまま存続する地域に戻るとは思えないし「イスラム国」の支配下に戻ることもあり得ない。逆に、EU諸国にとっては難民を将来的に帰還させることができないと、各国で排外主義を扇動するポピュリズムが高揚し、いよいよEU自体が危機に瀕することになる。今年、3月にはオランダの議会選挙、その後、フランス大統領選挙、ドイツの連邦議会選挙とEU各国で重要な選挙が相次ぐ。オランダでは、トランプ大統領以上に激しい反移民、反イスラムを掲げるヘルト・ウィルダースが率いる自由党の優勢が伝えられている。フランスでは、極右国民戦線のマリーヌ・ルペン、ドイツでは排外主義と反イスラムを掲げるフラウケ・ペトリ率いるAfD(ドイツのための選択肢)の躍進が予想されている。排外主義と反イスラムの主張が、難民危機に由来していることは言うまでもないが、この危機的状況を改善するには、そもそもシリア戦争を終結させ、かつ、難民が安心して母国に戻れる環境を整える以外に道はないのである。
【参考記事】ロシアとトルコの主導で、シリアは和平に向かうのか?(前編)
さらに困難なのは、西バルカンルートの出発点となったトルコには、いまもって270万人ものシリア難民が滞留していることである。ヨルダンとレバノンにも100万人近い難民が逃れている。昨年の3月、EUとトルコは難民問題についていくつかの取引をした。これ以上、トルコからEUに難民を流出させないことと引き換えに、トルコが少なくとも30億ユーロの資金援助を受ける。EU側で難民とは認定されなかった人をトルコに送還し、トルコは明確に難民と認められる同数のシリア人をEUに送り出す。さらに、トルコ国民はEUおよびシェンゲン圏諸国にビザなし渡航の権利を得る。最後のビザなし渡航は、難民問題とは無関係だったにもかかわらず、トルコを説得するためにEUが与えた飴玉である。
だが、結果的に現在までEUはこれを実現せず、トルコは約束を反故にされたのではないかと怒りを募らせている。トルコ政府は、再三にわたり、ビザなし渡航が実現されなければ、再度、難民をEU側に流出させると警告しているが、難民の存在を外交交渉に利用するトルコもEUも人権団体から厳しい批判を受けている。
トルコとしては、膨大な数の難民をこのまま抱え続けることなどできない。では、どうするのか? やはりシリアに戻さなければならないのだが、アサド政権の暴虐を非難し続けてきたエルドアン政権としては、難民の安全を確保したうえでないと帰還させることはできない。高い技能をもつ優秀な人材にはトルコ国籍を付与するとエルドアン大統領は発言しているが、そういう人達の多くは、すでにドイツなどヨーロッパに渡っているから少数に過ぎない。
鍵を握るロシアとトルコ
難民を帰還させるには、内戦以前のようなアサド政権による恐怖の統治を継続させることはできない。アサド大統領は、自国民を虐待する大統領がどこにいるだろうかと平然と発言しているが、さすがにそれを信じる難民はいない。この戦争で、最も多くの自国民を殺害したのが空軍力をもつアサド政権とロシア軍であることは確実で、難民はこのままでは怖くて帰還できない。かといってアサドに退陣させるという選択肢も全く非現実的である。烏合の衆にすぎない反政府勢力に統治能力などない。そこで、東アレッポの反政府勢力が敗北した段階で、ロシアとトルコが、いわば和平の「保証人」となるかたちで停戦に持ち込んだのである。
だが、シリア東部から北部の地域の帰趨は明らかになっていない。仮に「イスラム国」を壊滅できたとしても、シリア北部で「イスラム国」と戦ってきたクルド勢力に自治権ないし独立を与えることは隣国トルコが絶対に容認しない。北シリアのクルド武装勢力(PYD=統一民主党/YPG=人民防衛隊)は、トルコ国内でテロ組織とされる極左のPKK(クルディスタン労働者党)の兄弟組織だからである。トルコは、アスタナでのシリア和平会合にクルド勢力の参加を断固として認めなかった。
ここで最初に指摘したアメリカのプレゼンスの低さに戻ることになる。シリア問題に関して、オバマ政権のアメリカは「イスラム国」壊滅のために有志連合を組織したが、地上部隊を送らず、現地のクルド勢力を支援するかたちで介入した。この他人任せの介入が、この地域の将来をさらなる混乱に導くことになる。トルコは、NATO加盟国であるにもかかわらず、現在、アメリカとの関係は冷え込んでいる。アメリカが「イスラム国」掃討のためにクルド勢力のバックについたことだけでなく、昨年7月15日に起きたクーデタ未遂事件の首謀者とされるフェトフッラー・ギュレンというイスラム指導者のトルコへの送還に応じないためである。彼は1999年以来、ペンシルバニアに拠点を構えたまま世界中の支持者の活動に指示を出してきた。
アメリカとの関係がこじれるにつれて、トルコはロシアに接近した。2015年の10月には、作戦行動中のロシアの戦闘機が領空侵犯したとしてトルコ軍機が撃墜したため緊張が走ったが、一年もたたないうちに、蜜月の関係となったのである。トルコとしては、ロシアと共にシリア和平の「保証国」としての地位を固め、アサド政権の支配がおよぶ領域に制限を加えようとしている。ロシアがアサド政権側をおさえこみ、トルコは反政府勢力側をおさえこむことによって停戦を維持すると同時に、トルコ国境と接する一部に「安全地帯」を設置させて、そこはアサド政権の手が及ばないようにしようとしている。安全地帯上空をアサド政権軍に対して飛行禁止にすれば、難民の一部を帰還させることが可能となるからである。
【参考記事】<写真特集>教育も未来も奪われて働くシリア難民の子供たち
トルコにとっては、隣国シリアがどのような体制であろうと関心はない。トルコがシリアへの軍事介入に踏み切ったのは、第一に、アサド政権の攻撃を逃れてトルコに流入した難民の多くがスンナ派ムスリムであり、同じスンナ派のイスラム主義を採るトルコのエルドアン政権にとって見捨てることができなかったからである。ただし、同情だけではトルコ軍の直接介入には至らなかった。世界中から集まるジハーディストがトルコを通過してシリアに入るのを黙認したにすぎない。
トルコが地上部隊をシリア領内に進攻させる「ユーフラテスの盾」作戦を開始したのは、昨年8月24日のことである。表向きは「イスラム国」掃討作戦のために、アメリカ主導の有志連合軍に参加することだったが、実際には、「イスラム国」とクルド勢力の双方を攻撃することが目的だった。アメリカが支援するクルド勢力を攻撃するのは無謀だったが、アメリカ、EU、トルコなど世界的にテロ組織指定されているPKKの兄弟組織であるPYDとその軍事部門のYPGを公然と支援するのは「テロとの戦い」に関するダブルスタンダードだというトルコの主張には説得力がある。いかに「イスラム国」が非道で凶悪なテロ組織だとしても、毒をもって毒を制することをトルコは拒否したのである。ロシアは「イスラム国」掃討をアメリカ主導の有志連合軍にまかせ、トルコは反政府ジハード組織の後ろ盾となって、いつの間にかロシア・トルコでシリア戦争を終結させる方向に話を進めてしまったのである。
これでシリアに平和は戻るだろうか。シリア問題の専門家は、おおむねアサド政権の存続こそ安定の道という政権の主張をなぞってきた。だが、問題はアサド体制のイデオロギーや堅固な世俗的性格ではないのだ。戦争の犠牲者の多くがアサド政権の攻撃によるものである以上、国内避難民、難民ともに、破壊しつくされた故郷に帰ってアサド政権の支配下に暮らすことは困難なのである。その傷が癒えることが、仮にあるとしても、穏やかで平穏な生活と破壊しつくされた住居を復興させなければならない。その力は、シリアにはもはや残されていない。日本のTBSが行ったアサド大統領との単独インタビューによると、アサド大統領は、難民にではなく我が国に支援をしてほしいと主張していた。恐るべき商業国家としてのシリアは、他国の支援によってアサド政権のレガシーを再構築することを望んでいる。
だが、それはロシアとトルコが「保証国」になれば、ロシアなどシリアの同盟国の分担ということになろう。ロシアとイランがどこまでそれに応じるかは不明である。反政府勢力も組織によってはシリアにとどまって、一部地域の支配を続けることになるだろう。こちらもトルコに抑え込まれて政権軍との戦闘は停止させられることになる。現状では不十分なのだが、仮に、アメリカが、クルド勢力を抑え込む保証人となれば、「保証国」による統治に形がみえてくる。だが、そこまでいくのか? シリア政府の主権は制約され、領域的にも制限が科されるから、こまでの統一シリアは結果的に維持できないことになるだろう。
≪執筆者≫
内藤正典(同志社大学大学院教授)
1956年東京都生まれ。東京大学教養学部教養学科科学史・科学哲学分科卒業。社会学博士。専門は多文化共生論、現代イスラム地域研究。一橋大学教授を経て、現在、同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科教授。著書に『イスラム――癒しの知恵』『イスラム戦争 中東崩壊と欧米の敗北』(ともに集英社新書)『ヨーロッパとイスラーム』(岩波新書)『トルコ 中東情勢のカギを握る国』(集英社)など多数。
内藤正典(同志社大学大学院教授)