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北方領土問題をめぐる日本世論の2つの誤解 - 冷泉彰彦 プリンストン発 日本/アメリカ 新時代

ニューズウィーク日本版 2017年2月9日 12時30分

<昨年末の日ロ首脳会談で合意した「共同経済活動」は、そもそも北方領土問題を前進させるために旧島民が多く暮らす根室で発案されたもの。しかしその真意は、日本の世論全体には理解されていない>

昨年12月の安倍首相とプーチン大統領の「長門会談」を受けて、日本とロシアの間ではいわゆる「北方領土」での「共同経済活動」について、具体的な立案が進んでいます。そんな中でこの1月下旬、北海道の根室市を訪問する機会がありました。根室市の総務部北方領土対策課で現状の説明を受け、また実際に納沙布岬へ行って歯舞諸島を間近に見ることができました。

現地を訪れ、自分も含めて、北方領土問題に関して2つの誤解があるという感想を持ちました。この問題を具体的に前に進めるには、その誤解を解くことが重要なのではないかと思います。

その一つ目は、「北方領土の返還要求」というと、日ロ両国が激しく利害を対立させているとか、日本の側でも狭い意味での領土ナショナリズムに訴えて、例えば愛国心を鼓舞したり政権の求心力を高めたりするためにやっている、つまり一言で言えば「ケンカ腰」での活動というイメージがあることです。ですが、これは完全な誤解です。

【参考記事】ロシアが北方領土に最新鋭ミサイルを配備 領土交渉への影響は

根室という北方領土の元住民を中心としたコミュニティで行われ、日本政府が支援している「北方領土返還運動」は、ロシアとの対立を深め、ロシアを外交的な敗北に追い込んで領土を「奪還する」という性格のものではありません。

現在の運動の性格をよく表しているのが、独立行政法人「北方領土問題対策協会」が行っている「北方領土に関する標語・キャッチコピー」の入選作品です。最新のものは、平成28年度のものとして、昨年11月に発表されていますが、5000人以上の応募作の中から選ばれたのは、以下のようなものです。

<最優秀賞>
四島の未来 心かよわせ返還へ

<優秀賞>
日露の絆はこの四島(しま)から
返還で未来につなごう北方四島
返還の扉ひらいて新時代
還れ四島(しま) 弾む対話に燃ゆ世論

<佳作>
返還は 話し合い 信頼しあい 認めあい
1億の声束ねて取り戻す 北方四島(しまじま)
手をつなごう 信頼きずき かならず返還
国民が力一つに返還へ
コツコツと確かな一歩で返還実現

国策そのものである北方領土問題について、このような「スローガン」が最優秀作品として選ばれているのです。「心かよわせ」とか「弾む対話」「信頼きずき」という姿勢には、対立や敵視といったものは全くありません。




その背景には、根室を中心とした日本側と、北方四島のロシア住民との交流事業が続く中で、日本側には「北方四島に現在住んでいるロシア人との友好・信頼関係を作ることが、返還につながる」という考え方、態度が確立していることがあります。

この交流事業には、日本側からの「ビザなし渡航」や「墓参」という活動がありますが、ロシア側からは救急医療体制の脆弱な北方四島で緊急性の高いロシア人の患者が出た場合、日本側が受け入れて治療するということが1998年頃から行われています。現在は毎年20人(2015年度)程度がコンスタントに受け入れられて救急医療が提供されています。また、北方四島に勤務するロシア人の医師・看護師等への研修事業も行われており、毎年3人程度が日本で研修を受けています。

納沙布岬から見た歯舞諸島。貝殻島灯台(3.7キロ先)の向こうに雪に覆われた勇留(ゆり)島(16.6キロ先)がはっきり見える(筆者撮影)

2つ目の誤解は、今回進められている「共同経済活動」を進めることは、北方四島におけるロシアの主権を「より認める」ことで、そのような妥協をすることで「領土の回復」は「遠のく」というものです。

まず、この「共同経済活動」というのは、一般的には「なじみの薄い」考え方ですが、2006年に根室の地元から提案され、その時点で四島のロシア系住民からも賛同の声が上がっていたそうです。その後、「日本への帰属」という問題を優先する考え方との間で調整に時間がかかり、今回の「長門会談」を契機としてこれを国策としてロシアと交渉することが決まったという経緯があります。

【参考記事】プーチンの思うつぼ? 北方領土「最終決着」の落とし穴

この「共同経済活動」は、具体的には4つのジャンルにわたっています。それは「医療」「漁業」「環境」「観光」の4つです。その中で「医療」に関しては従来の協力を拡大する方向ですが、これに加えて「漁業」については、長年の懸案であった「拿捕のない安全操業」と「日ロ共同での資源管理」が実現するのであれば大きな前進となります。

さらに「環境」ですが、これは旧共産主義体制の時代から環境問題で荒廃が進んでいた4島について、日本が資金と技術の協力を行うことで抜本的な改善を進めるというものです。その上で「観光」つまり、四島を観光資源としてロシア側からも日本側からも観光客の誘致が可能となり、双方の雇用拡大になるという構想です。

この「共同経済活動」が少しずつでも拡大していけば、ロシア系住民との交流は重層的なものとなり、その中で信頼関係がより強固となれば、やがて帰属問題についても日本に有利な交渉が開ける可能性が出てくる、根室の地元はこの立場でほぼ固まっているのです。



この問題を前進させるには、やはり日本全国の世論の後押しがなくてはなりません。そのためにも「返還運動は対立を煽るものではなく、むしろ逆であること」そして「共同経済活動の進展は帰属問題を後退させるものではない」という2点について、あらためて正確な理解が広まることが必要だと思います。

長門会談の際には、多くの取材陣が根室を訪れて「領土交渉の今後」に関する取材をしていったそうです。ですが、それにもかかわらず、この2つの誤解を「解く方向」の報道は少なかった、地元ではそのような落胆の声も聞きました。

領土ナショナリズムというイデオロギーを動機としなければ、この問題への関心を喚起できないし、またイデオロギーを動機とするのであれば、どうしても対立的な発想になる、一般論としてそれは分からないではありません。ですが、地元での理解、そして現政権の国策は全く別のところにあるというのもまた、重要な事実なのです。このことが全国に伝わっていなければ、この問題は前進しないのではないでしょうか。

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