Infoseek 楽天

児童相談所=悪なのか? 知られざる一時保護所の実態

ニューズウィーク日本版 2017年2月23日 11時35分

<10カ所の児童相談所を訪問し、100人以上の関係者に取材し、2つの児童相談所に住み込んだ著者が客観的視点でまとめた『ルポ 児童相談所:一時保護所から考える子ども支援』が突きつける現実>

『ルポ 児童相談所:一時保護所から考える子ども支援』(慎 泰俊著、ちくま新書)は、そのあり方自体を否定されることも少なくない児童相談所の実態を、客観的な視点に基づいて明らかにした新書である。

といっても、著者の本業は途上国の貧困層の人々のための信用組合の運営であり、つまりこの問題の専門家ではない。しかしライフワークとして、子どもを支援するNPO法人の活動も続けているというのだ。

ちなみに、その背後にあるものは、決して裕福ではない環境に育ったこと、そして中学生時代に「生意気だ」という理不尽な理由から受けた先輩からの暴力に起因しているのだという。また、自身の出自についてはこんな記述もある。

 両親は朝鮮人ですが、私は日本で生まれ、日本で育ちました。生まれた時に私が親から受け継いだのは朝鮮籍といって、これは戦前に朝鮮半島からやってきた人々につけられた記号で、国籍ではありません。日本に愛着はあり、日本の子どもたちを支援する活動をしていますが、自分の生まれた境遇を否定するわけにはいかないと思っていますので、朝鮮籍のままです。(中略)私に「人は生まれながらに平等であり、みなが自分の境遇を否定することなく、自由に自分の人生を決められる機会が提供されるべきである」という信念を抱かせているのは、こうしたバックグラウンドによるものだと思います。(20~21ページ「序章『一時保護所』とは、どういう場所なのか」より)

単純に考えれば、国籍や人種の問題と、児童相談所の話との間に共通点はない(私も個人的に、人種がパーソナリティに影響するものであるはずがないという考えを持っている)。しかし著者は、本書に登場する子どもたちが感じている不安や不満に、自分と共通するなにかを感じ取ったのだろう。

注目すべき点は、そんな著者が、全国約10カ所の児童相談所を訪問し、100人以上の関係者にインタビューし、2つの児童相談所に住み込みをして本書を書いているという点である。人種問題や家庭環境など、表層的な部分だけを拠り所にして無責任な否定論を展開する人たちには、絶対にできないことだと感じる。

そして実際、多くの子どもたちから話を聞くことによって、それまで児童相談所や一時保護所(児童相談所のなかの施設で、非行少年、被虐待児、児童養護施設や里親家庭に入る前の子どもが「一時的に」いる場所)についてほとんど知ることがなかったという著者は、多くの事実を知ることになる。

「二十年前の当時、そこの一時保護所はひどい場所でした、毎日が体罰です。たとえば、午前中ずっと体育館を雑巾がけさせられます。また、先生と話していたら、『目を見て話せ』と馬用のムチで叩かれたりします。 私から見て、特に理由があって体罰があるようには思えませんでした。朝礼の時間に、『お前ら夜に話していただろう。うるさかったぞ』と言われ殴られたりします。夜の就寝時間に怒られ、朝まで立たされていたり、ご飯抜きになったりすることもありました。ほぼ毎日がそんな感じです」。(14~15ページより)

【参考記事】日本の貧困は「オシャレで携帯も持っている」から見えにくい



・朝、周囲よりも早く起きてしまうと、他の子どもがちゃんと眠れないから早起きは禁止
・子どもたちが脱走しないように、窓が5センチ程度までしか開かない
・子どもたちが裸足でも靴でもなく靴下を履いて過ごす一方、職員は全員スニーカー。理由は、逃げ出しにくいようにしつつ、逃げても捕まえやすいように
・性関連のトラブルを避けるため男子と女子の交流は禁止
・食事中の私語が禁止されているため、食事のスピードが速くなる
・荒れてしまうことがあるため、一定数の子どもに精神安定剤を飲ませている

これらはほんの一部の例だが、文字を目で追っているだけでも身につまされるような話である。子どもたちの様子を眺めながら著者は、刑務所内の人間関係を描いた映画『ショーシャンクの空に』を思い出したというが、なんとなく理解できる気もする。

 教育と養育は子どもの成長における両輪であり、両者がバランスよく存在してこそ、人は本当の意味で成長をします。しかし、抑圧的な一時保護所では、生活のすべてが規律によってコントロールされており、教育はあっても養育の観点は感じられません。そこでは子どもが心から安心を感じることはできないのではないかと思います。(91ページより)

しかし、ここで誤解すべきでないのは、職員たちが決して憎しみなどの感情から子どもたちを縛り付けているわけではないということである。実際、強い規律を課すことには理由があるのだという。

まずは、さまざまな罪を犯した子、虐待を受けて心に傷を抱えた子、発達障害のある子などを1カ所に集めているだけに、「子どもたちを従順にさせる以外に方法がない」ということ。第2の理由は、職員数の少なさ。そして第3が、そもそも職員が子どもの状況について想像力を持っていない場合が多いということだそうだ。

「私であっても、携帯電話を取り上げられて、閉じ込められた場所で生活していると、一週間で気が狂うと思う。しかも、こういうところに来る子どもは、そもそも様々な意味で『不健康』な子どもなのに。 いくら私たちが必死にやっても、子どもたちが『ここは牢屋だ』と思うのはどうしようもない。子どもたちはカゴの鳥のような心境だろう。先日も二カ月以上ここにいる女の子が、『私がここに"連れてこられてから"、もう二カ月になる』とこぼしていて、心が痛かった。一時保護期間は、短くあるべきだ」。(96ページより)

ところで一時保護された子どもたちは、その後どうなるのだろうか? 著者によれば、半分強は家庭に戻り、一部の子どもはそのまま病院に移ることも。そして残る約4割の子どもが社会的養護に入ることになるのだそうだ。

【参考記事】子どもへの愛情を口にしながら、わが子を殺す親たち



社会的養護とは、実家庭で育つことができない子どもたちに、社会が代替的に提供する養育環境のこと。施設養護と家庭養護があり、前者の代表が児童養護施設、後者は里親家庭というわけだ。

しかし、ここに至るまでにも、いくつもの障害が立ちはだかっていることは先にも触れたとおり(あるいはそれ以上)だ。児童相談所側は「子どもの安全を守るために一時保護は当然の措置」と考えるが、親は「児相に子どもを取り上げられた」と考えることが多いからである。

しかも我々のような一般人には断片的な情報しかもたらされないため、「児童相談所=悪」のような"無責任なイメージ"だけが肥大化していくことになるのだろう。

ただし、それは単なるイメージでしかなく、基本的には憎しみを持って子どもと向き合っている職員などいないと考えるべきではないだろうか。その証拠に本書においても、理想と現実の狭間で苦悩する現場の人々の言葉が紹介されている。

「うちのケースワーカー(注:児童福祉司のこと)たちはみな疲れています。午前八時半から働き始め、仕事をしている親に会おうとすると、仕事終わりが夜一〇時を過ぎることも多いです。この児童相談所だけの話ではありません。二カ月に一度県内の児童福祉司会議がありますが、県内のすべての児童福祉司がみな同じ状態にあります。自分たちの仕事について時間をとって振り返る暇もなく、毎日ケースをおいかけています」。(179~180ページより)

「自分自身が子育て中であるにもかかわらず、自分の子どもに対してきちんとケアをしてあげられないのが辛い。たとえば、自分の子どもが明日受験なのに、虐待対応のために一緒にいてあげられないといったことがある。他人の子どものことをしながら、自分の子どもが後回しになっている現実に、日々葛藤が絶えません」。(182ページより)

「児相はけしからん」という主張がされがちなのは、声を上げるのは親ばかりという現状があるからだと著者は指摘する。しかし、大切なのはそのような感情論ではないはずだ。今後、行政にどんなことをしてもらうべきか、それだけでなく、広がりを見せる「子ども食堂」がそうであるように、民間にできることはないのかなどを私たちひとりひとりが考えていく。

本当に求められているのは、そのようなことではないだろうか。



『ルポ 児童相談所:一時保護所から考える子ども支援』
 慎 泰俊 著
 ちくま新書


[筆者]
印南敦史
1962年生まれ。東京都出身。作家、書評家。広告代理店勤務時代にライターとして活動開始。現在は他に、「ライフハッカー[日本版]」「Suzie」「WANI BOOKOUT」などで連載を持つほか、多方面で活躍中。2月26日に新刊『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』(ダイヤモンド社)を上梓。


印南敦史(作家、書評家)

この記事の関連ニュース