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難民社会の成功モデル? チベット亡命政府トップ単独インタビュー

ニューズウィーク日本版 2017年2月24日 15時25分

<ダライ・ラマ14世の後継者、ロブサン・センゲ首席大臣が語った、難民社会でありながら民主的な制度を持つ亡命チベット人社会の知られざる一面。単独インタビュー前編>

2017年2月中旬、中央チベット政権(チベット亡命政府)のロブサン・センゲ首席大臣(シキョン)に話を聞いた。

センゲ大臣は1968年生まれの48歳。インドの亡命チベット人社会で生まれ、後にハーバード大学のロースクールに留学。同校の上級研究員を務めた。2011年に全世界の亡命チベット人が参加する選挙によりチベット亡命政府の首席大臣(日本の首相に相当)に選出され、2016年に再選を果たした。

公の政治から引退したダライ・ラマ14世の後を継いだセンゲ大臣は、チベットの自由を求める政治運動のリーダーとして世界各国を訪問している。

【参考記事】ダライ・ラマ、引退表明の真意

ダライ・ラマ14世は、中国との対話によるチベット問題解決を目指した「中道のアプローチ」を提唱。1974年にチベットの亡命政府と亡命議会によって決議された。「中道のアプローチ」とは、チベットを中華人民共和国の一部として認める一方で、固有の言語や文化、宗教や自然環境を守るために、チベット人による高度な自治を認めるよう中国政府に求めるという方針だ。

チベット問題を平和的な手法で解決しようとする提案は国際社会から高く評価され、ダライ・ラマ14世は1989年にノーベル平和賞を受賞している。

しかし、中道のアプローチの提唱後、ダライ・ラマ14世の特使と中国政府は非公式の会談を複数回にわたり実施したが、進展はなく会談自体も2010年を最後に途絶えている。交渉の行き詰まりに加え、近年チベット人による焼身自殺が相次ぐなど人権状況が悪化、チベット問題は解決の糸口すら見えない状況に追いやられている。

センゲ大臣は、今回が主席大臣就任以来3回目の日本訪問だ。何のために来日したのか、その目的を聞いた。

◇ ◇ ◇

センゲ大臣:
「チベットの状況について、政府と民間レベルの双方に関心を促すことと、中道のアプローチについて支持を求めるためです。中国政府との間で以前から続けられている人権問題に関する対話は効果を上げていないと感じています。中国政府は常に「水面下で、非公開で対話を」と何十年も言い続けていますが、まったく実効性がないものです。

チベットは特にそうですが、中国全体の人権状況も悪化しています。諸外国は中国と人権問題に関する(非公開の)対話を何十年も続けてきました。「中国はメンツを気にする。だから非公開での対話ならば人権状況は改善する」との考えでしたが、現実は変化していません。

チベット内部で起きていることや中国の人権状況について、(公の場で)率直に遠慮なく語ってほしいと各国政府、国際社会の人々に望んでいます。中国との人権対話を静かに進めるだけでなく、これからはもっと公開の場でも行われるべきです」

【参考記事】ダライ・ラマ制裁に苦しむ、モンゴルが切るインドカード



亡命政府が民主的な運営に成功した理由

中国との交渉に進展は見られないが、亡命チベット人社会は数ある難民社会の中でも首席大臣選挙を行うなど民主的な制度を持ち、異色の存在感を示している。

中央チベット政権はインド・ダラムサラに本拠を置くが、昨年の首席大臣選挙では同地に住むチベット人だけではなく、インド各地の入植地、日本を含む世界各地の拠点でも投票が行われた。行政の透明性も高く評価されており、難民社会のモデルケースといっても過言ではない。どうして、このような体制を構築することができたのだろうか。

◇ ◇ ◇

センゲ大臣:
「当初からダライ・ラマ法王はチベット難民の団結と組織化というビジョンを持っていました。もちろん当初は海外からの支援で運営されていましたが、後に自分たちの政府を作ることができました。だから、今では自らの学校も運営できているのです。私自身、こうしたチベット人学校で学びました。

また、亡命チベット人たちはチベット独自の宗教や文化を保持するために僧院を再建しました。インドにある亡命チベット人の入植地は中央チベット政権の内務省によって統括されており、世界各国に大使館の役割を果たす事務所も東京を含め13カ所にあります。

チベット人は当初から自らの文化を守る必要性を感じていました。(外国の援助ではなく)自分たちの力で守らなければなりません。子供たちの教育も、病院やチベット医術のクリニックもそうです。中央チベット政権の財務省は亡命チベット人社会の金融専門家によって運営されています。

(亡命チベット人社会には)こうした基盤があります。この基盤が整うにつれ、法王が当初からおっしゃっていた「民主的な運営」という言葉が実現されるようになりました」

チベット亡命政府における「政教分離」

センゲ大臣:
「民主的なだけではありません。1963年に起草された中央チベット政権の憲章にはダライ・ラマ法王すらも弾劾できる条項があります。祖国を失った我々にとって法王は特別な存在で、弾劾するなど考えられないことです。それは宗教的な罪ですらあります。しかし法王は「もし議会がダライ・ラマを弾劾する必要がある時、この条項は必要になる」とおっしゃったのです。

法王はその決断に多くの批判や反対があっても、政教分離を貫かなければならないと言明し、自ら権力を移譲してこられました。世界には6000万もの難民がいますが、中央チベット政権はもっともよく組織されたものと言えるでしょう。

(組織的な運営が実現した理由は)心構えにあります。我々は政治的理由で難民になりましたが、他の人々と変わらぬ勤勉な人間です。一生懸命働くことも、他の人々より効率的に活動することもできるのです。

さまざまな援助団体が中央チベット政権の取り組みに多大な関心を持っていますし、欧州の政府関係者からは世界各地の難民のモデルにしたいとの言葉もいただきました。

たとえば、援助の効率性です。何百万ドルもの予算があっても、コンサルタントやNGOが中間に入ることで、難民にたどりつく頃には相当の額が失われているのはよくある話です。しかし我々は違います。中央チベット政権の場合、援助予算に占める行政経費の割合は7~12%にとどまっています。約90%が実際のプロジェクトに投じられているのです。これは中央チベット政権がもっとも適切に運営された民主的組織であることを示すものであり、私たちの誇りです。

中央チベット政権のスタッフは自らの職務を社会奉仕だと考えています。こうした価値観は(元々あったものではなく、後から)形成されたものです。東日本大震災後に日本で社会奉仕の機運が高まったことと同じです。

私がかつてハーバード大学の法科大学院に勤めていたことをご存知でしょうか。今、中央チベット政権から支給される月給は400ドルです。つまり、米国から戻って私の給料は一気に下がりました(笑)。

私だけではありません。同僚の多くが欧米からの帰国組です。(自らの待遇を犠牲にした)社会奉仕は亡命社会全体に民主主義的価値観がなければ続かないものです」



「子供たちに2つの翼を」の教育制度

1959年のチベット蜂起とダライ・ラマ14世の亡命から、すでに半世紀以上の年月が過ぎた。チベットに一度も足を踏み入れたことのない亡命チベット人も2世、3世として誕生しているが、彼らはチベット人としてのアイデンティティを保持できているのだろうか。

◇ ◇ ◇

センゲ大臣:
「チベット難民は小学校までチベット語で教育します。母語になじませるためです。英語は一言も使いません。すべてチベット語です。7歳から8歳までの子供たちはチベット語で数学、社会などを学ぶのです。

そして中学校に進学すると今度は英語で学びます。我々は子供たちに2つの翼を与えて育てたいのです。伝統と近代、チベット語と英語。しかし、もっとも重要なのは伝統的価値観と現代社会への適応力です。

これは世界各地の難民社会にとってもいいモデルになると思います。なぜならみんな自分のアイデンティティを守っていかなければならないですからね。現代社会への適応力や専門性があれば、社会のためにより力を発揮することができます。ただし土台となる価値観が一番重要です。チベットの自由を取り戻すのは長い道のりですから」

「アイデンティティと市民権は無関係」

センゲ大臣自身が難民社会の2世代目だ。1世と比べると、2世の難民はインドの市民権取得や現地同化を考える傾向が強いという。亡命生活が長期化する中でのアイデンティティ危機、ジェネレーションギャップについて聞いた。

◇ ◇ ◇

センゲ大臣:
「市民権やパスポートにはもちろん法的拘束力がありますが、日常生活や旅行に便利な一枚の紙にすぎません。究極的には考え方の問題です。自分がチベット人と信じていて、チベット人やチベットの大義のために何か行うなら、それでいいのです。日本にいるチベット人だろうが、欧州のチベット人、アメリカのチベット人、誰でもいいのですが、市民権が必要ならばとればいい。

この議論は古くから続いています。チベット人としてのアイデンティティを持つには法的にもチベット人でなければならないと考えられていましたし、チベット人がアメリカや欧州に行くことへの異論もありました。

しかし、データを見る限り、日本のチベット人も、欧州のチベット人も、アメリカのチベット人も、インドにいる亡命チベット人と同じように努力し、チベットの運動のために貢献しています。したがって、この問題は解決しています」

◇ ◇ ◇

欧州での難民危機が注目を集めるなか、多文化共生に懐疑的な意見が勢いを増している。半世紀以上にわたり難民生活が続く亡命チベット人社会にとって、民族のアイデンティティを保つことと現地社会に融和することの双方をいかに調和させるかは大きな課題となってきた。

昨年、日本国籍を取得した亡命チベット人の西蔵ツワンさんに話を聞いたが、医師として日本の地域社会に貢献する一方で、チベット人としての熱い思いを忘れていない姿が印象的だった。

【参考記事】埼玉の小さな町にダライ・ラマがやってきた理由

アイデンティティと現地との融和、その均衡点を探ることは困難な課題ではあるが、実現不可能な話ではない。センゲ大臣のインタビューから改めてこの問題を考えさせられた。

※センゲ大臣インタビュー・後編:難民を敵視するトランプ時代を、亡命チベット人はどう見ているか

[筆者]
高口康太
ジャーナリスト、翻訳家。1976年生まれ。千葉大学人文社会科学研究科(博士課程)単位取得退学。独自の切り口から中国・新興国を論じるニュースサイト「KINBRICKS NOW」を運営。著書に『なぜ、習近平は激怒したのか――人気漫画家が亡命した理由』(祥伝社)。


高口康太(ジャーナリスト、翻訳家)

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