<新曲の発表からユーモアたっぷりのQ&Aまで、デビッド・ボウイが探ったファンとの双方向な関係>
デビッド・ボウイは音楽の世界のパイオニアだった。それは誰もが知っているけれど、彼がインターネットの世界のパイオニアだったことはあまり知られていない。
例えば96年、ボウイは新曲「テリング・ライズ」を自分のウェブサイトでリリースした。これは有名アーティストが、ダウンロード可能な形で新曲を発表した初めてのケースと言えるだろう。
その2年後には、インターネットのプロバイダーとファンクラブを兼ねたサイト「ボウイネット」を公開。「会費」は月額19・95ドル(プロバイダー機能が不要なら5・95ドル)だった。ファンはこのサイトに設けられた掲示板で、あれこれ意見を交換できた。
【参考記事】「音楽不況」の今、アーティストがむしろ生き残れる理由
いま聞くと掲示板なんて「古い!」と思うかもしれないが、当時としては斬新だった。「ツイッターやフェイスブック、インスタグラムはもちろん......マイスペースやYouTubeに何年も先駆けて設置されたボウイネットは、インターネット時代の(アーティストと)ファンの関係の双方向性を予見していた」と、ビルボード誌は昨年ボウイが69歳で急逝したときに書いている。
ボウイネットの最大の魅力は、時々ボウイ自身が「セーラー(船乗り)」のハンドルネームでコメントを残したことだろう。「ボウイがコメントすると、みんな一斉に『ハロー、セーラー!』と書き込んだものだ」と、あるファンは振り返る。コメントの内容はイチ押しミュージシャンの宣伝から、噂の否定、音楽談義までいろいろあった。例えば04年11月、ボウイはアーケイド・ファイアのデビューアルバム『フューネラル』を大絶賛している。
「今年の最優秀アルバムはアーケイド・ファイアで決まりだ。とにかく今日、今すぐ、急いで買ってほしい。見事な曲作りと予測不可能な演奏で、こんなに美しくて、感動的で、情熱的なアルバムを聴くのは何年ぶりだろう!!!」
事実無根の噂をはっきり否定することもあった。07年には、ボウイとポール・マッカートニーとマイケル・ジャクソンが、宇宙人に向けてコンサートをやっているというデマを否定。マイスペース上の偽「公式サイト」がボウイの写真を勝手に使っていることに、「勘弁してくれ」とぼやいたこともある。
デジタル配信されたボウイのベスト盤 JAAP ARRIENSーNURPHOTO/GETTY IMAGES
07年3月には親友で写真家のジェフ・マコーマックの本を引き合いに、ジョン・レノンとしたいたずらを明かしている。
「ジェフ・マコーマックが新著『フロム・ステーション・トゥ・ステーション』で、私とレノン、ポール・サイモン(アート・ガーファンクルだったかもしれない)と、あと2人ほどのロックフォークミュージシャンが集まったときのことを暴露している。ラジオ局に電話をかけまくり、ジョンが『どうも、こちらJL。DBやPSなんかと一緒にいる』と言うんだ。そして電話を切られるまで相手の反応を笑っていた」
ボウイはファンの音楽談義にも目を通していたようだ。あるファンが、ボウイの「ゴールデン・イヤーズ」(75年)について、マリリン・マンソンのカバーのほうが好きだとコメントしたときは、「あり得ない!」と投稿した。
ファンとのライブQ&Aに参加したこともある。00年10月のQ&Aの一部をご紹介しよう。
<ファン> 人肉を食べるって本当ですか。
<ボウイ> それってすごくプライベートな質問だよ。秘密にしておこう! きみはカトリックじゃないのかい?
<ファン> デーブ、カジノでギャンブルをすることはある?
<ボウイ> ないね。ルーレットを回すより、自分でとんぼ返りをしてるよ。ところでデーブって呼ぶのはやめてくれ!
<ファン> ジョージ・クリントンが曲の中で、あなたの名前を間違って発音したことに怒っている?
<ボウイ> 全然。私も彼について曲を書いたら、間違って発音してやるさ。でも、大統領について曲を書きたい奴なんていないだろう?
<ファン> 故人も含めて、一緒に仕事をしたかったのにできなかった人はいる?
<ボウイ> 死者と仕事をするのは大好きだ。何でも言うとおりにしてくれるし、反論しないし、歌は私のほうが絶対上手だからね。でもレコードジャケットでは、彼らのほうがすごくかっこよく撮れてたりする。
【参考記事】プリンスの自宅兼スタジオ「ペイズリーパーク」がついに公開
***
こうしたやりとりを読むと、ボウイがファンとの交流を心から楽しんでいたこと、そして新しい音楽の在り方を常に探っていたことが分かる。それは現代のアーティストが、ツイッターなどのソーシャルメディアを通じて、ファンと直接交流するスタイルの原型のようにも見える(もちろんほとんどのスターは、ファンの書き込みに答えることはめったにないけれど)。
ボウイは晩年、ボウイネットにコメントを書かなくなった。ソーシャルメディアは決してやらなかった。06〜07年のボウイネットへの投稿は、今もファンサイトで見ることができるが、06年より前の投稿は失われてしまったようだ。
だがファンの間では、ボウイが残したものは脈々と生き続けている。彼らにとってボウイは永遠の「スターマン」であり、「痩せた青白き公爵」であり、「ネットで世界をからかった最初の男」なのだ。
[2017.3. 7号掲載]
ザック・ションフェルド(本誌記者)
デビッド・ボウイは音楽の世界のパイオニアだった。それは誰もが知っているけれど、彼がインターネットの世界のパイオニアだったことはあまり知られていない。
例えば96年、ボウイは新曲「テリング・ライズ」を自分のウェブサイトでリリースした。これは有名アーティストが、ダウンロード可能な形で新曲を発表した初めてのケースと言えるだろう。
その2年後には、インターネットのプロバイダーとファンクラブを兼ねたサイト「ボウイネット」を公開。「会費」は月額19・95ドル(プロバイダー機能が不要なら5・95ドル)だった。ファンはこのサイトに設けられた掲示板で、あれこれ意見を交換できた。
【参考記事】「音楽不況」の今、アーティストがむしろ生き残れる理由
いま聞くと掲示板なんて「古い!」と思うかもしれないが、当時としては斬新だった。「ツイッターやフェイスブック、インスタグラムはもちろん......マイスペースやYouTubeに何年も先駆けて設置されたボウイネットは、インターネット時代の(アーティストと)ファンの関係の双方向性を予見していた」と、ビルボード誌は昨年ボウイが69歳で急逝したときに書いている。
ボウイネットの最大の魅力は、時々ボウイ自身が「セーラー(船乗り)」のハンドルネームでコメントを残したことだろう。「ボウイがコメントすると、みんな一斉に『ハロー、セーラー!』と書き込んだものだ」と、あるファンは振り返る。コメントの内容はイチ押しミュージシャンの宣伝から、噂の否定、音楽談義までいろいろあった。例えば04年11月、ボウイはアーケイド・ファイアのデビューアルバム『フューネラル』を大絶賛している。
「今年の最優秀アルバムはアーケイド・ファイアで決まりだ。とにかく今日、今すぐ、急いで買ってほしい。見事な曲作りと予測不可能な演奏で、こんなに美しくて、感動的で、情熱的なアルバムを聴くのは何年ぶりだろう!!!」
事実無根の噂をはっきり否定することもあった。07年には、ボウイとポール・マッカートニーとマイケル・ジャクソンが、宇宙人に向けてコンサートをやっているというデマを否定。マイスペース上の偽「公式サイト」がボウイの写真を勝手に使っていることに、「勘弁してくれ」とぼやいたこともある。
デジタル配信されたボウイのベスト盤 JAAP ARRIENSーNURPHOTO/GETTY IMAGES
07年3月には親友で写真家のジェフ・マコーマックの本を引き合いに、ジョン・レノンとしたいたずらを明かしている。
「ジェフ・マコーマックが新著『フロム・ステーション・トゥ・ステーション』で、私とレノン、ポール・サイモン(アート・ガーファンクルだったかもしれない)と、あと2人ほどのロックフォークミュージシャンが集まったときのことを暴露している。ラジオ局に電話をかけまくり、ジョンが『どうも、こちらJL。DBやPSなんかと一緒にいる』と言うんだ。そして電話を切られるまで相手の反応を笑っていた」
ボウイはファンの音楽談義にも目を通していたようだ。あるファンが、ボウイの「ゴールデン・イヤーズ」(75年)について、マリリン・マンソンのカバーのほうが好きだとコメントしたときは、「あり得ない!」と投稿した。
ファンとのライブQ&Aに参加したこともある。00年10月のQ&Aの一部をご紹介しよう。
<ファン> 人肉を食べるって本当ですか。
<ボウイ> それってすごくプライベートな質問だよ。秘密にしておこう! きみはカトリックじゃないのかい?
<ファン> デーブ、カジノでギャンブルをすることはある?
<ボウイ> ないね。ルーレットを回すより、自分でとんぼ返りをしてるよ。ところでデーブって呼ぶのはやめてくれ!
<ファン> ジョージ・クリントンが曲の中で、あなたの名前を間違って発音したことに怒っている?
<ボウイ> 全然。私も彼について曲を書いたら、間違って発音してやるさ。でも、大統領について曲を書きたい奴なんていないだろう?
<ファン> 故人も含めて、一緒に仕事をしたかったのにできなかった人はいる?
<ボウイ> 死者と仕事をするのは大好きだ。何でも言うとおりにしてくれるし、反論しないし、歌は私のほうが絶対上手だからね。でもレコードジャケットでは、彼らのほうがすごくかっこよく撮れてたりする。
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こうしたやりとりを読むと、ボウイがファンとの交流を心から楽しんでいたこと、そして新しい音楽の在り方を常に探っていたことが分かる。それは現代のアーティストが、ツイッターなどのソーシャルメディアを通じて、ファンと直接交流するスタイルの原型のようにも見える(もちろんほとんどのスターは、ファンの書き込みに答えることはめったにないけれど)。
ボウイは晩年、ボウイネットにコメントを書かなくなった。ソーシャルメディアは決してやらなかった。06〜07年のボウイネットへの投稿は、今もファンサイトで見ることができるが、06年より前の投稿は失われてしまったようだ。
だがファンの間では、ボウイが残したものは脈々と生き続けている。彼らにとってボウイは永遠の「スターマン」であり、「痩せた青白き公爵」であり、「ネットで世界をからかった最初の男」なのだ。
[2017.3. 7号掲載]
ザック・ションフェルド(本誌記者)