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フィリピンパブの研究者がホステスと恋愛したら......

ニューズウィーク日本版 2017年3月9日 19時6分

<舞台は名古屋の風俗街。フィリピンパブを研究対象にした22歳の大学院生は、なんとホステスと付き合い始める。実体験に基づく『フィリピンパブ嬢の社会学』の疾走感をぜひ楽しんでもらいたい>

『フィリピンパブ嬢の社会学』(中島弘象著、新潮新書)は、当時大学院生だった著者が、実体験に基づいて綴った新書。つまり、長年にわたって研究を続けてきた専門家による研究書的なものではない。それどころか著者は執筆時、就職に失敗し、仕事を探していた状態だった。

軸になっているのは、修士論文のテーマにしたフィリピンパブについて調べる過程で知り合った、「ミカ」というホステスとの関係である。このテーマを取り上げることについては、大学院の女性指導教官も「おもしろい研究になるかもしれませんね」と好意的だったらしい。ところが間もなく、話はとんでもない方向に進んでしまう。

 ミカは150センチと小柄で25歳。僕より3つ年上だったことを隠しもせずに教えた。明るくて、やさしい。商売抜きで親切にしてくれるように思えた。店の客としては、僕が若い方だったからかもしれない。「今夜のチャージは千円だけでいいよ」と耳元でささやいてくれたこともある。 何回か通ううち、僕はミカと付き合うことになった。 指導教官にそのことを告げたら、顔色が変わった。「そんな危ないこと、すぐやめなさい! そんなことを研究対象にはできません。その女性とは早く別れなさい。あなたのお母さんに顔向けできません!」 それでも付き合い続けた。(5ページ「はじめに」より)

このとおり、序文の段階から読者の心をぐっとつかんでしまう。そして以後に続くストーリーも、人間的で、適度に泥くさく、痛快だ。著者から話を聞き、「これは本になる」と確信したジャーナリストの尽力によって書籍化が実現したというが、十分に納得できる話である。つまりタイトルに「社会学」とあるものの、実体験に基づくドキュメンタリーといったほうが近い。

とはいえ一般人からすると、フィリピンパブとその周辺状況には、不透明な部分も少なくない。そもそもフィリピン人は、なぜ日本の風俗産業に浸透しているのだろうか?

 日本各地のナイト・クラブやキャバレーなどで演奏するために、いわゆるフィリピンバンドと呼ばれる楽団が、フィリピンから日本へ来るようになったのは、1960年代あたりからと言われている。(中略)当初は男性が多く、女性はコーラスメンバーや、ダンサーとして働いていたのが、いつしか「ホステス」として使われ出し、次第にそちらがメインの「出稼ぎ」となっていった。だが、最初が「興行」だったから、ながらくフィリピン人の出稼ぎには「興行ビザ」が使われ、「タレント」として来日してきたのだ。(22~23ページより)



つまり、当初はダンスや歌手などの試験に合格し、フィリピン政府から「芸能人」と認定してもらえなければ来日できなかったということ。フィリピンホステスは歌やダンスがうまいといわれるのは、そんな経緯があったからだという。ただし現在は、状況が異なるようだ。

 興行ビザは2005年に規制され、今では興行ビザで出稼ぎに来るフィリピン人はほとんどいない。そのため、パブで働いている若いホステスは、裏の組織の手配で日本にやってきている。(24ページより)

だから、指導教官がすぐにやめろと止めた理由もわからないではないのである。

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ちなみに、フィリピンパブが中年男性の支持を集めることについては、明確な理由があるそうだ。常連の典型は「子どもは独立、離婚して独身、自由になる金がそれなりにある50~60代の現役男性」で、ここではその例として「クロダさん」という男性の発言が引用されている。

 クロダさんは、自分がフィリピン人にモテるタイプだと思うという。「日本人の若い子がいるキャバクラだと、オレみたいなおっさんは相手にしてくれない。でもフィリピンパブは違う。オレでもモテるんだ」(66ページより)

でも残念ながら、そして当然ながら、ホステス側の考え方はやや異なる。

 フィリピンパブで働く、ミカのようにマネージャーとの契約がある契約ホステスは、売上ノルマをクリアしなければならない。マネージャーとの間に契約がないフリーのアルバイトホステスも日本での生活費や、フィリピンへの送金があるから、一生懸命、面倒な客でも、うまくかわしながら店に来てもらおうとする。(67ページより)

クロダさんのようなおっさんが聞いたらがっかりしそうな話だが、しかし結果的に双方が満足できる関係が構築されているのだから、それはそれでいいのかもしれない。

ところで、著者は愛知県春日井市出身で、本書の舞台になっているのも名古屋である。名古屋は風俗が盛んで、フィリピンパブが多いことでも知られる。本書によれば、愛知県が工業地帯であることも、フィリピンパブの客に中年男性が多い理由のひとつだ。

トヨタをはじめとする大企業のサラリーマンは接待という名目で、会社の経費を使って高級クラブやキャバクラに行くことができる。それに対し、フィリピンバブに通う客は高給取りではなく、建設現場の労働者やタクシー運転手、従業員数人の会社の社長さんが大半だというのだ。

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いずれにしても、22歳の青年には不釣り合いな世界である。にもかかわらず、周囲からの誤解を受け入れたうえで著者はミカと交際し、ヒモのような立場にもなり、やがて友人、指導教官、自分の家族らとミカを積極的に引き合わせていく。

そして著者の母など、最初は抵抗を示していた人は、やがてミカの明るく素直な人柄に惹かれていくことになる。だから、その過程を目で追っていると、こちらまで温かい気分になってくる。

とはいえ、当然ながら平和なことばかりが続くわけではない。特筆すべきは、理不尽な要求を突きつけてきたミカのマネージャーと著者が、真正面からぶつかり合う場面だ。その部分の詳細を明かすと読む楽しみが減ってしまうので控えておくが、「殴られてすめばいいが、殺されることだってあるかも」という思いを抱きながらも後には引けなくなった著者の立ち回りは、間違いなく本書最大のクライマックスだ。

さて、紆余曲折を経た結果、ミカと著者はどうなったのだろうか? そのことについても、やはり明かすべきではないだろう。ぜひとも、最後まで疾走感が途絶えることのないそのストーリーを実際にお楽しみいただきたい。


『フィリピンパブ嬢の社会学』
 中島弘象 著
 新潮新書


[筆者]
印南敦史
1962年生まれ。東京都出身。作家、書評家。広告代理店勤務時代にライターとして活動開始。現在は他に、「ライフハッカー[日本版]」「WANI BOOKOUT」などで連載を持つほか、「ダヴィンチ」「THE 21」などにも寄稿。新刊『世界一やさしい読書習慣定着メソッド』(大和書房)をはじめ、『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』(ダイヤモンド社)など著作多数。

印南敦史(作家、書評家)

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