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シリコンバレーに「デザイン」はなかった

ニューズウィーク日本版 2017年3月10日 18時37分

<意外に思えるかもしれないが、シリコンバレーの発展に重要な役割を果たしたにもかかわらずデザインは「見落とされてきた」と、スタンフォード大学dスクールのバリー・M・カッツ教授は言う。デザイナーたちの視点で描かれた、シリコンバレーの知られざる歴史を紐解く>

アップルの「iPhone」を例に取るまでもなく、いまではあらゆる電子製品に「デザイン」が深く関わっている。見た目の美しさにかぎらず、使いやすさや小型化もデザインによって実現されている。そのため技術的な革新性だけでなく、時にはそれ以上に、デザインが製品の命運を左右することも少なくない。

そうした現状を考えれば、先進的なアイデアとテクノロジーで世界に衝撃を与え続けるシリコンバレーにおいても、デザインやデザイナーの重要性は十分に認識されている......と思いきや、実はそうでもないという。

シリコンバレーの発展に重要な役割を果たしたにもかかわらず、デザインは「見落とされてきた」「ひどい話だ」と口惜しがるのは、『世界を変える「デザイン」の誕生――シリコンバレーと工業デザインの歴史』(高増春代訳、CCCメディアハウス)の著者、バリー・M・カッツだ。

カリフォルニア美術大学およびスタンフォード大学ハッソ・プラットナー・デザイン研究所(通称「dスクール」)の教授であり、世界的なデザインコンサルティング会社IDEOにも所属する著者は、デザインこそが、シリコンバレーがアメリカ経済の原動力へと変貌を遂げていくための「最後の1ピース」だったと語る。

段ボールのデザインが最初の仕事だった

スティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアックが最初のマイクロコンピュータ「アップルⅠ」を完成させる25年前の1951年、シリコンバレーに初めて「工業デザイナー」が誕生した。当時は中規模の計測機器メーカーにすぎなかったヒューレット・パッカードに採用されたカール・クレメントだ。

ちなみに、現在「シリコンバレー」と呼ばれている地域の大半は、カリフォルニア州北部のサンタクララ郡に属する。このころはまだ急行列車も止まらない田舎町で、アプリコットやブドウ、クルミなどの果樹園が一面に広がり「喜びの渓谷」と呼ばれていた。

シリコンバレー初の工業デザイナーとなったクレメントだが、当初は製図技師だった。入社3年目にして、ようやくデザイナーとしての初仕事が回ってきたが、それも製品発送用の段ボールのデザインを一新する仕事だった。

だが、1部屋を占領するほど巨大な装置だったコンピュータが、文字どおり「デスクトップ(机の上)」になり、さらに革新的なデザインが誕生するまでになる過程のすべては、ここから始まったと言っても過言ではない。



その後、クレメントは同社製品のカバーやアクセサリー部品(ツマミなど)のデザインを手がけるようになる。使いやすさ、軽さ、運びやすさなどを取り入れた彼のデザインは、従来製品との違いは一目瞭然で、これがデザイン改革の最初の一歩となった。

しかし当時のテクノロジー企業では、デザイナーとエンジニアとの間には大きな"格差"があり、「高度な専門教育を受け、高い地位にあり、高給取りでもある」エンジニアから、デザインへの信頼を獲得するのは困難だったという。エンジニアにとってデザインは「不必要な存在」だったのだ。

1972年に発売された世界初のポケットに入る関数電卓「HP-35」など、デザインが貢献した例はあるが、60~70年代のシリコンバレーにおける半導体産業の劇的な成長と発展に比べれば、ほんの小さな成功と捉えられても仕方がない。

著者もこう言っている――「少数の工業デザイナーたちの功績はシリコンバレーの歴史においては、脚注の中にあるさらなる細かな記述程度の存在でしかなかった」。

ジョブズが変えたデザインの地位

本書は、シリコンバレーにおけるデザインの発展について、主にデザイナーたちの視点で描かれている。巻末の「謝辞」に挙げられた名前の数(4ページ超!)と、細かな発言ひとつひとつの出典まで記された「注釈」を見れば、いかに多くの取材を重ね、長い時間をかけて書かれたものであるかが、よくわかる。

著者はこの本のテーマのひとつとして、「デザイナーたちの立場の劇的な変化」を挙げている。かつてエンジニアたちから「必要悪」と思われていたデザインは、いまや経営戦略に欠かせない重要な要素のひとつとなり、トップデザイナーは世界経済フォーラム(ダボス会議)で各国首脳と並んで座るまでになった。

そして、1980年代の初めには世界のデザインの中心地といえばミラノかロンドンかニューヨークだったが、現在では、世界中のどの地域よりも多くのデザイナーがシリコンバレーとその周辺で活躍している。あらゆるデザインの新分野が、シリコンバレーに起源をもつようになっているのだ。

【参考記事】シリコンバレーのリクルートAI研究所はチャットボットを開発していた

こうした変化に大きく貢献したのが、アップルのスティーブ・ジョブズだ。著者はジョブズについて、「シリコンバレーの歴史において、まさにターニング・ポイントとなる存在だ」と述べている。

実はジョブズは、戦略的にデザインを考えていたわけではないという。ジョブズが執着していたのは一体型家電製品としてのコンピュータというコンセプトであり、デザインは、それを達成するための必然的な手段だった。そして、それを実現したのは工業デザイナーだった。



1977年、世界初の個人向けコンピュータ「アップルⅡ」が誕生した。この開発秘話はあちこちで語られているが、デザイナーの名が出てくることは少ない。ウィキペディア(日本語版)でも触れられていないところを見ると、著者がデザインは「見落とされてきた」「ひどい話だ」と嘆きたくなるのも理解できる。

デザイナーは、ジェリー・マノック。スタンフォード大学でデザインプログラムを専攻し、当時はひとりで個人事務所を経営していた。彼はその後、「アップルⅢ」および初期の「Macintosh」のデザインも手がけることになる(この2つのウィキペディアには、マノックの名が入っていた)。

ジョブズはデザインに、かつてないほど高い地位を与えた。製品デザインにとどまらず、企業のブランドデザインや企業が与えるイメージも製品の価値を高めるものだとし、デザインそのものというより、デザイン全般に関する見方や考え方を変えたのがジョブズだった。

地球上に広がった「デザイン思考」

シリコンバレーにおけるデザインの力は、その後、飛躍的に拡大する。アップルの「iPhone」、アマゾンの「Kindle」、テスラモーターズの「ロードスター」......人類の歴史を変えるほどのデザインをまとった製品が、かの地から次々と登場した。

しかし、シリコンバレーのデザイン文化において最も広範囲に影響をおよぼしたのは「製品」ではない、と著者は言う。それは「デザイン思考」だ。つまり、デザイナーの考えるアイデアをあらゆる場所に応用すること。この考え方は、瞬く間に地球上に広がっていった。

【参考記事】不都合や不便を感じるデザインでは、もう生き残れない

いまやデザインは、効果的な機能を美しい形に収めることではなく、「人間経験の全般に関する包括的なアプローチ」と解釈される。ヒューレット・パッカードの計測器のツマミに始まり、フェイスブックの「いいね!」ボタンを経て、現在のデザイナーはモノではなく、システムをデザインすることを求められている。

本書で語られているデザイナーたちのストーリーは、シリコンバレーの歴史における「1ピース」かもしれないが、彼らが苦心した小さなデザインのひとつひとつが、現代の生活と社会の礎になっていることを改めて思い起こさせる。

デザインはシリコンバレーに遅れてやって来た。しかし、シリコンバレーのデザインはいつでもただの人工物ではなく、アイデアの流れを生み出してきた。このようなアイデアとアイデアを生み出した人々とそのプロセスこそが全世界に衝撃を与えてきたのだ。(303ページより)

かつて果樹園だらけだった溪谷からは、今後も人々を驚かせ、地球の未来を変える新たなデザインが生み出されていくだろう。


『世界を変える「デザイン」の誕生
 ――シリコンバレーと工業デザインの歴史』
 バリー・M・カッツ 著
 高増春代 訳
 CCCメディアハウス



ニューズウィーク日本版ウェブ編集部

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