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プライバシー保護がスナップチャットの成長戦略

ニューズウィーク日本版 2017年3月21日 11時20分

<個人情報を食い物にしないスナップがついに株式公開。トランプ政権下の「監視国家」への恐怖が追い風になるか>

モバイル端末で撮影した写真や動画を手軽に友達に送信できるスナップチャット。このアプリを運営するスナップが3月初め、ついにIPO(新規株式公開)を果たした。時価総額は公開初日の終値ベースで約280億ドルと、ここ数年のIT企業のIPOとしては最大規模のものになった。

スナップチャットは、受信者が閲覧すると数秒後にデータが消えるのが特徴で、若者の間で人気が高い。ソーシャルメディアの巨人フェイスブックは昨年の米大統領選以降、政治がらみの投稿だらけになったとして嫌気が差すユーザーが増加。スナップにとっては、多数の新規ユーザーを獲得するチャンスかもしれない。

だが、それ以上に強力な同社への追い風になりそうな要因がある。ドナルド・トランプ米大統領の登場が生み出した「監視国家への恐怖」だ。

最近まで、アメリカ人の多くは「デジタルプライバシー」をあまり懸念していなかった。フェイスブックやグーグルをはじめ、多くのIT企業が提供する魅力的な無料サービスを享受するため、喜んで個人情報をネット上で差し出してきた。

だがテクノロジーは、かつてない方法で私たちのプライバシーを侵食し始めている。加えてトランプ政権は、鳥の巣箱を狙う猫のようにユーザーのデータを狙っている。国家安全保障局(NSA)などの治安機関や企業に私たちの個人情報を大量に集めさせ、好き勝手に使わせようとしているのだ。

この状況に人々の懸念は高まっている。ピュー・リサーチセンターの1月の世論調査によれば、米国民の約半数が5年前に比べ、個人情報の安全性が低下したと考えている。政府に個人情報の安全な管理は期待できないという答えも3分の1近い。

個人向けプライバシー保護ソフトのアンカーフリーによれば、トランプの大統領選勝利以降、アメリカで同社の登録ユーザーが急増した。「アラブの春」の時期のエジプトやチュニジアでも同様の現象が起きたという。

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3分ごとに位置情報追跡

NSAは1月、退陣間近のオバマ政権から、傍受したメールや通話などの内容を他の米情報機関と共有する許可を得た。プライバシー擁護団体は、トランプ政権がこれを乱用するのではないかと懸念している。

だが、政府以上に心配すべきなのはテクノロジーの進歩かもしれない。最近のIT業界は、こぞって機械学習を活用した魅力的な新商品やサービスの提供を目指している。



フェイスブックの「いいね!」や投稿内容に関連した広告を表示するターゲット広告は既におなじみだ。グーグルも検索ワードやGメール内の単語を使い、同様の広告を展開している。だがこれらも、IT業界が開発中の機械学習という複雑な「料理」に比べれば、具のないサンドイッチのようなものだ。

今やソフトウエアは人間とほぼ同等の言語理解能力を身に付けた。アマゾン・エコーやグーグル・ホームのような音声認識端末を家庭に導入するのは、わざわざ盗聴機器を自宅に設置するようなものだ。

この手の機器は表向き、「アレクサ」のようなトリガーワード(きっかけの言葉)で呼び掛けて初めて反応する仕様になっている。だが実際には、近くで私たちが発した全ての言葉を聞き取り、分析する能力がある。

警察や弁護士は興味津々だ。アーカンソー州で起きた殺人事件では、警察が容疑者宅にあるエコーの存在に気付き、アマゾンに対してエコーが聞き取った全記録の提出を要請した。アマゾンは保存されているのはトリガーワード後の数秒分の言葉だけだとして要請を拒否したが、今後こうした事例が増えるのは確実だろう。

またスマートテレビメーカーのビジオは先日、顧客の視聴習慣をこっそり追跡していたとして罰金を科された。

モバイルアプリのユーザー追跡能力は高い。カーネギー・メロン大学のノーマン・サデー教授らが行った研究によれば、グルーポンやウェザーチャンネルのようなモバイルアプリは、3分おきにユーザーの位置情報を集めていることが判明した。

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いずれユーザーが反乱?

今では個人情報を企業のデータベースに転送するIoT(モノのインターネット)関連機器も大量に出回っている。家系調査サイトのアンセストリー・ドットコムや、将来に病気などを引き起こす可能性がある遺伝子の有無を調べてくれる23アンドミーのサービスを利用するために、DNA検査キットを購入するユーザーも多い。

この分野も法執行機関の関心の的だ。アイダホ州で起きたある殺人事件では、警察がアンセストリーのデータベースにあったDNAサンプルとの照合によって、1人の容疑者の身元を特定した例がある。

NSAや企業がデジタルデータと遺伝子情報を組み合わせて使用するようになったら、私たちが何を話し、どこに行き、誰と知り合いで、どんな出自なのかまで知ることができる。

いずれ大量のユーザーが、自分の情報が丸裸にされていることに気付き、個人情報の無料提供を止める日が来るかもしれない。この「反乱」は、IT業界に大打撃を与えるはずだ。

私たちは無料サービスと引き換えにプライバシーを売り、企業は個人情報に基づくターゲット型マーケティングを展開している。多くのユーザーが「ゲーム」から抜ければ、このビジネスモデルはもう終わりだ。



だからこそ、このタイミングでのスナップのIPOは重要な意味を持つ。同社はあらゆる個人情報を大量に吸い上げなくても、継続可能なメディア事業を築けることを実証しつつある。

スナップのIPO申請書類によれば、1日当たりのアクティブユーザーは約1億6000万人。16年の売り上げは約4億ドル(15年の5900万ドルの6倍以上)に達した。同社は猛スピードで成長を続けている。

急成長の秘訣は、プライバシーを侵害しないことかもしれない。投稿した写真や動画がすぐに消えるサービスを売りにしたスナップチャットのビジネスモデルは、顧客の全行動をデータ化する必要はないという考えに基づいている。

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インターネット出現以前の数千年間、会話は終わった瞬間に消えてなくなるものだった。自分が歩いた場所を記録する機器などなかった。読み終わった新聞からどの記事を読んだかチェックされることもなかった。

プライバシーをユーザーに「返す」ことで支持を得るというのがスナップの戦略だ。それが正しければ、「未来は過去のようになる」可能性がある。多くの国民が監視国家の影に怯え、プライバシーを取り戻そうとする時代は、もうすぐそこまで来ているのかもしれない。

[2017.3.21号掲載]
ケビン・メイニー

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