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マニラのスラムでコンドームの付け方さえ知らない人へ

ニューズウィーク日本版 2017年3月28日 14時45分

これまでの記事:「いとうせいこう、『国境なき医師団』を見に行く 」
前回の記事:「マニラの人道主義者たち」

トンドへのアウトリーチ(地域への医療サービス)

翌日11月23日、朝8時にマンションの下でバンに乗ると、中にジョーダンやジェームス、菊地寿加(すが)さんがいた。俺と広報の谷口さんを入れて5人で全員だった。

そのままエルミタ地区へ5分。オフィスの階までエレベーターで上がれば、国内スタッフが数人階段に座ってスマホを見ていた。ジョーダンがカギを開けるのを待っていたのだった。

中に入ってソファに座る。

2日目に過ぎないのに、前夜のパーティーや国内スタッフの親しげな様子もあって俺はすでにすっかり周囲に慣れ、日々のルーティンをこなしているような錯覚を起こした。

30分後、バンに乗った俺は朝の強い光の中、スラム地区トンドへ移動し始めた。すぐにあの橋が現れ、貧しい人の群れが目に入る。プラスチック椅子に座ったまま道路脇で寝ている人、ほうきで外をはく人、けだるいような朝の光景がそこにもあった。

いったん道路沿いにある小さな二階建ての医院に寄った。それがリカーンと『国境なき医師団(MSF)』の運営する場所で、いわゆる「リプロダクティブ・ヘルス」に特化された医療機関だった。俺的に言うところの「女性を守るプロジェクト」の一環だ。

ちょうど数人の女性スタッフが医院の前で狭いリキシャに乗るところだった。バイクにサイドカーが付いているものだが、どのアジアで見た物より小さかった。一人乗るにも背をかがめていなければならない。スタッフに聞くと、その日は「アウトリーチ(地域への医療サービス)」をすることになっていて、先に行って準備をするのだという。

小さなリキシャで出かけるスタッフ

一方の俺はジェームス、それからロセルとジュニーに導かれ、谷口さんと共に施設の中に入った。薄暗い受付にプラスチック椅子が並び、数人の女性がそこに座って順番を待っていた。受付といっても木の机があって厚いノートが乗っていて、その向こうに若い寡黙な女性が一人いるだけだ。

いや、体重計もあった。分銅みたいなものとの釣り合いで重さをはかるタイプの、もはや俺でさえ体験として知らないような古いものだったが、少し見ている間にも一人の女性がそれを用いて記録を付けられた。彼女は乳幼児を抱えていたので、自らの重さをはかる間、受付の女性がごく自然に子供を抱いた。俺は自分がスラムにいることをそこで忘れてしまった。助け合って生活している姿に、俺自身の幼い頃の東京をまた思い出したのだ。

キャリアの長そうな、背の小さな女性看護師が俺を診察室に入れてくれた。子供用とさえ思える簡素な小型ベッド、患部を照らすライト、そして冷たい窒素の出るボンベ、さらに医療器具とも思えない酢の瓶があった。



のちに詳しく取材してわかることだが、ボンベから噴射する冷気も酢も、子宮頸癌の初期状態への治療に要するものだった。感染していれば患部は酢で変色する。その部分のみを窒素ガスで凍らせて除去するのだ。

あまりに簡素な診察室だった。だが目的が明確だから豪華にする必要もないのだった。ただもし彼らにもっと資金があれば器具も最新の物になり、プライバシーも十全に守れるようになるだろうと思った。

簡素な医療器具が女性を救う。

出発は9時20分。俺は谷口さん、ジェームス、ロセル、ジュニーと5人でバンに乗った。すでに出発していたリカーンのメンバーが活動しているバランガイ220へ行くためだった。

幹線道路から外を見ていると、ゴミがあちこちに積まれる中、カゴに一羽ずつニワトリが入れられて飼われていたり、上半身裸の少年が歩いていたり、木造の家の真ん前にまた木造の小屋を建てている者がいたりした。一様にホコリと泥ですすけた色をしている中、小学生や中学生らしき者だけが真っ白なシャツを着ていた。

やがてバンは横道へ入った。少し行く度に路地のようなものがあり、その狭い道の上に看板があってバランガイの何番であるかが示され、誰がそこの役職についているかが細かく書かれたりもしていた。たいてい「ようこそ」と親しげに呼びかけている。

ジュニーは運転席の横で目的地を割り出そうとしているが、住所だけではなかなか難しいらしかった。スマホで地図も見ているのだが、バランガイ220がどこかがわからない。

「バスケットコートのあるとこなんだけど」

ジュニーがそう言うと、ジェームスが後方座席からとぼけた声を出す。


「バスケットコートはそこら中にあるよ」

これもあとからわかったことだが、マニラの村のような組織バランガイのあちこちには広場があり、そこにバスケットコートがある。なんだかニューヨーク郊外のスラム地域みたいな状態になっているのだ。

数ヶ所で教えてもらって、ジュニーはようやく目的のバランガイにバンを近づけることが出来た。古い車の部品が乱雑に積まれた倉庫の前で降りてついていくと、スラムというほど家々が壊れていない道に出て、遠くからマイクを通した女性の声がしてきた。

すぐに道の脇に大きなコンクリートの施設が見え、その前に屋根と柱だけがついた横長の集会所らしきものがあるのがわかった。一列に10個ほどプラスチック椅子があり、それが15列はあったろうか。かなりの規模の集会が出来るはずだった。

そこでビニールの解説図を立て、マイクで説明しているのは医院をリキシャで出て行った女性の一人だった。聞き手の住民も30人以上いて、がやがやはしながらも熱心に耳を傾けている。

見れば解説図は男性女性の性器の断面図で、何か女性が説明すると聞き手が間(あい)の手のような言葉を発したり、質問に答えたり、照れたように笑ったりするのだった。



その人の群れに出席表がぐるぐると回っていて、中には白髪のおばあさんもいた。隣にはテーブルがひとつしつらえられていて、どうやらそこで登録をする仕組みになっており、すでに何人かが名前を書き入れていた。

マイクのスタッフはファミリープランニングの重要性を説いた。男女双方にどのような利点があるのか。政府にまかせるだけでなく、自分たちで知ることが必要だと訴えかけると人々は前向きな声を出したが、話が一回の射精につき精子の数がどのくらいかという話になると急に静まり返り、「ミリオン」だと聞くとまたがやがやした。

いかに彼らが教育に飢えていたのかがよくわかった。みなそれを総じて何かを知りたいのであり、むろん自分たちの生活に役立てたいのだった。

集会の横の施設には壁に派手な原色が塗られ、バランガイの数字が描かれ、「デイケアセンター」と飾り文字で書かれていた。中に入れてもらうと、そこにも数人の女性がいて奥に机が二つ置かれ、看護師らしき人がそれぞれ一人ずついて、次々により詳しい説明をしている様子だった。

が、しばらく見ていると番が終わった女性が一人来て、腕をポパイのようにふくらませて見せた。二の腕に包帯をしていた。中に一本、小さなふくらみの筋があるだろうことは、前日リカーンのオフィスで避妊具をあれこれ見せてもらったからわかっていた。つまり彼女は避妊用のインプラントを入れたばかりなのだ。

処置中。

マリーシェルというその女性は38才で、すでに10代後半の長男を含め3人の子供があった。

「七年間、ピルを飲んでたけどとても面倒なの。体調も悪くなるし。インプラントなら無料で入れてくれるって言うし、取り出すのも無料だそうだから」

と彼女は晴々と笑った。ロセルの話だと今回はMSFが資金を出しているが、やがてリカーンの医療がフィリピン政府の健康保健の財源でカバーされるようになればと考えているらしかった。

なるほどそういうビジョンを持ったプランなのかと思っていると、今度は看護師の一人が木で出来たペニスを机の上に置いた。女性たちは色めき立ち、明るく恥ずかしそうに笑いながらその後に続く看護師の説明を聞き、なぜかさかんにスマホで写真を撮った。外での断面図の説明とその木で出来たペニスの説明がどう違うのかまるでわからなかったが、とにかくバランガイ220は男性器の話で持ち切りだった。

少しすると、看護師はコンドームを出し始め、木のペニスにつけてみせた。するとすでに子供を抱いていた母親さえ目を丸くしたし、写真を撮る女性たちの中にも手を止めて見入る人が出た。これには俺も驚いた。

彼女たちはコンドームの付け方さえ知らなかったのだ。



外に出ると、風の渡る集会所にはあふれんばかりの人がいた。子供を作る年齢を少し超えていそうな中年男性もいて、道端に立ったままノートにメモを付けていた。あとで谷口さんが話を聞いたらしいが、もう今以上子供を作れば貧しさが深まるばかりだと切実な思いだったようだ。

マイクは別の「女性」に渡っていた。

今カッコをつけたのは彼女が生物学的には男性だろうからだった。しかし髪を伸ばし、口紅をつけ、メイクをし、女性的な仕草で彼女はしゃべった。どうすれば女性が女性の体を守れるかについて、彼女の説明はタガログ語のわからない俺にもいかにもうまく聞こえたし、実際に聴衆はまじまじと見た。


誰一人、彼女の性別を気にしたり、ましてや嘲笑する者はいなかった。

問題は語られている内容であり、それを伝えたい者の熱意であった。フィリピンではたぶんそういうジェンダーがあって当たり前なのだ。

俺はそのことに何より感動し、同時にスラムの中にあるそうした自由な性の先進性と、一方でファミリープランニングの具体例を知らないという事実の住み分けに戸惑った。

しかし「オカマ」だ、「オネエ」だと性同一性の不一致を笑って遠ざける近代の日本人的不健康さが彼らに一切ないことは明らかで、それが差別だらけの世界の中で光明のように俺の心を救ったのは確かなのであった。

きちんとメモを取り始める中年男性

追記

さてここで、シリーズ1で訪問したハイチの現在の状況を少し書かせていただく。

【参考記事】いとうせいこう、『国境なき医師団』を見に行く1

昨年10月に大型ハリケーン、マシューがハイチを直撃し、いきなり800人以上の死者が出た。俺の出会ったスタッフたちもこの深刻な事態の中で力を尽くしたことだろう。

谷口さんに調べてもらったところでは、昨年12月中旬になっても南西部の被災者に住まい、食料、安全な水がないそうで、いったん活動をハイチ政府に引き継いだ場所でも、MSFは一部で医療活動を再開。

今年1月には山間部1万世帯を対象にヘリコプターで住居再建のための資材を提供し始めたとのことである。

幸いなのはコレラの新規患者の増加が12月初旬から沈静化したこと。

ただし一方で「性暴力被害専門クリニックの患者さんが増加の一途をたどっています。特に、未成年で被害に遭った方が多く、その割合の高さ(半数以上)に、現地スタッフも衝撃を受けているとのこと。CNNがオンラインで写真特集を組んでいます」ということで、これは本当に胸が痛い。

CNN:Survivors of Haiti's rape crisis

いとうせいこう(作家・クリエーター)
1961年、東京都生まれ。編集者を経て、作家、クリエーターとして、活字・映像・音楽・舞台など、多方面で活躍。著書に『ノーライフキング』『見仏記』(みうらじゅんと共著)『ボタニカル・ライフ』(第15回講談社エッセイ賞受賞)など。『想像ラジオ』『鼻に挟み撃ち』で芥川賞候補に(前者は第35回野間文芸新人賞受賞)。最新刊に長編『我々の恋愛』。テレビでは「ビットワールド」(Eテレ)「オトナの!」(TBS)などにレギュラー出演中。「したまちコメディ映画祭in台東」では総合プロデューサーを務め、浅草、上野を拠点に今年で9回目を迎える。オフィシャル・サイト「55NOTE」

※当記事はYahoo!ニュース 個人からの転載です。


いとうせいこう

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