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「失業」が脳裏を掠める中、AIとの共生を模索する本を翻訳した

ニューズウィーク日本版 2017年3月29日 19時2分

<イギリスのフリージャーナリストが人工知能(AI)事情を幅広く取材し、その進化に不安を抱く人たちを「思考の旅」へと誘う『シンキング・マシン』。AIに置き換えられる仕事の代表格「翻訳」を生業とする筆者は......>

1956年に人工知能(AI)は学術研究分野として確立され、2016年、60周年を迎えた。同年3月にはAI「AlphaGo」が韓国のプロ囲碁棋士に勝利し、そのニュースに世界が湧いたのは記憶に新しい。

だが、理論物理学者のホーキング博士、マイクロソフトの共同創業者ビル・ゲイツ氏を筆頭に、AIの開発に警鐘を鳴らす著名人は少なくない。近頃では、最新型ロボットが「人間ばなれした」動きを披露する映像を目にすることも多いが、その進化のスピードに心おだやかでない人も多いはずだ。SF映画の世界なら拍手喝采で歓迎できたものが、いざ実世界に入り込んでくるとなると、我々人間はそれをどう受け止めればよいのだろうか。

本書『シンキング・マシン 人工知能の脅威――コンピュータに「心」が宿るとき。』(筆者訳、エムディエヌコーポレーション)は、そんな不安を抱いている人たちを「思考の旅」へと誘う1冊である。著者は、刻々と変化するテクノロジーの世界を追いかけるイギリスのフリージャーナリスト、ルーク・ドーメル。研究開発者や起業家たちとのインタビューを多数こなし、世界のAI事情を幅広く取材し、技術革新の歴史を踏まえて本書を書き上げている。

話はAIの歴史から始まるが、国の威信を賭けた最先端研究からグローバル企業による技術開発、スマートに商機を掴んだスタートアップまでと、その縦糸は長い。そして、ウェラブル、スマートホーム、自動運転車、会話ボット、音声アシスタントなど、既に社会に浸透しているAIを横糸でつなげながら、我々が一般ユーザーとして提供しているデータとその価値について考えさせる。

下地がしっかりできあがったところで、話は18世紀後半の産業革命にまで遡る。そこで、技術革新に伴う労働問題へと話を移し、さらにAIの創造性や著作権、AIと人間の友情、倫理問題、不老不死へと、AIにまつわる疑問を次々と読者に投げかける。だが、それはAIの是非を問うのではなく、人間がいかにAIと共生していくかを読者と模索するための問いかけだ。

マシンに仕事を奪われるかもしれないという不安

イノベーションを讃える気持ち、景気回復の起爆剤としてのAIへの期待は、マシンに自分の仕事を奪われるかもしれないという不安とないまぜになっていく。AIに置き換えられる可能性のある仕事は、単純な繰り返し作業にとどまらず、急激な広がりを見せている。

失業してガックリ肩を落としていると、「どうかなさいましたか」と優しく声をかけられ、振り向けば、そこには人型ロボットが立っている......ということも将来的にあり得る。

実は筆者の仕事である「翻訳」も、AIに置き換えられる仕事の代表として、本書でかなりのページが割かれている。好むと好まざるとに関わらず、我々の生活からAIは切り離せなくなっているのだ。筆者も「失業」の2文字が脳裏を掠める中、翻訳を進めていったが、最後まで訳していくうちに安らかな気持ちになっていった。「敵を知る」のは大事なことなのだ。

本書『シンキング・マシン』の最大の魅力は、AIに仕事を奪われるかもしれない人たちにヒントを与え、今後どうすればいいのか、その方向性を示している点だ。

【参考記事】ピュリツァー賞歴史家が50年前に発していた現代への警告



印象的なセンテンスを対訳で読む

以下は『シンキング・マシン 人工知能の脅威――コンピュータに「心」が宿るとき。』の原書と邦訳からそれぞれ抜粋した。

●...these translators will never get paid anything for their contribution -- other than the sum they were paid for carrying out the original contracted work, that is. Hanna Lützen may get paid by the Gyldendal publishing house for translating the Harry Potter books into Danish, but Google pays her nothing if those combined 1 million-plus words then help its system translate a love letter from your girlfriend in Denmark.
(こういう翻訳者たちにはその貢献度に見合った報酬は支払われていない。契約書で定められた仕事分だけが支払われている。「ハリー・ポッター・シリーズ」をデンマーク語に訳したハンナ・リュッツェンはギルンデル出版からは報酬を受け取っているはずだが、100万語を超える彼女の訳語を使って、デンマークにいるガールフレンドからのラブレターを翻訳してくれるグーグルはリュッツェンに何も支払っていない)

――AIはユーザーからデータをどんどん収集してスマートになっていく。そのデータはたいへん貴重なのだが、データ提供者にはオンラインツールの無償提供という形でしか報酬は支払われないことを改めて思い知らされる。

●Let's start with what may sound a controversial idea: that there is a moral imperative for getting rid of certain types of work. To give an example most people can surely agree on, there were more than 1,000 chimney sweeps employed in Victorian London.
(議論を呼びそうだが、道徳的に失くすべき種類の仕事もあるから、まずそこから話を始めてみることにする。誰もが同意してくれそうな例を挙げてみよう。ビクトリア時代のロンドンには煙突掃除に従事している人が1000人以上いた)

――この一文から始まり、煙突掃除に従事していたのが児童だったこと、その劣悪な労働環境を示し、当時の技術革新により、児童による煙突掃除がなくなったことは「技術的失業」の良い例だったと指摘する。

●...Harvard University's economics professor Lawrence Katz has coined the term 'artisan economy'. Artisans are skilled workers, who often carry out their work by hand. During the Industrial Revolution, artisans were increasingly replaced as automation took over.... Today, there is evidence that trend is being reversed.
(ハーバード大学の経済学教授ローレンス・カッツは「アルチザン・エコノミー」という言葉を生み出している。「アルチザン」とは手仕事職人のことで、産業革命時にアルチザンは自動化の波を受けてその職を追われた。(中略)今、そのトレンドが逆になっている)

――莫大な投資を必要とするAIの触手の及ばぬところはどこなのか、将来に希望を見出せそうな一文だ。

◇ ◇ ◇

新しいテクノロジーが普及するたび、消えていった職業もあれば、それをきっかけに新しく誕生した職業だってある。それに、AIが得意とすること/しないこともある。AIは技術革命なだけでなく、私たち人間の生き方を変えようとしている。「思考する」ことが人間の証しであるなら、この巨大な変化の波をうまく乗り切れるように考えて備えたい。


『シンキング・マシン 人工知能の脅威――コンピュータに「心」が宿るとき。』
 ルーク・ドーメル 著
 新田享子 訳
 エムディエヌコーポレーション


【参考記事】AIに奪われない天職の見つけ方 「本当の仕事 自分に嘘をつかない生き方、働き方」(榎本英剛著)

トランネット
出版翻訳専門の翻訳会社。2000年設立。年間150~200タイトルの書籍を翻訳する。多くの国内出版社の協力のもと、翻訳者に広く出版翻訳のチャンスを提供するための出版翻訳オーディションを開催。出版社・編集者には、海外出版社・エージェントとのネットワークを活かした翻訳出版企画、および実力ある翻訳者を紹介する。近年は日本の書籍を海外で出版するためのサポートサービスにも力を入れている。
http://www.trannet.co.jp/


新田享子 ※編集・企画:トランネット

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