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中国とアフガン軍が狙うウイグル人掃討作戦の脅威

ニューズウィーク日本版 2017年4月4日 11時0分

<アフガン軍と手を組み、タリバンにも近づく――周辺民族の弾圧のためには手段を選ばない中国の遠交近攻>

筆者がモンゴルの首都ウランバートルに滞在中の3月上旬、中国の武装警察がアフガニスタンで活動していると、モンゴルの主要メディアが大きく伝えた。

武装警察といっても、実際は人民解放軍が軍服を脱いだだけ。彼らがアフガン軍と合同パトロールを開始し、テロリストの掃討に着手したもようだという。

事の発端は最近、テロ組織ISIS(自称「イスラム国」)が中国政府を名指しし、「イスラム教徒を弾圧する中国を血の海にしてやる」と宣言したことだろう。ISISに大勢のウイグル人が加わっている事実は広く知られている。

ウイグル人の故郷、東トルキスタン(中国が言うところの新疆ウイグル自治区)は植民地とされ、過酷な統治が敷かれているからだ。49年に28万人だった中国人(漢民族)が今や地元民を押しのけ、1000万人に達する勢いだ。

ウイグル人は信教の自由を奪われ、女性は中国内地への人身売買で卑しい産業で働かされ、男たちはISISに出口を求めた。

ISISの出現以前、ウイグル人は隣国アフガニスタンのイスラム原理主義勢力タリバンに希望を託し、肩を並べて戦った。しかし、タリバンの退潮に伴い、捕虜となったウイグル人は中国に強制送還され、処刑された。中国は「悪の根源」を断とうと、昨年夏から新疆ウイグル自治区の区都ウルムチでタリバン側と接触を続けている。

NATOが軍勢を引き、米軍の駐留も不透明となった現在、中国が軍隊を越境させて国連平和維持軍のマスクをかぶせようとしている。国連の看板を掲げて、「反乱分子」ウイグル人を掃討しようとする意思の表れだ。

【参考記事】中国を捨てて、いざ「イスラム国」へ

挟撃にモンゴルは震撼

経済的要因も大きい。中国はカルザイ前政権時代にアフガニスタンの首都カブール南東40キロにあるメス・アイナクの銅鉱床開発権を手に入れた。この銅床の上には紀元前3世紀から8世紀までの仏教遺跡が広がる。

文化財の保存に無関心な中国企業は乱暴にも開発を強行しようとしたが、欧米の反対で工事は止まったままだ。米軍の撤退後に、中国は思う存分に地下資源を自国へ運びたい野心を持っている。

この地域で既に中国には「成功体験」がある。中国・アフガニスタン両国と接するタジキスタンと複数回にわたって、中国軍は「過激な分離独立派の駆除」を念頭に山岳地帯での演習を行ってきた。



「一帯一路(陸と海のシルクロード経済圏構想)」を掲げて旧ソ連圏に触手を伸ばす中国をロシアは快く思っていない。だが、同様にチェチェン独立派の挑戦を受けている立場から、今のところは黙認しているようだ。

トランプ米政権も中国による南シナ海の軍事要塞化を批判しつつ、アフガニスタンでのプレゼンス増大には口を閉ざしたまま。中国はこれらを好機と捉えている。

なぜこうしたアフガニスタンでの中国軍の活動にモンゴルは敏感なのだろうか。モンゴルはソ連の崩壊後、米ロ双方を重視する外交を展開。米軍がイラクを占領してから国連PKOに軍を派遣し、アフガニスタンにも少数のモンゴル軍が長く駐留した。

【参考記事】中国の「テロとの戦い」は国際社会の支持を得るか

モンゴル軍は遊牧民特有の「動物的本能」からテロに備える能力が高く評価され、国連平和維持軍で指揮官クラスに任命されることが多い、とモンゴル政府は自慢する。

PKO参加は単なるアメリカから援助を獲得する戦略だけでない。13世紀にモンゴル帝国軍が現代のイラクとアフガニスタンをも支配した栄光の歴史に思いをはせるという、素朴なナショナリズムも満足させている。

そんな歴史を持つモンゴルだからこそ、ユーラシアでの中国の膨張に危機感を抱く。特に西域と古来呼ばれた新疆は、モンゴル高原から西方に抜ける要衝だ。かつて中国の漢王朝は西域を占拠することで、モンゴル高原にいた遊牧民・匈奴を孤立させて封じ込めた。いま中国のアフガニスタン進出がモンゴルを震撼させるのも、そうした地政学的背景がある。

[2017.4. 4号掲載]
楊海英(本誌コラムニスト)

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