<共謀罪の法案が国際テロを未然に防止する趣旨で立案されたことは理解できるが、日本のように「共同共謀正犯」の適用範囲が広い司法制度では、共謀が限りなく拡大解釈される懸念がある>
いわゆる「共謀罪」の法案をめぐって賛否両論が激しく対立しています。この法案ですが、具体的な「共謀した罪」が設定されるというより、多くの犯罪について「どうしたら罪になるか?」という定義付けを変更しようというものだと理解できます。
現在の日本の刑法の考え方では、犯罪の対象になるのは「実行」もしくは「未遂」ということになっています。未遂という言葉には「計画したができなかった」というニュアンスはあるものの、実際は「計画だけ」では犯罪にはなりません。必ず「着手したが完遂できなかった」事実が必要です。
これは単独犯の場合を考えると分かりやすいと言えます。「銀行強盗がしたい」と心の中で考えているだけなら未遂にはなりません。同じような意味で、自殺未遂というのは自殺を試みて失敗したという意味であり、内心「死にたい」と考えているだけでは未遂にはならないのです。
この考え方は、犯罪を実行した人間が複数の場合も同様です。現在の法律では、計画だけでは犯罪になりません。「内乱陰謀罪(内乱を起こそうとした)」や「外患誘致罪(外国勢力による侵略を手引しようとした)」といった国家の存立を揺るがせるような犯罪に限定され、その他の場合は「着手」してはじめて未遂罪になるという考え方です。
【参考記事】実はアメリカとそっくりな「森友学園」問題の背景
277種類の犯罪に適用
今回導入が検討されている「共謀罪」というのは、複数の人間による犯罪の計画(共謀)が行われた場合、仮に犯罪への着手がなくても、取り締まることができるようにしようという考え方です。
その目的は国際連合が2000年に採択した「国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約」を批准するためには「重大犯罪に関する謀議」自体を罪に問う必要があるためとされています。この点において、政府の立法趣旨説明は間違っていません。
それでも反対論が根強いのは、今回の改正が、国連条約がうたっている重大犯罪だけでなく、国会での論戦によると「277種類の犯罪に適用される」ことが「行き過ぎ」であるとか、政府の言う「テロ防止」をはるかに超えているのではないかと懸念されているからのようです。
確かにこの277の犯罪の中には、「背任」「高金利契約」「偽証」など相手のある犯罪行為なので計画や謀議の時点で強制捜査を行う意味が疑わしいもの、あるいは「商標権の侵害」とか「文化財保護」といった重大犯罪とは呼べないものも含まれています。
確かにそうなのですが、私がむしろ懸念しているのは、そもそも「謀議とか共謀とは一体何なのか?」という問題です。
「黙示の共謀」という考え方があります。これは、すでに日本の法体系の中では判例化しているものです。
例えばある犯罪集団のボスがいて、敵のボスと激しく対立していたとします。そしてこの状況で、集団のヒットマンが敵のボスを射殺してしまったとします。この場合、ボスが「知らぬ存ぜぬ」を通して、ヒットマンだけが「トカゲのシッポ切り」で有罪になるのは「おかしい」という考え方が成り立ちます。
そこで、相手のボスへの殺意をこっちのボスも持っていたに違いないから、「あの目配せ」が「殺れ」という命令だった(目配せ共謀)とか、目配せすらなくて黙っていても「殺せ」というボスの意図は通じる(黙示の共謀)ということで、ボスを「共同共謀正犯」として有罪にできるという考え方です。
さらに問題になるのは「未必の故意」が絡んだ場合です。つまりある行為の相談をしたところ、「こんなことをやったら、もしかしたら違法行為に発展するかもしれない。でも確実ではない」というレベルでの謀議をした場合でも、その実行犯だけでなく、謀議に加わった人間は「共同共謀正犯」として有罪になるという考え方です。例えば、産業廃棄物を無茶な低価格で処理させた結果、不法投棄が起きたという事件では、最高裁の判例があります。
【参考記事】日本の国是「専守防衛」は冷徹な軍略でもある
限りない拡大解釈
こうした「黙示の共謀」とか「未必の故意による共謀」といった考え方をどうして日本の法体系が採用しているのかというと、それは日本語によるコミュニケーションが「高コンテキスト型」だからです。つまり、大事なことは口に出さず「あうんの呼吸」や「空気」で合意形成をする習慣があるからです。
日本の司法制度はそのことを重く見て、「口に出さなくても」とか「違法な結果になることを察しているだけ」でも、重大な犯罪においては、実行犯と同じように「共同共謀正犯」として裁くことにしているのです。
問題は、今回の共謀罪法案が成立した場合、この法律上のロジックが組み合わさることになる点です。つまり、「口に出さなくても」内心の合意が推定される場合は共謀であるとか、「相談の結果、違法行為に発展することを察している」と推定される場合も「未必の故意の共謀」ということになりかねません。
これは大変なことです。例えば、今回の森友事件のようなケースで、明らかに違法な利益供与が行われ、それが為政者の意向を忖度(そんたく)して行われたということになると、仮に問題の利益供与が実現しなくても、「共謀罪」+「黙示の共謀」+「未必の故意」という3つのロジックを組み合わせれば、首相の犯罪が成立してしまうことになるからです。
野党側は、共謀罪ができたら警察が為政者の意向を忖度して、反対派をどんどん逮捕するだろうなど主張をしていますが、この共謀罪では、忖度そのものも、あるいは忖度を誘発した権力者の側も計画だけで犯罪になる可能性があるわけで、与野党ともに、ここは冷静になって考えてみた方が良さそうです。
アメリカでは、確かにテロや麻薬取引などの重大犯罪に関して、共謀だけで重罰を加えるような法体系になっていますが、少なくとも「低コンテキスト社会」、つまり必要なことにはコミュニケーションの記録が残る程度が高い社会ですので、憲法に定められた基本的人権との齟齬が生じるケースは少ないです。
ですが、日本のような「あうんの呼吸」や「空気」でコミュニケーションが行われる社会では、共謀とは何かという問題が限りなく拡大解釈される危険性があり、法体系として安定したものにはならない懸念が強く残ります。
その他にも、謀議参加者と称するニセの密告で冤罪が作られる危険性、SNSやメールの一方的な勧誘などをスルーしたことで共謀への参加を「拒否しなかった」からと罪に問われる危険性など、「反論のしにくい高コンテキスト社会」では制度的に無理がある点も指摘されています。あらためて、慎重な議論が強く望まれます。
いわゆる「共謀罪」の法案をめぐって賛否両論が激しく対立しています。この法案ですが、具体的な「共謀した罪」が設定されるというより、多くの犯罪について「どうしたら罪になるか?」という定義付けを変更しようというものだと理解できます。
現在の日本の刑法の考え方では、犯罪の対象になるのは「実行」もしくは「未遂」ということになっています。未遂という言葉には「計画したができなかった」というニュアンスはあるものの、実際は「計画だけ」では犯罪にはなりません。必ず「着手したが完遂できなかった」事実が必要です。
これは単独犯の場合を考えると分かりやすいと言えます。「銀行強盗がしたい」と心の中で考えているだけなら未遂にはなりません。同じような意味で、自殺未遂というのは自殺を試みて失敗したという意味であり、内心「死にたい」と考えているだけでは未遂にはならないのです。
この考え方は、犯罪を実行した人間が複数の場合も同様です。現在の法律では、計画だけでは犯罪になりません。「内乱陰謀罪(内乱を起こそうとした)」や「外患誘致罪(外国勢力による侵略を手引しようとした)」といった国家の存立を揺るがせるような犯罪に限定され、その他の場合は「着手」してはじめて未遂罪になるという考え方です。
【参考記事】実はアメリカとそっくりな「森友学園」問題の背景
277種類の犯罪に適用
今回導入が検討されている「共謀罪」というのは、複数の人間による犯罪の計画(共謀)が行われた場合、仮に犯罪への着手がなくても、取り締まることができるようにしようという考え方です。
その目的は国際連合が2000年に採択した「国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約」を批准するためには「重大犯罪に関する謀議」自体を罪に問う必要があるためとされています。この点において、政府の立法趣旨説明は間違っていません。
それでも反対論が根強いのは、今回の改正が、国連条約がうたっている重大犯罪だけでなく、国会での論戦によると「277種類の犯罪に適用される」ことが「行き過ぎ」であるとか、政府の言う「テロ防止」をはるかに超えているのではないかと懸念されているからのようです。
確かにこの277の犯罪の中には、「背任」「高金利契約」「偽証」など相手のある犯罪行為なので計画や謀議の時点で強制捜査を行う意味が疑わしいもの、あるいは「商標権の侵害」とか「文化財保護」といった重大犯罪とは呼べないものも含まれています。
確かにそうなのですが、私がむしろ懸念しているのは、そもそも「謀議とか共謀とは一体何なのか?」という問題です。
「黙示の共謀」という考え方があります。これは、すでに日本の法体系の中では判例化しているものです。
例えばある犯罪集団のボスがいて、敵のボスと激しく対立していたとします。そしてこの状況で、集団のヒットマンが敵のボスを射殺してしまったとします。この場合、ボスが「知らぬ存ぜぬ」を通して、ヒットマンだけが「トカゲのシッポ切り」で有罪になるのは「おかしい」という考え方が成り立ちます。
そこで、相手のボスへの殺意をこっちのボスも持っていたに違いないから、「あの目配せ」が「殺れ」という命令だった(目配せ共謀)とか、目配せすらなくて黙っていても「殺せ」というボスの意図は通じる(黙示の共謀)ということで、ボスを「共同共謀正犯」として有罪にできるという考え方です。
さらに問題になるのは「未必の故意」が絡んだ場合です。つまりある行為の相談をしたところ、「こんなことをやったら、もしかしたら違法行為に発展するかもしれない。でも確実ではない」というレベルでの謀議をした場合でも、その実行犯だけでなく、謀議に加わった人間は「共同共謀正犯」として有罪になるという考え方です。例えば、産業廃棄物を無茶な低価格で処理させた結果、不法投棄が起きたという事件では、最高裁の判例があります。
【参考記事】日本の国是「専守防衛」は冷徹な軍略でもある
限りない拡大解釈
こうした「黙示の共謀」とか「未必の故意による共謀」といった考え方をどうして日本の法体系が採用しているのかというと、それは日本語によるコミュニケーションが「高コンテキスト型」だからです。つまり、大事なことは口に出さず「あうんの呼吸」や「空気」で合意形成をする習慣があるからです。
日本の司法制度はそのことを重く見て、「口に出さなくても」とか「違法な結果になることを察しているだけ」でも、重大な犯罪においては、実行犯と同じように「共同共謀正犯」として裁くことにしているのです。
問題は、今回の共謀罪法案が成立した場合、この法律上のロジックが組み合わさることになる点です。つまり、「口に出さなくても」内心の合意が推定される場合は共謀であるとか、「相談の結果、違法行為に発展することを察している」と推定される場合も「未必の故意の共謀」ということになりかねません。
これは大変なことです。例えば、今回の森友事件のようなケースで、明らかに違法な利益供与が行われ、それが為政者の意向を忖度(そんたく)して行われたということになると、仮に問題の利益供与が実現しなくても、「共謀罪」+「黙示の共謀」+「未必の故意」という3つのロジックを組み合わせれば、首相の犯罪が成立してしまうことになるからです。
野党側は、共謀罪ができたら警察が為政者の意向を忖度して、反対派をどんどん逮捕するだろうなど主張をしていますが、この共謀罪では、忖度そのものも、あるいは忖度を誘発した権力者の側も計画だけで犯罪になる可能性があるわけで、与野党ともに、ここは冷静になって考えてみた方が良さそうです。
アメリカでは、確かにテロや麻薬取引などの重大犯罪に関して、共謀だけで重罰を加えるような法体系になっていますが、少なくとも「低コンテキスト社会」、つまり必要なことにはコミュニケーションの記録が残る程度が高い社会ですので、憲法に定められた基本的人権との齟齬が生じるケースは少ないです。
ですが、日本のような「あうんの呼吸」や「空気」でコミュニケーションが行われる社会では、共謀とは何かという問題が限りなく拡大解釈される危険性があり、法体系として安定したものにはならない懸念が強く残ります。
その他にも、謀議参加者と称するニセの密告で冤罪が作られる危険性、SNSやメールの一方的な勧誘などをスルーしたことで共謀への参加を「拒否しなかった」からと罪に問われる危険性など、「反論のしにくい高コンテキスト社会」では制度的に無理がある点も指摘されています。あらためて、慎重な議論が強く望まれます。