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義を見てせざるは習近平、朝鮮有事に勇気なし

ニューズウィーク日本版 2017年4月28日 10時45分

<50年代の朝鮮戦争に義勇軍を送った中国も、目下の朝鮮半島危機に大国然とした本気は見られない>

トランプ米大統領は空母打撃群を朝鮮半島周辺に向かわせ、潜水艦も派遣して威嚇している。これに対し、北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長は核実験強行の姿勢を見せている。50年代の朝鮮戦争を彷彿させる危機を前に、中国は再び人民義勇軍を出すことはあるだろうか。

志願兵を建前とした義勇軍が正規の人民解放軍だったことは広く知られているが、その内実は複雑だ。

53年7月下旬、私の父は中朝国境の鴨緑江のほとりに戦馬と共に立っていた。翌日には川を渡って参戦する予定だった。だが板門店で休戦協定が調印されたとの報に接し、中国・内モンゴル自治区に馬を引き返した。

義勇軍には父のような旧満州国軍のモンゴル人騎馬軍や、旧国民党軍が編入されていた。中国共産党は国共内戦で国民党政権を台湾に追放する一方、大陸に残留した国民党軍を人民解放軍に改編。朝鮮戦争が勃発すると、彼らはいち早く前線に派遣され、世界最強の米軍が中心の国連軍と戦った。

米軍の銃口を借りて、旧国民党軍とモンゴル軍を消耗させるのが中国共産党の狙いだった。どちらも毛沢東直系の軍隊ではなかったからだ。消耗される側は共産党の真意は分かっていたので、進んで国連軍に投降した。

休戦協定が結ばれ、捕虜交換問題が交渉のテーブルに載せられると投降兵は皆、北京ではなく台湾行きを切望した。国民党の蒋介石総統は部下たちとの再会を喜び、彼らを台湾に受け入れた。

こうした事実を棚に上げ、中国と北朝鮮は朝鮮戦争を「鮮血で固められた友情」で両国を結び付けた出来事と美化するようになった。61年に中朝友好協力相互援助条約が締結。締約国である中朝のどちらかが他国の武力攻撃を受け、戦争となった場合、もう一方の締約国は直ちに全力を挙げ、軍事援助を与えると約束した。私も中国で「鮮血の友情」を聞かされて育った。

【参考記事】アメリカが北朝鮮を攻撃したときの中国の出方 ── 環球時報を読み解く

当初から深刻な不一致

実際には、朝鮮戦争は中朝の鮮血どころか、両国の嘘と神話で塗り固められた戦いだ。

50年6月25日、金日成(キム・イルソン)の朝鮮人民軍が北緯38度線を突破して南侵して始まったという開戦の事実すら中国は歪曲。「李承晩の南朝鮮」と「米帝国主義」の侵略こそが原因と、今でも国定教科書で教えている。



戦争中には中朝両国の軍事指導者が常に指揮権をめぐって激しく衝突。そのつどソ連の首都モスクワにいたスターリンによる遠距離からの調停で収まっていた事実も隠蔽されている。金と毛は朝鮮半島の武力統一を唱えたのに対し、ソ連はアメリカとの全面的な対立を避けて休戦に固執するなど、国際共産主義陣営も一枚岩ではなかった。

中朝両国は「唇と歯」に例えられるほど密接な関係だとの美化とは裏腹に、当初から深刻な不一致が存在した。そうした中朝関係に米ロという大国間の対立が相まって、今日の朝鮮半島の火種ともなっている。

大国は朝鮮半島に不穏の種こそまくものの、影響力の行使は限られたものだった。実は歴史的にも、朝鮮半島に対する中国の影響力は限定的だったことが分かる。

半島を力で抑え、確実に大陸の政治体制に組み込んだのはモンゴル人の元朝と満州人の清朝だけ。中国人(漢人)が支配者となった王朝には半島に進出する気力も財力もなく、ひたすら謀略を駆使して朝鮮社会に内紛を起こし、分裂国家を複数誕生させてコントロールしてきた。

中国のこうした陰謀体質を知っていた金日成も息子の金正日(キム・ジョンイル)総書記も北京の介入を嫌い、親中派を粛清し追放してきた。

【参考記事】北朝鮮ミサイル実験「失敗」の真相

例外は朝鮮戦争だ。毛は義勇軍を送り込むことで、アジアひいては国際共産主義陣営の中で、スターリンに次ぐ指導的な立場を確立しようとした。

習近平(シー・チンピン)政権にそんな勇気はないとみていい。南シナ海と東シナ海では冒険主義を取っている。だが、「新型大国関係」をアメリカにほのめかされて喜ぶ習に、大国の領袖と認められるだけの「本気」は備わっていない。

[2017年5月2&9日号掲載]

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楊海英(本誌コラムニスト)

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