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ミャンマーで人権問題担当の女性記者襲撃 「報道の自由」にスー・チーの力及ばず

ニューズウィーク日本版 2017年6月2日 14時20分

<少しずつ民主化してきたミャンマーだが、勇気ある女性記者が襲われて重症を負うような環境はまだ変わらない>

ミャンマーの地方紙記者兼映像メディア記者を務める女性ジャーナリストが正体不明の男性らに拉致され、意図的な交通事故で一時意識不明の重体となる事件が起きた。この記者はミャンマーの民主化問題や少数民族の人権問題を担当して取材を続けていたため、反民主化勢力あるいはミャンマーで多数を占める仏教徒の中のラディカルなグループによる犯行との見方が広まっているが、これまでのところ犯人の逮捕には至っていない。

2016年3月から軍政に代わって政権を担当しているアウン・サン・スー・チー国家最高顧問兼外相は1991年にノーベル平和賞を受賞したミャンマーの民主化運動のシンボルである。国民の民主化への期待を一身に受けて政権を委ねられたそのスー・チー政権下でこうした女性記者への露骨であからさまな報道弾圧が起きたことでミャンマーでは依然として報道の自由が確立していないことを内外に示す結果となった。

5月26日夕方、ミャンマー南東部カヤー州の地元紙「カンタラワディー・タイムズ」の記者で「ビルマ民主の声」放送の映像記者でもあるマウ・オー・ミャーさん(23)は同僚の女性記者とバイクに乗って同州ロイコー県のロイコーからデマウソーに向かっていた。突然2人の男性が現れ、バイクを停車させるとともにミャーさんを近くで待っていた車両に引きずり込んだ。この際男たちはミャーさんを脅迫するとともに暴言を投げかけたという。

拉致の現場から走り去った車はその後付近の道路わきに突っ込み転覆して大破した状態で発見され、車内から意識不明で重体のミャーさんが発見された。近隣の人らが車内からミャーさんを救い出し、午後5時半ごろ近くのデマソウ総合病院に収容されたが、より設備の整ったロイコー総合病院に移送され治療を受けた。その結果意識は取り戻したものの、体を動かすことや会話や食事はまだ困難な症状で、事故のショックによる精神的な不安定状態が続いているという。

2週間前から脅迫を受けていた

ミャー記者はカンタラワディー・タイムズ社で記者を務めると同時にタイのチェンマイに本拠地を置く亡命ミャンマー人の放送局「ビルマ民主の声(DVB)」のカレン語放送を担当、報道・映像記者として主に政治、女性問題、民主化、少数民族の人権などを取材していた。同新聞社の関連サイトにはミャー記者が映像カメラを構えて取材する写真と横転した大破した車の写真がアップされている。

ミャー記者が勤務するカンタラワディー新聞は5月28日に声明を出し、犯人の男性はカウン・サンとセイン・ウィンという氏名ですでに警察がその行方を捜査中であることを明らかにした。

またミャー記者は約2週間前から何者かに脅迫を受けていたこともわかったが、今回の犯行との関係、さらに同記者の記事や取材活動と事件の関係もまだ明らかになっていないという。



同新聞社は声明の中で東南アジア報道連盟(SEAPA)の「今回のような襲撃事件はミャンマーにおけるジャーナリストの立場が依然として弱く、危険であることを示した。特に女性記者そして地方の記者の立場はさらに厳しい」というコメントを掲載。DVBもHPで事件の詳細を伝えるとともにミャンマー女性ジャーナリスト協会報道官の「ミャンマーの女性記者、いや全ての女性の立場は弱く、地方に行けば行くほど状況は厳しい。地方では身の危険があるため移動手段、交通機関の確保が難しい」との指摘を取り上げている。

射殺されたスーチーの法律顧問

軍政に替わってスー・チー政権が誕生し、ミャンマーで民主化が実現したことは事実。だがスーチー政権は、国民の大多数を占める仏教徒と依然として政治に大きな影響力をもつ国軍という2大パワーの狭間で顔色を伺いながらの民主化に過ぎないのが現実である。

スー・チー政権誕生を契機にミャンマー各地で政府軍による弾圧、人権被害を受けていた少数民族は問題解決への大きな期待を抱いた。だが、少数派イスラム教徒である西部ラカイン州に多く居住するロヒンギャ族への冷遇、差別、軍による人権侵害は依然として続いており、スー・チーさんは東南アジア諸国連合(ASEAN)のみならず国際社会から厳しい批判を受けている。

今年1月29日には、スー・チーさん率いる政党「国民民主連盟(NLD)」の法律顧問で少数派イスラム教徒のコー・ニー氏が中心都市ヤンゴンの国際空港で射殺されるという事件も起きるなど、問題解決や憎悪表現に暴力や殺人という手法が用いられるなどいまだに軍政時代のダークゾーンが幾重にも残されている。

民主化とともに、軍政時代には官製報道一色だったミャンマーのメディアもかなり自由化された。「報道の自由度ランキング」で2017年のミャンマーは世界180カ国中131位にランク付けされ、2016年の143位から前進している。東南アジア10カ国中でもインドネシア(124位)フィリピン(127位)に次ぐ3番目の自由度と評価されている。

しかし実態はというと、「政権」「仏教徒」「国軍」に関わる汚職・腐敗、人権侵害、麻薬関係の報道は「いわゆるタブーで、あえて火中の栗を拾う記者もメディアもほとんどいない」(タイの記者)という。

そんな現状の中、果敢な取材活動を続けていたミャー記者の拉致、襲撃という衝撃的な事件を受けてミャンマーでは「スー・チー政権は女性ジャーナリストの安全確保にもっと努力するべきだ」(DVB放送局)との声が高まっている。かつては輝くミャンマーの希望の星であり、民主化運動のシンボル「戦う孔雀」にもなぞらえられたスー・チーさんの、国家指導者として、そして女性としての指導力が試されようとしている。

[執筆者]
大塚智彦(ジャーナリスト)
PanAsiaNews所属 1957年東京生まれ。国学院大学文学部史学科卒、米ジョージワシントン大学大学院宗教学科中退。1984年毎日新聞社入社、長野支局、東京外信部防衛庁担当などを経てジャカルタ支局長。2000年産経新聞社入社、シンガポール支局長、社会部防衛省担当などを歴任。2014年からPan Asia News所属のフリーランス記者として東南アジアをフィールドに取材活動を続ける。著書に「アジアの中の自衛隊」(東洋経済新報社)、「民主国家への道、ジャカルタ報道2000日」(小学館)など



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大塚智彦(PanAsiaNews)

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