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文在寅政権に問われる、財閥改革の覚悟

ニューズウィーク日本版 2017年7月27日 16時40分

<前大統領をめぐるスキャンダルで高まる批判。長過ぎる財閥の経済支配にメスを入れられるか>

私は神だった――その男はかつての栄光の日々を振り返って、筆者にそう語った。「だが、今ではただの人間だ」

韓国の有力な名門一族に生まれた彼は、数十年にわたって後継者教育を受けてきた。大勢の人員が彼の配下に置かれ、その命令を軍隊のように規律正しく、効率的に実行していた。

破滅が訪れたのは、一族の長が死去したときだ。策略と陰謀と裏切りが渦巻く後継者争いに敗れた彼は、事実上の追放処分になり、一族の事業の弱小部門に左遷された。

あの北朝鮮の「王朝」の話かと錯覚しそうになるが、これこそは韓国経済の実態を象徴的に物語る出来事だ。

確かに韓国の経済界を牛耳る者たちは、叔父を処刑させ、異母兄の殺害を命じたと噂される北朝鮮の指導者ほど冷酷ではない。とはいえ彼らが作り上げた財閥は、いわばカルト集団的に韓国経済を支配している。サムスングループ、現代......その名がよく知られる韓国の財閥は、奇跡的な経済成長の牽引役にして、王朝時代を思わせる権力闘争の舞台だ。

王制的な精神風土の通例に従い、財閥は軍隊的構造を特徴とする。各製品とその部品の製造部門が徹底的に組織化され、組織全体が極めて厳格なヒエラルキーで構成されている。

財閥トップの中には、暴君さながらの振る舞いをする者もいる。07年、ハンファグループの金升淵(キム・ソンヨン)会長は、当時22歳だった息子のけんか相手を暴力団関係者らと共に集団で暴行。15年には、大韓航空の趙顕娥(チョ・ヒョナ)副社長が機内でのナッツの出し方に激高して、航空機をUターンさせる「ナッツ・リターン事件」を起こした。両者はいずれも逮捕され有罪判決を受けた。

こうした事件が起きるのは、韓国語で「甲質(ガプチル)」と呼ばれるメンタリティーのせいだ。ヒエラルキーの下位にある者には横暴になっていい、暴力を振るっても罪に問われることはないと、権力者は高をくくっている。

韓国が軍事独裁政権下にあった60~80年代、経済発展を遂げる上で財閥は大きな役割を果たした。だが87年の民主化以降、社会は大きく変化している。

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歴代政権が続けた失敗

軍事政権トップとして財閥システムの形成を助けた朴正煕(パク・チョンヒ)元大統領の娘、朴槿恵(パク・クネ)は便宜供与や収賄疑惑で国民の弾劾要求にさらされ、3月に大統領を罷免された。そうしたなか、財閥は過去の遺物と化す一方だ。



もちろん時代遅れになっても、消滅が近いとは限らない。財閥は(長期的成長の阻害要因になっているとしても)いまだに経済の中核を担い、その存在はある程度まで国民に容認されている。だからこそ韓国の歴代政権は、財閥の規模縮小を目的とする新たな規制の導入を訴えながらも、その課題を次期政権に先送りし続けてきた。

それでも財閥改革を唱える文在寅(ムン・ジェイン)が大統領に就任して以来、反財閥派の間では期待が高まっている。それも当然だ。文が公正取引委員長に任命した金尚祖(キム・サンジョ)は財閥の在り方を鋭く追及してきた人物だ。

ただしその金も、任命後の発言は以前に比べて控えめだ。過去の政権と同様、法施行の徹底や株主の権利拡大を訴えつつ、4大財閥(サムスン、現代自動車、SKグループ、LGグループ)の規制を強化すると繰り返すにとどめている。

韓国の財閥は長年、「大き過ぎてつぶせない」ウォール街の金融機関と同じく、危機を免れてきた。とはいえアメリカ企業は、より起業家精神が旺盛で株主重視だ。名門の金融機関であれ製造業大手であれ、シリコンバレーの有名企業であれ、韓国の財閥に比べればその特権はわずかなものにすぎない。

その証拠というべきか、韓国人は自国を「サムスン帝国」と呼んでいる。一方、アメリカが「アップル合衆国」と称される事態はあり得ないだろう。

韓国の財閥は独特の才能を発揮して、株式会社という制度の抜け穴を突く。株主を募って資金を調達しながら、株主の異議を無視して、実際の経営権はファミリーで握り続ける。

いい例がサムスンの旗艦企業であるサムスン電子だ。株式保有率で見ると、経営者一族の存在感は大きくない。会長の李健煕(イ・ゴンヒ)(14年に急性心筋梗塞で意識不明になって以来、現在も入院して寝たきりの状態だ)は4%。その妻の洪羅喜(ホン・ラヒ)と、長男で事実上のトップである李在鎔(イ・ジェヨン)はそれぞれ1%未満だ。

それでも李一族は複雑な株式持ち合いの手法を駆使し、サムスン電子はじめグループの会社を事実上支配している。いわゆる「サムスングループ」は法的実体ですらない。サムソンの名を共有し、相互に複雑に結び付いた59の企業を便宜的にこう呼んでいるだけだ。59社は全て事実上、李一族の監督下にある。

複数の従業員の話によると、特に李健煕の言葉は神のお告げのように絶対的な力を持ち、批判したり逆らったりすることは一切許されないという。

フィンランドのノキア、スウェーデンの産業界と金融界を牛耳るワレンベリ一族など世界には権勢を誇る富豪一族や企業グループが数々あるが、それらも韓国の財閥の絶大な力には遠くおよばない。



そのルーツは植民地時代、とりわけ第二次大戦中に日本が進めた統治政策にある。今日の韓国の4大財閥と同様、当時の日本でも4つの財閥(三井、三菱、住友、安田)が産業界を支配し、政界にも影響力を持ち、部品から兵器や戦車などの最終製品まであらゆるものを製造していた。その強大な力に民衆は不満を募らせていたが、第二次大戦中の最盛期には日本の4大財閥は世界最大級の企業グループであり、最も徹底したヒエラルキー構造を誇っていた。

1910年から戦争終結まで朝鮮半島を統治下に置いた日本は、貧しい君主国だった「大韓帝国」を産業国家に改造しようとした。日本の植民地支配は、フランスがインドシナ諸国に、イギリスがインドに、アメリカとスペインがフィリピンに行った統治よりはるかに徹底していた。今の韓国の財閥の土台を築いたのは日本で教育を受け、日本人の人脈を利用し、日本企業の慣行を学び、戦後に連合国軍の占領下で安く払い下げられた日本企業の在韓資産を元手に事業を始めた人たちだ。

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色濃く残る日本の影響

サムスン(三星)の創業者・李秉喆(イ・ビヨンチヨル)が38年に事業を始めたとき、三菱(3つのダイヤ)は1つの目標だっただろう。

日本では戦後、GHQの占領政策で財閥の解体が進んだが、韓国(と北朝鮮)ではその後も数十年間、旧宗主国から受け継いだ全体主義的な物の見方や慣行の多くが幅を利かせ続けた。

韓国では国民の間に反日感情が根強くあり、98年に解禁されるまで映画やコミックなど日本の大衆文化の流入は厳しく規制されていた。それでも韓国の文化と経済は今も戦前の日本の影響を色濃く受け継いでいる。韓国語のチェボル、つまり財閥という言葉もその1つだ。

製糖と毛織物で財を成し、次第に政界にも影響力を持つようになったサムスンのような企業グループが、戦前の日本の財閥にちなんでチェボルと呼ばれるようになったのは50年代からだ。

61年に軍事クーデターで政権の座に就いた朴正煕は憲法を改正して強大な権限を手に入れ国家再建を目指した。朴は日本陸軍の士官として日本が重工業開発を進めていた「満州国」で軍務に就いた経験を持つ。

日本の旧財閥の華麗な生活ぶりに反感を持っていた朴だが、韓国の財閥は国の経済発展に利用できると考えた。朴政権は企業に輸出額を割り当て、それをクリアできた企業だけに優遇融資を行った。財閥のトップが政権に盾突いたら、彼らの腐敗を暴き、裁判にかけた上で恩赦を与える。政権が財閥トップの生殺与奪の権を握って言うことを聞かせるというこの狡猾な慣行は今も続いている。

現代グループと鉄鋼メーカーのポスコは朴時代に大きく成長を遂げた。だが韓国製品が世界を席巻し、韓国の財閥の名がグローバルブランドとなるのは、79年に朴が暗殺された後だ。

ソニーのウォークマンやトリニトロン、IBMの初期のコンピューターやアップル製品を世界中のメーカーが追い掛けていた時期、韓国の財閥企業は既に一定の技術力を持ち、日米の有力メーカーに部品を提供するまでになっていた。韓国企業はサプライヤーの立場に甘んじることなく、あの手この手で先行メーカーの技術を盗み、ヒット製品を生み出せる開発力を付けた。



サムスンのプリンス李在鎔の逮捕収監は象徴的だった Kim Hong-ji-REUTERS

めきめき力を付け巨大化した財閥を崩壊寸前まで追い込んだのは97年のアジア通貨危機だ。この危機を乗り切った財閥はさらに大きな飛躍を遂げる。サムスンは不採算事業や肥大化した管理部門を整理し、デジタルTV、携帯電話、新型ディスプレイに注力。日本のソニーを打ち破る牽引力になり、スマホのギャラクシーの大ヒットで世界に知られるブランドになった。

創業者一族の力が弱まる場合も、改革派が求めるような権力の一掃が起きるわけではない。現代グループは01年にカリスマ創業者の鄭周永(チョン・ジュヨン)が死去した後、後継争いでグループ企業が分裂。有力子会社の分離や売却が続き、負のスパイラルに入り込んだ。

韓国と日本で事業を展開するロッテグループは、数年前から創業家の長男と次男がお家騒動を繰り広げてきた。今年4月に次男の辛東彬(シン・ドンビン、日本名・重光昭夫)会長が、朴前大統領の周辺に70億ウォン(約6億8000万円)の賄賂を渡したとして在宅起訴され、長男側は再び攻勢を強めている。

16年8月に経営破綻した海運最大手の韓進(ハンジン)グループは、06年に会長が病死した際、経営を知らない専業主婦の妻が後継者となった。

政府は一族の内輪もめを制止するどころか、97年の金融危機以降、財閥が前例のないほど拡大することを許してきた。その影響力はあまりに大きくなり、財閥の長たちは、罪を犯しても罰を逃れることさえできる。

95年以降、大手財閥の会長のうち少なくとも17人が、賄賂や横領など、いわゆる経済犯罪で有罪判決を受けている。しかし、多くは刑務所に収監されずに済んでいる。

なかでもサムスンの李会長、SKグループの崔泰源(チェ・テウォン)会長、ハンファグループの金会長の3人はそれぞれ2回ずつ、経済への多大な貢献を理由に大統領の特赦を受けた。そして、玉座に復帰した彼らは、国内の主流メディアから絶賛されるのだ。

愛憎が重なる国民感情

今年2月、サムスン電子の副会長を務める李在鎔が贈賄、横領、偽証など5つの容疑で逮捕された。最大の容疑は、サムスン物産と第一毛織の合併をめぐり、朴前大統領の周辺に総額433億ウォン(約42億円)を提供したこと。朴政権は保健福祉省を通じ、サムスンのグループ会社の大株主だった国民年金公団に、合併に賛成するよう圧力をかけたとされている。

国民年金公団への圧力に関しては、既に関係者の裁判が始まっている。6月8日には前保健福祉相が職権乱用の罪などで実刑判決を受けた。

朴前大統領のスキャンダルを機に、財閥と政府の共謀関係に対する抗議の声が高まっている。しかし、韓国の国民は今なお、愛憎が交錯する実用主義と愛国心が交じった苦い思いで、経済界の恐竜を見つめている。財閥の名声と安定した経営を愛し、並外れた力を憎みながら。



複数の調査によると、韓国の国民にとって、財閥問題は文政権の改革の中で優先順位が低い。節操のない優遇で財閥一族を増長させ、公的な資金を搾取され、市場の基本的な要素が損なわれているにもかかわらずだ。

韓国の上場企業全体の時価総額のうち、約半分を5大財閥の企業が占める。サムスンの企業だけで3割近くだ。さらに、サムスン電子だけで国の輸出の5分の1を担う。要するに、財閥は経済規模が大き過ぎてつぶせないのだ。

ただし、大き過ぎることを恐れるあまり、財閥を支配する一族の不正や横暴を看過することはあってはならない。

サムスンの書類上の会長は、3年前から病院で意識不明のまま(公式には「一時的な昏睡状態」)。事実上の経営者である長男は拘置所に入って4カ月、裁判を待つ身だ。

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普通の上場企業なら、株価は下落して、事業は混乱し、株主は経営陣の失態に拒否反応を起こすだろう。不祥事が相次いだ米配車サービス大手ウーバーのCEOだったトラビス・カラニックは先頃、投資家の圧力で辞任を余儀なくされた。

しかし、サムスンは帝王が不在でも、稼ぎ頭であるサムスン電子の記録的な収益と株価はほとんど影響を受けていない。ほかの財閥の場合も、会長が有罪判決を受けても株価が上昇する例はいくつもあり、創業者一族がいなくても健在だろう。世界的にも水準の高い教育と技術を有する国に、排他的な一族支配は必要ないのだ。

文大統領は、30年に及ぶ韓国経済の民主化を完成させる好機に巡り合わせた。今後は、財閥を抑制する法律を制定し、最小限の株式保有で帝国を支配できる巧妙で複雑な仕組みをほどき、財閥に搾取される中小企業への経済的支援を拡大することなどが求められる。

最初は痛みを伴うが、国全体を将来の痛みから救うことになる。聡明で勤勉な労働者が正当な機会を手にし、1つの会社が国の経済の命運を握る「サムスン・リスク」に怯えなくて済む。そういう国を目指すのだ。

From Foreign Policy Magazine

[2017.7.11号掲載]
ジェフリー・ケイン(韓国在住ジャーナリスト)

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