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核兵器廃絶のために、日本は理想と現実の両方を主張すればいい - 冷泉彰彦 プリンストン発 日本/アメリカ 新時代

ニューズウィーク日本版 2017年8月8日 16時30分

<現実にはアメリカの「核の傘」に守られているという理由から、日本は国連の核兵器禁止条約に反対しているが、そのような論理的総合性に意味はあるのか?>

7月7日に国連の本会議で核兵器禁止条約が採択されました。これを受けて、核保有国である米英仏の各国は、条約に加盟しない方針を明らかにしています。日本政府の立場も同様で、時事通信の報道によれば別所浩郎国連大使は記者団の取材を受けて、現状で条約に「署名することはない」と強調したそうです。

一方で日本は、過去長い間ずっと国連の本会議に対して「核兵器廃絶決議案」を提出し続けていました。また、「非核三原則」を国是として堅持していることも含めて、日本という国が国是として核戦争に反対していることは明らかです。

そうなのですが、この核禁止条約に関しては、これまで日本は一貫して「反対」して来ました。そのために、日本国内ではまるで現在の政府が核廃絶に消極的であるかのような印象が広がり、そうした政府の姿勢を批判する動きも続いています。どうして日本政府が核禁止条約に反対しているのか、分かりにくいことは確かです。

【参考記事】北朝鮮の核開発を支える中朝貿易の闇

これまでの政府の言い方を総合すると、3つの理由があるようです。まず1つ目には、核禁止条約は「国際的な安全保障環境の現実を無視している」という主張が背景にあると考えられます。具体的には、日本政府としては「核兵器の非人間性を訴える」という点と、「安全保障の上は現実論に立つ」という点の「両方を踏まえてきた」という発言が繰り返されています。

つまり、唯一の被爆国だから、核兵器の恐ろしさを発信する役割を感じているが、同時に核の傘に入って防衛をするという現実も踏まえて考えているというのです。ですが、核禁止条約は後者、つまり安全保障の現実を踏まえていないから反対ということのようです。

2点目として、以前から日本政府が指摘しているのは、日本は「核保有国と、非保有国の双方が協力して取り組めるものしか参加しない」というのを基本方針にしているということです。確かにこれはNPT体制、つまり1970年にスタートした「核拡散防止条約」の原点であり、そのNPT体制の創設に努力した日本とすれば、譲れない点なのだと思います。

この点からすれば、あらゆる核の使用を非合法化して、現在の保有国に廃棄を迫る核禁止条約には参加できないということのようです。



3点目としては、北朝鮮危機のように現在進行形である核拡散問題については、日本は、理念だけでなく実際に経済制裁や関係諸国の協議を通じて問題の解決に取り組んでいるのに対して、核禁止条約はこうした具体的な拡散防止策には役に立たないという理由です。

以上の3つがいわば外交のタテマエであるならば、その奥のホンネの部分には、現在の日本は、核の傘に入っているのだから、報復核攻撃を合法化しておかないと、核の傘は有効にならないという考え方があると考えられます。

そんなわけで、核禁止条約には入らないというのですが、どうも、この姿勢はバカ正直というもので、そんな論理的整合性に意味があるのかどうか疑わしいように思われます。核の潜在的攻撃目標にされているのは残念ながら事実なのですから、それに対して物理的には傘で備え、法律的には核禁止条約で反対しということを通じて、二重の備えをするという発想法は取れないものでしょうか?

つまり、理想論と現実論の両方が入っている条約しか入らないというのではなく、日本が理想論の条約と現実論の条約や措置などに二重に参加してしまえば、同じように「ダブルの備え」になるのではないかということです。

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また、核不拡散への取り組みについて、確かに日本は大国つまり核保有国主導の北朝鮮対策などに参加してきています。ですが、この際ですから、これに加えて、同時に「非保有国としての核不拡散の取り組み」のリーダーシップを取ってみてはどうでしょう?

「核保有国と非保有国が一緒に参加できる枠組み」でないと参加しないなどという「潔癖な」考え方ではなく、発想を少し変えて、保有国主導の不拡散の行動にも参加するが、非保有国主導の不拡散の行動もリードするという動きを日本がやってしまうというのは、できないものでしょうか?

これまで日本国内では、政府が核禁止条約に反対し、被爆者をはじめとする被爆地の人々がそれに対して怒るという対立をずっと続けてきたわけですが、このような対立は不毛でしかありません。

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